・川上音二郎(1896−1911)・貞奴(1871−1946)
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錦絵「川上音二郎肖像」(部分)錦絵「貞奴の道成寺」(部分)(日本芸術文化振興会・国立劇場蔵)
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博多生まれ、福沢諭吉の書生、京都で警官、自由党壮士で、京都、大阪で自由童子、落語家桂文之助門下となり浮世亭○○(まるまる)などと名乗る。演説と扇動などの罪で逮捕・投獄歴180余回を数えるという。
明治20年5月、神戸楠公社内で、改良川上音二郎と銘打ち、「改良演劇西洋美談、斎武義士自由の旗揚」。河竹・前述も、この川上の旗揚げをもって壮士芝居の嚆矢とすべきではないかとしている(河竹繁俊・同995頁)。とすれば、壮士芝居・新劇の創始者は川上音二郎ということになり、角藤よりも7ヶ月ばかり早かったことになろう。
桂門下の同門の考案したオッペケペー節の節だけを借用して、自作の時事風刺の詞を入れて、裃、鉢巻、扇子という出で立ちで唄ったという。
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落語家浮世亭00の名で「オッペケペ一節」を売り物にした川上音二郎は、俳優として、妻の貞奴とともに、1899年(明治32年)に欧米巡業し大成功を収めた。1901年(明治34年)1月帰国。1903年(明治36年)には、明治座で「オセロ」、本郷座で「ハムレット」等の大型公演を成功させた。1908年(明治41年)、帝国女優養成所を開いて女優養成を始め、日本の近代劇運動の先駆的役割を果たした。
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