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富澤赤黄男

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詳細 2022年10月27日 18:05更新

富澤赤黄男(トミザワカキオ) 1902〜1962

--------略歴--------
明治35年
(1902年) 7月14日川之石村(川之石琴平)に父岩生、母ウラの長男として生まれる。本名正三。
大正9年
(1920年) 宇和島中学を卒業後、鹿児島の第七高等学校の受験の際、同宿の受験生との腕相撲で腕を折って受験に失敗。
大正15年(1926年) 早稲田大学を卒業した後、国際通運東京本社に就職。

昭和3年
(1928年) 26歳、喜多郡の酒造家菊池愛太郎の次女清(きよ)と結婚し、大阪東成区生野町に移住
昭和5年
(1930年) 父が病気で眼を病み医者をやめ、川之石木材株式会社を経営。それを手伝うために帰郷、地元の国立第二十九銀行へ入社。郷土の俳句同好会『美名瀬吟社』に入り俳句を始める。
昭和7年
(1932年) 俳号を「蕉左右」と改め、後に「赤黄男」と改号。
昭和10年
(1935年) 俳詩『旗艦』が創刊され、その中で「新興俳句昭和の問題」を執筆するなど各誌に寄稿。水谷砕壺、日野草城、西東西鬼らと共に新興俳句家として俳壇にその名を知られる。
昭和13年
(1938年) 戦争俳句が俳壇に流行。翌年、『旗艦』に「ランプ」を発表。『俳句研究』の「新鋭16人集」に作品「蒼い弾痕」を寄稿。
昭和16年
(1941年) 安住敦のすすめで句集「天の狼」出版
昭和20年
(1945年) 終戦。43歳。翌年から意欲的に数々の俳句雑誌に執筆、作品発表。昭和23年(1948年)詩論「モザイック詩論」発表。昭和27年(1952年)句集「蛇の声」刊行。翌年、『薔薇』に「クロノスの舌」を執筆。以後終刊まで随時発表
昭和36年
(1961年) 体の調子を悪くする。句集「黙示」刊行
昭和37年
(1962年) 60歳。3月7日永眠

昭和62年
(1987年) 『郷土の偉人の灯を消すことは郷土の恥である』と、第1回富澤赤黄男顕彰俳句大会を開催。以後毎年赤黄男の忌日前後に開催
平成5年
(1993年) 琴平公園に富澤赤黄男句碑広場が完成。句碑には胸像のレリーフとともに赤黄男直筆の句が刻まれ、そばに俳句ポストが設けられている。

彼の句です。

 蝶墜ちて大音響の結氷期

 鶴昏れて煙のごとき翼ひけり

 翡翠よ白き墓標のあるところ

 靴音がコツリコツリとあるランプ

 砲音の輪の中にふる木の実なり

 豹の檻一滴の水天になし

 花粉の日 鳥は乳房をもたざりき

 窓あけて虻を追ひ出す野のうねり

 秋暑し豹の斑の日に粘り

 冬蝶の夢崑崙の雪雫

 流木よ せめて南をむいて流れよ

 ゆく船へ蟹はかひなき手をあぐる

 鶏頭のやうな手を上げ死んでゆけり

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カテゴリ
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