創立…1895年 (ボレイン・キャッスルFCと合併し、ウエストハムになったのは1900年。)
本拠地…London(ロンドン)
スタジアム…Upton Park(アプトンパーク) 35,640人収容
クラブ愛称…Hammers(ハマーズ) Irons(アイアンズ)
会長…Bjorgolfur Gudmundsson
公式サイト…http://
獲得タイトル…FAカップ(3回) カップ・ウィナーズカップ(1回)
------------------------------------------------------------------------
■クラブ史
ウエストハム・ユナイテッドは1895年、ロンドン東部にあるアーロン・ヒルズが所有していたテムズ鉄鋼・造船所の労働者を中心に結成された。(愛称“ハマーズ”は労働者たちが手にしていた“ハンマー”に由来する。)以来、現在まで続くアタッキング・フットボールの姿勢を貫き、多くのファンに支持されている。
1960年代には天才的な戦術を用いたロン・グリードウッド監督に率いられ、当時のイングランド代表メンバーを中心に黄金時代を築いた。64年にFAカップでクラブ史上初めて優勝という快挙を成し遂げ、翌65年のカップ・ウィナーズカップでも1860ミュウヘンを破りタイトルを獲得する。
また地元イングランドで開催された1966年ワールドカップでは、ハマーズの主力メンバーであるボビー・ムーア、ジェフ・ハースト、マーティン・ピーターズといった選手の活躍で母国に初の栄冠をもたらす。ゆえに今でも「66年のワールドカップはウエストハムが獲った」というのがハマーズファンの間では語り草となっている。
1970年代、75年にFAカップを再び制すもファースト・ディビジョンとセカンド・ディビジョンを行き来するシーズンが続く。しかし80年、下部リーグに所属しながらもFAカップを制すと81年には1部昇格を果たす。クラブの建て直しに成功し、85-86シーズンにはリバプール、エバートンに次ぎ、クラブ史上最高となる3位の座を獲得。最終節まで優勝を争うほどに力をつけたのだが、3年後には再び降格を味わってしまう。
しかし92年、新しく発足したプレミアシップへ昇格すると、94年ハリー・レドナップ監督就任に伴い、再びクラブは好転する。同監督は26000人しか入らないスタジアムにより、収入が得られないことを嘆いていたが、持ち前の育成システムとハリーの手腕により99年には5位でのフィニッシュに成功した。
01-02シーズンからグレン・ローダー監督に率いられたチームは7位に入るも2002-03シーズンに18位となり再び降格を味わう。翌シーズン、アラン・パーデュー監督が就任すると、04-05シーズンに2部でシーズン6位となり昇格のプレイオフを勝ち抜いて、05-06シーズンには再びプレミアの舞台で戦いことに。このシーズンは昇格1年目にもかかわらずリーグではトップ10入りを果たし、FAカップでも決勝へ進出している。(リバプールに敗戦。)
06-07シーズンには“テヴェス、マスチェラーノ騒動”により降格の危機にさらされるも徐々にチームにフィットしたテヴェスの活躍により、最終節にこのシーズンの覇者であるマンチェスター・Uを破るなど奇跡的な巻き返しにより、残留を決め、07-08シーズンに臨んでいる。
また、ウエストハムといえば世界に誇るアカデミーが有名である。上記した3選手はもちろんのこと、最近ではフランク・ランパード、J・コール、リオとアントンのファーディナンド兄弟、マイケル・キャリック、ジャーメイン・デフォー、グレン・ジョンソン、マーク・ノーブルなどなど多くの選手を世に送り出し、その多くはイングランド代表にも選出されている。