90年代後半、アルトサックスの調べに端を発すると言う「テクノ・スキャット」なる独特の歌唱法を引っさげ、52歳と言う遅咲きでデビュー。以後、ガンでその生涯を閉じるまで数々の曲を世に送り出し、そして大の親日家としても知られ、「プッチンプリン」等日本のCMにも登場した…
彼の名は「スキャットマン・ジョン」。
そんなジョンの好きな人に集まって貰おう、と言うコミュニティです。
名前しか知らないと言う人や、「プッチンプリンのCMしか知らない」と言う方も大歓迎です(微笑)
トピックの作成などはご自由にドウゾ。
皆でジョンの魅力について熱く語り合いましょう。
♪ぴ〜ばっぱっばらっぽ〜♪
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ジョンの経歴は大体以下の通り(参考・ウィキペディア)
Scatman John
本名:ジョン・ポール・ラーキン(John Paul Larkin)1942年3月13日 アメリカ合衆国・カリフォルニア州出身
生来の吃音症で、その吃音症に対するコンプレックスからジャズピアニストの道に進む。その後、活動の場をアメリカからヨーロッパに移す。紆余曲折を経て、自身の障害を逆手に取り、アルトサックスの音色を参考に「テクノ・スキャット」なる歌唱法を編み出し、52歳で歌手としてメジャーCDデビュー(デビュー時の年齢はギネスブック級の高齢)。
デビューアルバム「Scatman's World」は日本やヨーロッパ諸国など全世界で600万枚以上を売り上げた。
日本でのブレイクは1995年。
前述のアルバム「Scatman's World」がミリオンセラーになった事や、「Su Su Su Superキレイ」(カネボウ化粧品のCMソング)の大ヒットで一躍その名が知られるようになる。グリコ乳業の「プッチンプリン」等数多くのTVコマーシャルや、様々な日本の歌謡番組にも出演。
大の親日家としても知られ、日本でのコンサート上では坂本九の歌をスキャットを交えてカヴァーするなどサーヴィス精神も旺盛だった。日本のファンを意識したと思われる作品も幾つか唄っている。
一方で、吃音障害者支援組織との交流を深め、彼らを支援する為の「スキャットマン基金」を設立。吃音者社会に著しい功績を残した事を評価され、1996年にチャールズ・ヴァン・ライパー賞を受賞。
1999年12月3日にロサンゼルスで死去。
享年57歳。死因は咽頭癌だった。