語彙を豊かにするために、「季語」を深く追究してみようというコミュです。
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季語といえば俳句ですが、俳句歳時記や季語事典の類の説明だけではものたりない。季語についてもっと深く知りたいと思う俳人はずいぶんいるようです。
俳句は「俳諧の連歌」の発句を独立させた短詩文芸で、創始者は明治の正岡子規。
「俳諧の連歌」とは、そもそもみんなで句を連ねて「滑稽」を本質とする歌を作っていくというもので、その頭の句を「発句」(ほっく)といいました。
明治28年、子規は新聞「日本」紙上に「俳諧大要」を発表。俳句の「季語」(子規は季語とはいってないけど)について、次のように書いています。
「俳句における四季の題目は和歌より出でて更にその意味を深くしたり。例ヘば『涼し』と言へる語は和歌には夏にも用いまた秋涼にも多く用いたるを、俳句には全く夏に限りたる語とし、秋涼の意には初涼、新涼等の語を用いしが、今は漸くにその語も廃れ涼の字はただ夏季専用と為れり。則ち一題の区域は縮小したると共にその意味は深長と為りたるなり」
当時は言葉の使い方の傾向として、それぞれが季節という自然観のなかに収束するものが多く、その語をもって季節の象徴とすれば、十七文字の短詩型でも深い意味をもたせることができる。こういうことだと思います。
しかし、言葉の使い方は子規以降も時代の流れのなかで大きく変わっていきました。明治から今日に至るまでの生活様式の大きな変化は、無視できません。
「むかし決められた季語が、歳時記には載っている」
作句のとき、俳句歳時記や季語事典からの言葉選びからはじめるのは本末転倒です。
季感のなかで自分の思いを詠むもののキーワードが、作句の直前に仕入れたばかり。自分の身についていない言葉というのは・・・。
これを解決するには歳時記などを泥縄式に使うのではなく、日常のなかで語彙をひとつひとつ追究して溜め込んでいくことが必要でしょう。
もちろんボクだって薄学だし、なによりも俳句は「らしきもの」を気が向いたときに詠んでいる程度なので、結社に属されている俳人の方々とは違って、知っている季語の数も知れたものです。
このコミュでは、俳句を作る人だけではだけはなく、いろいろな分野で活躍する人がそれぞれの抱えている語彙とそれらに関することを出し合って、みんなの糧になるものをつくっていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
管理人 百楽天 拝