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女流義太夫

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詳細 2023年6月9日 22:41更新

女流義太夫が好きな人♪

明治青年の血をたぎらせた娘義太夫。
あまりの熱狂ぶりに時の文部大臣は禁止令を出し、古くはあの遠山の金さんも三百人からの娘義太夫を捕縛したと伝えられている。
悪魔と呼ぶ暴露本が出る一方、志賀直哉は「神のごとし」と絶賛し、竹久夢二は「涙が出るほど」感動した。
神か悪魔か、果たしてロマンの化身か。もてはやされ、叩かれて、今や忘れ去られようとしている江戸・東京娘義太夫二百年の栄光と濡れ衣の歴史を照射、検証する。

〜江戸東京 娘義太夫の歴史より。〜


明治の娘義太夫

義太夫とは

 初代竹本義太夫(筑後掾、ちくごのじょう、1651〜1714)によって創始された浄瑠璃の流派である。太棹(ふとざお)の三味線を伴奏に太夫が語るという形式をとる。通常は太夫と三味線各1人で演奏される。義太夫は、元来、人形浄瑠璃で上演されるが、人形操りのない素浄瑠璃、人形操りも三味線の伴奏もない素語りでも上演される。歌舞伎の音楽として使用される場合には、竹本もしくはチョボという。

娘義太夫の登場

やまと新聞や東京朝日新聞社の記者・文芸部長・社会部長だった山本笑月(浅草花やしきの創設者山本金蔵の長男で、長谷川如是閑、大野静方らの実兄)によると明治女義(女義太夫)を2期に分けている。

「明治十五、六年から二十三、四年頃の女義界は、東玉、京枝を大将として、(後の素行)、清花、小政、小住、小伝、花友などに綾之助、これが第一期。つづいて、小土佐、小清、錦、越小、住之助、鶴蝶、熊梅などに三福、綾之助を持ち越して、これが第二期の花形。その後は大小の真打ぞろぞろ輩出。」(明治世相百話109頁(1983、中公文庫))

明治の女義太夫は、1883年(明治16年。但し、1882年とする説あり)、竹本京枝(きょうし)が名古屋から一門を引き連れて上京して始まった。つぎに1885(明治18)年に、竹本東玉(とうぎよく)が本場の大阪から、小政、東代玉(とよぎょく)、東吉(とうきち)らを引き連れて、東上して競いあった。

さらに、東玉、京枝は上京がいずれも30歳代だったようだが、やがて1887(明治20)年、大阪からスーパースターが登場する。男装の美少女で美声、初代竹本綾之助(あやのすけ、当時16歳)であり、出演する寄席はいつも大入り満員で人気は抜群であったという。

山本のいう第1期の頃、小住を本郷・若竹亭に家族で聴きに行ったのは、樋口一葉である。貧困の中での寄席へのお出かけである。家族で好きだった。日記には、「あやの助」「小清」の名も挙がっている。

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カテゴリ
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