■あなたも、中学時代や高校時代に、教科書で読んだことがあるかもしれませんね。山川方夫の『夏の葬列』『他人の夏』…。
■わずか2、3年の間に、江藤淳、坂上弘、曽野綾子等、続々と新人を発掘し、「三田文学」の黄金時代を築いた名編集長。
■一方では、作家として、ショートショートを中心に、ややマイナーではあるが都会的な繊細・可憐な作風で、一部に熱狂的なフアンを持ちながら、一陣の風のように、道半ばに、交通事故で夭折した薄倖の作家。「海岸公園」「最初の秋」「煙突」「遠い青空」…。
■フアンも研究者も、まだ読んだこともない人も、山川方夫に興味のある人は、全員集合(!!!)。
■気軽に、戦後最高品質のマイナー・ポエット【山川方夫】という作家について語りましよう。
===========山川方夫とは何者か==========
■山川方夫(やまかわ まさお
■1930年2月25日 - 1965年2月20日)は日本の作家。
■本名、山川嘉巳。
■ 略歴
東京市下谷区上野桜木町(現在の東京都台東区上野桜木町)にて、日本画家山川秀峰の長男として生まれ、品川区下大崎(現在の品川区東五反田)に育つ。
1936年、慶應義塾幼稚舎に入学。1942年、慶應義塾普通部に進学。1945年、敗戦を疎開先の神奈川県中郡二宮町の父の別荘で迎える。1947年、慶應義塾予科文学部に入学。在学中に学制改革を経て慶應義塾大学文学部仏文科に進む。1952年に卒業。卒論はサルトル。慶應義塾大学大学院文学研究科仏文専攻に入学。『三田文学』に参加。1953年、大学院中退。1954年、田久保英夫、桂芳久と共に第3次『三田文学』を創刊。新人発掘に力を注ぎ曾野綾子、江藤淳、坂上弘などの作品を掲載する。1956年、編集を退く。
1958年、『演技の果て』で第39回芥川賞候補となる。1959年、『その一年』『海の告発』で第40回芥川賞候補となる。1960年、中原弓彦編集の『ヒッチコック・マガジン』誌に登場し、ショートショートを執筆。後に日本国外の雑誌に転載される『お守り』を『宝石』に発表する。1961年、『海岸公園』で第45回芥川賞候補となる。
1962年から1963年にかけて『ヒッチコック・マガジン』誌で、『夏の葬列』などのショートショート『親しい友人たち』を連載。同じ頃、寿屋(現在のサントリー)のPR誌『洋酒天国』の編集に関与。1964年、『クリスマスの贈物』で第50回直木賞候補、『愛のごとく』で第51回芥川賞候補となる。
1965年2月19日、二宮駅前の国道横断歩道で交通事故に遭い、翌日死去。享年34。
妻山川みどり(旧姓生田)は『芸術新潮』誌の元編集長。
■エピソード
ペンネームの「方夫」は、父の師の1人である日本画家鏑木清方の「方」と、親交のあった劇作家梅田晴夫の「夫」を組み合わせたもの。
■作品
山川方夫全集 全7巻 筑摩書房
1 安南の王子 ISBN 4480704213
2 日々の死 ISBN 4480704221
3 海岸公園 ISBN 448070423X
4 愛のごとく ISBN 4480704248
5 最初の秋 ISBN 4480704256
6 トコという男 ISBN 4480704264
7 朝の真空 ISBN 4480704272
夏の葬列 集英社 ISBN 4087520145
安南の王子 集英社 ISBN 4087520439
愛のごとく 講談社 ISBN 4061976141
【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)】より。
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