僕達は、意識せずとも様々な場で誰かの「表現」に出合っている。映画でも、音楽でも、文章でも、むしろ能動的に他人の「表現」を消費して生きている。
だけど、僕が長年モノを作り続けてきて、よく耳にするのは
「私にはこのような能力はありませんから」
という言葉だ。
資本主義原理に基づく商業主義の中では、
「表現」すら交換価値の尺度によって測られ、
「劣った」もの「売れない」ものは排斥されていく運命にある。そして、その価値観を無意識に内面化してしまっていることが、「表現」の可能性を非常に狭めてしまっている。
しかし、本来は誰だって「表現」しても良いのだ。
「お金にならない」「芸術的価値の無い」モノを作ったって良いのだ。誰だって「表現者」であって良いのだ。
近年、「表現」は個人の人間としての全体性を高め、
資本主義に替わる、新たな価値体系の可能性として注目を集めている。
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