彼は父親から『史記』の編纂を受け継ぎました。
彼は友人を弁明し、それがもとで宮刑を受けました。
彼は恥を忍び、ついに『史記』を完成させました。
司馬遷は宮刑を受けても、生き続けました。
なぜなら、生き恥をさらす以上に、
自分に課せられた使命(『史記』の完成)を、
全うできないことを恥じたのです。
時が経てば、偉人の残した業績は忘れ去られてしまいます。
司馬遷は彼らを刻み、己の心の叫びを『史記』で表しました。
司馬遷はこう言い残しています。
「『史記』が世に流布され後世に残ったなら、
何万回刑にあっても悔いはない。自分が死んで後、
自分の生き方の良し悪しが決まるだろう」と。
故人の生きざまと彼の思いは『史記』の中で生き続け、
今も輝きを放ち続けています。
数ある中国史書の中でも、
「『史記』が一番好きだ!」という方。
司馬遷に興味のある方、
これから知りたいという方。
司馬遷や『史記』について語り合いませんか。