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”愛”

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詳細 2023年4月18日 21:51更新

”愛”とは?


<日本語の愛の語源>

もともと日本語の文脈における愛は、仏教用語からきたものであり、愛別離苦の1を占める煩悩の意味であった。

近代に入り、西洋から新しい意味が導入された。その際に、「1. キリスト教の愛の概念、2.ギリシャ的な愛の概念、3. ロマン主義小説の恋愛至上主義での愛の概念」などの異なる概念が同時に流れ込み、混乱の中から、現在の複雑な愛の意味が作られてきた。

<日常用語的定義>

日常用語的には感情の一種で、何かの対象を肯定する気持ち、対象に存在意義や価値を見出したり、対象に快を感じたりする気持ちであると理解されている。

類似の感情である(としばしば考えられる)好意よりも、深い、強い、崇高である感情とされることが多いが、例外も多くあり定義は容易ではない。また、恋ともしばしば比較されるが、両概念の違いについては一般に広く受け入れられた説はない。

一般に、愛は非常に多義的で複雑な概念であり、多くの人々によって定義を与えることができない、あるいはそのような試みが不毛である、とも言われてきた。

<愛の主な対象>

愛がどのような対象に対して発生するかについては、かなり具体的な規定がある。

この感情は親子、恋人、夫婦、友人などの間に生まれる(つまり、そのような関係にある者の間で、互いに愛を抱く)とされる。基本的には、身近な人を対象として起こる感情である。但し「人類愛」のように日常生活上身近とは言えない人々を対象とする愛も存在している。

現代では、婚姻や性交渉は、しばしばお互いに対する愛の存在を理由として行われ、また愛がない場合には行われないべきだとする考えもある。

また、日本では郷土や祖国、出身校などに対する愛がありうることも比較的広く受け入れられており、郷土愛、愛国心、愛校精神、などと呼ばれている。

<愛の特徴>

上述のように、愛は恋や好意に比べ、深く、強く、崇高であるとされることが多い。

親が子に抱く愛や人が恋人に抱く愛は、相手に対する無条件の肯定であるとする考え方もある。このような感情は、他の感情に比べ、強く、しばしば信念などと同じく人生の重大な選択を大きく左右する感情ともなる。また、古来、物語やドラマにおいては、愛やそれに類する感情が、人々の強い願いや欲望としてドラマを作り出す重要な要素になっている例が珍しくない。

但し、「あばたもえくぼ」と諺にあるように、愛は事実を誤認させるものであるとする認識もあり、これは必ずしも愛を崇高なものとしない。

また、溺愛、偏愛、など他にも崇高ではない場合があるとも考えられている。

自己愛(ナルシズムの訳語として用いられることもある)にも、他人の視点を理解できずに自己を肯定する感情を批判する意味あいが含まれていることが多い。
数多くの形やレベルがあるので、定義は難しい。ほとんど宗教になってしまうし、宗教的なテーマでもある。愛は言葉によっては定義できないし、言葉によって伝達することは非常に難しいと思われる。愛は愛を生きてみることによってしか知ることはできない。愛が起きている人が表現することはまた全てに愛が含まれるという可能性もある。愛を生きている人が生んだ詩であればその詩は愛をかもしだし、愛を生きている人が描いた絵は愛の色を放っている。

<恋とLove>

英語では、Love になってしまう男女間の愛は、日本語では恋と特別な言葉が用意されている。しかし、恋が成長すると愛になるとも言われる。

恋は、何らかの理由で起きる。多くの場合、恋は10代で身体が性的に成熟した後に初めて起きる。恋が起きるまでは少年少女にとって未知の世界である。恋が起きると、寝ても覚めても相手の事でいっぱいになったりする。恋は、ある意味、愛をかいま見せてくれる。

<親の愛>

実際には、人は生まれて来たときには愛以外の何ものでもなくやって来て、ただ愛のエネルギーをかもしだしているが、そのときの記憶は失われる事がほとんどである。しかし、生まれて来たばかりの子供をみるとき、多くの人は愛を感ぜずにはいられない。それは単にわれわれが愛を感じるというよりも、子供が強く自然に愛の状態にあるため、それに巻き込まれるという感じである。

母親は9ヶ月間(10月10日と言われるが、実際に受精してからは9ヵ月程度)、子供と一緒にいる。生まれて来たとき、普通の状況では母親は子供と恋に落ちる。生まれてから離されることがなければ、恋に落ちて母親は自然と母親の愛の状態になる。

これは、必ずしも母親だけに起きるわけではなく、父親にも起きる場合が多い。父親もまた子供と恋に落ちる。何ものよりも大事に感じてしまう。生は神秘に満ちている。

しかし、われわれは多くの場合、精神的な傷をもって育って生きており、まれに自然が用意した愛のメカニズムが起きない場合もある。

愛には、相手や対象がある場合と、相手や対象がない場合がある。後者はより洗練された愛と呼ばれる場合がある。前者の場合は「愛は関係である」が、後者の場合それは「愛は状態である」と定義される。「状態としての愛」が起きたときには、それはより「無条件の愛」に近い。この場合は、「愛さないことが出来ない」状態になる。しかし、それは短期的に体験することもあれば、それが定常的にあり続ける場合もある。

<宗教と愛>

「神は愛である」という言葉があり、また、さらに、「愛は神である」という言葉もある。愛を知ることで、神を知ることができたり、宇宙の神秘を知ることになるとも言われる。

これらは、宗教性の意味あいをもった愛であるが、愛は数多くの形に使われる。 「自分の愛している車」これは、「非常に大好きで大事な」の意味で、必ずしも「愛」の言葉を使うのはふさわしくないかもしれない。しかし、使われる。

そこで、たびたび宗教性の意味あいを持った愛を「無条件の愛」と呼ぶ。実際には愛は無条件なのであるが、「無条件ではない大好き」「対象と条件のある愛に似たもの」を「愛」と呼ぶことが多いので、このようになっている。

愛は宗教的な探求テーマの一つであるが、愛を探求テーマに持たない場合もある。それは瞑想の道とも呼ばれ、愛の道と対比され、探求には愛の実践は含まれないか中心的な重要さはもっていない。しかし、道に到達したときには愛が起きる。例えば、禅の探求には愛は含まれない。しかし、悟りを開いた人々は愛に満ちていることは知られている通りである。

<仏教での愛>

仏教での「愛」には、サンスクリット語でtRSNaa तृष्णा、kaama काम、preman प्रेमन्、sneha स्नेह の4種が挙げられる。

<tRSNaa>

 人間の最も根源的な欲望であり、原義は「渇き」であり、人がのどが渇いているときには、水を飲まないではいられないような衝動をいう。それにたとえられる根源的な衝動が人間存在の奥底に潜在しており、そこでこれを「愛」とか「渇愛」と訳し、ときには「恩愛」とも訳す。
広義には煩悩を意味し、教義には貪欲と同じ意味である。

 また、この「愛」は十二因縁に組み入れられ、第八支となる。前の受(感受)により、苦痛を受けるものに対しては憎しみ避けようという強い欲求を生じ、楽を与えるものに対してはこれを求めようと熱望する。苦楽の受に対して愛憎の念を生ずる段階である。

<kaama>

 kaamaはふつう「性愛」「性的本能の衝動」「相擁して離れがたく思う男女の愛」「愛欲」の意味に用いられる。これを「婬」と表現することが多い。
仏教では、性愛については抑制を説いたが、後代の真言密教になると、男女の性的結合を絶待視するタントラ教の影響を受けて、仏教教理を男女の性に結びつけて説く傾向が現れ、男女の交会を涅槃そのもの、あるいは仏道成就とみなす傾向さえも見られた。
密教が空海によって日本に導入されたときは、この傾向は払拭されたが、平安末期に立川流が現れ、男女の交会を理智不二に当てはめた。
性愛を表す愛染という語も、この流れであり、しばしば用いられる。

<preman, sneha>

preman, snehaは、他人に対する、隔てのない愛情を強調する。
子に対する親の愛が純粋であるように、一切衆生に対してそのような愛情を持てと教える。この慈愛の心を以て人に話しかけるのが愛語であり、愛情のこもった言葉をかけて人の心を豊かにし、励ます。この愛の心をもってすべての人々を助けるように働きかけるのが、菩薩の理想である。
一切衆生に対する愛情の純粋化・理想化されたものを慈悲という。それは仏に成就しているが、一般の人々にも多かれ少なかれ実践できる。

<慈悲>

愛が更に進化した場合を、慈悲と呼んで区別する場合もある。この場合は愛が状態であり、対象や相手を持たないが、更に愛があふれ出ている。近くに来る人は慈悲を受け取り、愛をいっぱいに受け取ることができるとも言われる。

観音菩薩や聖母マリアは、このような状態の象徴であり、そのような状態を感じることができるように表現されている。

<キリスト教での愛>

キリスト教の愛は、隣人愛によって成立する人類という大きな家族像を示唆している。

キリスト教の神は、聖書の「放蕩息子」のように限りなく寛大な親であり、
聖母は全ての人の母として尊敬されるべき慈愛あふれる庇護者であり、
全ての人は「サマリア人」のように兄弟愛で互いに支えあい、互いに譲りあい許しあい和解すべきとされる。

<自己愛>

愛の基本的な状態は、自己愛(セルフラブ、Self-love)と呼ばれ、自分自身を支える基本的な力となる。無条件に誰かを愛しているときに、この自己愛の状態が起きることもある。実際には赤ん坊は自己愛にあふれて生まれて来るが、多くの場合、成長の段階のどこかでそれを失う。残念な事である。そうして誰かからの愛に飢えた状態になる。実際にはそれを満たすことが出来るのは、自己愛が起きるまでは満たされることはない。

しかし、人を愛したり、人に非常に愛されたときに、この自己愛が甦り、飢えた状態ではなくなる。自己愛が育って初めて、人や誰かを本当に愛することが出来るようになる、とも言われる。自分を愛するように、人を愛することができるというわけである。自分を愛せない間は、愛の使い方や味わいを良くしらないので、人を愛するのは難しいと言われる。

自己愛が真に自分の中心で脈動していれば、愛に乾いたり、愛に飢えたりする必要がない。それが起きる事もない。実際には愛には、自己愛も他への愛もなく、ただ愛の状態が脈打っているだけで、愛が脈打っていれば、まず最初にその恩恵を受けざるを得ないのは自分である。それが大きく育って行けばあふれ出るようになり、近くに来た人や存在はそれを受け取る。愛されている感じがするというわけである。行動や振舞にも愛が現われるので、人はそれを受けとる事ができる。

もし、愛を「無条件に受け入れ、無条件に勇気づけ、無条件に導く」ものだとすると、われわれは一人残らず存在から愛されている。「無条件に存在の一部であることをゆるされ、無条件に生命力が動き、無条件に生かされている」。たぶん、それは重力の様な物かも知れない。ただ、それは信じ込んでも満足するものではないだろう。それは受け取って味わってみないと良くわからないかもしれない。


関連事項

好き、嫌い - 好悪の感情は、愛着の感情に、また恋愛の感情につながる。
恋、恋愛
執着 - 執着は仏教の煩悩の愛。
嫉妬 - 恋愛は嫉妬を生む。
感情の一覧
フィリア (英語: philia; ギリシャ語: φιλία<φίλιος) - 古代ギリシャ語で、友人の愛、あるいは友人からの愛。
エロス(英語: eros; ギリシャ語: 'έρως)
アガペー(英語: agape; ギリシャ語: 'αγάπη) - 古代ギリシャ語で、友愛、思いやり(紀元前)。キリスト教用語のギリシャ語で、神の愛。
ストルゲー(英語: Storge; ギリシャ語: στοργή) - 古代ギリシャ語で家族愛(親子・兄弟・姉妹間の情愛)。



このような文字における愛ではなく、

愛を感じたい人たち、どうぞ!

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