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LINKIN PARK

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詳細 2021年12月31日 12:25更新

LINKIN PARK

公式HP
http://www.linkinpark.com/


バンドの結成
マイク・シノダ (Mike Shinoda) とブラッド・デルソン (Brad Delson) は、南カリフォルニア、ロサンゼルスのアゴーラ・ヒルズ (Agoura Hills) にある中学、高校からの親友。鑑賞したパブリック・エナミーとアンスラックスのコンサートに衝撃を受けた二人はバンドの結成を決意[1]。アゴーラ高校 (Agoura High School) の卒業時に、友人だったロブ・ボードン (Rob Bourdon) を誘い、バンドSuper Xeroを結成する。(ブラッドとロブは、かつて「Relative Degree」というバンドで共に活動していた)その後、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でブラッドがアパートをシェアしていたルームメイト、フェニックス (Dave "Phoenix" Farrell) と、マイクがパサデナ (Pasadena) のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインで知り合ったジョー・ハーン (Joe Hahn) (イラストの勉強をしていた。)が加入した。2人の加入後、バンド名は短縮されXeroとなる。5人組となった彼らは、さらにマーク・ウェイクフィールドを加え、初のデモテープを自主制作した。


結成初期
結成当初(1996年頃)はメンバーがバンド活動・学業・仕事の両立に四苦八苦していた上、活動は上向かず、ライヴの客入りは寂しかった。1998年にはリードボーカルを担当していたマークが脱退した。
マークの後任を探していた彼らは、Zomba Recordingsの有力スタッフだったジェフ・ブルーを通じて、9年間ソロや他のバンドで歌っていたアリゾナ州フェニックスのボーカリスト、チェスター・ベニントン (Chester Bennington) を知る。1999年、デモテープを受け取ったチェスターはその音響に感銘し、オーディションを受け加入が即決定した。オーディションの際、彼の卓越した歌声を聴いた他の候補者は帰って行ってしまったという。チェスターを迎えたのを機に、バンドのコンセプトを明確にするためバンド名をXeroからハイブリッド・セオリーに改名、ハイブリッド・セオリー名義でEP作品のハイブリッド・セオリーEP(Hybrid Theory EP) を1000枚自主制作した。フェニックスは、1999年から2000年後半にかけて、Tasty Snaxというバンドのツアーに参加するため、バンドから一時離れる(2001年の『Crawling』のPV撮影から復帰)。


ワーナーと契約
チェスターの加わったハイブリッド・セオリーは42社ものレーベルを訪れたが、一向に契約を結べないでいた。しかし先述のジュフ・ブルーがワーナー・ブラザーズ・レコードA&R部門(新人アーティストを発掘・デビューさせる部門)に移籍していたこともあり、ワーナーとの契約締結に漕ぎ着けた。ところがワーナーにはすでに同名バンドが存在していたことからバンド名を改名することになる。はじめはチェスターが住んでいた近くにあった公園の名前 (LINCOLN PARK) にしようとしたが、インターネットのドメイン名がおさえられていたために断念。結局LINCOLN PARKと同じ発音であるLINKIN PARKに落ち着くこととなった。


メジャーデビュー(2000年-2002年)
2000年10月、ドン・ギルモアのプロデュースで1stフルアルバム『ハイブリッド・セオリー』 (Hybrid Theory) をリリース。多くの音楽ファンから好評を受けビルボード・アルバムチャート (Billboard 200) で初登場16位、最高位2位を記録(以下、「全米○位」と表記)。現在までに1500万枚以上を売り上げ、アメリカで2001年に最も売れたアルバムに認定された[1]。収録曲のいくつかは、映画のドラキュリア、リトル★ニッキー、バレンタインなどでフィーチャーされた。2001年にデビューシングル『One Step Closer 』をリリースし、同年11月、初の映像作品集『フラット・パーティー』 (Frat Party at the Pankake Festival) を4thシングル『In the End』と同時にリリースした。

アルバムの大ヒットを機にオズフェストや「オールモスト・アコースティック・クリスマス」(ラジオ局KROQ主催)、「ファミリー・バリュー・ツアー」など多くのツアー、コンサートに参加。オズフェストではブラック・サバス、マリリン・マンソン、スリップノット、パパ・ローチ、ディスターブド、クレイジー・タウン、ブラック・レーベル・ソサイアティなどと競演した。この年には324本のライブをこなした。2001年11月、バンドと親しいJessica Bardasの提案で、公式ファンクラブ「リンキン・パーク・アンダーグラウンド」 (Linkin Park Underground、LPU) が設立される。2002年には自らが立ち上げたコンサート・ツアー、プロジェクト・レボリューション (Projekt Revolution) の初公演が行われた。初のフィーチャリングはアデマ (Adema)、サイプレス・ヒル (Cypress Hill)、DJ Z-Tripだった。

2002年に開催された第44回グラミー賞で3つの部門にノミネートされ、『ハイブリッド・セオリー』からの2ndシングル『クローリング』 (Crawling) でベスト・ハード・ ロック・パフォーマンス部門を受賞した。[1]ちなみに授賞式の際、会場入り口で写真撮影に応じていた時に受賞がアナウンスされてしまい、受賞決定の瞬間をメンバーたちは聞けなかったというエピソードがある。

同年7月、『ハイブリッド・セオリー』のリミックス・アルバム『リアニメーション』 (Reanimation) をリリースし、全米初登場2位を獲得。発売週だけで27万枚以上を売り上げ、リミックス・アルバムとしての初動売り上げ記録を更新した。


2003年-2006年
2003年3月、2ndアルバム『メテオラ』 (Meteora) をリリースし、全米初登場1位を獲得、現在までに1000万枚以上の売り上げを記録している。同年11月には1stライヴ・アルバム『ライブ・イン・テキサス』 (Live In Texas) を、2004年にはラッパー、ジェイ・Z (Jay-Z) とのマッシュ・アップ作品『コリジョン・コース』 (Collision Course) をリリースし、後者は全米初登場1位となった。なお、ジェイ・Zは2005年にバンドMCのマイク・シノダが立ち上げたサイド・プロジェクト「フォート・マイナー」に、エグゼクティブ・プロデューサーとして参加している。

2003年4月8日から行われたプロジェクト・レボリューションのツアーに、アメリカの軍人とその家族を特別ゲストとして招待、「国のために自ら犠牲を払っている人たちに対して、お返しをする必要があると思う。」と述べ、軍人らを称えた[11]。2004年に東南アジア地域がスマトラ島沖地震による災害に見舞われた際には、赤十字の協力のもとに基金団体「ミュージック・フォー・リリーフ」を設立、バンド自身も10万ドルを寄付し、ファンらにも寄付を呼びかけた。また2005年、チェスター・ベニントンは、アメリカ南東部を襲ったハリケーン・カトリーナの被害救済のチャリティー企画に参加した。(モトリー・クルーのヒット曲『Home Sweet Home』を再レコーディングし、その売上げを被害救済に充てるというもの。)

2006年、ジェイ・Z feat. リンキン・パークの『ナム/アンコール』 (Numb/Encore) で第48回グラミー賞の最優秀ラップ/ ソング・コラボレーション部門を受賞[14]。開会式でポール・マッカートニー、ジェイ・Zとともに『ナム/アンコール』『イエスタデイ』を披露した。また、サマーソニック06(ゼロシックス)のヘッドライナーとして来日、新曲『QWERTY』を披露した。その前日には単独公演も行った。


2007年-現在
2007年5月、リック・ルービンをプロデューサーに迎え、実に4年2ヶ月ぶりとなる3rd・オリジナルアルバム『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト』 (Minutes to Midnight) をリリース。音楽性で大きな路線変更があり、賛否両論が起こったものの、アメリカ、日本を初め世界31ヶ国で1位を獲得。そのほとんどの国々でプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクの認定を受けた。また、アルバムからの1stシングル「ワット・アイヴ・ダン」が、スティーヴン・スピルバーグ制作総指揮の映画、「トランスフォーマー」の主題歌に使用された。その翌年、ラッパーのバスタ・ライムスとのコラボレーション曲「ウィ・メイド・イット」 (We Made It) のシングルCDをリリース。この曲は当初、バスタ・ライムスの新アルバムに収録される予定だったが、最終的には収録に至っていない。2008年11月には二枚目となるライヴアルバム『ロード・トゥ・レヴォリューション』 (ROAD TO REVOLUTION:LIVE AT MILTON KEYNES ) と、未発表音源を収録したミニ・アルバム『ソングス・フロム・ジ・アンダーグラウンド』 (Songs From The Underground)をリリースした。同アルバムには、これまでにLPU会員限定で公開されてきた、デビュー前の楽曲や「QWERTY」が収録されている。日本では来日記念盤が2009年5月14日にリリースされた。また、前述した「トランスフォーマー」の続編にあたる2009年6月公開の映画、「トランスフォーマー: リベンジ」の主題歌として「ニュー・ディヴァイド」 (New Divide) が書き下ろされ、ビルボードシングルチャートで初登場6位を記録した[15]。前回は主題歌に起用されただけだったが、本曲は映画のために書き下ろされたものである。

2007年7月に世界7大都市で同時開催されたチャリティーコンサート、「ライヴ・アース」 (LIVE EARTH) の東京公演に、ヘッドライナーとして出演した。同年11月には来日公演の「JAPAN TOUR 2007」が開催され、その際に来日記念盤として、『ミニッツ・トゥ・ミッドナイト―ツアー・エディション』(Minutes To Midnight -Tour Edition)がリリースされた。なお、ソマーソニック09にヘッドライナーとして出演することが決定している。


音楽性
ヘヴィ・ロック、ヒップ・ホップ、ハードコア、インダストリアルなど様々な音楽要素に影響を受けている。一般にはミクスチャー・ニューメタルやラップコアに分類される事が多いが[17]、当人はラップ・ロック、ニューメタルといったジャンル分けにはうんざりしていたという[18]。その影響もあってか3rdアルバムでは大きく転向し、従来の楽曲に見られたマイクによるラップボーカル、随所に鏤められたチェスターのシャウト、ヘヴィなサウンドはほとんど姿を消し、チェスターによる哀愁感あるロック・バラードが前面に出た作品になった。

通常はマイクがラップ、バックコーラスを、チェスターがメロディック、ロック、シャウトを担当する。この様な2ボーカルによる明確な役割分担が、緩急ある曲展開を成す要因となっている。

バンドサウンドよりも打ち込みとサンプリングを多用したオケ作りをすることが多い。そのキャッチーさからコアなファンのみならず多くのリスナーの支持を得ている。

歌詞中には、fuckなどのいわゆる"Fワード"が2ndアルバムまで含まれていないことも特徴。(3rdアルバムの一部の曲(ギヴン・アップ等)には含まれる為、日本国外ではFワードのないclean版も発売された)


現メンバー

チェスター・ベニントンチェスター・ベニントン(1999年 - 現在)ボーカル担当。
ロブ・ボードン(1996年 - 現在)ドラムス担当。
ブラッド・デルソン(1996年 - 現在)ギター担当。
フェニックス(1996年 - 1999年、2001年 - 現在)ベース、バックグラウンド・ボーカル担当。
ジョー・ハーン(1996年 - 現在)DJ。
マイク・シノダ(1996年 - 現在)ボーカル、ギター、キーボード担当。

Wikipediaより

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開設日
2006年6月20日

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カテゴリ
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