1972年にブルーサム・レコードに移籍。1973年にデビューアルバムをリリースし、アラン・トゥーサンが作曲した「Yes We Can Can」はビルボードのポップチャートで11位を記録するヒットとなった。1975年には「Fairytale」でグラミー賞の最優秀カントリー・ヴォーカル・グループ賞を受賞した。1976年、ポインター・シスターズは『Car Wash』で長編映画デビューを果たした。
1977年にボニーがソロ転向のため脱退、ポインター・シスターズは3人組となるが、その後も「Jump (For My Love)」「Automatic」「Fire」「Slow Hand」などのヒットを放つ。1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し、「We Are The World"」のコーラスを担当した。
モロダーが『トップガン』の仕事を始めたとき、彼はホイットロックに歌詞を提供するよう依頼した。ホイットロックとモロダーは『トップガン』のために5曲を共作。ケニー・ロギンスの「Danger Zone」と、ベルリンの「Take My Breath Away(邦題:愛は吐息のように)」は大ヒットを記録した。「Take My Breath Away」はアカデミー歌曲賞およびゴールデングローブ賞 主題歌賞を受賞した。
「What You Won't Do for Love(邦題:風のシルエット)」「スペシャル・トゥ・ミー」など、今もなお色褪せることのない大ヒットナンバーで絶大な人気を誇った“ミスターAOR”ことボビー・コールドウェルは1951年8月ニューヨーク生まれ。幼少の頃、父親からプレゼントされたギターがきっかけで音楽に目覚める。
22歳の時にリトル・リチャードのバンドに参加し、1976年に「The House is Rockin'」でデビュー。1978年に発表されたデビュー・アルバム『What You Won't Do for Love(邦題:イヴニング・スキャンダル)』の時点で、すでにメロディ・メイカーとしての才能を開花。ソウルフルなヴォーカルと完成度の高いサウンドがAORファンを魅了した。
80年代には『Cat in the Hat(邦題:ロマンティック・キャット)』『Carry On』『August Moon 』を発表。またコンポーザーとしても活躍し、86年にはピーター・セトラとエイミー・グラントのデュオに提供した「Next Time I Fall」が全米チャート1位に輝き名実ともにコンポーザーとしての地位を確立した。コンポーザーとしての代表作としては、このほか、ボズ・スキャッグズに提供した「Heart of Mine」などがある。
コールドウェル氏は51年ニューヨークで生まれ、22歳の時にリトル・リチャードのバンドに参加し、76年「ザ・ハウス・イズ・ロッキン」でデビュー。78年のシングル「風のシルエット(What You Won't Do for Love)」がヒットし、AORの新星として注目。のちにボズ・スキャッグズと並んで“ミスターAOR”と呼ばれる。86年にはピーター・セトラとエイミー・グラントに提供した「Next Time I Fall」が全米チャート1位に輝いた。87年公開の市川昆監督作品「竹取物語」の「ステイ・ウィズ・ミー」の作詞、作曲もしている。