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ユニバーサルフォーラム討論コミュの橋下知事とサーカーの教育観の比較

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市民社会フォーラムへの投稿を紹介させてもらいます。
テーマソングです
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/music/1babanam.html
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/music/babanam2.wma


(1)
今、ニュースで橋下知事が市町村長を集めて、学力テスト公開をもとめている場面がでてきて
参加した市長の多くが迎合し、一部の市長が批判意見をいっていました。

この中にユーチューブがあり、橋下知事がでて
「くそ教育委員会と言ったのではなく、正確には教育委員会のクソ野郎と言ったのです」

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00140150.html
と発言しています。
「教育委員会のクソ野郎」というような品性の低レベルの人間が
どうして、教育がどうのと強制してくる資格があるでしょうか。

日本では知られていないので、聖者サーカーの教育についてのコメントをいくつか引用させてもらながら
橋下知事の姿勢と比較していただきたいと思います。


?教育政策を政治家が決定するのではなく、教育者が決定する

橋下知事は、大阪の教師を学力テストで大阪の子が日本一の点数をとらせるための
教えるマシーンにし、その自主性を奪いつつあります。
 サーカーは、教師を教えるマシーンにするのではなく
教師が教育政策を決定する権利をもつ必要があると述べます。

「給料が上がることが自動的に理想的な教師を生み出すわけではありません。
なぜなら、今日、世界中の多くの国々で
教師は自分たちが教育政策を策定する権利を持っていません。
むしろ教育政策は、一般的に政治家によって決定されます。
政治家のほとんどは教育の体験を持ちません。
もし、教師が理想的な人間を育てることに責任を持っているとするならば、
教師を教えるマシーンにするのではなく教師自身に
教育政策を策定する権利を与えなければなりません」(Education)

橋下知事は教育の改革を叫び、教育を政争の具にしています。
それは政治の教育への介入として展開しています。
現場で経験を蓄積してきた教育者が教育政策の決定権をもつべきだという
このサーカーの主張は重要だと思います。

?教師の生活の保障の必要

橋下知事は、大阪の教員の給与を全国最低に下げました。
しかし、サーカーは、教師が家計を心配することなく
教育にうちこめるように給料を保障すべきだと次のように述べています。

 「どの国でも教師の給料は、裁判所や行政府の公務員の給料より高くはないとしても、

それと同じくらいです。
過去の聖者は寺院の寄付、王からの土地、定期的な祭祀の謝礼の贈与を受け取っていました。
彼らは家族の生計を助けるために家庭教師をしにあちこちの家にゆく必要はありませんでした。
なぜなら政府が直接に世俗的な問題については責任を負ってくれていたからです」(Education)


?橋下知事は、学力テストの公開に応じない市町村には教育予算の減を脅しにしています。
しかし、サーカーは、教師は、教育の高い理想を持ちつづけ、
教師でない人々に学校の管轄内でおきる教育上の事柄に対する干渉を許してはなりませんと
橋下知事のような教育介入に断固として反対

「政府は教師に政府の社会的政治的要求を提案するかもしれません。
しかし、教師が政府の提案を受け入れるか受け入れないかは自由であるべきです。
教師は干渉を受けるべきではありません。
もちろん、教師が国民の安全や全体としての社会の善のために、政府の政策を支持するならば、その実行に積極的であるべきでしょう。・・・
しかし、教師は、政治的利益に迎合してはなりません。
教師は、教育にあたってより高い理想を持ちつづけていなければなりません。
教師でない人々に学校の管轄内でおきる教育上の事柄に対する干渉を許してはなりません」(Education)


?橋下知事は、教育委員会をクソ野郎とよび、自分の僕としてコントロールしています。


そもそも、教育委員会の選出の仕方については、知事に屈する弱点があります。
 サーカーは、政と財の干渉から教師は自由であるべきであり、
教育政策、教育にかかわる一切は有能な教師からなる委員会が運営すべきだと考えます。


「教育政策の枠組み、教育制度のコントロール、教育に関する一切の活動は、
有能な教師からなる委員会で運営されるべきです。
この委員会は、十分な自由とその義務を実行する権威を享受すべきです。
教育はすべての政治的干渉から自由でなくてはなりません」(Education)

 このようにサーカーは、繰り返し、政治権力、財の力、
政治団体や社会運動による教育への介入、支配をきびしく批判します。
 教育者でない人を含む教育委員会は、含んでいますが、
私は。サーカーのいうように経験ある教師に教育にかかわる一切の決定権をあたえることが必要だと思っています。
しかし、現状のあり方からしても橋下知事の独裁欲は社会風潮としてとても危険に私の目には見えます。


?橋下知事の学力観は
、自分がテストできた人間で、そこにのみプライドがあるためか、
非常に卑小な人間観が見えます。
教育は友だちと強調してものごとを進めてゆくなど
社会の一員としての不可欠の資質をつけねばなりません。

 サーカーの教育論は、道徳性(徳育)も重視します。
、サーカーの徳育は、特定の集団への帰属意識であるナショナリズムではなく、
普遍主義と結びつけられます。
すべての人類、生命、天地万物への愛と共感を育てる教育です。
この普遍主義と結びつけられた道徳教育こそが現在求められているものです。

「私たちの教育システムでは、モラル教育と理想主義を教えることを強調します。
哲学と伝統だけでなく道徳性の実践はすべてのレベルの教育課程でもっとも大切な主題です。
それと同時に普遍主義の感覚を子供に目覚めさせる必要があります。
エチケットと上品な行いだけでは十分ではありません。
真の教育は、天地万物への愛と共感を育くむ方向に導くものでなくてはりません」(Some
Educational Policies)

橋下知事の学力テスト公開の押しつけは、「天地万物への愛と共感を育くむ方向に導く」教育の方向ではありません。
人間をテストという矮小なものさしではかろうとするものです。

?無料であるべき教育費
橋下知事は、私学助成を減らしたり、教育費用をアップさせる方向です。
サーカーは教育費は、水と光のように無料であるべきだと考えています。

「教育のある人とない人を区別する架空のラインをなくし、
不合理な区別を取り払うために
人間の尊厳が認められなくてはなりません。
世俗的知識と精神的知識は光や空気と同じように
無料でなくてはなりません。
」(Social Justice)

さらに過去の聖者の生徒が衣食住まで公金から保障されていたことを評価します。
「過去の聖者は寺院の寄付、王からの土地と定期的な祭祀の謝礼の贈与を受け取っていました。・・・
そのような聖者は彼らの生徒(弟子)たちに衣食を与えていました。
その為のお金は公金や崇敬する人々の寄付でまかなっていました」(Education)

 そして高等教育についても、
才能ある学生が研究活動を生活苦から研究をつづけることができない場合は
政府が財政援助をすべきだと述べています。
 「有能な学生が、もし、貧しければ、特別な便宜が提供されるべきです。
高等教育の後、才能ある学生は、政府の財政的援助のもとに研究活動をする機会を得るべきです」(Some Educational Policies)

?知識を得て、権利意識を発達させる教育を妨害する橋下知事

橋下知事の推進する学力テストアップに全力をそそぐ教育は、
身についた知識を得て、権利意識と連帯意識を育みません。

サーカーは、知識を教える教育は、生活のあらゆる領域で権利意識を普及させることを担うべきだと考えます。っ
「既得権を持つ人々は人間の無知を利用してきました。
そして社会のあらゆる領域すなわち社会的、経済的、心理的、精神的領域を深く支配してきました。
彼らは人間の全活力を吸い尽くしたいと思っています。
 既得権を持つ人々は無知な人々が知恵の光明を見いだすことを望んでいません。・・・
迷信にとわれた人が独断的な信仰から解放されることを望んでいません。
人類が精神的知識を得、科学を完全に理解し、
光輝く世界に向かって進歩する機会を得ることを望んでいません」(Social
Justice)

?自分たちの利益の観点からのみ見て
底辺層の人々をさらに悪化させる橋下知事の方向

足の早い人間と遅い人間がいるように、
覚えの遅い人間と早い人間がいます。
遅い人間も後でゴールにつくように
覚えの遅い人間は学力テストを時間内にとけません。
橋下知事は、たとえば、家族5人が6畳の間に生活し
学習環境劣悪な子が大阪の大都市に多いことを
無視しています。
学力テスト公開で競争をあおり、
教師の目を学力テストでいい点をとらせることに
集中するならば゛
覚えの遅い子や劣悪な環境にいる子は
おいてきぼりにされてしまいます。

 サーカーは、社会の様々の集団が
自分たちの利益のためにだけ社会問題にアプローチし、
社会の底辺層の問題の解決のためには尽力していないと次のように論じています。

 「まだ人間は社会を悩ます現実の病弊の方を見ていません。
様々の職業集団が、単に個人やグループの利益のために団体を作ります。
結果として彼らはすべての社会問題を自分たちの利益の観点から解決しようとします。

そして彼らは社会の底辺層の人々の問題の解決の援助はしません。
人々を社会のトップから引きずりおろすために
費やされるエネルギーの一パーセントすら、
底辺の人々を高めるために使われません。
これは大きな悲劇です」(Social Justice)

新自由主義的改革で「勝ち組、負け組」「強いものが生き残る」
という資本主義の論理がむき出しになりつつあります。
経済だけでなく教育にもその流れが及んできています。

公立小学校も学区をはずして自由に競争させるという動きが強まっています。
富裕層は授業料の高い私学へ子どもを行かせ、
底辺層の人々の子どもを公立小学校に集中させ、
隔離することで、自分たちの子どもを安心して学ばせます。

このような動きの背景にはいじめにあわず、
学力もつけてやりたいという富裕層の保護者の当然の願いがあります。
しかし、この方向は「教育問題を自分たちの利益の観点から解決しよう」というものです。

 教育問題についても社会の底辺層の人々をモ
ラルと精神性まで含めて全体的に高める援助の中で取り組む必要があります。
各地域の教育行政の中心にある人々は何人トップの大学に合格させたかだけでなく、
底辺層の全般的向上のために教育において何ができるか真剣に考えなくてはなりません。 


サーカーは言います。
「私たちの集合体の中でただの一人も、
軽視されたり、無視されたりする人がいないように常に注意深くあらねばなりません。

ただの一人の少年も少女も自分に関心をもっている人がいないと感じることのないようにすべきです。
ただの一人も『私が食べ物を得るか得ないか誰も心配しない』と考えることのないようにしましょう。
あなたは特にこのことを心に留めなくてはなりません」(Genius and Technician)


ユニヴァーサルジャパン
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/
吉見道夫





----- Original Message -----
From: M.M
To: civilsocietyforum21@yahoogroups.jp
Sent: Tuesday, September 09, 2008 11:01 PM
Subject: [civilsocietyforum21] 橋下知事の教育観、民主主義観の間違い


こんばんは
吉見です。
テーマソングです。
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/music/1babanam.html
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/music/babanam2.wma

大阪の橋本知事の発言、彼が導こうとしている社会の方向を
私は心から憂えます。

「あのクソ教育委員会のメンバーが、
過度な競争が生まれるという理由で発表しない」
と全国学力テストの市町村別の結果発表を求めました。
府が30億円出している小学校での35人学級編成について、
非公表の教育委員会のところには、
「費用を出す必要はない」と主張したとのことです。

問題点はいくつかあります。
? 全国学力テスト実施自体の是非、その成績を公開する問題点
? 教育行政への予算配分による公権力の介入の当然視
? 選挙で当選したら何をしてもフリーだという非民主主義の姿勢

このうち、?と?を論じさせてもらいます。

?
大阪府は、全国学力テストがびり三位だったそうです。
小学校の教員をしている妻は小学校で、
こどもから言われたたそうです。
「おれらのテスト悪かったのは、先生が悪いねんなあ」
と。。
親の会話を聞いて、こどもがそう言っているのだろうとのことでした。
これはあきらかに教育の営みを妨害しています。
教師への信頼の醸成は、教育の土台だからです。


優劣をつけて、劣等感をもたせないようにすることに
教育は最大の配慮をしなくてはなりません。
劣等感を心に抱えた人間は、心に枠を設定し
広い人間性を獲得することができません。
劣等感をもたせるは、心理的搾取(exploitation)であると
以前論じました。
それは、経済的搾取を容易にします。
自分に誇りを失うことは、前向きの気持ち、闘う気持ちを
失せさせるからです。

先日のBSでの「チョムスキー」へのインタビューで
彼は、次のように述べていました。

今のアメリカ政府の教育制度、
アメリカ政府のやっている
「落ちこぼれゼロ」のプログラムは、
小学校4年から高校まで定期テストにパスするかで
生徒を評価します。
定期テストに何人の生徒がパスしたかで教師が評価されます。
パスした生徒の数がたりないと給料が下げられます。
学校もランクづけされます。
これでは生徒は何も学べません。
孫たちを見てたらわかります。
テストにパスするための勉強をする
そして忘れる。
身につきません。
自分自身の興味関心から勉強しているわけではないからです。
「落ちこぼれゼロ」のような教育は
すべての子供を落ちこぼれるにする教育プログラムです。
コップにみずを注ぐのが教育ではない。
それでは世界を理解する力はつかない。
自分で考える能力もつきません。

以上、チョムスキーの言葉です。
(その後、チョムスキーが提案したという
マサチューセッツ工科大学の授業の
無料公開が紹介されました。)
下から積み上げる民主主義でなく、
世論という名前で、教育に長年たずさわって
そこから得てきた体験的事実にもとづかず
ただ思いつきで、橋下知事が発言し
一般の市民が共鳴する構図は、
私はとても非民主主義だと思います。
現場の声を積み上げる
本当の民主主義の正反対です。

このまま、橋下知事のような浅はかな教育論が
まかりとおり、
アメリカ化の世論が進めば
子供の成績を教育の業績として給料に
結びつけることになりかねません。
大阪では「評価育成システム」として
それが入りつつあり、
現場での教員同士の真の協力関係を
阻害するものとなっています。

教育現場は、超忙しく、管理も強まっています。
しかし、その忙しさの中では真の教育は育ちません。

実際の仕事の中では、職場の全体の流れにあわせるために
自分の意にそわないことも子供にいわざるをえない時も
多々あります。
忙しいとそうしたときの子供の心との齟齬も
キャッチできません。
ていねいな対応ができません。

静かに落ちいたゆとりある時間、空間が
教員に必要です。
それなしによい教育はできません。

?
次に橋下知事の選挙で当選したら何でもできる
という非民主主義の姿勢についてです。

この前、次のように紹介しました。
「プラウトは、選挙のマニフェスト(公約)を
法的契約とみなし、 公約違反者は、裁判にかけられ、
違反していたら公職追放(議員をやめさせらる)」
という考えを紹介しました。

橋下知事は、選挙の時は受けのいいことをいっていたけど、
知事になる前に公約で今やっていることを発表していたら
決して当選しなかったと思うのです。

本来、民主主義は、市民が主人公であるならば
今、やっているようなことを、選挙に当選してから思いついてやるのではなく
今、橋下知事がやっているような基本的な施策について、
選挙にあたって、説明し、その政策を市民が判断するのが
真に民主主義だと思います。

その意味で橋下知事には民主主義的感覚ありません。
上手な弁論でいかに大衆操作するか
という問題意識が感じられます。

ユニヴァーサルジャパン
http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/
吉見道夫


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