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ショーペンハウアーコミュのショーペンハウアーのカント解釈について

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カント以後の哲学者たちは、カント哲学の乗り越えに自己の存在意義を見出していて、カントに忠実にしか考えてはいけない、ということを、必ずしも自らに課していたわけではなく、フィヒテ・シェリング・ヘーゲルのように、カントの二元論を一元論化した人たちもいたわけですけど、ショーペンハウアーも、本心では、カントの二元論的な切り分けを継承したかったわけではなく、物自体界と現象界は虹色のようにグラデーションでつながっているために境界線を引いて分割することはできない、という一元論を、フィヒテ・シェリング・ヘーゲルと同様に、提唱したかったのではないか、とショーペンハウアー好きの僕は、どうしても贔屓目に見てしまいます。

ショーペンハウアーが母親の愛情に恵まれなかったというエピソードは有名ですけど、幼少期から母親との口喧嘩に明け暮れることを通じて知性を鍛えてきた、ショーペンハウアーは、どうしても戦闘的哲学者の宿命と言いますか、フィヒテ・シェリング・ヘーゲルに対するときも喧嘩腰の姿勢で、反発や反感を先立たせてしまい、彼等の言い分に少なくとも一理はある、ということを、内心では認めていても、意地を張ってしまっていたのだろう、と思うのです。

意志としての世界という一者から流出した表象としての世界を一者へ回収し切れる「歴史の終わり」がやってくることはありえなくて、一者が一者のままで表象する主観と表象される客観という二者へと分裂している状態こそ常態だ、ということを、強調したかっただけだったのではないでしょうか。

見る目を持たない植物は表象しないと説いたショーペンハウアーは、無意識的な意志としての世界と意識的な表象としての世界という二つについて、人の脳の内側は無意識の領域で外側は意識の領域だとする仮説を提唱していて、脳以前である最初からすべての物に心という意志があって、それは最初は無意識的段階で、それが生物進化のどこかの段階で意識化されたとして、表象としての世界の出現前と出現後の線引きをやろうとしているわけですけど、ショーペンハウアーは、認識の対象外であるとした物自体について語ることを理性の越権行為だとして禁じたカントとは違い、物自体は意志だとして、雄弁に語っているわけで、そのことによって、語り得ないものと語り得るものの区別の消失を体現せんとした、ショーペンハウアーは、やはりフィヒテ・シェリング・ヘーゲルという三人の言い分を、心の中では、一面の真理を突いているとして、認めていたようにしか、僕には、思えないのです。

特に、三人のうちのシェリングについては、好意的な言及も多く、シェリングの同一哲学における両極性という概念を、古代中国の陰陽思想に、絡めて、これを、陰陽入り混じった混沌という中性的一元が再び一元になろうとして努力する陰極と陽極という二元に分裂したことによってこの世が創られた、とする、創世神話として、紹介して、これを、正しいとして、是認している、件も、ある、ということから、言えるように、世界は意志の自己認識である、と説く、ショーペンハウアーの哲学においては、認識する主観と認識される客観への分裂というのは、すべての物に心という意志があるからには、すべての観測対象が同時に心という観測主体であることになって、見る目を持つ動物への進化以前である最初からすべての物に、主客への分裂という「相互主観性」乃至「間主観性」は、あって、言い換えれば、再び一つになることを目指す陰陽という二つへの分裂は、あって、相互作用全般が観測し合うことによって存在せしめ合う行為である、とする帰結がもたらされざるをえないわけです。

目が目自身を見ることができないことから分かるように、認識や観測というのは、距離を置いて対象化することを、意味していて、外側から表面的に眺められる限りでは物という様相を呈する対象は内側から共感的に追体験されるならば心という裏面だ、ということを、存在とは無の自己認識である、という、存在論と認識論についての命題は、主張しています。

物を含まない純粋な心はないとする、こう言った、深読みに基づいて、無と存在の相互浸透と言いますか、無意識的な意志と意識的な表象の相互乗り入れと言いますか、二元論の一元論化を、ショーペンハウアーは、事実上は、なした、ということを、成果として、取り上げなければならないのではないか、と僕は思うのです。

意志に奉仕する手段である表象する知性を自己目的化させることこそ、つまり、意志の否定こそ、人生の目的で、それは無意識的意志を意識化することだ、と結論付けることができたのも、ショーペンハウアーが二元論を一元論化して考えていたからに他ならない、と僕は考えます。

以上、ショーペンハウアーについての自分なりの一解釈を、提示させて頂きました。

ただショーペンハウアーを読破した上での解釈ではなく、別様にも解釈し得ると思うので、ご意見がありましたら、お寄せ頂ければ嬉しいです。

ショーペンハウアーの全体像が結ぶまでには程遠い自分ですので、欠けている部分を補って下さる方がいらっしゃったら、どうか、お願いします。

お待ちしております。

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