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「自由クラス理論」非標準集合論コミュの小林さんとの議論 3

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 たぶん概念は理解しているとは思うのですが、集合論は時々気持ちの悪い感じ

がするのです。

 

例えば「全体集合」という概念がありますね。

 

これはつまり「今の話は全部この集合の中で収まっているってことでよろしく」

ということなんでしょうが、どうも気持ちが悪いのです。

 

でも、全体集合を決めておかないと、補集合の定義ができないので困りますね。

 

ところで、集合の「交わり」「結び」が論理式の「論理積」「論理和」に対応

するように、補集合は論理式の「否定」に対応していると考えていいんですね。

#ちょっと自信ないです。

 

とすると、全体集合を決めてないのに、無闇に命題の否定を取り扱っていいの

かという疑問を昔から持っています。

 

例えば、A→B というのは、「『Aの否定』あるいは『B』」ということで

すが、いちいち全体集合を決めておかなくてもいいのかということです。

 

Aを「日本人」、Bを「地球人」とした場合、全体集合が定義されていなけれ

ば、「Aの否定」の範囲が不明確ですよね。

 

何か勘違いをしているような気がするのですが、どうもはっきりせず、気持ち

悪いのです。

 

 

 

 数学速報 投稿者:河本  投稿日: 5月 13日(木)16時30分21秒

 小林さん

 >たぶん概念は理解しているとは思うのですが、集合論は時々気持ちの悪い感じ

 >がするのです。

 

 >ところで、集合の「交わり」「結び」が論理式の「論理積」「論理和」に対応

 >するように、補集合は論理式の「否定」に対応していると考えていいんですね。

 

 ひとの感覚を理解するのは難しいですね。

 後の方の質問の答えは、ZFの見方からするとOKです。

 

 小林さんの疑問は、

 1.全クラスという概念は怪しい

 2.命題とそれが真となる対象を集めたクラスを対応させると、全クラスや補クラスに対応するトートロジーや否定という概念は怪しい。

 こんな風でよいでしょうか。

 

 小林さんの使われた言葉「全集合」は確かに怪しくて、この存在を仮定すると矛盾が導かれます。

 しかし、集めてもよい対象を表す「Set」という述語を用いて、矛盾は回避されています。 >後で解説

 

 従って、1.はZFでは一応交わしています。

 

 2.の方の疑問は、基礎論で対立している立場の一方の側の意見を表しています。

 細かな違いを別として、

 {論理主義、古典論理、リアリズム、プラトニズム、神の視点}と、

 {有限の立場、構成主義、直観主義論理、人間の視点}

 の立場の違いです。

 

 2.は後者の意見です。

 例えば、命題「X V ¬X」を認めなかったりします。

 ぼくは前者の立場です。

 

 ようするに、「全クラス」やそれに関係した概念を疑う立場も可能なのです。 

 

 矛盾の回避 :

 

 「Set」という述語を用いてRusselの示した矛盾を解決・回避したのが、数学の

あらゆる場面で顔を現すあのノイマンです。>ゲーム理論も彼が創造した

 

 彼の考えは、「クラスには要素になるものとならないものがある」というものです。

 要素になるものを「Set」=集合と呼ぶことにしたのです。

 

 もう一度ラッセルのクラスRの定義を書くと、  

      ∀a a ∈ R ⇔ ¬ a ∈ a      −0−

 自然言語で言うと、クラスRは「自分を要素としないクラスを全部集めたクラスである」ですが、ノイマンは何かの条件でクラスを「全て」集めてはいけない、要素になりうるものだけを集めよ、と言うのです。

 0式はこうでなければならないのです。

      ∀a a ∈ R ⇔ ¬ a ∈ a ∧ Set a     −1−

 自然言語で言うと、クラスRは「自分を要素としないクラスでしかもSetであるものを全部集めたクラスである」となります。

    変数aにRを代入してみます。

    a=R とすると、

      R ∈ R ⇔ ¬ R ∈ R ∧ Set R

    この式からは、

    ¬ R ∈ R 、 ¬Set R 

    が得られ、矛盾は避けられます。

 結果を見ると、¬Set R ですから、Rは大き過ぎてもはやSetにはなり得ないことが分かります。

 

 「Set」 : 

 クラスRはもはやSetになり得ない、と絶対的な言い方をしていますが、実はそうではなくて、Setとは「ZFにとって何が対象なのか?」、あるいは「要素にしたいものは何か?」を定義する述語なのです。

 クラスRや全クラスUは「Setでない」ことが分かりますが、あるクラスが「Setである」ことはなかなか分かりません。

 ZFの公理……ZermeloとFrankelが提案したからこう呼ばれる……は10個ありますが、「何がSetか」を定義していると言うこともできます。

 

 

 

 

 

 Re: 数学速報 投稿者:小林泰三  投稿日: 5月15日(土)19時41分10秒

 

>河本さん

>  小林さんの疑問は、

>  1.全クラスという概念は怪しい

>  2.命題とそれが真となる対象を集めたクラスを対応させると、全クラス

> や補クラスに対応するトートロジーや否定という概念は怪しい。

>  こんな風でよいでしょうか。

 

拙い文章を要領よくまとめていただき、ありがとうございます。

 

>  小林さんの使われた言葉「全集合」は確かに怪しくて、この存在を仮定す

> ると矛盾が導かれます。

>  しかし、集めてもよい対象を表す「Set」という述語を用いて、矛盾は回

> 避されています。 >後で解説

 

>  「Set」 : 

>  クラスRはもはやSetになり得ない、と絶対的な言い方をしていますが、

> 実はそうではなくて、Setとは「ZFにとって何が対象なのか?」、あるい

> は「要素にしたいものは何か?」を定義する述語なのです。

 

ある公理系である対象を扱い、矛盾が生じてしまった時、「そもそもその対象

はこの公理系で扱うべき対象ではなかった」ということですよね。

確かに、理解できますが、後出しじゃんけんみたいでやっぱり気持ち悪いです。

(^^;)

 

>  クラスRや全クラスUは「Setでない」ことが分かりますが、あるクラスが

> 「Setである」ことはなかなか分かりません。

>  ZFの公理……ZermeloとFrankelが提案したからこう呼ばれる……は10

> 個ありますが、「何がSetか」を定義していると言うこともできます。

 

むむ。公理自体が Set を定義しているとなると、その公理が Set に成り立

つのはトートロジーであるような気が……。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kbys_ysm/

 

 

 

 矛盾 投稿者:河本  投稿日: 5月17日(月)13時18分50秒

 

 小林さん

 >ある公理系である対象を扱い、矛盾が生じてしまった時、「そもそもその対象

 >はこの公理系で扱うべき対象ではなかった」ということですよね。

 >確かに、理解できますが、後出しじゃんけんみたいでやっぱり気持ち悪いです。

(^^;)

 

 ほんとにそうですね。

 しかし、こういう当然のような事実が分かるには、ノイマンの鋭い観察が必要だっ

たわけです。

 

 数学の仮説の立て方・理論の作り方の正しい方法って、どうあるべきと思われます

か?

 

 >むむ。公理自体が Set を定義しているとなると、その公理が Set に成り立

 >つのはトートロジーであるような気が……。

 

 そう容易い事態ではなくて、ZFの公理が無矛盾という保証はぜんぜんありませ

ん。

 

 たしかにZFは矛盾の解決と言うよりは、撤退・回避したという感じを受けます。

 そのへんの喩え話を以前ケダさんにしたことがあるのですが、引用しておきます。

 

 −−−−−−−−− 

 

 人間の行う思考活動の基礎になっているのが、科学知識とその思考法である言って

もよいのでしょうか。     

 そうだとして、それらの科学理論のさらに基礎となり、またそれを表現する言葉と

なっているのが数学ですね。

 その数学の基礎の部分が、そのまんまの名前の「基礎論」と呼ばれる分野なので

す。これには、集合論、記号論理学などが含まれます。

 

 ところで、思考の元になっている部分ですから、当然それはその名のとおり、その

上にそびえる人間の知識体系という壮大な建築物をしっかりと支える、美しく不動の

無矛盾の体系があるのだと誰もが思うのでありましょう。

 しかし、ゲーデルは少なくともその上に数学理論を表現できるような体系……集合

論もその一つ……ならば、それ自体の無矛盾性はその体系の内部では証明できないこ

とを示してしまいました。

 体系Aについて外部の体系Bから無矛盾性を証明できる可能性はありますが、それが

できても、こんどはBの無矛盾性を言わなければならす、事態は良くなっていないわ

けです。

 

 それで、今最もポピュラーな集合論はZF……ツェルメロ・フランケル……の公理

系と呼ばれる体系なのですが、無矛盾性は証明できるはずもなく、今のところ矛盾は

見つかっていない、というだけの話なのです。

 

 矛盾が見つかる可能性は大いにあると言わなければなりません。ZF以前の集合論

もまさか矛盾しているとは誰も考えていなかったのに、ラッセルがなかなか手強い矛

盾を容易な式で構成して見せてしまいました。

 彼の使った論理は「対角線論法」というかなりの切れ味を持った論理なのですが、

喩えて言うなら、草薙の剣……これ、誰が何に使ったのだっけ?……かしらん。

 

 基礎論の周辺を探検していた数学者たちが、その名刀でつい下草や灌木を薙ぎ払お

うとした剣先が、まさか切れるわけもないと思った太い大理石の大黒柱を斜めにバ

サッと切り分けてしまったのでした。

 ドドドドッと崩壊しかけた建物に、慌ててつっかえ棒をして逃げ帰ってきた、とい

うのが基礎論の現状です。

 底なしのゲーデル沼からは濃い霧が立ちこめ、皆が近づかなかったために鬱蒼と木

が生い茂り、建物の入り口は見えません。

 

 −−−−−−−−−− 

 

 「自然数を表現可能でしかも無矛盾な体系」の解説、あと3〜4回でなんとかまと

めます。>まだ続くよ (^^)

 

 

 

 Re: 矛盾 投稿者:小林泰三  投稿日: 5月20日(木)23時53分52秒

 

>河本さん

>  小林さん

>  >ある公理系である対象を扱い、矛盾が生じてしまった時、「そもそもその対象

>  >はこの公理系で扱うべき対象ではなかった」ということですよね。

>  >確かに、理解できますが、後出しじゃんけんみたいでやっぱり気持ち悪いで

す。(^^;)

>

>  ほんとにそうですね。

>  しかし、こういう当然のような事実が分かるには、ノイマンの鋭い観察が必要

だったわけです。

>

>  数学の仮説の立て方・理論の作り方の正しい方法って、どうあるべきと思われま

すか?

 

これは本当に難しいですね。

 

公理系の真偽の判定に直感を使おうにも、そもそも人間の直感は無限を把握で

きないですし。

 

>  >むむ。公理自体が Set を定義しているとなると、その公理が Set に成り立

>  >つのはトートロジーであるような気が……。

>

>  そう容易い事態ではなくて、ZFの公理が無矛盾という保証はぜんぜんありませ

ん。

>

>  たしかにZFは矛盾の解決と言うよりは、撤退・回避したという感じを受けま

す。

 

たとえば、あるクラスAが、ZF の公理系を満たさなかった時、「クラス A

は Set ではなかった」とすれば、 ZF の公理系は傷つかないわけですよね。

 

同じく、クラス B が、ZF の公理系を満たさなかった時も「クラス B は

Set ではなかった」とすれば、 ZF の公理系は傷つかないわけですよね。

 

そうやっていくうちに、すべてのクラスについて、ZF の公理系を満たさな

いことが証明されてしまった (つまり、ZF の公理系は矛盾していた) とし

ましょう。

 

その時でも、「Set であるクラスは存在しない」という定理が証明されたと

考えれば、ZF の公理系は傷付かないような気がするのですが、どこか誤解

しているでしょうか?

#対象が存在しない公理そのものはナンセンスだと思いますが。(^^;)

 

 

 

 無矛盾・「ムー」 投稿者:河本  投稿日: 5月24日(月)16時53分49秒

 

 小林さん

 >その時でも、「Set であるクラスは存在しない」という定理が証明されたと

 >考えれば、ZF の公理系は傷付かないような気がするのですが、どこか誤解

 >しているでしょうか?

 >#対象が存在しない公理そのものはナンセンスだと思いますが。(^^;)

 

 う〜む。死体が傷つかない、というのと同じですねえ。

 こういう風に書き込まれる理由をあれこれ考えてみたのですが、「矛盾を避けるた

めに」対象を制限するというのが好みに合いませんか?

 非数学自然科学では無矛盾性などそんなに気に掛けずに、事実を巧く記述しそうな

理論をどんどんこしらえてしまうという方法が採られますが、数学もそうすべきとお

考えですか?

 量子論も相対論も両者の組み合わせもそれぞれ矛盾がありそうな気がするのです

が、科学者達はそんなことぜ〜んぜん気にしていないみたいですね。 (^^;) 

 一方、数学では、なんとしても「無矛盾」であることを、証明できないにせよ注意

しつつ進めないと議論が成り立たないのです。

 

 

 

 Re: 無矛盾・「ムー」 投稿者:小林泰三  投稿日: 5月25日(火)23時42分4秒

 

>河本さん

>  小林さん

>  >その時でも、「Set であるクラスは存在しない」という定理が証明されたと

>  >考えれば、ZF の公理系は傷付かないような気がするのですが、どこか誤解

>  >しているでしょうか?

>  >#対象が存在しない公理そのものはナンセンスだと思いますが。(^^;)

>

>  う〜む。死体が傷つかない、というのと同じですねえ。

>  こういう風に書き込まれる理由をあれこれ考えてみたのですが、「矛盾を

> 避けるために」対象を制限するというのが好みに合いませんか?

 

>  一方、数学では、なんとしても「無矛盾」であることを、証明できないに

> せよ注意しつつ進めないと議論が成り立たないのです。

 

それは理解しているのですが、公理系や定義はなるべく単純な方が美しく感じ

るのです。

これは全く個人的な好みなので、「だから ZF は間違っている」というつも

りはありません。

 

 

 

 FC 投稿者:河本  投稿日: 5月26日(水)16時01分26秒

 

 小林さん

 >それは理解しているのですが、公理系や定義はなるべく単純な方が美しく感じ

 >るのです。

 ぼくも賛成です。>というか数学者もそう思っているに違いありません。ただ、言

うは易し……だったのでしょう

 

 FCは単純だよ。 (^^) 

 

 

 

 FCの議論の続き : 

 以前の書き込みで「証明」した「一対一対応の非存在定理」をFCで否定します。

 込み入っていますが、「ラッセルのクラスRの矛盾」を解消した方法と比べてみて

下さい。

 ほぼ同じ構造をしています。

 これが理解できなくても、次の自然数の話には差し支えありません。

 

 >集まりとその部分クラス全ての集まりの間の一対一対応の存在

 

         f 

    C_0   →     P_c

 

 まず、集まりC_0の部分クラス全部を要素とする集まりP_cを定義します。

 

 

    ∀a  a ∈ P_c  ⇔  ∃B B⊆C_0 ∧ B ma a   −P_c− 

 

 この式は確かに集まりP_cの要素は、集まりC_0のある部分集まりBが作っている

ことを表現しています。

 

 *ZFではC_0の部分クラスがそのままP_cの要素のなりますが、FCでは「集ま

り」は要素になることはないので、部分集まりBが作るクラスがP_cの要素となって

いることに注意してください。

 

 ZFで考察したように、C_0の要素の内、対応する部分集まりに含まれないもの全

部を集めた集まりK_0を考えます。

 

    ∀a  a ∈ K_0 ⇔ ¬(∃D a∈D ∧ D ma f(a))∧ a∈C_0  

−0−

 右辺の括弧の中の式はTRにより、a∈f(a)ですから確かにK_0はZFで考察し

たKに相当します。

 0式より、

          K_0 ⊆ C_0         

  は真です。

          K_0 ma k_0       −1−

 とします。すなわち、集まりC_0の部分集まりK_0はk_0を作ります。

 ゆえに定義P_cより、

           k_0∈ P_c

 ここでZFの場合と同じように、k_0のfによる逆像をaに代入します。

     a=f’(k_0)

     f’(k_0) ∈ K_0 ⇔ ¬(∃D f’(k_0)∈D ∧ D ma f(f

’(k_0)))∧ f’(k_0)∈C_0               

    f(f’(k_0))=k_0ですから、

     f’(k_0) ∈ K_0 ⇔ ¬(∃D f’(k_0)∈D ∧ D ma k_0)

∧ f’(k_0)∈C_0                 −2−

 

 もし2式の左辺f’(k_0) ∈ K_0が真とすると、     −M−

 1式と合わせて 

        f’(k_0) ∈ K_0 ∧ K_0 ma k_0      が真

 ゆえに  

         ∃D f’(k_0)∈D ∧ D ma k_0     が真

 ゆえに、2式の右辺が偽。

 結果として2式の両辺の真理値が異なり矛盾。

 従ってMが否定され、

    ¬f’(k_0) ∈ K_0          −3−

    ∃D f’(k_0)∈D ∧ D ma k_0     −4−

 が得られる。

 

 ZFと同じ集まりK_0を考察しても矛盾は導かれず、一対一対応fの存在は否定さ

れない。

 

 ZFでは「対角線論法」を用いて、

         ¬#C_0=#P_c 

  、    

         ¬#C_0<#P_c   

 が導けますが、FCでは導けません。

 事実、

         #C_0=#P_c

         #P_c<#C_0   

 などが可能です。
    

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