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原始仏典コミュの因縁相応 「縁起」11 この身体は古い業

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(続き 『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P88−99 に相当)





「   第六 無明を縁として[二]

35.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、無明を縁として行がある。
 行を縁として識がある。
 識を縁として名色がある。
 名色を縁として六処がある。
 六処を縁として触がある。
 触を縁として受がある。
 受を縁として愛がある。
 愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、「何が老死ですか。またこの老死は誰のものですか」と言うこと。
 比丘たちよ、「老死とこの老死ある者とは別々のものである」と言うこと。
 比丘たちよ、この両者は文は異なっているが同じ意味である。 
 比丘たちよ、「身体は命そのものである」という見解においては梵行に住することはない。
 比丘たちよ、「身体と命は別々のものである」という見解においても梵行に住することはない。
 比丘たちよ、これら二つの極端を離れた中によって如来は法を説く。
「生を縁として老死がある」と。

 比丘たちよ、「何が生ですか。またこの生は誰のものですか」と言うこと。
 比丘たちよ、「生とこの生ある者とは別々のものである」と言うこと。
 比丘たちよ、この両者は文は異なっているが同じ意味である。 
 比丘たちよ、「身体は命そのものである」という見解においては梵行に住することはない。
 比丘たちよ、「身体と命は別々のものである」という見解においても梵行に住することはない。
 比丘たちよ、これら二つの極端を離れた中によって如来は法を説く。
「有を縁として生がある」と。

 比丘たちよ、「何が有ですか。・・・
 比丘たちよ、「何が取ですか。・・・
 比丘たちよ、「何が愛ですか。・・・
 比丘たちよ、「何が受ですか。・・・
 比丘たちよ、「何が触ですか。・・・
 比丘たちよ、「何が六処ですか。・・・
 比丘たちよ、「何が名色ですか。・・・
 比丘たちよ、「何が識ですか。・・・

 比丘たちよ、「何が行ですか。またこの行は誰のものですか」と言うこと。
 比丘たちよ、「行とこの行ある者とは別々のものである」と言うこと。
 比丘たちよ、この両者は文は異なっているが同じ意味である。 
 比丘たちよ、「身体は命そのものである」という見解においては梵行に住することはない。
 比丘たちよ、「身体と命は別々のものである」という見解においても梵行に住することはない。
 比丘たちよ、これら二つの極端を離れた中によって如来は法を説く。
「無明を縁として行がある」と。

 比丘たちよ、この無明を残り無く離貪し滅することによってこれらの曲がったもの・歪んだもの・混乱はいかなるものであれ、断たれ、ターラ樹の根を切断されたものと為され、存在しないものとなり、未来に生じない法となる。
 即ち、あるいは「何が老死か。この老死は誰のものか」ということ、
 あるいは「老死とこの老死ある者とは別々のものである」ということ、
 あるいは「身体は命そのものである」ということ、
 あるいは「身体と命は別々のものである」ということが。

 比丘よ、この無明を残り無く離貪し滅することによってこれらの曲がったもの・歪んだもの・混乱はいかなるものであれ、断たれ、ターラ樹の根を切断されたものと為され、存在しないものとなり、未来に生じない法となる。
 即ち、あるいは「何が有か。この有は誰のものか」・・・
 ・・・「何が生か。この生は誰のものか」・・・
 ・・・「何が有か。この有は誰のものか」・・・
 ・・・「何が取か。この取は誰のものか」・・・
 ・・・「何が愛か。この愛は誰のものか」・・・
 ・・・「何が受か。この受は誰のものか」・・・
 ・・・「何が触か。この触は誰のものか」・・・
 ・・・「何が六処か。この六処は誰のものか」・・・
 ・・・「何が名色か。この名色は誰のものか」・・・
 ・・・「何が識か。この識は誰のものか」・・・

 比丘たちよ、この無明を残り無く離貪し滅することによってこれらの曲がったもの・歪んだもの・混乱はいかなるものであれ、断たれ、ターラ樹の根を切断されたものと為され、存在しないものとなり、未来に生じない法となる。
 即ち、あるいは「何が行か。この行は誰のものか」ということ、
 あるいは「行とこの行ある者とは別々のものである」ということ、
 あるいは「身体は命そのものである」ということ、
 あるいは「身体と命は別々のものである」ということが。



   第七 あなたのものではない

37.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、この身体はあなたのものではないし、他の人のものでもない。
 比丘たちよ、これ〔この身体〕は古い業によって為されたもの・意思されたもの・感受されたものと見られるべきである。

 比丘たちよ、そこにおいて聖なる弟子は縁によって生起することを聞いて、よく根本に作意を為す。
 このようにこれがあるときこれがある。
 これが生じてこれが生じる。
 これがないときこれがない。 
 これが滅してこれが滅する。

 即ち、無明を縁として行がある。
 行を縁として識がある。
 識を縁として名色がある。
 名色を縁として六処がある。
 六処を縁として触がある。
 触を縁として受がある。
 受を縁として愛がある。
 愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 しかし無明を残りなく離貪し滅することによって行が滅する。
 行の滅によって識が滅する。
 識の滅によって名色が滅する。 
 名色の滅によって六処が滅する。
 六処の滅によって触が滅する。
 触の滅によって受が滅する。
 受の滅によって愛が滅する。
 愛の滅によって取が滅する。
 取の滅によって有が滅する。
 有の滅によって生が滅する。
 生の滅によって老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。

 註 あなたのものではない ナ〔否定〕トゥンハ〔あなたのもの〕 na tumha
   古い業 プラーナ〔古い〕カンマ〔業〕 purāṇa kamma
   為された アビサンカタ abhisaṅkhata 有為の類語
   意思された アビサンチェータイタ abhisañcetayita
   感受された ヴェーダニヤ vdaniya



   第八 思い[一]

38.サーヴァッティ因。
 比丘たちよ、思うことも、計画することも、潜在することも、この識が住する所縁となる。
 所縁があれば識が住することがある。
 その識が住して増長すれば、未来にさらなる有が転じることがある。
 未来にさらなる有が転じることがあれば、未来に生老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、もし思うことなく、計画することがなくても、そこに潜在することがあるならば、この識が住する所縁となる。
 所縁があれば識が住することがある。
 その識が住して増長すれば、未来にさらなる有が転じることがある。
 未来にさらなる有が転じることがあれば、未来に生老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、もし思うこともなく、計画することもなく、潜在することもないならば、この識が住する所縁がない。
 所縁がなければ識が住することはない。
 その識が住さず増長しないならば、未来にさらなる有が転じることはない。
 未来にさらなる有に転じることがなければ、未来に生老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶は滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。


 註 思い チェーテーティ ceteti
   計画する パカッペーティ pakappeti 企てる
   潜在する アヌセーティ anuseti 随眠、潜在  
   所縁  アーランマナ ārammaṇa 原因、基礎



   第九 思い[二]

39.比丘たちよ、思うことも、計画することも、潜在することも、この識が住する所縁となる。
 所縁があれば識が住することがある。
 その識が住して増長すれば、名色に入ることがある。
 名色を縁として六処がある。
 六処を縁として触がある。
 触を縁として受がある。
 受を縁として愛がある。
 愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、もし思うことなく、計画することがなくても、そこに潜在することがあるならば、この識が住する所縁となる。
 所縁があれば識が住することがある。
 その識が住して増長すれば、名色に入ることがある。
 名色を縁として六処がある。
 六処を縁として触がある。
 触を縁として受がある。
 受を縁として愛がある。
 愛を縁として取がある。
 取を縁として有がある。
 有を縁として生がある。
 生を縁として老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、もし思うこともなく、計画することもなく、潜在することもないならば、この識が住する所縁がない。
 所縁がなければ識が住することはない。
 その識が住さず増長しないならば、名色に入ることもない。
 名色の滅によって六処が滅する。
 六処の滅によって触が滅する。
 触の滅によって受が滅する。
 受の滅によって愛が滅する。
 愛の滅によって取が滅する。
 取の滅によって有が滅する。
 有の滅によって生が滅する。
 生の滅によって老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。



   第十 思い[三]

40.サーヴァッティに住んでいた。・・・・・・
 比丘たちよ、思うことも、計画することも、潜在することも、この識が住する所縁となる。
 所縁があれば識が住することがある。
 その識が住して増長すれば、向かうことがある。
 向かうことがあれば、行くことと還ることがある。
 行くことと還ることがあれば、死ぬことと生まれることがある。
 死ぬことと生まれることがあれば、未来に生老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、もし思うことなく、計画することがなくても、そこに潜在することがあるならば、この識が住する所縁となる。
 所縁があれば識が住することがある。
 その識が住して増長すれば、向かうことがある。
 向かうことがあれば、行くことと還ることがある。
 行くことと還ることがあれば、死ぬことと生まれることがある。
 死ぬことと生まれることがあれば、未来に生老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が現れる。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが生起する。

 比丘たちよ、もし思うこともなく、計画することもなく、潜在することもないならば、この識が住する所縁がない。
 所縁がなければ識が住することはない。
 その識が住さず増長しないならば、向かうことはない。
 向かうことがないならば、行くことも還ることもない。
 行くことも還ることもないならば、死ぬことも生まれることもない。
 死ぬことも生まれることもないならば、未来に生老死と悩み・号泣・苦痛・苦憂・苦悶が滅する。
 このようにして完全に苦しみのまとまりが滅する。

                    第四 カラーラ・カッティヤ品

   その頌
    存在とカラーラ、二つの知事
    二つの無明を縁とすること、あなたのものではないと三つの思い。



(『南伝大蔵経13 相応部経典2』大蔵出版 P88−99 に相当)



   続く

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