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原始仏典コミュの布薩犍度 「ウポーサタの制定」

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(『南伝大蔵経3 律蔵3』大蔵出版 P180−185 に相当)




律蔵>大品>第二 布薩犍度


「     第二 布薩犍度

一−一 そのときブッダ・世尊はラージャガハのギッジャクータ山に住していた。そのとき異学の遍歴者たちは半月の十四日、十五日、八日に集会して法を説いていた。人々は法を聞くために彼らの許に向かった。人々は異学の遍歴者たちへの愛を獲得し、浄信を獲得した。異学の遍歴者たちは信徒を獲得した。
二 ときにマガダ王セーニヤ・ビンビサーラは独りになって黙想していたとき心に考えが生じた。
「今、異学の遍歴者たちは半月の十四日、十五日、八日に集会して法を説く。人々は法を聞くために彼らの許に向かう。人々は異学の遍歴者たちへの愛を獲得し、浄信を獲得する。異学の遍歴者たちは宗徒を獲得する。まさに諸々の尊者を半月の十四日、十五日、八日に集会させよう」
三 ときにマガダ王セーニヤ・ビンビサーラは世尊のいるところに詣った。詣って世尊を敬礼して一方に座った。一方に座ってマガダ王セーニヤ・ビンビサーラは世尊に言った。
「ここに私は独りになって黙想していて心に考えが生じました。『今、異学の遍歴者たちは半月の十四日、十五日、八日に集会して法を説く。人々は法を聞くために彼らの許に向かう。人々は異学の遍歴者たちへの愛を獲得し、浄信を獲得する。異学の遍歴者たちは宗徒を獲得する。まさに諸々の尊者を半月の十四日、十五日、八日に集会させよう』と。尊者たちも半月の十四日、十五日、八日に集会すれば善いでしょう」
四 ときに世尊は法を説いてマガダ王セーニヤ・ビンビサーラを教示し、勧導し、激励し、歓喜させた。ときにマガダ王セーニヤ・ビンビサーラは世尊が法を説いて教示し、勧導し、激励し、歓喜させたときに座から起って世尊を敬礼し右回りして去った。ときに世尊はこの縁によってこの時において法を説いて比丘たちに言った。
「比丘たちよ、半月の十四日、十五日、八日に集会することを許す」

二−一 そのとき世尊は半月の十四日、十五日、八日に集会することを許したことによって、比丘たちは半月の十四日、十五日、八日に集会して沈黙して座っていた。人々は法を聞くために彼らの許に向かった。人々は呟き憤り誹った。
「どうして沙門釈子たちは半月の十四日、十五日、八日に集会するのに沈黙して座っているのか。あたかも口のきけない豚のように。集会する者は法を説くべきではないのか」
 比丘たちはその人々が呟き憤り誹るのを聞いた。その比丘たちは世尊にこの義を告げた。ときに世尊はこの縁によりこの時において法を説き比丘たちに告げて言った。
「比丘たちよ、半月の十四日、十五日、八日に集会して法を説くことを許す」

三−一 ときに世尊は独りになって黙想していて心に考えが生じた。
「私は比丘たちのために学処を定めた。私はまさにここをもってパーティモッカ(波羅提木叉)として誦することを許そう。これをもってウポーサタ・カンマ(布薩羯磨[カンマは業と同じ語])となそう」
二 ときに世尊は午前に黙想より起ってこの縁によりこの時において法を説き比丘たちに言った。
「比丘たちよ、今、私は独りになって黙想していて心に考えが生じた。『私は比丘たちのために学処を定めた。私はまさにここをもってパーティモッカとして誦することを許そう。これをもってウポーサタ・カンマとなそう』と。
 比丘たちよ、パーティモッカを唱えることを許す。
三 比丘たちよ、唱えるにはこのようになしなさい。聡明で有能な比丘がサンガに告げて言いなさい。
『サンガよ、私の言葉を聞きなさい。今日は十五日のウポーサタである。もしサンガに機が熟したならばサンガはウポーサタを行い、パーティモッカを唱えなさい。何をサンガの初めの行事となすのか。具寿たちは[己が]清浄であることを告げなさい。私はパーティモッカを唱えよう。ここにあって私たちはすべてこれを善く聞き作意しようと。罪ある者は自白すべきであり、罪なき者は沈黙しなさい。沈黙するがゆえに具寿たちは清浄であると私は知る。もし一人ごとに問えば回答があるだろう。このようにこのような衆会において三たびとなえる。もし三たび唱えても比丘に罪があり、思い出しながらも自白しなければ故妄語[罪]である。故妄語は世尊が障害法と説いたところである。ゆえに罪ある比丘は思い出して清浄を欲するならば罪あるを自白しなさい。自白すれば安穏を得るであろう』と」
四 「パーティモッカ(Pātimokkha)」とは諸々の善法の「初め(アーディ、ādi)」であり、「入り口(ムカ、mukha、口、面、顔)」であり、「上首(パムカ、pamukha、首長、処格では前に、先頭に)」である。それゆえにパーティモッカと言う。
「具寿(アーヤスマント、āyasumant、尊者とも訳される)」とは愛語(ピヤ・ヴァチャナ、piyavacana)であり、敬語(ガルヴァチャナ、garuvacana)であり、尊敬・畏敬(サガーラヴァ・サッパティッサ)の別名であり、これを具寿と言う。
「唱えるべし」とは述べるべし、説くべし、施設すべし、建立すべし、解説すべし、分別すべし、解明すべし、顕示すべしということである。
「これを」とはパーティモッカを言う。
「ここにあるすべて」とはその衆会にいる長老、新参、中位を名付けて「ここにあるすべて」と言う。
「善く聞く」とは思惟し、作意して一切を心に存念するのである。
「作意しよう」とは一境心、不散乱心、不動揺心をもって傾聴しようということである。
五「罪ある者」とは長老、新参、中位において五罪の中の一つの罪、あるいは七罪の中の一つの罪があるのである。
「自白せよ(発露せよ)」とは、サンガの中、あるいは衆の中、あるいは一人において説きなさい、解説しなさい、解明しなさい、顕示しなさいということである。
「罪なき者」とはいまだ犯していないか、あるいは犯したがすでに出離したかである。
「沈黙せよ」とは許諾すべきであり、言葉を挟むべきではないということである。
「清浄であると私は知る」とは知って持つ(記憶する)ということである。
六 「もし一人ごとに問えば回答があるだろう」とは、一人が一人を問うときに答えがあるように、この衆会において自分が問われたのであると考えなさいということである。
「このような衆会」とは比丘の衆会をいう。
「三たび唱えるも」とは一たび唱え、二たび唱え、三たび唱えるのである。
「記憶(憶念)しながら」とは、知りながら、想念しながらということである。
「罪あり」とは犯したか、あるいは犯していまだ出離していないのである。
「自白しなければ」とはサンガの中、あるいは衆の中、あるいは一人おいて説かず、解説せず、解明せず、顕示しなければということである。
七 「故妄語あり」と。何の障害となるのか。第一禅那の障害である。第二禅那の障害である。第三禅那の障害である。第四禅那の障害である。禅那・解脱・三摩地・入定(サマーパッティ、三摩鉢底)・離欲・出離・遠離・善法の証得の障害である。
「故に」とはその因の故にということである。
「記憶して」とは知り、想念してということである。
「清浄を欲せば」とは出離を欲し、清浄であろうと欲せばということである。
八「罪あり」とは犯したか、あるいは犯していまだ出離していないのである。
「自白せよ」とは、サンガの中、あるいは衆の中、あるいは一人において説きなさい、解説しなさい、解明しなさい、顕示しなさいということである。
「自白すれば安穏を得るだろう」と。何の安穏を得るのか。第一禅那を証得する安穏、第二禅那を証得する安穏、第三禅那を証得する安穏、第四禅那を証得する安穏、禅那・解脱・三摩地・入定・離欲・出離・遠離・善法の証得する安穏である」

   『南伝大蔵経3 律蔵3』大蔵出版 P180−185


禅那:jhāna
解脱:vimokkha
三摩地:samādhi
入定:samāpatti
離欲:nekkhamma
出離:nissaraṇa
遠離:paviveka
諸善法の証得:kusalānaṃ dhammānaṃ adhigamāya
安穏:phāsu



[パーリ語の原文]
69. Pātimokkhuddesānujānanā
133. Atha kho bhagavato rahogatassa paṭisallīnassa evaṃ cetaso parivitakko udapādi – ‘‘yaṃnūnāhaṃ yāni mayā bhikkhūnaṃ paññattāni sikkhāpadāni, tāni nesaṃ pātimokkhuddesaṃ anujāneyyaṃ. So nesaṃ bhavissati uposathakamma’’nti. Atha kho bhagavā sāyanhasamayaṃ paṭisallānā vuṭṭhito etasmiṃ nidāne etasmiṃ pakaraṇe dhammiṃ kathaṃ katvā bhikkhū āmantesi – idha mayhaṃ, bhikkhave, rahogatassa paṭisallīnassa evaṃ cetaso parivitakko udapādi ‘yaṃnūnāhaṃ yāni mayā bhikkhūnaṃ paññattāni sikkhāpadāni, tāni nesaṃ pātimokkhuddesaṃ anujāneyyaṃ. So nesaṃ bhavissati uposathakamma’nti. Anujānāmi, bhikkhave, pātimokkhaṃ uddisituṃ. Evañca pana, bhikkhave, uddisitabbaṃ. Byattena bhikkhunā paṭibalena saṅgho ñāpetabbo –
134. ‘‘Suṇātu me, bhante, saṅgho. Yadi saṅghassa pattakallaṃ, saṅgho uposathaṃ kareyya, pātimokkhaṃ uddiseyya. Kiṃ saṅghassa pubbakiccaṃ? Pārisuddhiṃ āyasmanto ārocetha . Pātimokkhaṃ uddisissāmi. Taṃ sabbeva santā sādhukaṃ suṇoma manasi karoma. Yassa siyā āpatti , so āvikareyya. Asantiyā āpattiyā tuṇhī bhavitabbaṃ. Tuṇhībhāvena kho panāyasmante parisuddhāti vedissāmi. Yathā kho pana paccekapuṭṭhassa veyyākaraṇaṃ hoti, evamevaṃ [evameva (ka)] evarūpāya parisāya yāvatatiyaṃ anussāvitaṃ hoti. Yo pana bhikkhu yāvatatiyaṃ anussāviyamāne saramāno santiṃ āpattiṃ nāvikareyya, sampajānamusāvādassa hoti. Sampajānamusāvādo kho panāyasmanto antarāyiko dhammo vutto bhagavatā. Tasmā, saramānena bhikkhunā āpannena visuddhāpekkhena santī āpatti āvikātabbā; āvikatā hissa phāsu hotī’’ti.

135.Pātimokkhanti ādimetaṃ mukhametaṃ pamukhametaṃ kusalānaṃ dhammānaṃ. Tena vuccati pātimokkhanti. Āyasmantoti piyavacanametaṃ garuvacanametaṃ sagāravasappatissādhivacanametaṃ āyasmantoti. Uddisissāmīti ācikkhissāmi desessāmi paññapessāmi paṭṭhapessāmi vivarissāmi vibhajissāmi uttāniṃ karissāmi [uttānī karissāmi (sī. syā.)] pakāsessāmi. Tanti pātimokkhaṃ vuccati. Sabbeva santāti yāvatikā tassā parisāya therā ca navā ca majjhimā ca, ete vuccanti sabbeva santāti. Sādhukaṃ suṇomāti aṭṭhiṃ katvā manasi katvā sabbacetasā [sabbaṃ cetasā (syā. ka.)] samannāharāma. Manasi karomāti ekaggacittā avikkhittacittā avisāhaṭacittā nisāmema. Yassa siyā āpattīti therassa vā navassa vā majjhimassa vā, pañcannaṃ vā āpattikkhandhānaṃ aññatarā āpatti, sattannaṃ vā āpattikkhandhānaṃ aññatarā āpatti. So āvikareyyāti so deseyya, so vivareyya, so uttāniṃ kareyya, so pakāseyya saṅghamajjhe vā gaṇamajjhe vā ekapuggale vā. Asantī nāma āpatti anajjhāpannā vā hoti, āpajjitvā vā vuṭṭhitā. Tuṇhī bhavitabbanti adhivāsetabbaṃ na byāharitabbaṃ. Parisuddhāti vedissāmīti jānissāmi dhāressāmi. Yathā kho pana paccekapuṭṭhassa veyyākaraṇaṃ hotīti yathā ekena eko puṭṭho byākareyya, evameva tassā parisāya jānitabbaṃ maṃ pucchatīti. Evarūpā nāma parisā bhikkhuparisā vuccati. Yāvatatiyaṃ anussāvitaṃ hotīti sakimpi anussāvitaṃ hoti, dutiyampi anussāvitaṃ hoti, tatiyampi anussāvitaṃ hoti. Saramānoti jānamāno sañjānamāno. Santī nāma āpatti ajjhāpannā vā hoti, āpajjitvā vā avuṭṭhitā. Nāvikareyyāti na deseyya, na vivareyya, na uttāniṃ kareyya, na pakāseyya saṅghamajjhe vā gaṇamajjhe vā ekapuggale vā. Sampajānamusāvādassa hotīti. Sampajānamusāvāde kiṃ hoti? Dukkaṭaṃ hoti. Antarāyiko dhammo vutto bhagavatāti. Kissa antarāyiko? Paṭhamassa jhānassa adhigamāya antarāyiko, dutiyassa jhānassa adhigamāya antarāyiko, tatiyassa jhānassa adhigamāya antarāyiko, catutthassa jhānassa adhigamāya antarāyiko, jhānānaṃ vimokkhānaṃ samādhīnaṃ samāpattīnaṃ nekkhammānaṃ nissaraṇānaṃ pavivekānaṃ kusalānaṃ dhammānaṃ adhigamāya antarāyiko. Tasmāti taṅkāraṇā. Saramānenāti jānamānena sañjānamānena. Visuddhāpekkhenāti vuṭṭhātukāmena visujjhitukāmena. Santī nāma āpatti ajjhāpannā vā hoti, āpajjitvā vā avuṭṭhitā. Āvikātabbāti āvikātabbā saṅghamajjhe vā gaṇamajjhe vā ekapuggale vā. Āvikatā hissa phāsu hotīti. Kissa phāsu hoti? Paṭhamassa jhānassa adhigamāya phāsu hoti, dutiyassa jhānassa adhigamāya phāsu hoti, tatiyassa jhānassa adhigamāya phāsu hoti, catutthassa jhānassa adhigamāya phāsu hoti, jhānānaṃ vimokkhānaṃ samādhīnaṃ samāpattīnaṃ nekkhammānaṃ nissaraṇānaṃ pavivekānaṃ kusalānaṃ dhammānaṃ adhigamāya phāsu hotīti.

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