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三途の川で泳いだことありますコミュの作ってしまいました(^^ゞ

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臨死体験をしたのは自分だけじゃないはずだ!
と思って作ってしまいました。
まずは、自己紹介をば。

あぶなく死にかけたのは2回あります。
小学生のときと、大学生のとき。
そのうち、実際に三途の川を見ちゃったのは、小学生のとき。

私は小さいときから体があまり丈夫でなく、
5歳のときに2歳の骨と体重しかないほど体が弱くて小さかったんです。
小さい頃は1ヶ月に2〜3回はふつーに風邪をひいて、
しかも、いずれも中耳炎までなってしまうようなコでした。

あるとき、いつものように風邪をこじらせて中耳炎になり、
ものすごい高熱をだしてました。
その日も、なかなか熱がさがらないため、町医者で診察をうけました。
解熱剤を投与され、自宅で寝ていましたが、いっこうに下がらず。
39度5分の熱で、意識が朦朧として、
いつのまにか気を失うようにして眠っていました。

気づくと、自分は知らないところにいました。
あたりは暗く、自分の足元には・・・金色の川が流れていました。
さらさらと流れるその川は、キラキラ輝いていました。
自分の後ろはまっくらなのに対し、
川の反対側は、ほのかに明るく、話し声がするようでした。
こちら側はほんとに寂しくて、心細くて、
私はどうにも川を渡ってむこうに行きたくなったのです。

川は、特に冷たい感触もなく、さらさらさららとただ流れており、気づくと私は川の中ほどまで歩いていました。
すると、そのとき、私の後ろの暗闇から、誰かの声がしました。

「○○ちゃん!帰るわよ〜!!!」

それは母の声でした。
まるで川に遊びにきていただけのように、後ろからよばれました。
向こう岸に渡りたい気持ちはあったものの、
母が「帰る」というので、戻りました。
川の向こう岸が気になって、後ろを振り返りながら・・・・。


次に気づいたときは、布団の上で、
母が必死に私をゆさぶっていました。

「なかなか起きないんだもの!びっくりしたわ!
 早く、病院にいくよ」

そういわれて、ふと枕を見ると、耳から流れ出したどろどろの大量の膿が枕をよごしていました。


父母に抱えられてタクシーに乗り込み、家から遠く離れた大きな大学病院へ。
そしてそこで診察をうけると、なんと耳の鼓膜に小さな穴があいて、膿が中へ流れ込んでしまっているということでした。

そのままそこで簡単な手術が行われました。
電メスで鼓膜を切り、小さな掃除機のようなもので、鼓膜の中の膿を取り去るものです。
無事手術が終わって、薬を投与してもらって、私はずいぶん元気になりました。

往きに乗ってきたタクシーが待っていてくれて、自宅へ。
タクシーの運転手さんが、
「今だから言うけど、往きはぐったりしちゃってて、ほんとに死んじゃうんじゃないかってものすごい心配だったんだだ・・・。助かってよかった。元気になってよかったよ。。。

と話してくれました。

それからほどなく回復して、すっかり元気になりましたが、
あの夢のことは、しばらく印象に残って忘れませんでした。
そのときはまだ幼くて、「三途の川」なんて知りませんでしたが、後から考えると、あれが「三途の川」と呼ばれるものなのかなーと思います。


こんな経験のある方、いませんか?

コメント(54)

ちゃまです、皆さんこんばんは!

皆様の話を聞いていて、自分の体験じゃ無いけど急に思い出した
話が有ります。それは、母から聞いた母の母、つまり祖母の体験。

母方の祖母は戦前生まれで、夫(ボクの祖父)を戦争で亡くし、
大変苦労して母姉妹を育てていたらしいのだけど、

今で言うところの日本脳炎か、若しくは精神障害だと思います。
そんな病にかかってしまったようです。
(誰も真相を語ってくれないので想像です)

閉鎖的な当時は、「きちがい」になったとか、言葉に記すのも
憚られる状況だったようだけど、ある時重篤な状態の祖母が
少女だった母に言ったそうです。

「お花畑が有るよ」

「そこに行ったら心地よさそうだよ」

『河』では無いけど、差別的な仕打ちを受けていた祖母が
来世に見いだしたものは、幸せを象徴する「お花畑」だったの
でしょうか。

祖母の幻覚かも知れないし、実際に夢で見たのかも知れません。

真相は誰もわからないんです。
こんばんわ!

僕は「4回」死にかけていますが、、中でも、、10年前には「三途の川」をみて、、船賃が無くて(w)帰ってきました。僕のみたのは、、揚子江のような広い川、、従って「船賃が無かったのですが・w」

脳内出血で倒れたのが丁度10年前。倒れた時は「危ないから親族を呼ぶように」、、との医師からの話だったようです。

細かい事は、、割愛します。最後に、、1枚だけ絵を貼り付けておきます。この絵は、、倒れる前に描いた絵で、、まるで「三途の川」の中で、、自分の魂が抜けていく瞬間のようでしょ?

またお邪魔します。
ちゃまさん>
人間って、「極限」になったとき、やっぱりなにか見えるのかもしれませんね。
幻覚だとしたら、「あの世の入り口」的なものは、
肉体的には目が覚めている状態でも見えるということなのかも。なんとも不思議ですね。



末期ー さん>
白血病に背骨の骨折とは・・・・
よくぞご無事で・・・・
無事にもどってこられてほんとによかったですね。
ε=(^o^;)ほっ
実際に不思議な夢とか体験とかされました?


チョコ丸 さん>
よ、4回!?すごすぎる・・・・・。
チョコ丸さんは、絵をお描きになるんですね。
すごい!確かに、なにかがふわーっと抜けていくような不思議な絵ですね。なにか虫の知らせみたいなものがあったんでしょうか?
はじめまして。仲間がいることに嬉しく思い入会しました。

僕は4年前にバイクに乗って真っ直ぐな道を走ってました。
すると、対向車線から車が突っ込んできたらしく、正面衝突
をしてアスファルトにヘディングしました。ヘルメット無し
の状態になってです。サッカーの帰りでW杯開幕の日です。
それから低体温療法で3週間ほど過ごしました。
睡眠薬を抜いた頃だと思います。
当時、友達とラフティングをしていて夢の中では何故か京都
の鴨川に行きました。泊まったのは三条にあるホテルです。
そして大会当日には前日からの豪雨で大会は中止となりまし
た。このとき、いままでの自分なら「大会は中止でもできる
大丈夫だ、行こう!」と言う役割なのですが、このとき友人
が「川に行こう!」と言ったとき、「危ないから行かん」と
断りました。
僕の病状はW杯の決勝は意識がしっかりとした?状態で観戦
をすることができました。
もし、あのとき、川に行ってラフトに乗っていたら・・・
当時は生きるか死ぬか?お亡くなりになられましたGPライ
ダー加藤大治郎さんと同じ症状でしたので危険な状態でした。
加藤大治郎さんがレースでクラッシュしたとき僕も観戦をし
てましたので本当に善くなって欲しいと祈りました。
僕の場合は、嗅覚がなくなり、視野が右目が右6割と左目が
4割なくなりましたが、生きていて幸せを感じます。
助けてくれた先生、ICUにずっといて病室に入ることが1
日2時間しかできず、待合室で寝泊りしてくれた妻に感謝を
します。助けてくれてあいがとう。
祖父の事故で駆けつけた時私は幼稚園児でした。
もう、ん十年も経ってしまい あまり覚えていませんが
祖父のベッドに「おじいちゃん!!」って駆け寄って
そこからのその日の実際の記憶はありません。
祖父のベッドで叫んでいる自分がいるその部屋の光景を
もう1人の自分がみていたような気もします。
そして、私は三途の川岸にいました。
祖父を呼び戻していました。
祖父は向こうに行こうとしていましたが、
何度も何度も叫びました
私に向こう側は見えなかったように思います
でも、川はありました。
これを思い出したのはもうずっっと大きくなってから。
祖父は祖父で私が何度も何度も呼ぶので
川を渡るのを諦めて還ったのだと、
それから私を命の恩人のようして大事に育ててくれました。

そんな祖父も大往生で2年前に逝ってしまいましたが、
亡くなる前に不思議な夢をみました。
チョコ丸さんの絵になんとなく似ています。
祖父が水のような液体のなかに眠っていました。
ああ、もう逝ってしまうんだなと感じました。
私はそこに逝く事が許されなくて悲しいんだけど、納得するっていう夢でした。

幼い頃に行った川岸だし、それからいろんなメディアの情報と記憶が混ざってしまって本当はどんな感じだったのか記憶が定かではありませんが、「それ」はあるとおもいます。
実際、川岸にいたことを思い出したのも
まったく同じ光景をテレビで観たから「あっ!」ここに行ったって思い出したんです。
皆さん初めまして^^
mixi新米の華恋と言います。

凄い経験されている人が多くてビックリ!
興味があるので、皆さんのお話を是非お聞きしたく入会させて頂きました。
宜しくお願いします☆
私は、無意識に寝ている間に幽体離脱してしまったり、三途の川の夢を見たりします。それも事故とか病気ではないのに、いたって健康な状態なのに、三途の川が夢にでてくるんです。

一番よく印象に残っている夢では、三途の川は高山の中腹にあり、向こう岸のほとりには美しい木が生えていて、どうしても向こう岸に行きたくてたまらなくなりました。
でも、後ろから男の人が現れ、こんな誰もいないところで男の人とふたりきりなんていやだなって思って、どうしようと考えていると、みるみるその人の顔がふけ始め、私の知っている亡き祖父になりました。そして、「川を渡ったらいかん!」と私に怒鳴りつけました。それで、私が、「分かってるわよ。わたらないけど、上流のほうを見たいだけよ。」と口答えをして走って上流のほうへ逃げていくと、川がY字型になって二本に分かれていました。水は本当に清くて美しいかんじでした。誰も呼ばなかったけど、普通に目がさめました。
目が覚めてから、三途の川ってもともとの太い本流と2本の支流で三本あるから三途の川っていうんだなって思いました。

また、幽体離脱して自分の体を眺めていたり、そのまま星空を飛んでいったり、不思議なことがよく起きます。前世の夢も見させられ、歴史を調べたら、夢にでてきた同じお城が出て来たりもありました。

なんの意味があるのでしょうか?私は自分の運命よりも長く生きているのかな。
こんにちは。久しぶりに覘いてみましたが
皆さん、凄い話をお持ちなんですね・・・。

今日は先日10年以上ぶりに街で再会した友人の話です。

彼は仕事中に倒れて病院に運ばれたそうです。
病名は、くも膜下出血。約1年間の入院をしていたそうです。
入院中の約1年の記憶は無いけど・・・
夢みたいに覚えているのがね・・・と話してくれました。

その時彼が見たヴィジョンは病室に横たわる自分の姿。
そして、その傍らには既になくなっているお母さんが
じぃーと座って、ベッドで寝ている自分を心配そうに覗き込んでいたそうです。

そして、お母さんの横には子供の頃の自分が立っていたそうです。
その子供の自分がお母さんの肩をしきりに叩いて
「もう帰ろうよ!もう帰ろう!」と何度も言っているんだそうです。

彼は、
「その夢だけで・・三途の川とか花畑とかは見れなかった。」と言っていましたが、
入院中に元気だったお父さんが亡くなったそうです。

「きっと、お袋が俺の代わりにオヤジを連れてったのかな・・・」

くも膜下出血は死亡率90%以上と聞きます。
帰ってきただけでも奇跡的ですが、
障害も残らず、社会復帰している彼には医者でさえも・・
「まさに、奇跡としか言いようが無い」と言っていたそうです。

幽体離脱して自分を見るって聞いたことがあるけど、
そこに今の自分と、子供の頃の自分が共に居るって・・・初めて聞きました。

そのとき、子供の頃の彼がお母さんを促さなかったら・・・
彼は逝ってしまっていたのかもしれないと思いました。


最後に、彼はこう言っていました。
 「後はおまけの人生だからね・・・。  少しの事では動じなくなったし、
  朝、普通に目が覚めただけで嬉しいんだよね・・・
  じゃぁ、君もお元気でね。」
きゃーーーーー!!!
雑事にとりまぎれてなかなかミクれなかった間に、
しかも、ひさびさに覘いてみたら(なんつー管理人でしょうか。。。(-_-メ))、
こちら大変なことになってましたあああ!!!
なんと、メンバーが50人を突破とわっ

そして、こんなにも不思議な体験をした方がいらっしゃるのですね!
感動です。私だけじゃなかったぁ(T□T)
管理人殿・・・( ̄m ̄〃)ぷぷっ! 

皆さん、色んな体験をしてるのですね・・。

すごいというか好きで体験してるんじゃないんですもんね。

好きな方が居るのだろうか・・・(疑問)
はじめまして!
あたしの三途リバー体験は一回、あと一回お花畑に行きました。


高校生の頃、授業を受けていたはずが気が付くと目の前に砂利に赤紫の川がありました。
自分のいる方は確か普通の原っぱ?(よく覚えてないです)で向こう側が砂利に紫の空で小鬼らしき影が手招きしてるんですね。おいで〜〜って。
んで、何となく川に足を踏み入れようとした瞬間誰かが「おい」って何度も呼ぶんです。あたしはそれがうるさくて、「うるさいな!誰よ!」と振り返りました。



…そこは教室、あたしの首筋には出しっ放しのカッターの刃。しかも普通に使うなら出ないくらい刃が長く出てたんです。
声はどうやら後ろの席の男の子で、もうすぐ問題当てられるから起こしてくれたそうです。
あのままだったらあたしはきっと地獄逝ったんだろうな(-.-;)



花畑は大学で薬品を扱ってて、装置内で揮発させた筈のガスが取り出した時に揮発しきれなかったらしく液色を確認しようとした瞬間に黄色い花畑を見ました(笑)
ちなみに多分通常の100倍以上のアンモニア…くさっ!
はじめまして♪
私の臨死体験も聞いてください。

もう大学生になる息子を産んだ時の話なのですが・・

初めての出産の時のことです。
夜中に破水して、その頃看護婦をしていた妹の勤める市民病院に緊急入院しました。弱い陣痛はあるもののなかなかお産は進まず、朝になって陣痛促進剤を使うことになりました。破水しているので感染の危険があり、予定日2週間前だったので生んだほうがいいとの話でした。よくわからないし、妹のいる職場という安心感もあり、すべておまかせでした。
ところが、そこからが地獄でした。
経験者の方は実感でわかるでしょうが、出産間近の1分おきの陣痛が延々6時間!!それはそれは痛くて、痛みの間に気を失って、痛みで目覚めるの繰り返しでした。
最後も産道が硬いとかで、なかなか生まれなくて、先生にお腹をおしてもらってようやくの出産でした。
かわいいわが子に対面して、(五体満足の元気な子)陣痛の痛みからも解放されて、母と妹、看護婦さん達みんなに祝福されしあわせいっぱいで、産後の処置も終わり、あとは病室に戻るだけになった時ものすごく眠くなってきました。みんなの言葉に反応することができなくなった私をみて様子がおかしいと、出産後当ててあったガーゼをとると大出血!!
慌てて先生をよんで血圧をはかると、測れないほど下がってたみたいで、みな無言!
どうも急激なお産でさんどうの動脈が切れたらしいです。
意識が遠のく中で、見ました!

処置台の私の斜め上方に、見たことのない空間が・・
皆さんのように川ではなくて、何といったらいいか・・

カードみたいな長方形の形の中に無限の空間が広がっている・・色が刻々変わって・・とにかく見たことのないものでした。で、それがだんだんわたしの真上に移動して来るんです。最初は遠く小さかったのが徐々に大きく低く下がってきて 「あぁ あれで蓋をするんだな。それで、お終いなんだな。」
と、ごく自然に思いました。

ところがそこで看護婦さんが、「寝たらだめですよ!頑張って!起きて!」と、ドラマみたいに私の顔をパンパン叩くんです。
(うるさいなぁ。寝かせてよ。疲れてるのに。)
とかまわず寝ようとしたのですが、
「赤ちゃんの為に寝たらだめですよ!」
と言われ、はっとして、
(もったいない!!)と思い、気がつきました。

その時不思議な空間はすーっと遠ざかって、消えました。

あとでその時の状態を聞くと、急激なお産で産道の動脈が切れて、そこから1500cc程の出血があったそうです。すぐ縫って(と言っても傷にたどり着くまで1時間)輸血して、その後はみんなもびっくりの回復をしましたが、一時は最悪の場合も覚悟して下さいと、連絡が、親戚にまわったそうです。(主人はたまたま海外出張直前で、ぎりぎりまで空港で足止めでした)

あれからもうすぐ20年・・
忘れられない出来事です。
看板が なんとも素敵で お邪魔いたします。
ワタクシが死んでから 3年経過しましたので
そろそろ お話いたします。

小春日和の日曜日、朝食の後片付けをしていたところ
何やら吐き気と胸痛 冷や汗に襲われ
『おまぃさん あたしゃ様子が変だょ』と
猫と戯れる夫に訴え 何故か友人に電話を架けた所で
意識を消失。 心臓突然死でありました。

前年に実母も突然死した為 夫は冷静に救急車を要請し
心臓疾患だと思われる旨 力説したそうな....
救急車内で心肺停止となり 衣服はハサミで切られ
除細動機マキシマムで気管確保 前歯も数本折られました。

ワタクシが観た『三途リバー』は美しくはありませんでした。
賽の河原の様な 草木も無い荒涼たる向こう岸
川は大きく 水は生あたたかく 足もつかない深さ。
『平泳ぎは得意じゃないんだな〜足がツルなぁ』
『あっちは胡散臭い感じで ヤダな〜』
などと 必死に溺れぬように泳いでいると 遥かに
亡くなった母が立派な木造船の舳先で手を振っている(゚∀゚)
『お母さん 会いたかったょ♪今、そっち行くから』

うわっ....木造船; せめてタイタニックで来てょ
しかもパジャマ姿じゃん!アクション大げさだし..
ガッカリと嬉しさ交じりで泳ぎ進むと 聞こえてきた
「ダメーっ!まだ来ちゃダメ−っ!来ちゃダメょ−っ!」
『えっ?久しぶりなのに そりゃないょ 母さん(T.T)』

4日後に意識が戻り 電話を架けた友人の顔が見えました。
そのまま死ねば心不全。突然死生還率3%のぎりぎりセーフ。
先天性の心臓血管疾患があったらしく 
現在も服薬せねば 生きる事が難しいのですが
ワタクシが泳いだ『三途リバー』は どこか陰鬱で悲しく
もう二度と横断したくありません。
しかし母 満面の笑顔でした。。行くべきだったか?

一部では ドクターヘリに乗った女として有名ですが
本人は仮死状態。夫に乗り心地を尋ねても『思い出したくない』
とのこと。ワタクシの心電図が平坦になった図がトラウマだとか。

吹っ飛んだ前歯の治療や 毎月の薬代 診察の交通費.... 
葬式代の方が安かったか?と思う日々ながら 楽しんでおります
『明日は目が覚めないかも』の博打は イヤですけれど。。
三途リバーの記憶があるのは まだ寿命ではない
って 事なのでしょうね。 皆さま お大切に(^ω^)
初めまして。
私は小学六年の頃、
放課後の掃除の時、
ホウキの柄で頭を強く叩かれ、
螺旋の闇とお花畑、そして川を経験しました。
地面は濃い霧のような薄い虹色の斑で、
そこに見たこともない草や木が生えていました。
川辺には柳のような細い葉の桃の木があり、
蓮の花のような花と、桃のような実が沢山ありました。
その桃は蜜柑のように皮が剥け、
食べると林檎のようにシャリシャリしていて、
味はマンゴーに似ていました。
川の底を見ると、空の上から見たように街が見えました。
しばらく眺めていると、気が遠くなり、
そこに落ちてしまい、物凄いスピードで自分の体に意識が衝突し、
現実に戻って来ました。
後から聞いた話だと、
頭雅叩かれた後、倒れたままピクリとも動かないので、
何人かがイタズラしまくったらしいのですが、
それでも反応無かったので、その場の皆が怖くなって帰ったそうです。
その後、私は親に頭を叩かれたので病院で診てもらった方がいいか聞くと、
外見変わった所が無いので行かなくてもいい
ということで病院には行かなかった
それでも、三日ぐらい足下がフワフワした感覚が続き、
一ヵ月位してから、頭が陥没していたことに気付く…(泣
これが私の体験です。
はじめまして!コミュニティのお名前のように泳いだことはないのですが、その浅瀬までなら記憶にあるのでよければ聞いてくださいm(- -)m

小学六年生の時、うちで飼っていたハムスターが急死しました。
あんまり突然のことで、しかも親族や親しい人を亡くしたことのなかったあたしは気持ち悪いくらい涙が止まらず、そのまま眠ったのですが・・・。
気がついたら賽の河原みたいな砂利だらけの河原にいました。川は黒くて、湯気が立っていて、霧も出ていて、とにかくものすごい湿り気だったのを覚えています。
そして、死んだはずのハムスターが向こう岸へ泳いでいたんです。いつかテレビでみたように、ほおぶくろに空気を詰めて、犬かきで。
まだ岸に近い所にいたので、捕まえようと思って川に入りました。水は生温く、ねっとりしていました。水底に足は付かなくて、半分くらい水を踏んでいるような状態でした。ものすごくそれが気持ち悪くてあたしはひるんでしまい、岸に戻ろうとした瞬間目が覚めました。

二度目も部活で面倒を見ていた動物が死んだ時でした。
このときも同じ川まで来たのですが、位置が違ったらしく、ぼろぼろの木でできた壊れかけの橋がかかっているのを見ました。
私の父親の話しです。
医者に見放されるほどの病気でした。医者の間でも、まだ生きているのexclamation & questionなどと言われていたぐらいです
 
元気になり、そういえば…と話してくれました。
 
ずっと同じ夢を見ていたと。
あれが自分にとっての三途の川じゃないかと…
 
 
大きな斜めに見える湖があり、その真ん中あたりにでっかい柱3本。
高さが大・中・小と並んでいて、金とも言えぬ銀とも言えぬ…この世のものではないくらい綺麗な色で輝いていたそうです。
それを父は、車の中で見ていたそうです。
どうしてもそこまで行きたくて車で湖の辺を走りまわるそうですが辿り着けるはずもなく…
今っぽいですが、携帯で身内などに行き方を聞こうと電話するのですが、誰も繋がらなく…それでも必死に柱に行こうとしていたそうです。
どうしても行かなくては…と思っていたそうです
目を覚ましたのが病院に入院してから1週間後。
1週間ずっとその夢を見ていたそうです。
人それぞれ少し違うと聞きますけど…父の夢ゎ…三途の川的なものだったんでしょうかexclamation & questionどなたか全然川じゃなかった人っていますかexclamation & question
俺が高校の時の話ですexclamation ×2 北海道の高校に転入した時丁度登校時間で学校に向かってた所、道がこおってて足を滑らせて頭から地面に着地しました衝撃 すると自分はこの世界にいなくてひまわり畑の中にいて、さっと起き川が見えたので川の方まで歩く走る人と死んだはずの婆ちゃんがいて「まだこっち来ちゃダメだよ」と言われ目が覚め二十分ぐらい気絶したみたいで意識朦朧としてる中助けてくれた人に病院に連れて行ってもらいましたわーい(嬉しい顔) 今思うと助けてくれたんだと思い感謝の気持ちでいっぱいですうれしい顔
こんばんわ!
私の三途の川を、見たのは高校生の頃です。
高校生の頃、10時までバイトしていたので、毎日布団に入ったら爆睡してました!!
この日変わった夢を、見たのです。
それは、今まで見た事ない静かな川でした。
普通橋があるのですが、私の場合は、何個の岩を、またいで、行かないと向こうの岸に渡れない感じでした!

そこで、向こうに死んだはずのおじいちゃんが、物凄い目で、私を睨みつけてました(*_*)
そのおじいちゃんとは、生きている頃、めちゃくちゃ仲が悪くて、あまりいい思い出は、ありませんでした…。
向こうの岸に、行きたいんだけど、めちゃくちゃ睨みつけられているので、どうしようか悩んでいる時に……………
誰かが、私を呼びました!私は、そこで「何!」と振り返ると、目が覚めました。
朝なんだったんだろうと、思い朝ご飯食べてたら、おばちゃんが、めったに病院に、行かないお婆ちゃんが、「今日、学校休みなさい病院行くよ!」って言われました。
意味分からず、私も学校サボれるから、いいかなぁと思い病院行くと、
「診察してもらいないさい!」って、おばちゃんに言われたので、言われるままに、診察したら……!!!

なっなんと、急性B型肝炎でした。普通は、死んでいる、血液の数値だったのです!!
私が、まだ若かったので、生きてたみたいです!
一日遅れてたら、死んでたそうです(>_<)
もちろん至急、入院でした!!

今思うと、あの時病院行ってなかったら、もうあの世でした…。
実は、お婆ちゃんがなぜ、病院に行こうと思ったのは、夜寝ている時、死んだはずのおじいちゃんが、足元にいたみたいです(>_<)

怖くなってそのまま、眠りに入ったのですが、夢の中で、私が玄関で、バイバイて手を、振ってドアを、閉めたら、二度と帰ってこないと言う気持ちになり、涙が止まらなかったそうです。
そこで、おじいちゃんが、また、横に立ってたそうです!!
そこで目が覚め、私に何かあると思いすぐに病院に、連れて行くと思ったみたいです!!

今思うと、お爺ちゃんに助けられたんだなぁと感謝してます。
生きている頃、もっと仲良くしとけばよかったと、今だ後悔しています!(>_<)
ありがとう、おじいちゃん!!大好きだよ☆☆☆☆☆
こんにちは。

私は大学院で臨死体験について研究しています。

管理人さんをはじめ、みなさんの体験談をとても興味深く拝見しました。

今後ともよろしくお願いします。
多分まだ幼稚園ぐらいだった頃

高熱をだし自宅の布団でねていました

聞こえてきたのは魑魅魍魎(?)と思われる野次や罵声

体がふわふわ天井まで上がっていき

真っ暗なトンネル

そこを抜けると・・・

一面まっ黄色の、それはそれは美しいお花畑でした!


あまりのリアリティに
何が起こったか分からない私は
その後数年間自宅周辺でお花畑を探しまわりました。
大人になって、臨死体験の事を知り疑問解決!
もしかしてあの世だったのかなexclamation & question
つい先月、脳卒中から脳ヘルニアを起こし瞳孔開きかけで死にかけました。
その時のことですが、あたしは自他共に認めるヘビースモーカー。
目の前に塔みたいな物があってそこにたくさんの人が居て、みんな煙草吸ってた。コンビニの入り口とかにある灰皿囲んでたくさんの人が煙草吸ってた。『あなたの煙草これでしょ!?早くおいで』 ってあたしの吸ってた銘柄の煙草を出された。すごい吸いに行きたいんだけど、どーやっても行けなくて、結局行けないまま。 現実か夢か分からないまま。
まだリハビリもしてないときなのに、そこがリハビリ室の前だって、リハビリ始まって探してみたけどなくて。
気が付いたら母さんが居て、体がおかしくて体が管だらけで。
この話をしたら
それ吸いに行ってたら帰って来れなかったかもよ!?
と言われて納得するところがあった。
三途の川かどうかは半信半疑ですが、そぅかなと思ってます。
はじめまして。
いやー、皆さんの体験を興味深く拝見させて頂きました。


ICUから一般病棟に移って3週間ぐらいのころに、私の見た夢をメモしていたものです。
3週間立つまではペンも持てず、言葉も満足に話せず・・・だったのですが、
できるだけ早めにメモにしたい、と思って書いたものです。箇条書きなのは当時のメモのまま。

・瀬戸内海の船上病院(船そのものが病院となっている)に入院している
・自分は車椅子に乗って病院内を移動
・船は豪華で5階建てぐらい
・別の患者(男)と一緒に行動して船上病院の中を数日間さまよう
・なぜかレストランがたくさんあるが利用方法がわからず
・両親が船上病院とは別の陸地にある面会者用の宿泊施設(和室)にいた
・その宿泊施設内にはテレビと自分が救急車で運ばれる前に持っていたカバンがあった
・船上病院が座礁して船が沈みそうになったので救命胴衣をつけた・だけど、結局沈むことはなく乗船口から普通に脱出
・このことを教訓?に船が座礁した時に備えて訓練をすることに
・その訓練では、病気のために動くことが出来ないので救急隊員?に助けてもらうという役割(しかも船の一番奥にいたため、一番最後に助けられる)
・その後、転院することとなり救急車で別の病院に搬送される
・多分、ここらへんで目が覚めた
今年の1月末の経験なのですが、落着いて考える余裕が出来たので整理してみました。

もともと持病で喘息があり、発作が起こると息が出来なくるのですが
その時も、発作が起こり救急車で病院に運ばれた時の事です。

運ばれてから、処置室というのでしょうか?
ストレッチャーに乗ったままで、応急処置を受けていた時に
「このまま死ぬんかなぁ〜」と思っているうちに視界が暗くなって行き、意識を失ってしまいました。
その次に見たのがICUの天井なのですが、その間にある記憶です。


全体的に薄暗い空間に一人で立っていて、足元の床にテレビ画面の様なものに映像が映っているんです。
ちょうどテレビ番組の特番で、床に映像が映っていてアナウンサーが
立っているのを上からカメラで写している様な場面をイメージしていただければちょうど良いのです。
自分はアナウンサーの位置に立っていて、床に映っている映像を俯いて見ているという状態です。

映像は何種類かあって、賽の河原みたいな風景とか、恐山みたいな風景とかが映っていて、その画像のところに「行ってみよう」と思うと、いつの間にかその景色の中に自分が立っているのですが、「なんかイヤだな」とか「思っていたのと違うな」思うと、床に映像が映っている所に戻ってまた同じ様に俯いて映像を見ているという記憶です。

景色で具体的に覚えているのは上の二つなのですが、お花畑とかそういうのは無く、みんな荒れた岩だらけの景色でした。
岩だらけのせいか、色彩も乏しく自分を含めて白黒映像っぽかったです。
ただ音はなく、ものすごく静かで音が何もしませんでした。
あと、他の人とか鬼とかそういう登場人物は一切なく自分だけです。

その時の現実世界では、呼吸が止まって痙攣してあぶない状態だったらしいです。
だからおそらく、酸素不足の脳が見せた夢だとは思いますが、今まで色々聞いてたのとは違うんですよね、
何のイメージが元になってるのかなぁ〜、自分でもちょっと疑問です。
はじめまして
もう10数年前の話になるんですが、飛び出しで車にはねられた事があるんです。その時、一瞬真っ暗になり気がついたら目の前に川がありました。


よく話に聞く綺麗なお花畑や綺麗な川ではなく、大きめの石がゴロゴロ転がっていて、空はもう夜も間近の様などす黒い紫色、川の向こう岸も同じ様にゴツゴツした石がたくさん転がっていて、誰もいませんでした。


よく『誰かに呼ばれて振り返ったら…』と聞きますが、僕の場合は何も聞こえずとにかく静かで寂しい場所でした。


何故か急に川を渡りたくなり川に足を踏み入れた瞬間に真っ暗になり、目を開けると救急車の中にいました。


この後の話は川の話ではないんですけど、ついでなので書いちゃいます^^


目を覚ますとお医者さん達が慌ただしくしていました。
僕は心臓マッサージや口の中にチューブを突っ込まれたりしてるんですけど、
感覚もなくどこか他人ごとの様に感じていました。
そうしている内にまた意識が遠のいてきて、また辺りが暗くなりました。



次の瞬間、事故の一年前に亡くなった大好きだったおばぁちゃんの家の前にいました。
その家はおばあちゃんが亡くなってすぐ取り壊された家なんですが、絨毯の色からテーブルやイスの配置まで当時のまま。


天気はすごく良く晴れていて、やはりとても静かでした。



そこでも、誰も居なくて『奥に誰かいるかな?』って思って、家の中に入ろうとした瞬間にまた真っ暗になり、気がついたら病院のベッドの上。
三日間昏睡状態だったそうです


一升瓶三本分くらい血や胃液が体中から流れでたそうですが、奇跡的な回復を見せ三週間で退院できました。


お医者さんも『絶望的』と言っていたとの事でしたので、まさに奇跡的だったようです


その後、家族や親戚に川の事を話たら『まだ来るのは早いから誰も迎えに来なかったんだよ』と言っていました。
それから子供の頃から病弱だったんですが、事故の後は偏頭痛も治り、体も健康であまり病気もしなくなりました。
たくさん輸血をしたから悪い血がなくなったのかなぁ〜って親戚に言われたけど、どうなんでしょうねわーい(嬉しい顔)


『川』って夢の一種なのかどうかは分からないけど、同じ様な経験をされた方も何人もいるって事は不思議ですね
みなさんの書き込みを食い入るように読んじゃいました〜

長文失礼しました☆

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