夢みる頃を過ぎてもコミュのアンソロジー・コレクション

アンソロジー「夢」

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　藤原龍一郎
夢は五臓の疲れ、ということわざ
があって落語の「ねずみ穴」のサゲ
にもなっている。むかしの人は内臓
の疲労が夢を見させる原因だと思っ
ていたようだ。
実際、このことわざにどの程度の
真実性があるのか不明だが、気にか
かっていることがあると、それに関
連したイヤな夢を見てしまうという
経験は誰にでもあるはずだ。
私自身もつまらないことをくよく
よ悩むたちなので、この手の悪夢は
しばしば見ている。イヤな仕事をイ
ヤな思いをしながら、なんとか終ら
せたら、それが夢だったなどという
二重のショックもよくある。
夢を詠んだ短歌を集めてみると、
やはり、この手の暗いベクトルの夢
を詠った歌が、少なからずある。そ
して、秀歌が多い。大西民子作品の
「髪をふりみだし」など、夢の歌と
して、みごとにリアリティがあって、
屹立している。滝沢亘作品も結核に
よる呼吸困難が、夢の中で「船漕奴
隷」になっているという詩的転化が
みごとな一首といえるだろう。
夢という言葉は希望とか願いとか
野心とかの意味も含んでいるわけで、
そういう使いかたの作品もある。岸
上大作が願った「母と二人の夢」と
いうのは、せつないけれど或る時代
のホンキの願いだったのだと思う。
ただ、このような意味の夢であって
も、結局、夢の跡とか夢の果てとか
夢やぶれてと言った意味あいで使わ
れることも多い。このあたりに夢と
いう言葉がもっている複雑で屈折し
た内実があるように思える。
夢日記をつけているという人が時
折居る。画家の横尾忠則の夢日記を
読んだことがあるが、さすがに天才
的な芸術家だけあって、カラフルで
波瀾万丈の夢の記述続きで、読んで
いるこちらが魘されるような気分に
なってしまった。
　最後に寺山修司の夢に関する箴言
を引いてみる。
「夢は現実の欠落を埋めあわせるた
めにではなく、現実の水先案内人と
してあるべきだ。」

　　　　　　　　了

ＮＨＫ短歌　現代短歌アンソロジー　「夢」３０首

とことはに覚むなと蝶のささやきし花野の夢のなつかしきかな
山川登美子『山川登美子歌集』

嘗て見し上野の盛りいたつきもなかりし我や夢のごとしも
望月光『望月光歌集・資料』

やとばかり／桂首相に手とられし夢みて覚めぬ／秋の夜の二時
石川啄木『一握の砂』

耳無しのわが夜の夢に音もなくしのび立ちたり大不二が嶺
岡本かの子『浴身』

さまざまに見る夢ありてそのひとつ馬の蹄を洗ひやりゐき
宮柊二『多く夜の歌』

＜たえず良心が夢を喰荒らすのです＞……枯野のうへを漂ふ一行
浜田到『架橋』

夢の沖に鶴立ちまよふ　ことばとはいのちを思ひ出づるよすが
塚本邦雄『閑雅空間』

夢のなかといへども髪をふりみだし人を追ひゐきながく忘れず
大西民子『不文の掟』

邂逅を遂げたる夢の腕のなかに光となりてわれはひろがる
山本かね子『風響り』

熱のあるこころさびしも夢にさへ息切々と船漕奴隷（ガレリアン）われ
滝沢亘『断腸歌集』

島尾敏雄を明恵を夢記に対比していづれも聖は性をつらぬく
山中智恵子『夢之記』

こころやや疲れてあれば晩秋の玻璃戸に寄りてまた夢も見む
蒔田さくら子『秋の椅子』

夢にさへ距てられたる子となりてはやも測られぬ背丈を思ふ
雨宮雅子『鶴の夜明けぬ』

枕の灯消して寝につく色欲の美麗を夢の中に見るべく
石田比呂志『鶏肋』

夢にのみ羽搏くわれか春あらし空に鳴る夜の燈を消さむとす
来嶋靖生『笛』

たゆたへる思ひのなかに別れゆく夢の雨にも傘をさすなり
稲葉京子『しろがねの笙』

わがカヌーさみしからずや幾たびも他人の夢を川ぎしとして
寺山修司『血と麦』

さくら花ちる夢なれば単独の鹿あらはれて花びらを食む
小中英之『翼鏡』

かがまりてこんろに青き火をおこす母と二人の夢作るため
岸上大作『意志表示』

ピカソの「夢」マチスの「夢」の中にゐて眠りゐる瓜実顔のをみなら
青井史『月の食卓』

開かれし童話の絵より抜け出でて吾子の眠りに入りし火の鳥
中地俊夫『星を購ふ』

いづこより吾は来たると問はれゐて春の無明の夢たぐりゐる
古谷智子『神の痛みの神学のオブリガード』

我は誰の生まれ変りぞ大陸の荒野さまよふ夢にうなさる
福島久男『男は夢の中で』

夏越して蒸れし倉庫の黒胡麻を肩にかつげば夢も腐れむ　
和田大象『世紀末ビジネスマン』

緩慢な夢のなだり徒ゆくだりか行きかく行き戻れずなりぬ
松原未知子『恋人のあばら』

花の宴たちまち消えて月射すは浅茅がホテル・カリフォルニア跡
大塚寅彦『刺青天使』

まほろばに閉館したるシネ・ヴィヴァンまだ見ぬ夢の詐術疾しも
菊池裕『アンダーグラウンド』

平穏な八十年代　革命を夢見て夢に殺められしか
鈴木英子『淘汰の川』

葉つき生姜たばねて持てるその人を定家と思い見ており夢で
安藤美保『水の粒子』

わがものにならざる腕と思ひつつ凭れゐし夢の熱を引き摺る
横山未来子『水をひらく手』

追記
「ＮＨＫ短歌」２００６年１月号掲載。
夢にちなんだ歌３０首のアンソロジー。

コメント(2)

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[1] mixiユーザー 07月02日 20:51

アンソロジー「酒}

藤原龍一郎

　酒の話といえば、やはり落語であ
る。「親子酒」、「寄合酒」、「夢の酒」、
「試し酒」、「酒の粕」、「一人酒盛」、
「居酒屋」と題に酒の字がつく噺だ
けでも、数え切れないほどあるし、
「らくだ」や「替り目」や「青菜」
等々、酒を飲む場面が大筋をなして
いる噺もたくさんある。
　落語家にも大酒のみは多く、最も
有名な古今亭志ん生は、関東大震災
の時にも、揺れている酒屋に跳び込
んで柄杓で酒を掬って呑んだという
し、内地に酒がなくなった戦争中に
は「満州に行けば酒が呑み放題」と
聞いて、早速、満州へ渡ったなどと
酒に関するエピソードにはことかか
ない。
詩歌にも酒はさまざまに詠まれて
いる。尾崎左永子さんの『梁塵秘抄
漂游』には、こんな作が紹介されて
いる。
　盃と鵜の喰ふ魚と女子は
　　はうなきものぞいざ二人寝ん
　まさに、この世の快楽を讃えるエ
ピキュリアンの歌である。
　「酒は憂いの玉箒」という俚諺が
あるとおり、酒を飲むことでイヤな
ことを忘れ、気晴らし憂さ晴らしを
するというのは、昔も今も変わりは
しない。しかし、飲み過ぎると宿屋
飯盛作のこんな狂歌のようになって
しまうからご用心。
　　げに酒は憂いをはらうほうきとて
たわ言もはく青へども吐く
　話がいささか汚くなってしまった
ので近代俳句から酒の句を。
馬叱る新酒の酔いや頬かむり
　　　　　　　　　　　　　正岡子規
熱燗や雪はますます積るのみ
高浜虚子
濁酒や酔うて掌をやるぼんのくぼ
石田波郷
酔ひてぐらぐら枯野の道を父帰る
西東三鬼
　それぞれの俳人のキャラクターがみ
ごとに一句に現れているように思う。
　最後に酒に関する箴言を紹介する。
「百薬の長と呼ばれるがいまだかって
これで病を癒した者はいない。その逆
は枚挙に暇が無い。」至言である。

現代短歌アンソロジー　「酒」

酒をあげて地に問ふ誰か悲歌の友ぞ二十万年この酒冷えぬ
与謝野鉄幹『紫』

その酒の濃きあぢはひを歌ふべき身なり君なり春の思ひ子
与謝野晶子『みだれ髪』

酒のめば／刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき／村を逐はれき
石川啄木『一握の砂』

底なしの甕（もたひ）に水をつぐごとくすべなきものか酒やめて居れば
若山牧水『さびしき樹木』

かかる世に酒に酔はずて何よけむあはれ空しき恒河沙びとよ
吉井勇『酒ほがひ』

妻子らと酒汲む常のあはれさを知りて老ゆらし人といふもの
山本友一『九歌』

生活のつきあひの酒飲みてきて路地行けば軒に鮟鱇吊らる
宮柊二『多く夜の歌』

満ちのぼる月に今宵は供せんと土瓶は酒をあふれしめたり
山崎方代『右左口』

秋雲のひかりに遠くむかひ坐（ゐ）て朝食のパン葡萄酒の赤
玉城徹『枇杷の花』

酒にゆき肉に奔るといふこともなくかなしみは血のごとめぐる
滝沢亘『白鳥の歌』

まひるまをひそかにし飲む酒にして音たてて喉をくだりゆきたり
島田修二『渚の日日』

生きえたる今日を嘉してグラスあぐブルゴーニュの森の野苺の酒
山本かね子『花遊行』

うどん屋の饂飩の文字が混沌の文字になるまでを酔う
高瀬一誌『喝采』

酒飲みのかつ人生の先輩として先に酔う　ちょっと失礼
石田比呂志『九州の傘』

賜りし信濃の銘酒＜雲山＞を妻と飲みつつこころ足りゆく
松坂弘『春の雷鳴』

望むらくわれに一人の若き敵一壜の古きぶだうの酒を
高橋睦郎『稽古飲食』

冷や酒を口に含みて読み継げり詩はぐさぐさの死への歩み
佐佐木幸綱『夏の鏡』

酒滾るまで沸かしけりくるしけりおれの半生　反省せぬぞ
福島泰樹『エチカ・一九六九年以降』

わが裡にありて「聖なる酔っぱらい」起きあがりくる夕べの鏡
寺戸和子『海の沈黙』

熱かんの酒のしみこめるわが腹をさぐりたい奴にはさぐらせてやる
外塚喬『戴星』

アパートをさがして早き日の暮れに乾杯をして熱酒を飲む
大島史洋『わが心の帆』

一献また一献熱き酒くみて潤びゆくらし女男（めお）のなからい
久々湊盈子『射干』

ロシア酒を乾さば明るきあかがねの漁夫のかなたのシベリア見ゆる
三枝昂之『やさしき志士達の世界へ』

空壜のサントリーオールドころがり爆弾のようでも頭蓋のようでもあり
沖ななも『衣裳哲学』

いちにちの終り胃の腑に酒満たし深き眠りに堕ちてゆくのだ
時田則雄『十勝劇場』

革命歌酔いて唄えばきれぎれに風がつぶやく嘆きのごとし
道浦母都子『無援の抒情』

酔いはさめつつ月下の大路帰りゆく京極あたり定家に遭わず
永田和宏『やぐるま』

あかさたな浜ひるがほはロゼワインたたふる小（ち）さきグラスのごとし
松原未知子『潮だまり』

アワモリの酔ひの極みに暮れはてて群青したたるこころの夜空
島田修三『晴朗悲歌集』

遥かなるおろしやの国に酔ひどれの森ありしてふ寒満月よ
武下奈々子『光をまとへ』

南島史そぞろ歩きの夜な夜なはすこし泡盛オリオンビール
今野寿美『世紀末の桃』

深秋（ふかあき）のこころまちなる喜びのボジョレ・ヌーボー解禁日あり
松平盟子『シュガー』

はじまりはいつもしづかに一杯（ひとつき）の酒のむやがてしたたかに飲む
小笠原和幸『定本　春秋雑記』

再会の夜の調律　円錐のグラスにもりあがるマルティーニ
魚村晋太郎『銀耳』

一瞬のためらひののち販売機麒麟麦酒（きりんビール）をみだらに吐けり
荻原裕幸『青年霊歌』

「美少年」を「よかちご」と読み酌みかはす輩をるべし火の国鳴動
林和清『ゆるがるれ』

飲みほしたビールの缶をぱこぱこといわせて歩く海までの道
江戸雪『百合オイル』

追記
「ＮＨＫ短歌」２００６年２月号掲載
酒にちなんだ歌３０首のアンソロジー

[2] mixiユーザー 07月07日 11:19

エッセイ東京

　東京という固有名詞がいちばん
出てくるのは流行歌の世界ではな
いかと思う。
　「東京行進曲」「東京だよ、お
っ母さん」「ウナセラディ東京」
「東京オリンピック音頭」「東京
ブルース」等など、思いつくまま
にいくらでも挙げることができる。
　これは、ある時代まで東京が、
確実に一つのシンボルであったと
いうことの証明だろうと思う。そ
れは、夢や希望と同じ意味だった
こともあるだろうし、場合によっ
ては、ここではない何処か、とか
巨大なブラックホールという意味
がたくされている場合もあるかも
しれない。
　私が好きなのは、藤山一郎が歌
った「東京ラプソディー」と沢田
研二の「ＴＯＫＩＯ」だ。前者は
一九三六（昭和十一）年、後者は
一九七九（昭和五四）年の楽曲。
花がさいて花が散って行く都であ
り、夢のパラダイスである花の東
京は、実は本格的な戦争に突入す
る直前の徒花であり、電飾綺羅綺
羅で空に舞い上がるスーパーシテ
ィＴＯＫＩＯとは、バブルの狂乱
を目前に見据えた虚構のメガロポ
リスであったわけだ。
　どちらも今となっては、むなし
さ、はかなさを絵に描いたような
歌だが、それだけに虚無の華麗さ
がきわまり、愛おしさがつのるば
かりである。
　現代短歌に詠われる東京も、多
面体的な相貌を見せている。異和
を感じたり、親和力を信じたり、
目的地であったり、脱出すべきし
がらみの沼地であったりする。
　愛情と憎悪がまざりあい、華麗
さの裏側に虚無が貼り付いている。
　晶子にとって、啄木にとって、
白秋にとって、茂吉にとって、迢
空にとって、東京とはついの異郷
であったのか。
　そしてここに選び出した三十首
を詠った三十人の現代歌人にとっ
て、東京とは何か。時代の本質を
如何に映し出しているだろうか。

アンソロジー東京の短歌

東京に蝗子売といふおもしろきあきなひのあるを母に知らさむ
前川佐美雄『植物祭』

東京の焼野を跨ぐ大虹の立ちたる脚のまさやかに見ゆ
窪田章一郎『ちまたの響』

東京に未練はないがまっ黒いかの地下道の口は呼んでる
山崎方代『右左口』

東京もすでに異郷かここ出でて何処にも棲めぬわれとなりゆく
築地正子『花綵列島』

ひしめきて位置を争ふ東京にわが足立つる空地はなきか
中城ふみ子『乳房喪失』

地下鉄の赤き電車は露出して東京の眠りしたしかりけり
前登志夫『子午線の繭』

雨のふる東京デ・ランド子らを率（ゐ）て傘かたぶけて行けばさびしや
岡井隆『五重奏のヴィオラ』

トウキョウとヒロシマのキヨスクはゆでたまごを網に入れるも
高瀬一誌『火ダルマ』

淋しく病む父ならぬこと救ひとし東京に現在（いま）雪降ると聞く
蒔田さくら子『紺紙金泥』

東京のビルの鏡壁茜して映すやとおき戦の修羅を
宮原包治『天鈴』

東京は冬が美しと言ひしことゆくりなく思ひ出でてあゆめり
石川不二子『牧歌』

早朝に着きし東京我が乗りし汽車が屋根雪厚く持ち来る
浜田康敬『望郷篇』

十七階に東京の夜の街を見るひかりかがやくもののつめたさ
高田流子『みふぁそら』

東京ははじめ東京（とうけい）読み進む魯文に東京の夏日傾く
青井史『月の食卓』

青梅雨のつづける日々の夕べにて東京タワーいま点灯す
佐佐木幸綱『百年の船』

東京湾岸灯の連なりは人の住む高層団地群また化学コンビナート群
高野公彦『雨月』

死語となる言葉のごとし東京に春のけむりはたちのぼりゆく
三枝昂之『塔と季節の物語』

歳晩に送りてくれし白子のり裂きつつおもふ東京の友
時田則雄『凍土漂白』

月に幾たび東京という空漠の夜を択びてまた酒を飲む
永田和宏『百万遍界隈』

苦学生といふ呼称のいまだありし頃東京甘しわれはおもひつ
小池光『草の庭』

ＴＯＫＩＯの貧の日々はも青洟の二本垂れたる戦後の子らはも
島田修三『晴朗悲歌集』

夕虹にもつとも近き思ひ出は東京タワーの金のレプリカ
渡英子『みづを搬ぶ』

作られしものみな寂しき影もてり東京の空に日の沈む刻（とき）
小島ゆかり『水陽炎』

東京も富士も見えぬ日学校はかぎりなき雨のひかりを落す
米川千嘉子『夏空の櫂』

こころもち顔を赤らめ「東京！」とおれはお前の名を今日も呼ぶ
谷岡亜紀『臨界』

真夜中の画面にうつる台風の眼よまつすぐに東京を襲へ
大辻隆弘『抱擁韻』

低気圧と低血圧が俺の敵めざめ苦しく今朝も東京
森本平『橋を渡る』

出張に来て雨に遭いビニールの傘持ちかえる非東京人
島田幸典『no news』

曇天の真下けなげに東京を倣（まね）ぶのみにて倣び損ねて
高島裕『旧制度』

東京でわがひらく仏仏辞典重たき翼ひきずるごとし
小川真理子『楔形母音』

追記
「ＮＨＫ短歌」２００６年３月号掲載
東京が詠まれた歌は、この３０首に限らずコレクションしているので
今後、機会があったら、別の作品で、アンソロジー「東京」を継続
していきたいと思う。

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