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フラメンココミュの〜我が思想に『協調』を追加する!〜アンダルシアの融和へ

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〜我が思想に『協調』を追加する!〜【『追体験』はできないものと心得よ・・・その2(終わり)】

 私は今、何かもの凄い転機にあるんではないかと思う。我が人生の終幕において。
 
私の人生は次のように分けることができる。「幼少期」の“何をやっても大人に反抗するガキ代将”、「中学・高校期」の“運動形成とマルクスとの出会い”、「青年期」の(吉本隆明思想との出会いと反主流派形成、労働運動家としての躍動と敗北情況)、「中年期」(自前の思想の確立とビジネスマンとしての成功)、「中年期以降」の“自己運動の継続と人間関係の徹底化として決意の思想形成”および“生活低下と社会変動に対する違和と抵抗、関係の組織化・一般化”。

「中年期」までのことは、いろいろな表現を持って己の変遷と戦いぶりを著してきた。今もっとも大切なのは「中年期以降」である。特に現在である。中年期以降は「結婚と離婚」「ふたりの子供と家族関係」に揺れ、再び考えた後、歌に執着し、南国のパブのステージに遊んだ意味は大きいと私は思う。そこで私は『生きる』ということを、様々なかたちで見せる、出稼ぎ他民族のリアリティと偏執を観察し、私はそれへの批判的な眼をもった。そして再びその視線で我が島国の人々を見つめた。

そうしてその眼を替えることなく、まっすぐに人間関係と社会関係に対峙した。その時、私には“ためらうことなき思想がおぼろげに現象している”のに気が付いた。

それは、我がビジネスの衰退と社会の“愚衆化”によってもたらされていた。私は再び“呻き”ながらも、“快活で躍動ある”関係づくりに出向いた。それは、一方で民衆とあたかも対峙するような姿勢であたり、他方で、ビジネスおよび個人の債務処理の中で、自治体、税務署、社会保険庁、裁判所に、また銀行等金融機関に反撃し、その相手たちを罵倒しながらも、結局これらを「組織して」再び抵抗を開始したのである。
あたらしい関係、特に優れた友人たちが多くできて応援してくれているし、あたらしい場を獲得して、南国の場をきっぱりと捨て、古いずぶずぶの友人関係に見切りをつけ精算した。

また離婚後、生活には苦労したが、ある「開放感」が私を支えた。更に娘が私の手元を離れたことの「意味と現象」を友と友に試走し、理解た。、その開放感はむしろ“あたらしい人間性”の捜索と形成に向かった。また、自治体の生活支援制度の中で、今の「職業訓練校」に行き着き、「素晴らしい光景」に出会った“溌剌”の意味は大きい。
私はビジネスの再高揚を目指していたが、米国の経済破綻等の変動の中で、それはとても難しいと思われた。それで、会社経営の傍らで、己の生活を確保するため、あらゆる方法を学び着手した。コンビニやラーメン店でのアルバイト。
県の「緊急対策事業」への短期従事(ティッシュ配り)。その雇用会社の我々に対する扱いはひどいものであった。私は、足腰を相当に破壊されながらも、その会社に対し「労働争議と言う名の集団蜂起」を行い、圧倒し、場を確保した。
私たちは、退職後もその追求の手を緩めず、労基署の『それは明らかに違反であり、人権侵害である』を“根拠”に追求した。労基署はこの雇用会社に対し「勧告書」をもって立ち望んだ。会社はうろたえ、この勧告を無視し県に駆け込んだが、県からも無視された。労基署は今月で「最終判断」をするであろう。この時違反を犯している会社は社会的にも葬られる。そして私たちはまた、今度は県に対して蜂起を行うであろう。「われらが労働争議」。それは“正義は”どちらにあるか、なんてけちなものではない。正義はいらない。ただ、戦い恐喝し、われらが要求を飲ませるのみである。くだらない労働争議なんかではない。
この「蜂起のような争議」において、私たち12名は、どこぞの政党、どこぞの労働組合にも所属せず、また委託もしなかった。自らで戦い、自らで決した「小さいが希有な争議」である。そのとき、私の経験や戦略は見事に炸裂したのである。


このように、一方の手に「炸裂」を持ち、一方で「人間性」を追求する、人との関係の絆は情況において、また究極において如何にあるべきかは、結局同じ課題の枠にある。真の人間の「自由や解放」を尊び、民主主義などとは全く関係のないあり様であり、そもそもそれとは“概念”が異なる。政治体制なんてどうでもいいように見える。また、今回の震災における「義援ブーム」を私は『義援ファシズム』と規定した。そしてその背景には「コンビニエンス・エイジ」の存在を指摘した。つまり、「炸裂」と今の世の「現象規定」。他方で多くの“いたわり”の存在に畏敬し、我が思想にはじめて『協調』を追加した。その協調とは流浪と呻きの過程で到達した「融合」にも似ている。心あるべき民は存在していたのである。穏やかにしかし決意的に。私を受け入れてくれたことに感謝しよう。

私は甦っていた。以前にも増して強い「信念」に「協調」を追加して。そのこころは、とても穏やかでありたおやかである。

この「協調」は、以前の私には無いものであった。とにかく妥協を拒んできた。何故なら、根源的な思想を持たず、単に情況的に妥協するならば、また“過ちの道へ戻る”し、根源的な問題が“ぼかされる”だけであるから。今は、ある意味での「協調」に充分応えられる私がいる。

ところで、私の人生には必ず日本○○党勢力が現れていて、いつも私の人生を壊そうとした。
先程述べたように、私は会社経営者としてまだそうとうな額の債務がある。それは妻がつくった債務であり、私に押しつけられたものである。そうしてそれを教唆し指導したのが、実はこの勢力の「弁護士事務所」の自称、人権派弁護士なのである。この弁護士は、離婚準備にあたり妻をそそのかし、計画的に略取する目的で、会社に銀行から融資を受け、その実行日に“朝逃げ”という手段と、略取の実行を指示したものである。そうして「偽装破産」し、裁判所の『横領判決』を無視してあざ笑ったのである。
この離婚を考えるとき、私は“妻の行為は憎まないものの”、この勢力の狡猾な謀略は絶対許すことはできない。

しかし、この裁判制度の矛盾も際だつ。結局『判決』は何の“拘束力や実行力”を持てないのだ。私はその経験を、私の「被告裁判」に応用するであろう。
ともあれ、私と娘は、一銭もない情況で生活を始めた。一匹88円の鮭の切り身をふたつに切り夕食とした。そしてそれから私は猛スピードでビジネスを高揚させ、かろうじて娘を高校に入れしして昨年大学へ進学させた。けっこうな高揚ではあったが、この略取はじわじわと経営に響き、まことに略取された金額と同額がわたしの債務となった。

当然、債権者の追求は厳しかったが、私はけっして自己破産はしなかった。それを促した弁護士には恫喝を加えて解任した。私は、私も会社も存続させる険しい道を選んだ。
銀行、各種金融機関、税務署の追求はきつかったが、私はそれらと戦い、説得し、協力をお願いした。幸いいくつの機関の担当者も「人」であった。私の姿勢に多くの担当者が猶予を与え、低額に応じてくれた上、私を“褒めた”のだ。とんでもないことであった。しかし、必死であって、医者からは“死ぬよ”って言われた。友人たちもこの光景を見て声援を送ってくれた。私は遠のいて行く意識を引き戻し足腰を引きずって前へ行こうとした。

しかし、一番非道だったのは、マンションローンを組んだ「J信用金庫」のやり口であった。
マンション」売却にあたり、この銀行は子飼いの不動産屋を廻して「任意売却」の応援の“ふり”をしながら、他方で「競売申告」をしかけた。私は私が選択した「不動産屋」の若き担当者と共に策を練り応戦した。しかし、この「J信用金庫」は「任意売却」の稟議と決定をわざと延ばし、第二債権者の取り分を増やそうと画策した。なんとこの「決定」が降りたのは「競売実行」の前日であった。
ここでは恐ろしい光景が見られる。
この日、私と不動産担当者はその「J信用金庫」に呼び出された。品川のその会議室に私たちは向かった。私はその時、かんたんに言うと、ストレス」度が通常100と言う数値の大きく上の700であり、とても歩ける状態ではなかったが、雨の中、担当者が支えてくれた。私はこの担当者をとても尊敬していた。彼も私の戦いぶりに畏敬をもっていた。“もう会社の取り分はどうでもいい、貴方のために最後まで尽くす”って言ってくれた。結局この会社の取り分は子供の駄賃程度であった。
その「J信用金庫」の会議室で私たちは「監禁された」と同じ状態にあり、そこで挨拶もしない支店長が書類を渡しこう言った。『ハンコを早くつけよ、嫌なら明日競売にかけるだけだ。5分だけ猶予をやる・・・』。渡しは横になりたかったが毅然としていた。まるで「高潔な老人」のように。私たちは競売を避けたかったから、いやいやハンコを押した。

ある銀行に、ある朝早く、知った顔の債権担当者たちが多く集まった。そこでお金を渡すのであった。私は言った。『みなさん早くに集まっていただいて誠に恐縮です。これまで私を支えてくれたみなさんにはお礼とお詫びを申し上げます。しかし、ひとつの銀行さんからはお金授受のため担当者では無く見知らぬゴキブリが一匹来ている様子、私はこのゴキブリは絶対に踏みつけるでありましょう。下品な言葉で失礼しました。これからもご指導をお願い申し上げます』。その時、債権者から拍手が起きた。ひとり「J信用金庫」だけはうな垂れていた。
授受の儀式は終わった。みなその大きな会議室を出る時、私の手を強く握り、ガンバレって笑顔で言ってくれた。また、自治体のある課長は言った。「貴方の今日の態度はといぇも立派でした、尊敬します」って。彼はその後、何をおいても私に便宜を図った。私の心はこの時すがすがしいものであった。

形だけは整えた。

しかし、「J信用金庫」はその後、担当者を換え、警告成しに私に裁判を掛けた。再び儲けようとする魂胆であった。確かに権利はある。しかし、取り立てる者を奈落に蹴落とし、それからも衣服をはごうとする行為、それはもう「人」では無かった。私はこの到来を逆に「待っていた」もである。
裁判の初日は、スクールの関係でどうしても行けず、その旨を裁判所に申し出ていた。しかし2回目は毅然として行った。弁護士もなく「ひとり」で。私のその時の服装は“黒装束”であり“黒いハット”を被っていた。
私は東京地方裁判所に早めに入り、しばし待った。そして、その大広間の中央に立ち、私は無言の「フラメンコ」を踊った。約15分。誰も静止しなかった。ただ唖然としていた。最後に、オレっとだけ呻いた。
裁判官は若くて長髪のイケメンであった。私は心で「ニヤッ」ってした。『こいつ遊び人だな、よ〜しいいぞ』。
「J信用金庫」からは担当弁護士が来ていた。対座して裁判が始まった。弁護士は「和解」を提案した。『月に5万円ほどの分割でどうでしょう?』。私はその瞬間勝った、と思った。私は長々と口上を言い、現況を説明し、心境を語った。そして言った『それは現況ではとても無理です。できれば時間的猶予をお願いします。それが出来ないというなら、月に1千円は何とかします、どうでしょう』。裁判官は私に“ウインク”を送ってくれた錯覚を覚えた。そして彼は言った。『これ以上は何度やっても同じことだから、判決を言い渡しますがどうでしょう、Jの弁護士さん・・・』。弁護士は頭を垂れた。『それでは6月20日に判決を言い渡します、それでいいですね被告』。私は『かまいません。お借りしているのは事実ですから。でもそうなると私は殺されるんですか、刑務所に入れられんですか?』とチョロけた。裁判官は『そんなことはありません。裁判所には執行権がありません』。『ほ〜ら、こうなるんだ・・・』、私はほくそ笑んだ。
 そうあの「妻の横領裁判」を逆手に使ったのだ。これが私の策略である。
こうして、とりあえず裁判は終わり、執行の道を探るであろう。「J信用金庫」は。その策は見え透いている。それに対抗する手は「ひとつ」である。

『無い袖は振れない』

一方で「労働争議」を引きずり、一方で「被告」を引き受け、一方で「生活」を支え、一方で「ビジネスの高揚」を図り、一方で「義援ファシズム」といって攪乱し、一方であらたな人間関係、あるいは「協調」という概念を手前の思想に取り込む、こういったことはそうかんたんには誰も出来ない。再びこの世を『我が情況』にしてやろうとする、幻想にも似た「躍動」。それは誰にでも『追体験』できるものではないとだけ言おう。
みんなが過去に無惨に敗北して行く中で、失語症の中に見た一条の光、それは永久に戦う姿勢の維持と決意であり、『自立』の思想である。それに今加わったのは、成熟したが故に追加できた『協調』である。思想をなめてはいけない。私をなめてはいけないと、いきがっているようで実は「哀願」している、きりっとした思想であり「生き方」である。けっして「生きる」ことに自堕落であってはいけない。それは他人にも、己にも“つばを吐く”ことと同義である。

私は今大きく変わろうとしている。
それで、ここでお礼を言おう。私を支えてくれた、そして変わろうとする契機を与えてくれたみなさんに。最初に、友人たちに、無理すんなよー。次に、労働争議を共に戦った仲間や先輩に、げんきー。特にM君に。そしてスクールの生徒たちに、また笑わせるどー。最後に債権者にどうもありがと。、また、この世を我が戦いの場所にしようと夢想させたきっかけである「義援ファシスト」の諸君に、そrおそろ気がつけよーって。何れも、私の『モザイクの思想』を」見つめてくれている人たちである。

明日はスクールである。こんな私にも「楽しい時」がある。
あの様々な年齢の“級友たち”。屈託の無い笑い。語らい。先生のパフォーマンス。この中に大きく私を変えてくれた存在がある。あの静かな物腰の優しさ。しかし、おそらく情熱的なんだろうと思う。私と全く同じスタンスで接するかたちと想い。ああ、何てナチュラルなんだろう。それはきっとあのアンダルシアで身につけたものであろうか。

実は私に『協調』のあり方を追加させたのは、そうアンダルシアなんだって想う。

再び言おう、私は今、何かもの凄い転機にあるんではないかと思う。我が人生の終幕において。

● 私が言う『協調』とは
私の言う『協調』とは何か。私の「協調」とは、“協調性”をさすのではなく、単に「協調」です。かんたんに言えば、さらに「強調」であることもあるし、「凶兆」の場合もある。また「労使の協調」ではありません。そしてそれは、その先に『融合』を意識したものです。つまり思想的には「地域コミューン」を目指すものであり、それは自由たらんとする個々の融合であり、民族の融合ではありません。また幻想として、その地域コミューンの神髄を世界規模にしたいっていう、いわば私の「世界革命」であります。

〜追記〜
 この文章は私の日記、『追体験』はできないものと心得よ・・・その2(終わり)です。この日記に「イイネ」をつけてくれたみなさんに、コメントをくれたみなさんに、ご報告としてお礼を言います。小生、暑さに参りながら寝られず、昨夜は朝までウインブルドンを観てしまった。今日は眠くて、眠くて。つい信号待ちで寝てしまった。気を付けねばならぬ、まだ完結する訳にはいかないのだ。

コメント(1)

協調できてない前回からのトピックにうんざりです。

タイトル見るだけで その矛盾を感じるので中身読んでませんが、どうせ読んでも理解不能でしょう。
相当病んでますね。

フラメンコをおかしな自己主張の手段に使わないでほしい。

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