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☆北京に住んでる人☆コミュの満洲国とエスペラントの関係について考える会

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第128回北京日本人学術交流会のお知らせ

みなさん



お世話になっています。

山口直樹@北京日本人学術交流会です。



第128回北京日本人学術交流会では、中国報道雑誌社においてエスペラントで編集の仕事をされている臼井裕之さんに「帝国が脱帝国を装うとき〜「満洲国」におけるエスペラント採用論の位置づけ」というテーマでお話しいただきます。



臼井さんはエスペラントを自由に操ることのできる方で、以前、「北一輝のエスペラント採用論」というテーマでお話しいただきました。

今回はあらたに「「満洲国」におけるエスペラント採用論」というテーマでお話しいただきます。なかなか聞くことのできない貴重な機会になるかと思います。



関心のある方は、ご参加いただければ幸いです。

参加希望の方は、5月23日(金曜)の深夜までに連絡係の吉田氏(pngk218523@gmail.com)まで参加希望のメールをお願いします。



以下のような要領で行われます。



◎第128回北京日本人学術交流会

◎日時;2014年5月25日(日曜)午後2時半から午後6時ごろ(のち場所を移して懇親会)

◎場所;亮馬橋(詳細は申し込んでいただいた方に送ります。)

◎費用;60元(場所代、運営費、資料代など)

◎講師;臼井裕之氏(中国報道雑誌社)

◎テーマ;「帝国が脱帝国を装うとき〜「満洲国」におけるエスペラント採用論の位置づけ」

◎言語‘主に日本語



要旨

帝国が脱帝国を装うとき〜「満洲国」におけるエスペラント採用論の位置づけ

臼井裕之(中国報道雑誌社)



わたしは16年近く、エスペラントの言語社会学的な位置づけを研究してきましたが、その中でも過去10年は特に北一輝のエスペラント採用論を追いかけてきました。このテーマで2013年1月19日の学術交流会で発表しています(ちなみに、その際のタイトルは「北一輝から魯迅、毛沢東へ−東アジアにおける「母語ペシミズム」の系譜」というものでした)。



ただ実はそこから遡ること2年前の2011年1月、北一輝については単著用の原稿を書き上げていました(残念ながら今に至るまで出版されていません)。そのあとに次のテーマを探していて、有力な候補として注目していたのが、「満洲国」とエスペラントの関係でした。しかし2011年3月以降は3.11の余波で研究どころではなくなって、ついに2012年3月にはエスペラントで働ける今の職場を見つけ、中国に渡ってくるという快挙(見方によっては愚挙?)を遂げることになりました。



そのようなわけで完成された研究成果を披露するというわけにはいかないのですが、宙ぶらりんになっていた「満洲国」とエスペラントについての研究について、その主要な論点だけなりともまとめて、発表してみたいと思います。



「帝国日本」とエスペラントの関連は一般に知られているよりも、複雑です。一方では本国(いわゆる「内地」)では西洋の文化を学ぶ道具として歓迎されていた部分もありましたが、一部の左翼的なエスペラント運動は厳しい弾圧を受けます。しかしエスペラント自体が禁止されることはなく、敗戦まで「中立的エスペラント運動」の組織は存続を許されていました。この点で日本は、すべてのエスペラント運動が禁止されたナチスドイツとの著しい対比をなしています。



他方では日本の植民地・占領地におけるエスペラントの位置づけは支配者である日本人と、被支配者である植民地の諸民族で異なったものでしたが、さらにその位置づけが時代の変遷とともに変化していくというさらに複雑な様相を呈しています。



朝鮮半島や台湾では日本人がエスペラントを学習することは国際親善に役立つので歓迎すべきだが、被支配民族の人々がエスペラントを学ぶことは、そこに日本語排斥の意味が込められているとして弾圧の対象となっていました。またこのような植民地でエスペラント運動に関わった日本人のなかにも、エスペラントによって日本の帝国主義に反対するという意識を持っている人たちがいました。



ところが「満洲国」が建国される1930年代になると、このような状況が変わってきます。左翼的なエスペランティストたちが、エスペラントによって日本の言語帝国主義に反対し、究極的には植民地の解放を目指していたことは以前と変わりません。しかしその一方で「満洲国」が成立した以降は、日本の体制に順応ないし積極的にこれを支持するエスペランティストたちのなかから、「満洲国」の公用語にエスペラントを採用しようという議論が出てくるようになりました。



そして1940年代に入ると「大東亜共栄圏」において、日本の統治を円滑に行うためにエスペラントを採用しようという言説も登場することになります。



以上のような歴史の動きに即して考えるとき、「満洲国」におけるエスペラント採用論は、「帝国日本」におけるエスペラントに対する考え方が大きく変化する端境期に存在していたということができます。



今回の発表では、このような「満洲国」におけるエスペラント採用論を下記の主要なポイントから考察してみたいと考えています。

(1)エスペラントがその考案者ザメンホフ(出自としてはロシア帝国のユダヤ人という「被抑圧民族」)においては、多民族帝国における言語的平等を実現するものとして位置づけられながら、それが国民国家体制に順応するために看過されていった。

(2)帝国というものが、何らかの普遍的なもので自らの露骨な支配をカムフラージュする必要を抱えている。

(3)「帝国日本」の場合、西洋に対して言語的な劣等意識を抱いていたために、通常よりも普遍的なものに対する憧憬の念が強く表出されることになった(そのことがときとして、エスペラントへの強い関心となって現象することにもなる)。

(4)「満洲国」の成立する1930年代には、列強による植民地支配が正当化できない時代になってきた(それゆえに多分に形だけとはいえ、「満洲国」は独立国の体裁を採ることになった)。そのことが体制を支持するエスペランティストたちから、「満洲国」においてエスペラントの採用を主張する、もっとも直接的な要因となった。



「満洲国」とエスペラントに関連については、一橋大学の安田敏朗氏の研究(例えば『帝国日本の言語編成』世織書房、1997年)のなかで言及がなされている以外、先行研究はほとんどないと思いますが、この二つの事象の関連を追っていくことで、ときとして「満洲国」の性格を鮮明に照らし出すことができるのではないかと考えています。



また若干テーマから脱線するきらいがありますが、「帝国日本」におけるエスペラントの位置づけと関連させながら、第二次世界大戦後のいわゆる「英語帝国主義」や、現在世界的に推進されている中国語の普及についても言及してみたいと思っています。



(以上)



北京日本人学術交流会代表:山口直樹(ngodzilla2185@gmail.com)
http://j.people.com.cn/96507/97399/6683166.html
これまでの北京日本人学術交流会の記録
http://www.nihonjinkai.org.cn/html/doukoukai/beijingribenrenxue-jiaoliuhui/201105/19-1072.html

北京日本人学術交流会についての映像記録
http://j.people.com.cn/94475/8510911.html

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