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TEZUKA OSAMU マンガ/評論感想集コミュのどろろ

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1967〜1968年   少年サンデー

http://ja.tezuka.co.jp/manga/sakuhin/m060/m060_01.html

これ、子供の時には一番好きでした。
同時期にアニメ化もされていますが、残念ながらまだ見ていません。
当時の妖怪ブームの時に描かれた作品です。

大人になってから読むと今まで気が付かなかったテーマば見えてきたので、それを書きます。
またヒネたレビューになってしまいますが御勘弁を。

まず、タイトルの「どろろ」ですが、主人公はどちらかというと百鬼丸なのに、なぜ「どろろ」なのか。
それは手塚さんが書いていましたが、どろろの、戦争があろうが孤児になろうが逞しく生きる生き方が好きだからです。
一方の百鬼丸ですが、こちらは多分当時の学生活動家を多少モチーフにしているだろうと思います(これが描かれた当時は学生運動まっさかりでした)。
それを御説明します。
百鬼丸の身体を奪った48匹の魔物なんですが、これは恐らく仏教の49日から着想を得ています。
仏教の教えでは、人間は死んでから再び肉体を得て49日目に生まれ変わるとしています。
つまりこれ、百鬼丸が自分のアイデンティティ(身体)を取り戻す物語とも読めます。この場合、魔物とは、アメリカで、その魔物に百鬼丸の身体を売った父親(日本的な父権主義)との確執の話です。
最後の章で全ての魔物を倒し、父親にも勝った百鬼丸ですが、どろろを置いて去っていくシーンは戦うべく対象をなくしてしまう来る70年代80年代を暗示していると思います。
49匹目の魔物とは誰なのか?
それはもしや・・・百鬼丸自身?

作品中にこんなシーンがありました。
「似蛭」という刀を振り回して人を殺める侍が出てきましたが(これ子供の時に読んだ時には「ニヒリズム」という言葉すら知りませんでした)、
最後に血をほしがる「似蛭」の為に自害して血を吸わせます。
そうか、ニヒリズムは自分を殺してしまうんだ・・・・。
児童マンガなのにすごい事を描いているもんだと、驚きます。

コメント(1)

もう何度この作品を読んだかわかりません。
どろろの人間不審気味の頑なな心から、民衆と立ち上がろうという気持ちへの成長と、百鬼丸が徐々にパーツを取り戻す事で人間らしさを身につける反面、神秘的な力は衰えていく様な部分のコントラストが絶妙です。

どろろはいい顔になっていくのに、百鬼丸は最初の魅力がどんどん削れていく印象でした。


先日映画を観てきました。
魔物がかなり省略されてはいましたが、主要人物のキャラは立っていて、割とよかったですよ。

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