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SHOW☆SETSコミュの「風と征くは刻まれざる者」

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「お姉ちゃん、もう寝ちゃった。」

それはとても月の綺麗な夜の事でした。
夜中を過ぎても、そのボサボサ髪の男の子は何故か寝付くことが出来ずに、隣に寝ているお姉さんに声を掛けました。

男の子は、どこにでもある町の、どこにでもある家に、両親と姉、それからお爺さんと暮らしていました。
 
この男の子に他の子と違う所があるとすれば、それはどれだけお母さんに梳かしてもらっても必ずどこかに寝癖が残ってしまうボサボサした髪と、他の子よりちょっぴり塑像力が豊かなことでした。

 男の子はよく地下にあるお爺さんの書斎で本を読んでもらっていました。その書斎には沢山の本や古い剣や杖、それから彼には一体何に使うのか分からない道具がところ狭しと置かれていました。
 そこでお爺さんに、勇ましい英雄や怪しげな魔法使い、そして恐ろしい怪物が出てくる本を読んでもらうことが男の子は何よりも好きなのでした。

「あんたもまだ起きてたの。」
 返事は無いだろうと思っていた姉から休に声を掛けられて、男の子は驚きました。

「お姉ちゃんも眠れないの。」
「なんだか今日は眠れないのよね、あの綺麗なお月様のせいかしら。」

 男の子とお姉さんが寝ている部屋からは大きな月がはっきりと見えていました。
 その時、遠くの森の方から「ワォー」と云う狼の遠吠えが聞こえてきました。

「狼も今夜は眠れないのかな。」
「まさかあんた、狼が怖いの。」
「そんなこと無いよ。ただちょっと、うるさかっただけだよ。」
 
実は男の子は狼が怖かったのですが、この時はつい強がりを言ってしまいました。するとお姉さんはそれを見透かしたように悪戯っぽく微笑み、そして急に真剣な顔になり男の子にこう言いました。
「ねぇ、地下室に行ってみない。二人だけで。」
「えっ。だめだよ。あそこには勝手に入っちゃいけないってお父さんに言われているじゃないか。」
「何言ってるのよ、あんただって気になるでしょ。『あの本』のことが。」
「それは、そうだけど。でも。お姉ちゃん。」

彼女が言った『あの本』のことは、男の子も確かに気になっていました。
それはお爺さんが一人で書斎に居る時に必ず読んでいる赤茶色の本のことでした。お爺さんは男の子に書斎にある色々な本を読んで聞かせてくれましたが、何故か『あの本』だけは読んでくれたことがありませんでした。

「絶対に『あの本』には、凄い秘密が書いてあるんだわ。」
「でも、だめだよ。」
「嫌なら、あんたは来なくたっていいわ。でも、私は行くからね。」
「そんな、お姉ちゃん。」

彼女はさっさと一人で部屋を出て行ってしまいました。
 男の子は、お姉さんについて行くべきかどうか悩みました。
 いつもの彼ならばお姉さんについて行くことは無かったでしょう。しかし、この夜の男の子はお姉さんと一緒に『あの本』を見に行ってみることにしたのでした。

 真夜中の家は静まり返っていて、地下室に行く間二人はちょっとした冒険をしている気分でした。

 書斎の前に来た二人はあることに気がつきました。誰もいないはずの書斎の扉が少しだけ開いていて、底から微かに光が漏れているのでした。

 お爺さんがいるのかと思った二人は、扉に近づき中を覗いてみました。
 しかし、書斎には誰も居らず、机の上にランタンが一つ置かれているだけでした。
 
「『あの本』がある。」

 お姉さんが机の上に置いてある本を見つけて言いました。
 二人は誰かに見つかるかもしれないということなど忘れて、『あの本』を読むために部屋に入りました。
 机に置いてあった本は間違いなくお爺さんの『あの本』でした。皮の表紙に書かれている金色の文字は二人には読むことが出来ませんでした。
 男の子が引き寄せられるように、本に手を伸ばしかけたその時です。

「こんな夜中に何をしているんだい。」
 急に声を掛けられて二人は死ぬほど驚きました。
恐る恐る振り向いた先にいたのはお爺さんでした。

「ごめんなさい。」
 二人はとっさに謝りましたが、お爺さんは優しく笑いながらこう言いました

「さては、二人も眠れないじゃな。」

「私たち、いたずらをしていたわけじゃないんです。」

「本当だよ、お爺さん。」

「そんなことは疑ってはおらんよ。実はわしも何だか今夜は眠れなくてな。本でも読もうと思ってここへ来たんだが、これを忘れてしまってな。」

 お爺さんは上着からメガネを取り出して、掛けながら言いました。

「さて、折角二人も来てくれたことだし本を読んであげるとしよう。お月様がこんなに綺麗な夜にはそれが一番だ。どれが良いかな。」

 そう言って、お爺さんは長く伸ばした白い髭を撫でながら本棚を眺め始めました。
 お姉さんはお爺さんからは見えないように、男の子を肘で突いてそっと小声で男の子に「『あの本』はまた今度だね。」と言いました。
 
男の子は少しの間俯いて何かを考えて、それから意を決したようにお爺さんに言いました。

「お爺さん。」
 
「何だね、坊や。」

「僕は、この本を読んで欲しいんだけど。」

お爺さんは、本棚を眺めるのを止めて男の子を振り向くと、彼の眼をじっと見詰めました。男の子は怒られるかとても不安でしたが、でもお爺さんから眼は逸らしませんでした。

「そうか。この本が良いのかい。」

お爺さんは、優しいでもそれまでとは違う真剣な声でそう言いました。

「お姉さんも、それで良いかい。」

 お姉さんは目を輝かせながら「うん」というように頷きました。

「そうか。それじゃあ、二人ともそこへお座り。」

 二人は書斎の真ん中の丸い絨毯が敷いてあるところに腰を下ろしました。
 お爺さんはゆっくりと机に向かい、椅子に腰を下ろすと二人の方に向き直って言いました。

「二人とも本当に大きくなったね。もうこの本を読んでもいい頃かもしれないね。」

 このとき、男の子はお爺さんが何かを懐かしんでいるように感じました。

「二人は『アルカリオン』という言葉を聞いたことはあるかい。」

 二人は首を振りました。
 
「『アルカリオン』というのは、遠い昔アルツール王国を風と共に駆け抜けた、名も無き者達の事だよ。この本には彼らの物語が記されているんだ。」

 男の子と、お姉さんはわくわくしながらお爺さんのお話に耳を傾けました。

「さあ、今夜はこの本からどのお話をしようかな。」

 お爺さんは、その大きな手で本のページを何度か捲ると、或るところで手を止めて言いました。

「今夜みたいにお月様の綺麗な夜にはこのお話がいいだろう。」

お爺さんはゆっくりと語り始めました。
狼程、気高い獣はいない。
彼らは満月に何を見て吠えるのだろうか。

フランク・ジョヴォーダン著:「虚構分岐点・初版」序説より
 『ラ・ロッカの狼』  


 王国暦432年、冬。
 カシアス王国のグーリット州に対する侵略戦争、所謂「大侵攻」によって一時は、王国存亡の危機に陥ったアルツール王国も戦乱集結から20年を経た今となっては、「大侵攻」以前の繁栄を取り戻しつつあった。

 最もここ自由都市コインブラにおいてはその言葉は当て嵌まらない。
この都市は陸海の貿易の中心地としての役割上、例え戦乱が起ころうとも人と物が動き続ける限りはその繁栄に影がさす事は無いのである。
 
 そして、それは『アルカリオン』についても同じであった。

 年の瀬も押し迫った女神ウェルチスの月37日夜、その冬一番の冷え込みであるにも関わらず、街の至る所から絶えず歓声が聞こえていた。
 新年を祝うには少々早すぎるこの日、人々が浮かれていたのにはそれなりの訳があった。
 それは3日後のウェルチスの月40日が、「プスカシュ一世」の「聖誕祭」であると同時に「大侵攻」終結20周年を祝う大規模な式典が新王都ディス・テファノで催されるからであった。

 このコインブラにある春風亭という名の酒場でも人々は日のまだ高いうちから祝杯を酌み交わしていた。
 しかし、この中に一人だけこの世は終わりであるかのような浮かない顔をした男がいた。
 男の名前はジャック・ボーワー。アルカリオンである。

「俺は、悪くねぇ。畜生、ダンの野郎め。なあオヤジ、お前もそう思うだろ。」

「私には、分かりませんよ。お客さん、何があったんですか。一体。」

「どいつもこいつも浮かれやがって。ちょっとは俺の気にもなってみろよ。」

 春風亭の店主は、肩をすくめてその場を後にした。次から次に注文が入るのでたちの悪い酔っ払いの相手はしていられないというのだ。

 ジャックが荒れているのには訳があった。
 彼は、一ヶ月前に貿易商のダン・アクロードから貿易船の護衛を依頼された。しかし、貿易船は海賊の襲撃を受けた上、海竜にも襲われて難破してしまったのだ。何とか漁船に助けられてコインブラに戻ったジャックを待っていたのは、ダンからの莫大な借金の請求書だった。
 ダンは、貿易船の損害をその唯一の生き残りであるジャックに背負わせたのだった。

「畜生、ダンの奴め。俺に10万レアルなんて言う大金が払えるわけが無いだろう。クソッ。」

 ジャックは、目の前に置かれたジョッキを一気に飲み干すと、すかさず次の一杯を注文した。すると、後ろから忘れようとしても忘れられない濁声が聞こえてきた。

「ジャック、こっちを向け。お前に仕事を持ってきてやった。おい、ジャック聞いてるのか。」

「ジャックなんていう男は、もういねぇよ。セナの海に沈んでるぜ。」

「馬鹿な事言ってるんじゃない。美味しい仕事を持ってきてやったんだ、喜べ。」

 ジャックが振り向くと底には、いつも通りいかにも成金といった格好をしたダン・アクロードが目に入った。

「この前だってお前にそう言われて仕事を請けたら散々な目にあった上に、借金まで背負わされたんだぞ。いいか、俺は必死の思いで帰ってきたんだ、借金なんて絶対に払わないからな。」

「馬鹿を言うな。契約書にはきちんと書いてあっただろうが。それに支払うべき報酬は全て前金で支払っただろう。大体、私はお前に人選は任せるからと言って、10人分の料金を支払ったんだ。それを一人で護衛をやろうとして失敗したのはお前だろうが。」

「お前が雇った船員に海賊に通じている奴がいたから、こんなことになったんだ。責任はそっちに在る。」

「きちんと人数を揃えていれば、問題は無かった筈だ。」

 そうしていると、大柄な男がダンの肩に手を置き二人の会話を遮った。男は頭からすっぽりと緑色のローブを被っていて、その表情を窺い知る事は出来なかった。だがジャックは男の手に見慣れない刺青が施されていることを見逃さなかった。
 
「アクロードさん、私には時間がありません。揉めているならば、誰か別の方を紹介してください。」

 ローブの男の声は低く、落ち着いたものだったが有無を言わせないものがあった。

「いや、アルウィンさん。年末のこの時期に別のアルカリオンを雇おうと思ったら、それこそ時間が掛かりますよ。私はこいつに莫大な貸しがあるんです。大丈夫、直ぐに話を纏めます。」

「ダン、そいつは誰だ。」

「なんて言う口の利き方をするんだ、ジャック。この方は仕事の御依頼主様だぞ。」

「俺はまだ仕事を請けたわけじゃないぜ。」

「お前が仕事を断れる立場だと思うか。大体、もう準備は整えてあるんだ。ちゃんと相棒もな。」

「まさか、リッキーを呼んだのか。」
「そうだ。そのまさかのリッキーを呼んだんだ。今回の依頼はお前とリッキー・バスケスとでこちらのアルウィンさんをラ・ロッカ村まで護衛してもらう事だ。報酬は借金から引いておいてやる。」

「ふざけるな、俺は奴と組むのは御免だし、この仕事も請けるつもりは無い。」

 ダンは無言で懐から一枚の羊皮紙を取り出すと、ジャックの目の前に突き出した。

「この借金証明書がある限り、お前は俺の依頼を断ることは出来ない。嫌なら法王庁に訴え出ても良いんだぞ。」

「汚いぞ。ダン。」

「うるさい。お前は黙って俺が仕事持ってくる仕事をすればいいんだ。10万レアルの借金を返済し終えるまでな。」

「私からも改めてお願いします。ボーワーさん。私は一刻も早くラ・ロッカ村に住む叔父にある薬を届けなくてはならないのです。無事にラ・ロッカ村に着きましたらばアクロードさんとは別に私からも報酬をお支払いいたします。」
 ローブの男は、ジャックの前に歩み出ると頭を下げた。

 ジャックはこの時、迷っていた。依頼の内容に不自然な点はない。がしかし、アルカリオンとしての勘が言い知れない危険を感じ取っていた。
 
「分かった。俺も金は欲しいしな。それに明日の朝から馬を飛ばせばラ・ロッカ村までは高々1日の距離だ。やるよ。」

「ありがとうございます。では早速出発して頂けますか。もう一人のアルカリオンの方と馬は表に準備しています。」

「早速って、これから出発なのか。」

「アルウィンさんは一刻も早くと仰っているんだ。今すぐ出発するに決まっているだろうが。」

「分かった、分かったよ。じゃあダン、ここの勘定は宜しくな。」

 そう言うと、ジャックは傍らに置いてあった剣を手に取るとさっさと店の出口へ向かった。
 後ろからはダンの怒鳴り声が聞こえてきたが、ジャックは無視することにした。この際少しばかりダンへの借りが増えても大した問題では無いと考えてのことだった。

 春風亭を出ると直ぐジャックは振り返り、アルウィンと呼ばれたローブの大男に話しかけた。

「一つだけ良いかな。」

「何でしょうか。」

「俺は、あんたの護衛を請け負ったが、顔が分からないんじゃ、いざって時にあんたを守れないかもしれない。問題なければ顔を見せてもらいたいんだが。」

「確かに、貴方の仰る通りです。」

 ローブの大男は顔を覆っていたローブを両手で捲った。

「私はこの大陸の生まれではなくて。この顔は少々人の目を引きすぎるかと思ってこのような格好をしておりました。」

 大男の眼は緑色で肌は浅黒く、肩まで伸ばした髪からは大きな耳が突き出していた。

「あんた、エルフなのか。」

「いえ、私はハーフエルフです。やはり珍しいですか。」

 ジャックは首を振り応えた。

「このコインブラじゃ、例えあんたがハーフエルフだろうが、ハーフドラゴンだろうが特に珍しいことじゃないさ。」

 この時ジャックは、さっきの勘が当たったような気がしていた。

 そして、それは間違いでは無かった。
「ジャックさん、お久しぶり」

 相変わらずの能天気な挨拶にジャックは顔をしかめた。春風亭から出てきたジャックとアルウィンを出迎えたのは、痩身に無骨な鎧を纏い、腰にレイピアを携えて馬に跨った青年。リッキー・バスケスだった。

 かろうじて男前と呼べそうな顔立ちだが、そのニヤニヤとした笑いがそうはさせない品の無さがある。

「2年ぶりくらいですかね?そういえば最後の仕事も寒い日だった気がするなぁ。いや、ジャックさんと一緒に仕事ができてうれしいですよ。ところで、ずいぶん派手に借金したそうじゃないですか。まあ、この業界だと稼ぐのも消えるのも一瞬・・」

「リッキー、ちょっと黙ってろ。お前の馬鹿話に付き合う気分じゃない。」

 ジャックはリッキーの話を遮り、表に用意されていた黒い馬に飛び乗った。アルウィンも自分のものらしい、芦毛の馬に跨る。ジャックはその姿をちらりと横目で見やると手綱を引き、不機嫌そうに言った。

「依頼主様はお急ぎだそうだ。さっさと公路まで出るぞ」


 自由都市コインブラのあるアンチネス州は王国の全体の中心部に当たり、寒暖の激しい土地ではなかった。しかし、流石に年の暮れ、ウェルチスの月になるとかなり冷え込む。特に夜になるとなおさらであった。空には満点の星と、真円を描こうかという月。その青白い光が寒さに混じり、肌に突き刺さるほどである。

 アルツール王国には国土中央を東西に大陸公路が走っている。コインブラは公路の中継地点に当たり、ラ・ロッカまでは公路を東に半日、そこから南下して森に入り半日、といった道程になる。公路を進んでいる間は夜であろうと、さほどの危険はないだろう。

 ジャック達は馬を早足で駆り、夜のコインブラを出立したのだった。


「しかしこんな年の瀬の寒い日にわざわざ夜から旅行とは、随分とお急ぎなんですねぇ。いや、それが悪いとかどうではなくて、ですけどね。それにしても深い森ですねぇ・・・昼間だというのに随分と暗い・・・」

 3人はすでに公路から森へと入り、木々を避けながらゆっくりと馬を歩かせていた。道中は半日以上を経過し、出発翌日も正午を過ぎた頃になっていたであろうか。リッキーはその間、ほとんど休みなく喋り続けていた。アルウィンは始めのうちはしばらく相手にしていたが、すでにいちいち相槌を打つのを止めていた。ジャックに至っては忌々しげな表情を時に浮かべるだけで、一切、口を利いていなかった。

(全く、鼻持ちならない野郎だ。馬の糞でも詰め込んで、あの軽い口をちっとは重くさせてやりたいもんだな)

 リッキーはジャックより10歳ほど若く、アルカリオンの中でも年少の部類にあたる。しかしながら、剣の腕も立ち、頭も切れる。見た目とは裏腹に度胸も据わっている、とのことで頭角を現してきた男だ。アルカリオンには出自や経歴を特別な事情なく聞かないことが暗黙のルールのため、定かではないが、貴族の家庭から家出した放蕩息子だ、という噂もあった。

 ジャックがリッキーを良く思わない理由は喋り過ぎる以外にもあった。ジャックが過去に行った仕事で、依頼自体は遂行したにも関わらず、依頼主が死亡したなどにより報酬を受け取れなかったことが3回ほどあった。内、3回が3回、リッキーと組んだときだった。

 アルカリオンの仕事は危険を伴うことが多い上に、基本的に依頼主を選ばない。そのため、ジャックも多くのアルカリオン同様、前金で仕事をすることが多い。後払いで仕事を請け負うことはよっぽど相手に信用がおける場合だけなのだ。

 にもかかわらず3回も取りっぱぐれがあると、これはリッキーが不運を運んできているとしか思えない。

 そんなことを考えていると不意にジャックの勘が再び告げた。昨夜感じた言い知れぬ悪い予感。いや、それは予感よりももう少しハッキリとした「気配」だった。昼間にもかかわらず薄暗い森の影に何か邪悪なものを感じさせたのだった。

「止まれ」

 ジャックが口を開いた。リッキーも何かを感じ取ったか、いつの間にか口をつぐんでいた。ジャックとリッキーは依頼主であるアルウィンを前後に挟み、それぞれ腰の剣の柄を掴んだ。
「何かいるな。」

 ジャックが辺りを見回す。ガサガサと草を分け入る音が僅かに聞こえる。

「アルウィン、あんたはとにかく動かないことだ。そして怯えた馬を抑えること、これに専念してくれ。不用意に動かれたら守れるもんも守れなくなるからな」

 アルウィンは無言で頷く。表情には怯えが見て取れる。

 妖しげな気配は、始めリッキーの側から近づいてきていた。一体ではない。何かが複数動く音をジャックは感じ取っていた。そしてその音は速度と音量を上げて一気に距離を詰めてくる。

「来るぞ!」

 ジャックが声を上げた。瞬間、まずリッキーの右側面から影が飛び出す。リッキーはレイピアを抜き放った。アルウィンの馬が立ち上がり、いななく。

 飛び出した影が至近距離まで近づきすぎたか、リッキーはレイピアの柄で影を殴りつけた。

 次の瞬間、今度はジャックのいる側の茂みから影が飛び出した。ジャックもリッキーと同じく剣を抜き、刃で影を叩く。手応えはあったが浅い、ジャックは舌打ちした。

 ジャックとリッキーは馬に乗ったままアルウィンを挟んで互いの距離を縮める。影は2体とも地面に落ちたが身を翻し、その姿をジャック達に晒した。

 狼だ。

 ただし通常の狼より明らかに大きい。小柄な成人男性くらいの体長はあるだろうか。目は赤く爛爛と光り、低く唸り声を上げていた。

「こいつはデカい。この辺りだとこのくらいの奴が割りと多いんですかね?アルウィンさん」

 リッキーが尋ねたが、返事は期待していなかったようだ。

「あまり、血の匂いを付けたくはないが。仕方ないだろうな」

 ジャックは呟いた。森の中で血の匂いをさせるのは危険だ。肉食の魔獣に次々と襲われるのは厄介だからだ。

「リッキー、そっちのはしっかりと仕留めろよ」

 ジャックとリッキーは下馬し、それぞれが狼と向かい合う。二人は自分に意識が行くように狼を煽りながら時計回りに移動を始める。怯えた馬が鳴き声を上げる。

 それを合図としたかのように狼が鋭い牙を剥き、ジャックに飛び掛った。

 喉を狙っている!

 ジャックは素早く身をかわし、狼の後ろへと回り込む。そして両手に渾身の力を込めて、剣を振り下ろした。狼の体は前後に真っ二つに裂け、鮮血が迸る。

 狼の前半身はしばらくピクピクと動いていたが、やがて動きを止めた。

 ジャックがリッキーを見やると狼が大きく開けた口にレイピアを突き立てた瞬間だった。

「やれやれ、まともな森じゃないな」

 ジャックは布で剣についた血を拭き取りながら溜息をついた。

「野生の狼にしては喉を狙ってくるのは驚きましたね。普通は獲物の脚を狙って、まずは動きを止めるのが普通ですから。何より巨大過ぎる。」

 そうなのだ。リッキーの言う通り、見た目は確かに狼だが、ただの野生の狼とは違う。この辺り特有の種類なのだろうか。

 ジャックは疑問に思いながらも、剣を収め、再び馬に乗る。

 その時、アルウィンが叫んだ。

「危ない!」

「うわああああ!」

 アルウィンの声とほぼ同時にリッキーの叫び声が響く。

 馬に乗ろうとしたリッキーの左腕に狼が鋭く牙を立てぶら下がっている。狼には後半身がない。先ほどジャックが仕留めたはずの狼だ。

 ジャックもリッキーも動揺を隠せなかった。

「くそっ!なんだこいつは!」

 ジャックは悪態をつきながら剣を抜く。リッキーは左腕を振り回すが、狼は離れようとはしなかった。むしろ牙をさらに食い込ませているようだ。

「じっとしてろリッキー!」

 ジャックの剣が狼の脳天に突き刺さる。

 グルル、と狼は弱々しく唸り、リッキーの腕からボトリと落ちた。
「一体何なんだ、こいつらは。」

 アルカリオンとして、数々の経験を積んで来たジャックでも、ここまでしぶとい“唯の狼”は初めてだった。
 しかし“唯の狼”で無いとすれば、ここまでしぶとい事にも納得が行く。 
 
 ジャックは、改めて狼を見た。 

「グッ、グゥゥ。」

 リッキーに下半身を切り落とされ、ジャックの一太刀で眉間に大きな穴を穿たれて尚、その狼はまだ息をしていた。

「グシャ。」 

 鈍い音を伴ってジャックは、もう一度狼の頭にトドメの一撃を見舞った。
 狼の頭はもう原型を留めてはいない。

 「やっと死んだか。」

 獲物の喉を狙い、胴体を真っ二つにされても生きている狼などは存在しない。存在するとすれば、それは何らかの目的で強化され、訓練されたた狼。
 ジャックは思った。「こんなところに一体何故。誰が何の目的で。」
 
 「バスケスさん、傷を私に見せてください。」 

 「大丈夫ですよ。こんな傷くらい。こんなので痛がっていたらジャックさんに殺されちゃいますよ。それに依頼主に助けてもらったなんて知られたらアルカリオンの仕事なんか二度と来なくなっちゃいますよ。」

 アルウィンの言葉にジャックは思考を中断した。
 振り返ると、リッキーの傍にアルウィンが立っていた。リッキーは狼に咬まれた左腕を押さえ、声にこそ出さないが、その顔は苦痛に歪んでいた。
 ジャックは、自分が今しなくてはならない事を忘れていた事に気づいた、今は負傷者の状態を確認する事が先決だった。
 この先に何が待ち受けていようと、リッキーの力は今回の依頼を遂行する上では絶対に必要だった。

 「僕としたことが、油断しちゃいました。すいません、ジャックさん。こんなことは滅多に無いんですがね。こんなドジを踏んだのは3年前にオシムでモントローズ伯爵家から奪われた『星霜の指輪』を取り戻す仕事を請けたとき以来ですよ、そういえばあの時もジャックさんは一緒でしたよね。」

 「リッキー、良いから少し黙ってろ。傷口が開くぞ。」

 「リッキーさん傷口をを出してください、少しならば私も回復魔法の心得があります。」

 「いやぁ、でもですね、これはプライドの問題って言うかですね。」

 「いいから見てもらえ、リッキー。今は傷を癒すのが先決だ。これからまたあんなのに出くわすとも限らないんだぞ。」

 リッキーは渋々と言った様子で、左腕をアルウィンに差し出した。裂けた皮膚から流れ出る血の量が傷の深さを物語っていた。
 アルウィンは顔を覆っていたローブを捲り、差し出された腕の前に自分の両手を突き出し、何事か唱えながら今度はその両手で複雑な印を結んでいった。
 するとアルウィンの両手に彫られた刺青が鈍く輝き続いて、リッキーの傷口が同じ様に光り出した。そして、徐々に傷口が塞がっていく。
 リッキーの顔から痛みの表情が消えて行く。

 「これで、取りあえずの応急処置は出来ました。しかし、私程度の術では止血位にしかなりません。ラ・ロッカ村に着いたらもっときちんとした処置を受けて下さい。」

 アルウィンは、額にうっすらと汗をかき、その声には疲労の色が窺がえた。

 「これで、十分ですよ。もう痛みなんて全く無いですし、さっきより良くなったんじゃないのかな。やっぱり魔法は凄いですね。いやぁ本当に。」 

 リッキーはしきりに左腕を振り回しながら、大げさに回復振りを表現していた。

 馬に戻ろうとするアルウィンをジャックは呼び止めた。 
「助かった、リッキーはああ見えて剣の腕は確かな奴だ。ここで使い物にならなくなってたら、厄介な事になっていた。雇われた身分でなんだが礼を言わせてもらう。」

 「そんな事はありません。命を助けて頂いたのは寧ろ私の方です。それより今は先を急ぎましょう。また先程の様に狼に襲われては厄介です、早くラ・ロッカ村に行かなくては。」

 「そうだな。あんたの言う通りだ。それから…」

 「何でしょうか。」

 「いや。今度襲われたら、あんたとリッキーは馬を飛ばして振り切れ。俺が殿を勤めるのでそのつもりでいてくれ。」

 「分かりました。」

 アルウィンの言葉には、疲労よりも焦りが表れていた。

 ジャックはアルウィンにあの狼について尋ねるようとしたが止めた。
 アルウィンがあの狼に何の疑問も抱かなかったのには理由があるのに違いが無かったが、尋ねたところでその答は聞けないだろうと判断したのだ。
  
 狼についての情報は確かにこの段階で集められるだけ集めておきたかったが、ジャックがアルカリオンの仕事に就いて学んだ事は余計な詮索は命取りになるという事だった。
 今やるべきは、アルウィンをラ・ロッカ村へ無事に連れて行く事。アルカリオン、ジャック・ボーワーの仕事は唯それだけであった。

 ジャックは天を仰いだ。
 深い森の中、ついさっきまでは木々の間から何とか顔を覗かせていた太陽は、今は雲に隠れていた。

 「天にも見放された、か。」

 ジャックは一人ごち、馬に跨りラ・ロッカへと急いだ。


 「アルウィンさん。もうすぐラ・ロッカ村ですよ。一時はどうなるかと思いましたが、やっと到着ですね。そうだ、村に着いたらまずは食事にしましょうよ、ジャックさん。もう夜ですし、村に泊まるんでしょ。アルウィンさんもご一緒に食事は如何ですか。でもやっぱり先に叔父さんに薬を届けなくちゃならないんでしたよね。こんな山奥に暮らしていたらやっぱり不便ですよね。」
 
 公路から森に入って半日と少し、狼に襲われたにしては、一行はほぼ予定通りにラ・ロッカ村へ到着しようとしていた。
 襲撃の後、リッキーは相変わらず喋り続けていた、腕を化け物の様な狼に食いつかれたことなど嘘の様に。
 (偶には、アイツの軽口も偶には良いものだな。)
 いつもは只煩いとしか感じなかったリッキーの軽口も、この時のジャックには少しだけ有り難かった。頭の隅に巣食った不安感は拭い去れないが、リッキーの軽口を聞いているとそんなことなど自分の杞憂に過ぎないのだと思えなくも無かった。
 
 雲に隠れていた太陽ももうだいぶ前に大地に沈んでしまっていた。昼間から薄暗かったこの森はもう漆黒の闇へと変わり、松明の灯だけが道を照らしていた。
 警戒していた狼の襲撃はその後一度も無く、日が暮れてからも一行は順調にら・ロッカ村への道を進んで来た。
 ジャックが有り難いと感じたのはもう一つある。それは、天候が持ってくれた事だった。
 半刻前から風向きが変わり、多分に湿気を含んで来ていた。
 もし雨の中あの狼に襲われたとしたら、悪路の中馬で振り切ることは出来ない。
 何よりどんなに警戒していても雨に紛れて接近され、不意を衝かれたらば最悪の事も考えなくてはならなかった。

 (『天は未だ我を見放さず』か。)

 ジャックは有名な『プスカシュ一世』の言葉を思い出していた。 
「ああ、あの大きな杉の木を曲がればもうラ・ロッカですよ。アルウィンさん、ジャックさん、やっと到着ですね。長かったですね。流石に殆ど一日中馬に乗っているのは疲れましたよ。」 
  
 「何とか無事に到着出来たらしいな。確認したいんだが、アルウィン。あんたを護衛するのは村までで良いのか。それとも薬を待ってるあんたの叔父さんのところまで言った方が良いのか。」

 「村までで結構です。叔父の家は村はずれですが、そこまで付いて来て頂く必要はありません。それから村に着いたらばすぐに報酬をお支払い致します。私は数日叔父の下に滞在する予定でおりますので、お二人は私に構わずお戻り下さい。この事はアクロードさんにも伝えてあります。」

 「了解した。」

 ジャックは短く答えた。

 「僕は先に行って、馬止めを探してきますよ。それじゃ。はっ。」
 
 巨大な杉の木の前まで来た時、リッキーはそう言って馬の歩を早め、先に駆けていった。

(長い一日だった)

 ジャックはしみじみとそう思った。


 時間を考えれば当然だが松明が照らし出したラ・ロッカ村は、森の中と何ら変わらない暗闇と静寂が支配した場所だった。
 何処にでもある何の変哲も無い家々、昼間は村人達で賑わったのであろう広場。

 先に来ているはずのリッキーの松明は見えなかった
 
 「あいつめ、何処まで行ったんだ。」

 ジャックは馬から降り、あらためて周りを見回した。
 見えるのは無機質な建物ばかり。ネズミ一匹の気配さえしない。本当の静寂、湿気を含んだ風だけがジャックの頬を撫でた。

 或いは、平時のジャック・ボーワーならば静か過ぎるこの村の雰囲気に異常なものを感じ取ったかもしれない。しかし、この時のジャックは疲れと、安心感とでほんの少しだけその感覚を鈍らせていた。
 ジャックが報酬を受け取る為、アルウィンに近づいた時、前方からリッキーの叫び声が聞こえてきた。

 「ジャックさん、気をつけて。この村は奴らの住処になってますよ。」

 ジャックは始めリッキーの言っている意味が理解できなかった。

 (奴らの住処だと、一体リッキーは何を言っている…)

 ジャックがここまで考えた時、背中に感じた異様な殺気でその意味は全て理解出来た。
 背中に感じた殺気が猛烈な勢いでジャックに襲い掛かってくるのと、彼が腰の剣を引き抜いたのは同時だった。
 襲い来る殺気に対してジャックは反射的に剣を振り下ろした。
 
 ジャックの右肩に強烈な衝撃が走る。
 (手応えはあった、だが浅い。)

 ジャックは、すかさず振り向いて襲撃者の第二撃に備えつつ、当たりの気配を探った。だが、襲撃者は完全に暗闇に紛れてしまっており、もう殺気も消えていた。

 (見失ったか。手ごたえからいって今の奴は昼の狼より遥かに巨大なはずだ。こいつはいよいよヤバイかもな。…アルウィンは、どうした。)

 一瞬とは言え、護衛しなくてはならないアルウィンを完全に意識の外に置いてしまった事にジャックは自分を責めた。
 
 「アルウィン、大丈夫か。」
「はい、私は大丈夫です。ボーワーさん。今のは…」

 「ああ、昼間の奴だ。ただ、はっきりと見たわけじゃないが大きさは昼間の奴の二倍はありそうだがな。」

 この時になって、ジャックは自分の肩に鈍い痛みが走っている事に気づいた。
 叩き落とすように、斜めに剣を振り下ろしたが、完全に攻撃をかわし切るには至らなかった。動き安さを重視してジャックは鎧の肩当を外しているが、この時はこれが仇となった。
 が、あの衝撃をまともに受けては生半可な鎧などはその用を成さないであろう事は容易に想像出来た。

 「ジャックさん、アルウィンさん大丈夫ですか。」

 駆けつけたリッキーの言葉にいつもの陽気な軽さは無かった。

 「俺も、アルウィンも大丈夫だ。お前はどうしてたんだ。」

 「僕は村に入った時、人影が見えたような気がして、ちょっと奥に入ったら急に襲われてしまって。」

 「馬は。」
 
 ジャックが尋ねる。

 「馬も、松明もその時。」

 「そうか、しかしお前が無事でよかった。」

 「なんだか、ジャックさんにそんなこと言われると照れますね、へへ。」

 そう言って、リッキーは鼻を掻いた。その顔にはまだまだ幼さが残っている。 

 「ともかく、ここにいるのはまずい。アルウィンあんたの叔父さんの家はここからどのくらいだ。」
 
 「村を出てすぐです。しかし…」

 アルウィンは馬を降りながら答える。そしてゆっくりと続けた。 

 「遅かった、間に合わなかった。」

 ジャックは、もちろんリッキーにもこのアルウィンに返す言葉は無かった。
 
 立ち尽くす三人に追い討ちを掛ける様に、それまでの静寂を破り一気に嵐のような雨が降り始めた。

 最初に口を開いたのは、ジャックだった。

 「とにかく、どこか雨を凌げるところに移動だ。このままでは危険すぎる。松明が消えたらそれで俺たちは目を失う。」

 リッキーはアルウィンの肩を抱くようにして、一番近い家に向かって歩き始めた。ジャック剣を構えながらその後に続く。
その家に人の気配は無かった。見渡す限り何処にでもある農家だった。
 今までは誰が居たかの様に、テーブルには食器が、椅子には縫い掛けの衣類がそのまま無造作に置かれていた。

 アルウィンは家に入るとその場に力なく座り込んでしまった。
 リッキーは休むことなく、手近にあった燭台の蝋燭に松明の火を移した。

 「ジャックさん、肩の傷を見せて下さい。止血をしましょう。」

 入り口の扉を向いたままジャックはリッキーの言葉を無視して、アルウィンに問いかけた。

 「俺は仕事に関係ない事を色々と詮索する質じゃないが、こうなっちまったら聞かせてもらう。ここを生き残る為には、少しでもあの化け物の情報が欲しい。あんたはそれを知っているはずだ。」

 リッキーも黙ってアルウィンの言葉を待った。

 雨音だけが激しさを増し、言いようの無い空気が三人を包んだ。
 
 ジャックがもう一度口を開きかけた時、アルウィンは静かに話し始めた。

 「『大侵攻』の時の話です。カシアス王国の圧倒的な戦力にアルツール王国は決定的な打開策を打ち出せないでいました。その理由の一つはカシアス王国の軍隊の構成にありました。」

 「カシアスが魔術師を軍隊に組み込んでいた事は、この国じゃあ3つの子供でも知っていますよ。それにアルツールの正規軍が何度も辛酸を舐めさせられた事だって、有名な話ですよね、ジャックさん。」

 「リッキー、黙って聞いてろ。」

 「では、そのカシアス魔法軍団をアルツールがどうやって打ち破ったかはご存知ですか。」

 「それは、突破不可能と言われたグーリットの州都クライフ包囲戦を東部の猛虎と呼ばれたロブ・ヴァンダム将軍が見事に勝利して、それからはアルツールの連戦連…」

 「国境までカシアスを押し返し、停戦条約が結ばれた。確かに史実ではそうなっています。しかし、事実は違います。クライフ包囲戦をアルツールが勝利した本当の理由は、アルツールがカシアスの魔法軍団に対抗して戦場に投入した『魔造兵士』にあるのです。」

 「『魔造戦士』それは一体何なんですか。」

 雨音が増す。最早家の外は完全な嵐だった。

 「お前が届けたい薬は『セギノール』なのか。」

 ジャックがアルウィンに聞いた。
 アルウィンの薬は『セギノール』だとすれば、ジャックには聞き覚えがあった。 
 アルウィンは答えなかったが明らかな動揺があったように見える。ジャックは質問を続けはしなかったが、回答を得たのと同じと得心した。

「成程。概ねはわかった。となれば、何としても“セギノール”を届けきらなきゃならんようだ」

 ジャックはアルウィンにそう言ったがアルウィンは目を伏せている。

「元々の任務は村まで、ってことで、報酬はここでもらっておくことにするさ。ここでおさらば、でもいいんだが、折角の報酬も自分たちが帰還できなきゃなんの意味もないんでね」

 リッキーが怪訝そうな顔を向ける。

「どういうことです?『魔造兵士』ってなんですか?セギノールって?」

 ジャックはそれを受け流す。

「とにかく、ここを突破するのが先だな。アルウィン、目的の家は村はずれだってことだが、道はわかっているんだろうな?」

 アルウィンが狼狽しながらも答える。

「は・・・はい。わかります・・・ただ、この暗さでは・・・明かりさえあれば、なんとでもなるとは思いますが・・・」

 アルウィンの回答は最もだった、がジャックには考えがあった。

「リッキー、台所に油があるか探してきてくれ、その間、天気が少しでもましになることを祈るしかないな」


 リッキーが家の奥に入り、ジャックとアルウィンが二人になる。アルウィンが恐る恐るジャックに尋ねた。

「ボーワーさん・・・あなた、一体何故・・・」

「なんてことはない。俺はクライフの出身だ。それに『大侵攻』にも出てるんだ。乳の匂いも抜けない青二才の一兵卒だったがね」

「そうでしたか・・・では、『魔造兵士』のことも・・・」

「詳しく知っているわけじゃないがな。『魔造兵士』は魔力を吸収して無効化するが、結構な副作用があったって奴だろ。精神が暴走したり、魔獣を引き寄せたり・・・まあ、これを知ったのも実際はこの仕事を始めてからだが」

「はい。そしてそのためのセギノールでした」

「終戦直前に一度、本営に“セギノール”を届けさせられたことがあった。だが、『兵士』達はあの時に全て・・・まさか20年も経ってから・・・」

 アルウィンはジャックの顔を見やり、諦めたように深く溜息をついた。

「『兵士』は数人が残されました。可能な限り後の人生を保証する、いうのが魔道院の言い分ですが、当然研究のためです。ですが、そこから逃げ出したのが・・・今回、お願いした、目的の人物です」

 ジャックは更に尋ねようとしたが、思い留まり、小さく「やれやれ」と呟いた。その声がアルウィンに届いたかはわからなかった。

(これ以上の詮索は身を滅ぼすかな・・・)

「先ほどの獣は『彼』の護衛でしょう」

「だろうな。余程訓練されて、改良されている。まともにやりあえる代物じゃない。だが、人の手が入ったものであれば・・・」

 ジャックは右の拳を左の手のひらにパチンと当てた。

「頭を押さえればそこまで、ってことだ」
 どれほどの時間が経ったであろうか。嵐のようだった雨は勢いを弱め、霧雨になってきていた。森は依然、完全なる闇を保っている。その闇の中に薄っすらとした光が2つ、そして4つ、更には無数に広がり、ジャック達の小屋の周囲を取り囲んだ。

 光の主である巨大な獣達はグルグルと唸り声を上げ、円の直径を縮めていく。そして、遂にその一頭が小屋の扉に体当たりを仕掛ける。扉がミシミシと音を立てる。

 その時だった。

 小屋からパチパチと弾けるような音が発される。扉の隙間からは細く煙が上がった。獣達は一瞬怯み、じわりじわりと後ずさる。

 小屋は燃えていた。

 しばらくの間、小さな音のみであったが、それはほどなく小屋全体を爆ぜる音に変わり、真っ赤な炎が森を照らした。

「今だ!行くぞ」

 小屋の中からの叫び声。3つの影が炎の中から飛び出す。最も扉の近くにいた獣の一頭の首元から血が噴き上がる。先頭に飛び出したリッキーのレイピアの切先が走ったのだ。

「一気に抜けろ!」

 ジャックが大声を上げた。リッキーを先頭に次いですぐのところをアルウィン、最後尾をジャックが駆ける。

「しかしジャックさん、随分と大胆なことをしましたね。小屋ごと燃やしてしまうなんて」

「いくら訓練されても獣だ。本能で炎を恐れる。それに真っ暗闇じゃ進むにも進めないしな。一石二鳥って奴だ」

 小屋を燃やす炎は深い闇を照らしていた。それは少し離れれば心許ない程度のものではあったが、完全な闇には程遠かった。

「山火事になってしまいませんかね?」

 リッキーが冗談めかしてジャックに尋ねる。ジャックは真顔で答えた。

「この雨だ。油まみれの小屋なら燃やせるだろうが、森まで燃えちまうこともあるまい」

「もう少し!あの奥です!」

 アルウィンが走りながら暗がりを指差す。

「うっ!」

 その時、ジャックが呻きをあげ、その体が右側に飛んだ

「ジャックさん!」

「構うな!アルウィン、行け!リッキー援護しろ!」

 左手から回り込んだ獣の一頭がジャックの死角から飛び掛ったのだ。ジャックは今度は左肩を強打し、両腕をやられた格好となった。

 ジャックを獣が追撃する。だがそれを間一髪で飛び込んできたリッキーが阻む。リッキーの剣先が獣の鼻先を切り裂いた。獣は怯み、一旦後ろへと飛び退く。

「流石に・・・まずいな・・・」

 ジャックが呟く。それは肩の怪我のことだけではなかった。遂に追いついた獣達がジャックとリッキーを囲み始めていた。
(6・・・いや、8頭はいるか・・・?)

 ジャックとリッキーはどちらからともなく背中を合わせ、死角を消す。ジャックの右手側から一頭、同じくリッキーの右手側から一頭が二人に跳び掛かる。

 二人は瞬時に、そして同時に身をかがめる。二頭の獣は二人の頭上でぶつかり合い、縺れて地面に倒れこんだ。ジャックとリッキーはそれぞれの刃を獣の首元に滑り込ませる。

「まともに剣が振れますか?ジャックさん」

「ふん。腕は上がらんが横に振る分にはなんとかなるだろ」

 すぐさまに第二陣が襲い掛かる。今度はジャックの左右から二頭、ジャックは言葉通り剣で真横に一文字を描く。一頭の両目付近が切り裂かれた、がもう一頭を逃した。

 ジャックは反射的に左腕で喉元を防御したが、獣はそのまま左腕に牙を食い込ませた。

 リッキーがすぐさまに振り向きジャックの左腕に食いついた獣の首を切り落とした。だが今度はリッキーの背後から次の獣が飛び掛る。

「うわっ!」

 リッキーは背後を強襲され、地面にうつ伏せに倒れ込んだ。その上に巨大な獣がのしかかった。リッキーの両腕は獣の前爪に押さえ付けられた。

「くそ!」

 ジャックがリッキーを襲った獣に、切りかかる。だが更に後ろから別の獣が飛び掛り、ジャックは仰向けの状態に押さえつけられてしまう。

(まだか・・・!アルウィン!)

 獣は目を爛爛と光らせている。裂けた口から白い息が立ち昇った。

 鋭い牙だな。ジャックはどこか冷静にそんなことを思った。

「ジャックさん!!」

 リッキーが悲痛に叫んだ。ジャックは静かに目を閉じた。


「うおおおおおおお!」

 突然、森の奥から叫び声が響き渡った。

 ジャックは自分の体にかかる体重がふいに軽くなるのを感じ、目をゆっくりと開いた。

 獣達が退いていく。リッキーも既に解放されていた。

 一頭の獣が遠吠えを上げた。残った数頭の獣達がそれに続くように遠吠えを上げる。そして身を翻すと、森の奥へと走り去っていった。

 気がつくと雨は既にやんでいた。ジャックは苦痛に顔を歪めながら立ち上がった。

「ジャックさん・・・これは・・・?」

 リッキーはアルウィンが消えた方向に追いかけようとした。

「待て、リッキー。行かなくていい」

「え・・・?でも・・・」

「無事に届けられたんだろう・・・俺たちの仕事は終わりだ・・・」


 雲間から月が出ていた。頼りない月明かりを頼りに、ジャックとリッキーは来た道を戻っていく。

「どうして獣達はいなくなっていったんでしょう?ジャックさん、何か知ってるんでしょ?」

「“セギノール”ってのはエルフにだけ効く強烈な毒薬だ」

 リッキーは絶句した。

「じゃあ・・・アルウィンさんが届けたのは・・・」

「そういうことだろうな。あとのことは知らんし、お前は口が軽いから喋る気にもならん。とにかく疲れたな。とにかく休めるところまで出たら酒でも飲んでゆっくりと寝る」

「なんですか!その意味深な話は!教えてくださいよ。『魔造兵士』ってなんですか!?」

 リッキーが後ろから矢継ぎ早に質問を飛ばしていたようだが、ジャックはそれを完全に黙殺した。

 月明かりは徐々に強さを増した。

 狼の遠吠えが聞こえた気がしたが、ジャックは気のせいだったかも知れない、と考えていた。




『ラ・ロッカの狼』 了
「さて、このお話はこれでお終いだ。どうだったかな?」

 お爺さんは静かに本を閉じると、優しい声で二人に声をかけました。お姉さんがお爺さんに尋ねました。

「ねえ、お爺さん。ジャックとリッキーはその後、どうなったの?」

 お爺さんは「ほっほ」と、笑い、答えました。

「さぁ、どうなったんだろうねぇ。彼らの話はここでお終いなんだ。そうだなあ、きっとこの先も色んな不思議な冒険をしたんじゃないかな」

 お爺さんは続けます。

「でもジャックもリッキーも、彼らだけじゃない。アルカリオン達が物語の後にどんな冒険をしたのか、それは誰にもわからない。アルカリオン達は皆、『刻まれざる者』達なんだよ」

 お爺さんは言います。二人は不思議そうな顔でお互いの顔を見やりました。

「ほっほっほ。少し難しかったかな。彼らは誰より多くの冒険や事件を知っているが、決して歴史には名を刻まない。きっと自分たちの人生を自分たちのために生きたんだろうね」

「お爺さん、他のお話もあるの?」

 お姉さんが再び尋ねます。

「ああ、勿論さ。アルカリオンの物語は一杯ある」

「もっと。もっと聞きたいよ」

 男の子がせがみました。

「おやおや。そうかい。じゃあ、またお話を読んであげよう。でも今日はもう遅い。今日はもうおやすみ」

 お爺さんは優しく二人の頭を撫でます。二人は少し残念そうな顔をしながらもうなずきました。

「おやすみ。お爺さん、明日もきっとだよ」

 男の子が念を押します。お爺さんはにっこりと微笑んで応えました。

 お姉さんが男の子の手を引いて寝室に戻っていきます。

 お爺さんは二人の姿が見えなくなるまでじっと見送り、本を再び本棚へと仕舞いこみました。

 そして揺り椅子に深く腰掛け、静かに椅子を揺らし、ゆっくりと目を瞑ったのです。
それはある日の昼下がり。

 陽気な午後の日差しを受けながら、お爺さんはいつものテラスのいつもの揺り椅子で、読書とも午睡ともとれる曖昧な時間を過ごしています。
 お爺さんがふと目を上げると、男の子が家に向かって歩いてくるのが見えました。

「おや・・・?」

 お爺さんは不思議に思いました。いつもなら男の子が帰ってくるときは元気よく駆けてくるはずだからです。
 それに今日はどうも男の子の表情が曇っているように見えました。男の子はとぼとぼと、門をくぐりました。

「おかえり」

お爺さんは笑顔で声をかけました。

「・・・ただいま」

「せっかくのお天気なのに今日はどうしたんだい?」

 男の子は逡巡し、お爺さんに言いました。

「今日、学校でいじめられている子がいたんだ。」

「?」

「僕、助けてあげたかったんだけど、いじめていた奴、大きくて強くて・・・僕、怖くて何もできなかったんだ・・・」

 男の子はポロポロと泣き出しました。お爺さんは男の子の頭にそっと手をおきました。

「坊や、騎士は好きかな?」

「え?」

 唐突な質問に男の子は戸惑いました。

「好きだよ。お爺さんのお話に時々出てくるよね」

「騎士には騎士道、というものがある。騎士は勇気を持って、弱いものを守るために戦うことを良しとするんだ」

「でも・・・それは騎士が誰にも負けないくらい強いから・・・」

 男の子はうつむきました。

「勇気とは打算なきものだよ。相手の強さによって出したり引っ込めたりするのは本当の勇気じゃあない。それに騎士だって強いから騎士なんじゃない。騎士道をしっかりと守るからこそ強くなるんだよ」

 お爺さんは優しく言いました。

「良かったら地下室で『アルカリオン』のお話でもしよう。さあ、お姉さんを呼んでおいで」
『人の生というものはあらゆる規範から離れ、もっと底抜けに自由であっていいはずだ』

外典 チェリオスの福音 第2章 第23節より

『我が栄光の蒼翼騎士団』

 かつて『蒼翼騎士団』と呼ばれる者たちがいた。

 彼らは王都プスカシュに駐屯し、国王を護衛することを役目とする、いわゆる親衛隊であった。

 騎士団の成り立ちは、王国歴188年、時の国王、ネイマール2世の治世において、王室の権勢を誇示するため、各騎士団の中から選りすぐりを集めた部隊であった。

 そのため、当時は儀式的な色合いが濃いものではあったが、入団自体がエリートの証であることもあり、以降その権力を強めていき、200年代には騎士における花形部隊として、その性質を変え、定着していくことになる。

 彼らは白銀の甲冑に身を包み、その兜には鮮やかな青の羽飾りがあしらわれていた。

 正式には『王室騎士団』と言う名の彼らが『蒼翼騎士団』と呼称された所以である。

 時は過ぎ、王国歴238年。コークスの月、22日、深夜。

 王都プスカシュにおいてもかねてより続く長雨はその夜も降り続き、蒸し暑い夜だったと伝えられている。

 その日、一人の賊が国王ノイアー1世の寝所へと侵入した。賊は床に就いていたノイアー1世に斬りかかったが、その夜たまたま寝付けずにいた国王がかろうじて抗った。

 狂人から逃げ惑う数瞬の後、寝所に護衛の蒼翼騎士団員が到着、暴れる賊を取り押さえるにいたった。

 賊は四肢を抑えつけられながら、奥歯に仕込んだ毒を煽り、そのまま事切れた。

 ノイアー1世は左手首を切断される重傷を負い、この事件から2年後に崩御した。享年44歳であった。

 死因は公式には「病死」とのみ記録されているが、このときの傷が元で健康を害していた、とも言われている。

 この王城における国王の弑逆未遂事件、という前代未聞の不祥事を受け、王室の警護を担当していた「蒼翼騎士団」の団長を始めとした幹部5名、及び当日の警備担当騎士ら10余名が即日自害を命じられた。

 後、ほどなくして「蒼翼騎士団」は解散となる。発足からちょうど50年の節目を迎えた年のことである。

 事件後、暗殺者の自害もあり、その正体、及び背後関係はようとして掴めず、未解決のまま次王の治世へと移ることになる。
 


 世に言う『真夜中の謁見』事件である。
王国歴258年、秋。双子の神であるポカリスとカルピスの月の丁度移り変わりの時期であった。
 騎士団への入団を来春に控えたラキは見習いとして行軍演習に参加していた。演習はスコラーリから大陸公路を東進、グーリット州都クライフまで行軍の後、帰還する道程であり、これは貴族学校の学業の一環でもある。

 2か月近くに及ぶ演習も終盤となり、騎士たちには自由都市コインブラにて3日間の休暇が与えられた。
 休暇は勿論ラキにも与えられたが、若い見習い騎士の彼にとっては覚えた遊びがあるわけでもなく、この2か月のことを思い起こしながら当てもなく市場をぶらぶらと散策していた。
 
 ラーカイム・ヴィラドルジャ。それが正式な彼の名前である。周りの者は彼をラキ、と呼び、彼自身もまた、その呼び名を好んだ。
 ラキはアンチネスに領を持つ貴族の名門、ヴィラドルジャ家の三男であったが、平民の母を持つ庶子であった。
 彼の父、ラファエル卿は王国内で強い影響力、発言力を持つ大物であると同時に高潔な人物としても知られ、庶子であるラキを区別することなく、嫡男である長男、次男と同様の教育を施した。
 これは当時の貴族の行いとしては相当に異端である。ラキは兄達同様、貴族学校に通い、卒業と同時にラファエル卿の麾下である騎士団へと配属される。選ばれた者の道を約束されていたのである。
 
 騎士となることと騎士道を守ることは彼の全てであった。尊敬すべき兄への憧憬、そして庶子である自分を隔てなく育ててくれた父への恩返しでもある。
 騎士とは清廉で豪胆であること、全ての騎士はそうであることを信じて疑わなかった。
 だが、現実はそうではなかった。演習に参加したラキを取り巻いたのは彼を妬ましく思う者からの嫌がらせであり、彼の名に媚び諂う者からの露骨な阿りだった。
 騎士道とはかけ離れた騎士の実状。16歳のラキにとっては受け容れがたいことだった。

 ラキはふと、市場のやや外れたところまできていたことに気付いた。

 (随分、ぼんやりと歩いていたものだ)
 
 コインブラは初めてではなかったが土地勘があるわけではない。大通りに向けて引き返そうとした時、小さな女性の悲鳴が聞こえた気がした。
 
 「やめてください!大声を出しますよ」

 「おいおい、穏やかじゃねえな。こっちはちょっと待ちを案内してくれ、って言っているだけだぜ」

 ラキが路地裏を除くと、商人の娘が壁際で2人の男に囲まれている。男達は2人とも甲冑を身につけており1人は娘の腕を掴んでいた。

 (あれは騎士団の・・・!)

 ラキは驚愕した。2人の男は自分が同行してきた騎士団のれっきとした騎士であったのだ。

 「何をしている!」

 ラキが男たちに向かって怒鳴りつけた。男たちはハッと振り向き、ラキの顔を確認すると下卑た笑いを浮かべた。

 「何だよ、ラファエル卿んとこの坊やじゃねえか。ちょっとこっちは忙しいんだ、さっさとどっかいって忘れとけ」

 「そうは行くか!その娘は嫌がっているじゃないか!市民を守るべき騎士が市民に暴行するなど、見過ごせるか!」

 「黙れ青二才が!今は休暇中だ。つまらねえこと抜かすな」

 騎士の1人がつかつかとラキに向かってくる。そしてそのままラキの頬を拳でガツンと殴りつけた。ラキは後ろによろめき、そのまま尻もちをついた。

 「俺達は騎士様だぞ?町人を守ってやっている上に、相手までしてやろうってんだ、感謝されていいくらいだぜ」

 かっと頭が熱くなるのを感じる。ラキは片膝立ちの体制から腰にさした剣の柄に手をかけた。
 「貴様・・・!恥を知れ!」

 と、その時、剣を抜こうとした右手の上に何者かに手をかけられ、ラキはそれを制された。

 「やめておけ。最近の騎士は暴行だけでなく私闘も黙認されているのか?」

 青銅の甲冑。腰にはロングソード。40歳は越えているだろうか、整えられた銀色に輝く白髪。そして同じ色にたくわえられた口髭。

 「誰だ!てめえは!」

 「悪漢に名乗る名前はない。娘を置いてとっとと立ち去るんだな」

 騎士は先ほどラキにそうしたように初老の男に殴りかかった。初老の男はその拳をひらりとかわすと、そのまま腕を掴み相手の殴る反動を利用してその体を壁に叩き投げた。

 「貴様!何をする!我々に刃向かう気か!?」

 もう一人の騎士が初老の男に向かい、剣を抜いた。初老の男の目が冷たくなっていく。

 「ほう。抜いたな。貴様らが騎士とも思えんが、剣を抜いたからにはそれなりの覚悟あってのことだろうな」

 初老の男もロングソードを抜く。古いもののようだが、かなり入念に手入れされているのか、刀身は鋭く光っている。
 ラキは一瞬、その剣に見とれたが我に返る。この状況はかなりまずい。剣を抜き向かい合う2人に叫ぶ。

 「待て!やめろ!」

 「うおおおおお!」
 
 騎士が初老の男に斬りかかり、2人が一瞬にしてすれ違う。ぶつかり合う金属音。そして―
 
 騎士は既に剣を持っていなかった。ラキには何が起こったのかがわからなかったが、それは騎士自身も同様のようであった。
 次の瞬間、騎士の体すれすれに剣が降り、地面にその刃を突き立てた。

 「ひいぃぃぃ」

 「そこで寝ている男を連れてさっさと失せろ」
 
 その騎士が完全にのびたもう一人の騎士を担いでその場を逃げ去るまで、ラキは茫然としていた。
 娘は既に逃げたようだ。騎士たちが視界から消えるのを待ち、初老の男が剣を鞘におさめ去ろうとした。

 「待ってください!」

 ラキは男を呼びとめた。いかに父を、兄を侮辱されたとはいえ、剣に手をかけたのは確かである。この男は自分の騎士としての名誉を守ってくれた恩人であった。

 「私はラーカイム・ヴィラドルジャ。失礼ですが貴方は何者でしょうか。名を教えてはいただけませんか」

 初老の男は振り向き答えた。

 「私は『ギル』。アルカリオンだ」
「・・・アルカリオン。」

ラキはその名前を聞いた途端、緩みかけた緊張感が一気に戻って来るのを感じていた。

『アルカリオン』を表現する言葉は多い。
曰く、『金次第でどんな汚い仕事も請け負う何でも屋』
曰く、『職人、商人、農民などの真っ当な職にはあり付けなかった半端者』
曰く、『秩序と安定を乱す、粗暴者の集団』

表す言葉は多くとも、それを好意的に捉えたものは少ない、いや殆ど無いと言って良かった。

自由都市コインブラでは、その名の通りどんな者でも許容する自由な気風と、貿易都市としての様々な需要から、他の都市に比してアルカリオンは街の様々なところに活躍の場を広げており、その為に他の都市よりは彼らに対する評価は高かった。しかし、それでも他の職種よりは一段低く見られている事には違いが無かった。

コインブラの一般の市民にしてからがそのような評価を下しているアルカリオンについて、アンチネス州の名門領主の家の出で、しかも見習いとはいえ騎士であるラキが、この時点でどのような事を考えていたか。

(盗賊、野盗と変わらない、ならず者に、助けられてしまった。騎士である僕が。)

体が動かなかった。言葉も出ない。
恐怖とも屈辱ともつかない感情が、ラキを支配していた。

「アルカリオンと聞いて、語る言葉を無くしたか。しかし、それも仕方の無い事か。」

ギルと名乗ったアルカリオンは静かに口を開いた。言葉の後半には、自分に言い聞かせるような、響きが微かに感じられた。
そして、初老のアルカリオンはラキに背を向けてその場を立ち去ろうとする。

一般の騎士が、この様な状況に遭遇したならば、恐らくは何も言わずに立ち去るか、若しくは、アルカリオン風情に助けられた事を良しとせずに、改めて私闘を申し込んで汚名を雪ごうとするか、大体がこの二通りの何れかだっただろう。
しかし、ラキはそのどちらの行動も取らなかった。

「そ、そんな事はありません。助けて頂き誠に有難う御座いました。今は騎士団の演習中故、大した事は出来ませんが、国元へ戻りまして後は、必ず然るべきお礼を致します。」

例え相手が卑しい身分であっても、助けれた事は事実。
常に事実を事実として受け止めて誠実に行動する、騎士とはそうあるべきという信念がラキを動かした。

「然るべき、礼か。」
ギルが、自問するかのように応える。

「はい、私の父は地方領主をしております。事情を話せば必ず此度の件に関して、十分な礼は出来ると存じます。」

「必要ない。」

初老のアルカリオンは、顔を半分だけラキに振り向けて、きっぱりと言い放った。
銀色の髪や髭の間に覗く顔は、遥か東方より中央公路を通りマント砂漠を越えて来るキャラバンかと思われる程に日に焼かれおり、齢相応以上に深い皺が刻まれているが、弱々しさは一切見えず、ただ精悍だった。

「いやしかし、そういう訳には参りません。私も騎士としての『誇り』があります。」

「騎士の『誇り』か。わかった、なら礼はしてもらう。だがあんたの親父殿から金を貰う訳ではない。礼はそなたから直接今頂く事にする。」

「私から。しかし、私は今持ち合わせが。ですから・・」

「最近の騎士様は何かと金で解決したいらしいが、金は要らん。私は変わり者のアルカリオンでね。金の代りに今回の事は、この場でさっぱり忘れて貰おう。ここでは何も無かったし、我々も出逢わなかった。それから狼藉を働いた騎士達の追及も一切せぬ様に。」

「何故ですか。彼らは、然るべき罰を受けるべきではありませんか。」

「歳を取ると、厄介事に巻き込まれる事が何よりも嫌になって来るのだ。あんな馬鹿共に形だけの罰を与える為に、これ以上この件に関わるのは真っ平ごめんだ。」
「し、しかし。私は、納得できません。」

「若いな、ラーカイラム・ヴィラドルジャ。だが、納得出来なくとも、礼をしたいと申し出たのは貴殿だ。騎士に二言はあるまい。」

「・・・・」

ラキは言い返す事が出来なかった。

「では、さらばだ。」

ギルはそう言うと、振り返る事もなく足早にその場を去って行った。
ラキはただ、黙ってその後ろ姿を見つめているしか出来なかった。


その夜、騎士団の宿営地に戻ったラキは、独り煩悶していた。
暴漢を相手に、娘一人を助けられなかった自分。
アルカリオンなどという身分の者に助けられた自分。
ギルへの礼を頭から『金』と決めつけ、しかし申し出をはっきりと断られてしまった自分。

騎士とは清廉潔白にして、豪胆であるべきと思い、騎士の『誇り』を常に胸に抱きながら生きて来た。少なからず鍛錬も積んでもいた、しかし、いざ事に及んでは何も出来はしなかった。
いや、出来ないだけでは無く、思い返せば全くの目指す騎士とは正反対とも言える行動を取って仕舞った。
自身の無力感と、自分への失望をこの時のラキは生まれて初めて、まじまじと感じていた。

昨日までのラキだったなら、街で狼藉を働いた騎士を何の躊躇も無く上官に告発する事が出来ただろう。それが目指す騎士のあるべき姿と疑わなかった。しかし、今のラキにそれは出来なかった。
無論ギルとの約束の為も有るが、一番の理由は何よりも、自身の無力感だった。

(俺は、俺はいったい何者なんだ。)

遠征時に移動式兵舎として使用している、白いテントの出入り口の隙間から差し込む月明かりは、貴族でも騎士でも無い、無力な少年を照らしている。

「自分は何者なのか」その問いをどの位の間考えていたのだろうか、答えの出ない問題へ挑み続けた疲れから微睡みに落ちて行きつつあったラキは、悲鳴に似た叫び声に突然現実に引き戻された。

「決闘だぁ。決闘だぁ。団長が決闘をされるぞ。皆の者出合われよ。決闘だぁ、団長の決闘である、出合われよ。」

ラキは始め、何が起きているのか理解出来なかった。

(決闘。団長。何が起きたんだ。いったい何が・・・)

彼が事態を飲み込めないでいる間に、周りのテントからは急いで身支度を整えた騎士たちがぞくぞくと、宿営地の中心部へと集まって来ていた。

「ラキ、何やってるんだよ。団長が決闘されるんだぞ、ぼけっとしてないで早く出て来いよ。」

乱暴にテントの出入り口が捲り上げて、顔を覗かせたのはラキと同じテントで休んでいるはずのナトリだった。
ラキは気付かなかったが、こんな時間にテントの外にいるところを見ると、大方夜半に宿営地を抜け出して、待ちへ出かけるつもりだったのだろう。
真面目なラキと何事にも要領が良く、ナトリは性格は真逆と言えたが、何故か馬が合った。

ナトリはラキと貴族学校の同期であり、同じ騎士見習いである。齢はラキよりも二つ上だったが、小柄で童顔な彼は、寧ろラキより年下にみられる事も多かった。

「ナトリ、何があったんだ。決闘という声が聞こえたけど。」

「ラキ。寝ぼけた事言ってるなよ、これだから貴族様はなぁ。さっきから宿営地中で大騒ぎなのに、爺やに起こされないと何も出来ないのかい。」

ナトリは何かに付けて、ラキの事を「貴族様」と呼んだが、言い様とは裏腹に、発せられた言葉からは嫉みや嫌味は全く感じられない。あるとすれば、気心の知れた友人同士に見られる軽い冗談である。
「からかうなよ、ナトリ。教えてくれ、何が起きてるんだ。」

「何が起きてるかって、そのままさ。団長が決闘をするらしいんだ。なんでも、夜が更けてから、団長に客人があったらしくてさ、本来なら時間も時間だから出直しをさせるところを、団長自らが許可を出して、指揮所のテントから人払いをして、二人で随分と話し合いを持ったそうなんだ。」

ナトリの情報収集能力に、ラキはいつも関心させられていた。社交的なナトリには自然と色々な話が集まって来る。それこそ他愛ない噂から、王国を脅かす陰謀論まで。勿論虚実入り混じっているのだが、彼から話される内容は常に正確だった。
ラキはナトリのこの能力を、彼がスコラーリで四代続いた有力商家の出身であることに起因するのではないかと考えていたが、それを直接口に出すことは無かった。

「夜更けに客人。相手は誰なんだ。団長が規則を曲げて直接会うなんて、相当な人物なのか。」

ラキとナトリが同行しているこの騎士団は名を「灰竜騎士団」(かいりゅうきしだん)と言い、その昔シピン川の河口に濃霧と共に現れたとされる灰色の竜に由来している。
現在の団長は、名をパルテーム・フェルニアラと言う。四十を少し超えたばかりのがっしりとした体躯の持ち主だが、性格は騎士にしては少し生真面目に過ぎる感のある男だった。

ラキは、「灰竜騎士団」に同行する事が決まった際、団長のパルテームについて次兄から聞いた話をはっきり覚えている。
――「『灰竜騎士団』と行くのか。最近あそこの団長になったパルテームという男はアンチネスで五本の指に入る堅物らしいから、お前にぴったりかもな、ラキ。」
――「からかわないでください、兄上。」
――「はは、すまん。だがパルテームは、剣の腕でもアンチネスで指折りと聞く。そちらの鍛錬も怠らぬようにな。」
――「承知致しました。兄上。」

権力を備えた組織は、必ず時間と共に腐敗する。流れが無く一所に留まった水の変化に例えられるこの理は、高邁な理想を掲げている騎士団とて例外では無かった。
この「灰竜騎士団」でもまた、年々重ねられる騎士団の歴史に反比例して、団員の質は下がる一方であり、団長パルテームの一番の悩みもそこにあった。

団長就任以来、積極的に騎士団員の規律強化に乗り出したパルテームではあるが、性急に過ぎるとも思われるこの改革が、一部の団員の反発と一層の質の低下を招いている事もまた事実であった。

「その相手っていうのがさ。聞いて驚くなよ。これは偶々団長のテントの傍で歩哨に立ってた奴に聞いたんだけど。何とだ、あの堅物の団長殿がわざわざ夜更けに面会を許可した相手とは・・・。これを聞いたら絶対にビックリするぜ、ラキ。」

ナトリの言葉には、明らかに結論を焦らしてラキをからかっている様子が見て取れる。
いつものラキであれば、ナトリのこの態度を先ず、注意するところではあるが、今はラキも結論が聞きたい。

「いいから、もったいぶらないで、その相手の正体を教えてくれよ。」

「おお、今日は非常に素直じゃないか、いつもそうあってくれたまえよ。ヴィラドルジャ候。」

「ナトリ。いい加減にしろ。」

「ははっ。すまん、すまん。で、その相手なんだが、最初は鎧を着けて、帯刀もしているから、どこぞの騎士かと思ったんだそうだ。齢も団長とそう違わないように見えたらしいし。古馴染みの騎士が団長を訪ねて来たんだと初めはそう思った。・・でも違った。」

「違った。騎士じゃ無いっていうのか。」

「そう。長い事二人して話し込んでた様だけど、そのうちテントの中の声が聞こえちまったらしいんだ。大声だから聞こえたって言ってたけど、どうだかな。大方気になって聞き耳を立ててたんだろうけど。」

「どんな声が聞こえたっていうんだ。先を教えてくれ。」

「流石のラキも気になって仕方がないらしい。うん、その声の内容なんだがあの団長が大声で『貴様の様なアルカリオンの言う事が信じられるか』、そうはっきり聞こえたと言うんだよ。」

「・・アルカリオン・・。」
ラキは日中の、街外れでの一件を思い出した。
(アルカリオンと団長が、何故。)

自身の思考の中に入り込んで行くラキを気にすること無く、ナトリは続ける。

「それから間も無く、あの真面目な団長殿が血相変えてテントから出てくるや否や、そのアルカリオンに向かって決闘を申し込んだんだとさ。「貴様諸共、その世迷言を切り捨ててやる、尋常に勝負しろジリオン。」とかなんとか。団長、剣の腕はどうなのかな。いつも規律、規律って煩いばっかりで、剣捌きは見たこと無いからなぁ。まさか、アルカリオンに返り討ち・・何てことはないよな。・・おい、聞いてるのか、ラキ。」

「あっ、・・・ああ。聞いてるよ。・・・アルカリオンか。」

この時、ラキは言い知れない不安感に襲われていた。
昼間の出来事とこの決闘。関連のあるはずが無いこの二つの事柄が、何故かラキには繋がっている様にしか思えなかった。

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