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メイキングオブ ハルカ天空編コミュの●第一章 出立 4〜7

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 ─4─

 頭の中で、きのうの夢の中で聴いたドラの音が、心臓の鼓動に合わせてガンガン打ち鳴らされている。さわやかな目覚めからは、地球半周ほども遠い最悪の朝だ。
 身体が重い。胃がむかむかする。まるで腹の上にボーリングの球でも置かれた気分。
 人生最初の二日酔いだ……。
 ──おい、ちょっと待て! 夢の中で飲んだ酒で、なぜ二日酔いしなきゃならん?
 ぎょっとして目を開けると、俺は干草の中にスッポンポンで転がっていた。
 納屋のような場所だ。薄い板壁の隙間からもれる朝日が幾筋もの線を空中に描いている。
 ──それにしても……。これ、夢じゃなかったのかよ。
 じゃあ、いったい、ここはどこなんだ? なんで俺はこんな所にいる?
 大慌てで起きあがろうとして、腹に乗っかっている重さの正体を見つけた。
 俺の腹を枕に半裸の女がひとり、色気のカケラもない無防備な格好で寝息を立てている。
 この天使のような安らかな寝顔だけ見れば、こいつが人を鏡の中に引きずりこみ、笑いながら奈落に突き落とした悪魔だとは誰も信じないだろう。
「おい、起きろよ!」
 女の肩に手をかけてから気づく。
 はて、なんでこの女、裸で寝てるんだ、俺と……。
 やべーーー、記憶がねえ。
 そのとき、女のまぶたがゆっくりと開いた。俺の腹に頭を乗せたまま、俺を見上げている。
「あ、おはよ。うぅぅ……、あたま、割れそぅ……」
 そう言って女は広い額に手をやった。どうやらこいつも二日酔いらしい。
 はっ、ざまあみろだ。
「俺の腹は枕じゃねえぞ」
「あぁ、ごめんごめん。でもあんたが悪いのよ。さもうまそうにグイグイいくから、てっきり水みたいなもんだと思ってた。あーあ、天狗の造った酒なんて飲むモンじゃないね」
 女がふらつきながら立ち上がろうする。が、すぐに足がもつれて、俺の上にまた倒れこんだ。
 とっさに抱きとめると、女の顔が目の前にあった。きのうは頬にくっきりと引かれていた朱色の二本線が乾いて剥げかかっている。
「ところで、私、なんで裸なのよ?」
 今ごろ気づいたのか、女が唐突に訊いた。
「知らねーよ」
 女の顔がさらに近づく。うへっ、酒くせー。俺は顔をしかめた。
 それを気にする様子もなく、女は広い額と俺の額を遠慮なくくっつけて声を潜める。
「いちおう訊くけど……私たち…………したの?」
 俺は、お世辞にも豊かとはいえない女の乳房を気にしつつ、即答する。
「してません」
 俺の返事を聞くや、女は背を向ける。
「言っとくけど私、これでも巫女だから、まずいのよ、そういうこと。卑弥呼さまから、あんたの世話を頼まれたけど……、さすがに下の世話まではねぇ」
「だから、してねえって!」
 ……たぶんな、と俺は心の中で付け加えた。
 しかし、この女、羞恥心とか危機感とかないのだろうか。自分で言うのもなんだが、俺、きのう会ったばかりの男だぞ。
 女は、はいつくばって干草を引っかきまわしている。着るものを探しているようだ。
「チカラが失われると、あんた、あっちに帰れなくなるかもよ」
 向こうをむいたまま何気なくつぶやくと、女は見つけた服に頭を通す。
「まっ、いいか!」
 あっけらかんと、そう言い放つと、女は立ち上がり俺のほうに向き直った。
 女の口から出た「まっ、いいか」の意味が「した」に対する「まっ、いいか」なのか、「帰れなくなる」に対する「まっ、いいか」なのか、俺にはわからなかったが、当面の問題は……。
「それ、俺のTシャツ!」
 白地の胸に赤い“eb!”のロゴ。俺が買ったゲーム雑誌の懸賞に、お袋が勝手に応募して当てた。女が身につけていたのは、紛れもない俺のTシャツだ。
 それを背丈が俺の肩ほどもない女が着ているのだから、当然ブカブカ。
 首の穴から片方の肩がはみ出し、すそは膝まで垂れさがっている。
 男と朝をともにした女が、男のシャツを着ている。映画の中で観れば、男心をそそるシチュエーションだろう。ただし実際それを目にすれば、……みすぼらしいだけ!
「男のくせに、細かいこと言わないで」
 まったく悪びれた様子もなく、女がジーパンを投げてよこす。
「たいていの男は上は着ないよ。ま、戦【ルビ:いくさ】に出るときには、適当な甲冑【ルビ:かっちゅう】か帷子【ルビ:かたびら】を見つくろってあげるから」
「戦って、まさか戦争のイクサ?」
 ジーパンのチャックを上げようとしていた、俺の手が止まった。
「他に何があるのよ。だいたい、あんた、そのために来たんでしょ? 次の戦いのために、どーかよろしくって、私、神さまに祈ったんだから。はい、これ」
 そう言って、女が次に両手で投げてよこしたのは、きのう俺が岩から引っこ抜いた巨大な矛だ。昨夜はなかったベルト付きの鞘【ルビ:さや】に収まっている。鞘はよほど慌てて作ったのだろう。粗い布を巻いてニカワで固めた、いや、まだ乾いてもいない、お粗末な代物だ。
「びっくりしたわよ。誰も抜けなかった逆矛【ルビ:さかほこ】を本当に抜いちゃうんだもん。あ、抜いたんだから、もう逆矛じゃないか」
 ……サカホコって何だ? カマボコの親戚か?
 この女が喋っていることの意味を、おそらく半分も俺は理解していない。訊きたいことが山ほどあった。だが、このやせっぽちでチビの、能天気な笑顔がそれを一瞬だけ忘れさせた。
「ねえ、お腹、へらない? きのう食糧庫を景気よく空けちゃったから、お粥【ルビ:かゆ】くらいしかないと思うけど」
 女は、俺の返事を待たず、小屋の戸を乱暴に開けると、飛び出していった。
 ……ヘンな女。
 俺は、錆びの塊のような矛を引きずりながら、名前も知らない女のあとを追いかけた。

 外は、自然に口元が緩むほど、いい天気だった。二日酔いの高校生には日差しはまぶしすぎたが、空気は思わず深呼吸したくなるほど清々しい。
 雲間から落ちる光の帯が、遠くに見える山並みの肌を紫陽花【ルビ:あじさい】のように、だんだんと変えていく。
 ところどころに白い岩がのぞく草原を、緑の風が矢のように走りぬける。
 この美しい風景を台無しにしているのが粗末な小屋とテントだ。カラスが食い散らかした道端のゴミのように、草原中にちらばっていた。
 朝食の支度をしているのだろう。あちこちで細い煙がたなびいている。
「張政【ルビ:ちょうせーい】! こっちー!」
 三〇メートルほど離れた小屋の前で、女が大きな椀を二つ、両手にかかげ大声をあげた。
 俺の名が草原に響きわたると、朝飯をがっついていた連中が顔を上げ、俺に深々と会釈する。テントの中からわざわざ顔を出し、頭を下げる者までいる。
 俺は、女の呼ぶほうに足早に歩きながら、引きつったあいそ笑いとピースサインで応じた。
 すると俺流の挨拶とでも勘違いしたのか、そこにいた全員が俺をまねて、ピースサインを笑顔で返してきた。
 ──まいったね。本気で俺に期待してるよ、この人たち。
 俺は逃げるように女のもとに急ぐ。走りながら見渡すと人間の姿ばかりが目に付いた。
「きのう、天狗やカッパの格好した連中、いたよな?」
「いつ攻めてくるかわからないから、あまり国を空けられないのよ」
 俺は差しだされた木の椀を受けとり、女を見習って手近な岩に腰をおろす。
「おまえは、ここに住んでるの?」
「国は別のところにあるんだけど、事情があって、私たち、国にもどれないんだ」
 ──俺のじいさんも同じようなこと、言ってたっけ……。
 じいさんは何ごとにも底抜けに楽観的だったが、故郷の話をするときだけは声が沈んだ。
 暗くなった女の声は、直後の「いただきます」で、もう明るい響きを取り戻していた。
 女は俺を待たず、もう食べはじめている。右手ですくい、凄い勢いで口に流しこんでいる。
 ふと受けとった椀の中に目をやると、どろりとした薄茶色の半固形物があった。ニオイはともかく見た目だけ言えば、溶けかけの野菜クズといい、吐いたばかりの生温かいゲロによく似ている。
「なあ、訊きたいことがあるんだけど」
 俺が切り出すと、女はリスのように食べ物で頬を膨らませたまま、
「だよね」と顔を上げた。
 いつ直したのか、頬には鮮やかな朱色の線が復活している。
「私も話したいことが、いっぱいあるよ。でも、食事の後にして。これ、冷めると渋くなって、山ノ衆【ルビ:やまんしゅ】でも顔をしかめるくらい不味くなるから」
「ヤマンシュ?」
 女は、指を舐めながら上目づかいで俺を見る。
「半獣の部族。ほら、猪とか山犬の顔した……。きのう見たでしょ? あの人たち、何でも食べるよ。腐った肉が大好物。そんなことより早く食べなさいって」
 女に促され、俺は意を決して、ゲロもどきを口に入れる。確かに渋みは強いが不味くはない。
「じゃあ、先にひとつだけ教えろ」
「何?」
 広くて丸いおでこが、俺のほうに向いた。
「おまえ、名前は?」
 途端に女の目が笑う。
「やだ、言ってなかったっけ?」
 女が、俺の口の周りについた粥【ルビ:かゆ】を指でぬぐい、ペロっとなめる。
「ハルカ。私、ハルカっていうのよ!」

 ─5─

 俺の椀が空になったと見るや、横から奪うように取りあげ、足元からちぎった草の束で、中を軽くぬぐう。二つの椀を腰に巻いたズダ袋に無造作に放りこむと、すぐにハルカは立ち上がった。
「あのへん、ちょっと散歩しよっか?」
 ハルカの視線の先には、どう見てもちょっとした散歩には向かない、険しい峰々が連なっている。
「ここじゃ話しにくいこともあるし、見せたいものもあるのよ」
 言い終わらないうちに、ハルカはもう小走りに駆けだしている。
 俺は、邪魔なだけの矛に手をかけると、重い腰を上げた。
 先を歩くハルカを見ているとあきない。
 あちこちから声がかかり、ひっきりなしに人が寄ってくる。百歩と行かないうちに、ハルカの手はもらった食べ物で一杯になっている。すると今度はその食べ物を、そばに来た別の人たちにどんどん配っていく。これを草原を出るまで、歩みを止めることなく何度となく繰り返している。
 ……なんなんだ、こいつ? ホントにヘンな女。
 草原を抜けると、山すそを流れる渓流ぞいの小路に出た。赤、白、ピンクのツツジが、周りの岸壁にへばりつくように咲いている。が、俺にはそれを楽しむ余裕はない。
 ハルカの足は速く、疲れを知らない。さっきまで二日酔いでふらついていたのがウソのようだ。
 おまけにこっちのスピードに合わせる気など、ハナからないらしい。
 本格的な山道に入ってからは、置いていかれないように、小さな尻【ルビ:けつ】を必死で追うだけで精一杯。樹がほとんど生えてないから見失う心配はない。だけど、息があがって話かけるどころではなかった。

              ◇◆◇

「訊きたいことが、あったんじゃないの?」
 そう言ってハルカが初めて振り向いたのは、二時間ほど尾根づたいに歩き、やっと頂上に到着したときだ。
 俺は息を整えながら、あたりを見まわす。
 そう、まず、はっきりさせたいのは……。
「ここは、どこだ?」
「ここ? ここは高千穂だよ。不弥国【ルビ:ふやこく】と投馬国【ルビ:つまこく】の国境【ルビ:くにざかい】。でも、どの部族の土地でもないよ、聖地だから」
 ハルカがあきれたように、俺の顔を見る。
「あれー、本当に覚えてないの? きのう、あんたが現れたの、ここだよ」
 俺はもう一度、ゆっくりと周りを見わたす。きのうは真っ暗だったから確信はないものの、言われてみればここだった気もする。かがり火を焚いた跡もあった。
 ──高千穂?
 俺は頭の中でハルカの言葉を繰り返す。
 ここは高千穂なのか? じゃあ、あっちに続く山並みが霧島、……ということか?
 高千穂なら、うちからそう遠くはない。小学校の遠足で来たこともある。
 あのときも、ちょうど今みたいに、ぜぇぜぇ言いながら山を登らされた。山頂に神さまが立てたとかいう、いかにもウサンくさい伝説の剣があって……。確か名前は……。
 俺は、杖の代わりに使って泥だらけになった、不格好な矛をまじまじと見る。
「おい、まさかこれって、天ノ逆矛【ルビ:あまのさかほこ】?」
 ハルカが、にんまりと笑う。
「やっぱり知ってたんだね。あんた、卑弥呼さまのことも知ってたみたいだし……。ねぇ、張政、本当は神さまに遣わされたわけじゃないんでしょ? どこの国の人?」
 おいおい、軽はずみな巫女だな、とあきれつつも、俺は「宮崎県」と応える。
 するとハルカは、目を白黒させながら、ばつが悪そうに苦笑いした。
 まさか、こいつ、宮崎県を知らないのか? シーガイア、サファリパーク、サボテン園。どれも見事なまでにイマイチだったが、ピーマンの生産量は日本一だぞ!
「ミヤザキケンって、どのへん? あ、ちょっと待って」
 ハルカは腰にさげた袋から一枚の薄くなめされた革【ルビ:かわ】を取り出し、地べたに広げる。
 地図だ。沖縄から九州、四国、対馬と壱岐、韓国と本州の一部も描かれている。
 俺は、さらに詳しく見ようと地面に四つんばいになる。すぐさまハルカもそばに来た。
 瀬戸内の細かい島の位置までは自信がないが、少なくとも九州の海岸線は正確に見える。
 しかし、昔の地図なのか、書かれている地名は、なじみのないものばかりだ。
 なんて読むんだろう。不弥国と書かれたあたりを俺は指さし、宮崎の場所をハルカに教えた。
「へー、近いね。じつは私、このあたりの人間じゃないから、よく知らないんだ」
 ああ、そういうことか。俺も東北の県を全部、言える自信はない。青森県、秋田に盛岡……。あとは宮形??? ほら、やっぱダメだ。
「じゃあ、おまえの国は、どこよ?」
 ハルカは俺の手を持ち上げ、手首の下に隠れていた種子島の右下のあたりに指先を落とす。
 海の上に見慣れぬ六角形があった。そこには漢字四文字の有名な地名が記されていた。
〈 邪 馬 台 国 〉
「邪馬台国って……。おい、冗談だろ? だいたい、ここらへん、海じゃないか」
「うん、そう。海だけど?」
 それが、どうした、という顔でハルカがうなずいた。
「うん、そうって……。じゃ、邪馬台国は水の上に浮かんでるのかよ? じゃなきゃ、おまえ、足の生えた人魚だな」
「え、人魚……? ああ、海ノ衆【ルビ:うみんしゅ】の国はね。噂じゃ、このへん、らしいよ」
 ハルカは大まじめな顔つきで、竜宮と書かれた沖縄本島を中心に、指で大きな楕円を描いた。
 あ、なるほどね。こいつ、とことん俺を、からかうつもりだ。
「あーそっ。それで? 邪馬台国はどこなんだよ?」
「ほら、あそこ。張政に見せたかったのはアレだよ」
 ハルカは、地図から顔を上げると立ちあがった。
 大きな水色の腕輪つけた右手が水平に上がると、南の海を指さす。
 つられて俺はそっちに顔を向ける。
 その方向には大隈半島。その先にかすんで見えるのが屋久島と種子島の島影だろう。
「あの島か?」
「違う、ちがう、そのもっと先」と言われても……。
 海を除けば、水平線の上に栄養失調ぎみの入道雲がひとつ。あとは太陽があるだけだ。
 もちろん邪馬台国などどこにもない。
 早く、冗談だったって、言えよ、今なら笑ってやるから。
「俺には雲しか見えませんがね」
「どこ見てんのよ。ほら、あそこ!」
 ハルカは俺の背中にまわりこみ、俺のあごと頭を両手で挟むと、グイと上に向かせた。
「ああああああ!」
 俺は思わず大声をあげていた。
 貧相な入道雲の、人間でいえば右肩の上に何か浮かんでいる。手前にあるはずの種子島より近くに見えるほどのスケールだ。
 巨大な盆の上にいくつか山が載っていた。盆の端からは水が滝のようにこぼれている。ただし、その水が海に落ちることはない。あまりの高さに途中で霧になり、すぐさま雲に変わっていた。
 それは人間が、世界をまだ球体と知らず、平面で端っこがあると信じていた頃に想像された世界によく似ていた。
「あれが私の故郷。邪馬台国だよ!」
 ハルカの声は弾んでいた。が、なぜか俺にはその声が寂しげに聞こえた。

 ─6─

「浮かんでる。浮かんでる。浮かんでるよ、島が空に……」と、見ればわかることを繰りかえすバカな俺。
「沈むのよ、もうすぐ海に……」とハルカ。こちらは意味不明。

 突然だけど、ここで少しハルカの思い出話をさせてくれ。
 このあとの数ヶ月、俺はこの女と幾度となく死地を乗り越え、ときには笑いときには泣き、ふたりの心が通じ合ったと感じることも多々あった。ハルカも同じだったと思う。
 俺たちはいいコンビだった。だが、会話に関しては、ついぞ噛みあった記憶がない。
 人の話を聞いていない。当たり前のように二つ三つ先に話題が飛ぶ。思いついた端から口にする。こいつと真面目な話をすると本当に疲れる。
 ……というわけで、このときもかなりチグハグなやりとりがあった。それをイチイチ書きつらねるのはストレスの元だ。よって、ポイントだけ。

「遠い遠い昔、この世界にまだ陸地がなかったころ、邪馬台国は天から降りてきたばかりの神様たちの住まいだったんだって」
 本人は、明らかに信じていない口調で、ハルカが話しはじめた。
 邪馬台国は、神々が光臨したときから現在に至るまで、ずっと空中のあの位置に留まっている。
 神々はまず、特徴のない普通の人間、つまりハルカたちの祖先を作った。
 次に地上に陸地を作り、そこにさまざまな進化の種を植えつけた人間たちを解放した。
 それが時をへて、天狗やカッパ、獣人と姿を変え、三〇ほどの部族とその国ができた。
 その様子を見とどけると、神々はどこかに去っていった。
 ちなみに神様がどこから来てどこに消えたかは、宇宙の彼方だの、遠い未来だの諸説があり、これといった決め手はないそうだ。
 ……と、まあ、ここまでは、よくある創世記とか国造り神話というヤツだ。
「でも、この神話のお陰で、今も邪馬台国は地上の国々を束ねる盟主なのよ、いちおーはね」
 と言っても、部族間で起きた小競りあいの仲裁をときどき任される程度で、原則は各国とも自由、独立を旨とし、好き勝手にやっているのが実態らしい。
 ようするに学級委員に抱くくらいのささやかな敬意と、年賀状がわりに届くわずかな貢物と引き換えに、誰もやりたがらない面倒を引き受けてきたわけだ。
 まあ、数百年間、大した問題もなくやってこれたのだから、結果オーライだったのだろう。
「兆候が見えたのは一年前。みんな始めは信じなかったけどね……」
 ハルカはうつむいた。
 なぜか、邪馬台国の高度が落ち始めたのだ。
 もともと空に浮いている理由が誰にもわからないのだから、これを止めるすべもない。
 いまや邪馬台国は、いつ海に落ちてもおかしくないほど不安定なのだそうだ。ハルカが「海に沈む」と言ったのは、このことだ。
「いや、もぉ、たいへんだったんだから……」
 ハルカは、この女の精一杯であろう不器用な作り笑いを浮かべてみせた。
 国がなくなれば、名目上とはいえ連邦の頂点に立っていたはずの邪馬台国の民は、一転ホームレス。さすがに屈辱と感じた者も多かったに違いない。
 それでも大半の邪馬台国人は、女王卑弥呼の懸命の説得もあって、この悲運を受け入れたし、規模の大小はあるにせよ移住を承諾してくれた地上の国も少なくはなかった。
 ところが卑弥呼の意に逆らい、新生邪馬台国の建設をかかげ、他の部族から力ずくで土地を奪おうと企てる輩【ルビ:やから】が現れたのだ。
「一大率【ルビ:いちだいりつ】! あいつら、もうメチャクチャ!」
 俺から見れば、十分にメチャクチャなこの女が、メチャクチャと言うのだから、一大率というのは、相当にヤバイ連中なのだろう。
 言うまでもなく、この過激派グループがハルカたちの戦っている相手だ。
 一大率を、今どきの四文字熟語で言い換えるなら「統一税制」か「一律課税」だろう。
 その名が示すとおり、各部族から不満が出ないよう、貢物のバランスを公平化することを目的に発足した機関らしい。
 成り立ちは現王族よりも古く、神話時代にさかのぼる。元は神官が担当していた。
 仕事の内容は、各国の人口や農産物の生産量を独自に調査し、神の代行者たる邪馬台国の王に報告すること。
 調査以外にも、その情報網を活かし部族間の紛争の火ダネを見つけ、場合によっては大火になる前にもみ消す。そんな荒っぽい仕事も、まれには担当していたらしい。
 このいわば裏稼業が、邪馬台国の前王が死去したあと、諸部族の間で争いが頻発したことをきっかけに、一大率の主たる業務にシフトしていった。
 秘密警察、影の公安たる一大率の誕生である。
「いま思えば、あのとき見過ごしたのが大まちがいだったのよ」とハルカが唇を噛んだ。
 だがこの段階では実態はともかく、一大率はまだ形式上は卑弥呼の指揮下にあった。
 あからさまな暴走を始めたのは、邪馬台国の物理的落下と政治的失墜が確定してからだ。
 一大率は卑弥呼の下を離れ地下に潜るや、新生邪馬台国を旗印に、部族間の争いに積極的に介入。今では要人の暗殺や少数民族の抹殺にまで手を染めているそうだ。
 現代なら一大率は、国際テロ組織と呼ばれただろう。
「あいつらのせいで、まとまりかけた話もぶち壊し。人の苦労も知らないで迷惑この上なしよ」
 卑弥呼に付き添い、あっちで一〇人、こっちでなんとか二〇人と、難民の受け入れ先さがしに奔走していたハルカが、毒づきたくなるのも、うなずける。
 そして一大率の暴虐を止めるため、卑弥呼の呼びかけに応じて集まった有志の混成部隊。それが昨夜、乱痴気騒ぎに興じていた有象無象の妖怪たち。
 通称“火の一族”だ。
 火の一族は、部族を問わない。心に正義の火を燃やし、そのためなら命を惜しまない者なら誰でも参加できる。
 卑弥呼の侍女であったハルカは、その大局的(大ざっぱ)で偏見のない(無神経)明るい性格(能天気)を買われたのか、火の一族の幹事役を務めている。
 言いたくはないが、俺が思うに、これは深刻な人材不足だ。
「とにかく、やっかいな相手なのよ、一大率は……」
 ハルカは長い溜息をついた。
 一大率は、その職務の性質上、基地の所在、組織の規模、構成員や資金源にいたるまで、ほとんどが秘密にされていた。もちろん邪馬台国の一機関であったころは、卑弥呼は把握していただろう。だが、近年に申告された情報はほとんど虚偽であったし、地下に潜ってからは完全に姿を消した。
 加えて神出鬼没、情報戦はお手の物、手段を選ばない、と悪いほうに三拍子そろえば、急ごしらえの寄せ集めであるハルカたち、火の一族には荷が重い。
 いいように振りまわされては後手にまわり、ここ数ヶ月は連戦連敗。
 そんな調子では、めぼしい戦果は望みようもなく、兵士は心身ともに疲弊している。
 ようするにお手上げ。それがハルカの所属する火の一族の現状というわけだ。

「ふー、俺にも、だいたいのとこは飲みこめたと思うから、少し頭を整理させてくれ……」
 俺は、脈絡もなくどんどん変わるハルカの話に面くらい、ぐったりとしていた。
 地面に大の字に寝ころがったときには、すでに陽は傾きかけていた。
 よほど腹にすえかねていたのだろう。俺の横では、ハルカがまだ一大率に対して、巫女にあるまじき罵詈雑言を並べたてている。
「ハルカ……、頼むからしばらく静かにしてくれ! それとぉツバ、飛ばすな」
 ハルカは口を閉じると不満げに頬を膨らませた。
 邪馬台国がかかえる、のっぴきならない事情はわかった。ハルカたちが一大率を相手に苦戦していることもわかった。俺にできることなら力を貸してやろうと思わなくもない。
 だが、なんだろう?
 頭の上には、抜けるように青い空が広がっているというのに、頭の下のほうに、あとひとつ、根本的な疑問が沈んだままの気がする……。
 俺の知る限り、寝ているときを除けば、ハルカは走っているか、食べているか、喋っていた。それも常にエンジン全開。それがハルカという女の性分だ。
 あんのじょう、一分と我慢できずに口を開いた。
「ねぇ、張政。あんた、一緒に戦ってくれるよね?」
 ──あっ、それだ!
「なんで俺はここにいる!? なんで俺が救い主なんだよ!? なんでだよ!?」
 俺は飛び起きると、早口でまくしたてた。
 そう、これが最大の疑問。しかし、どうして最初に思いつかなかったんだ……?
「だって、来てくれって頼んだら、張政、いいって言った……」
 ハルカにしては珍しく俺の目を見ていない。わかりやすいヤツだ。なにか隠してやがる。
「ああ、言ったな……。じゃあ、訊く。よりによって、なんで俺が救い主なんだ?」
「さあ、なぜでしょう?」
 ハルカの目が泳いでいた。本当にわかりやすいヤツだ。
「あのなあ。言っとくが、俺は戦士でも軍師でもない。ただの高校生だ」
「コーコーセーって?」
 ハルカが好奇心一杯の面持ちで、俺のほうを振り向く。早く教えろと瞳が訴えている。
 が、あらためて“高校生”の意味を説明しようとすると、これが意外にも難しい。
「そうだな。親の脛をかじり、これといった将来の展望もなく自慢できる能力もないのに、努力もしないし向上心もない。そんなろくでなし」
「そりゃ最低だね」とハルカが笑う。
 まったくだ。自分で言ってて情けなくなった……、そのとき。
「正直、言うと……」
 ハルカが、ぽつりとつぶやいた。
 ここからの話は、また長い。俺の頭上に星がまたたくまで続いた。だから、例によってポイントだけ。
「正直、言うと、誰でもよかった。というか、本当に召喚できるなんて思ってなかったし」
 この女は、聞かされるほうが慌てるくらい本音で話す。この年頃の女にしてはウソが極端にヘタだ。
 ハルカと付き合って、俺が最後まで見抜けなかったウソは、たったのひとつ……。それは、まだずーっと先のことだ。
「なんとかしなきゃ、このままじゃダメだと思ったのよ」
 一大率に出し抜かれ、連戦連敗だった火の一族の士気はどん底。精神的なケアが急務だった。
 そこで取りまとめ役のハルカが、ぶちあげたのが“異世界から救世主を呼んでくるから、みんな、元気だそうよ!”イベントだ。
 神さまから選りすぐりの救世主を派遣してもらい、消えかかっている希望の灯を、兵士の心にもう一度ともす。それがハルカの目論見だったらしい。
 そして、きのうの夜、大勢の兵士が見守るなか、起死回生のイベントは始まった。
「ちょっと待て! とりあえず俺が来たから格好がついたようなもんの、おまえ、さっき、召喚できるとは思ってなかったって?」
「うん。そのときは、私に救い主の御魂【ルビ:みたま】が降りたことにしようと思ってた。実は台詞も用意して練習してたんだ。えへへ」とハルカが舌を出した。
 ──なるほどね。でも……。
 おまえのウソじゃ絶対にバレてたと思うぞ。
「でも、心のどこかで、私も救世主を待ってたと思う。だから、きのうは心をこめて神楽を舞ったよ」
 ──きのうは?
 こいつ、いつもは神事に手を抜いてるらしい。とんでもない巫女もいたもんだ。
「そしたら踊ってるうちに、頭の中にたくさんの顔が次々に浮かんできた。ヒゲがモジャモジャの人、頭がツルツルの人、金髪で目が蒼い人、額に角が生えてる人もいたかな」
「その中に俺もいたのか?」
 俺は思わず身を乗り出した。それに合わせてハルカも顔を近づける。ハルカの近づき方は、俺が思う適正な対人距離よりかなり短い。不思議なことにそれが嫌じゃない。
「そうそう。みんな怖い顔してたのに、あんただけ目を閉じて、なんだか楽しそうだった」
 ──あちゃ〜。
 ヤシの葉陰でマンゴジュースを飲みながら、サングラスごしにトップレスの美女をニヤつきながら眺めてたときだ……。
「笑ってる人を見るの、久しぶりだったから」
「それで決めたなんて言うなよなぁ」
「それで決めた!」
 大声でそう言うと、ハルカはいきなり俺の頭にヘッドロックをかけた。
「それに私の好みだったの、このかわいい顔!」ハルカは笑った。
「一目惚れかよ?」俺も釣られて笑った。
「バカ!」
 ハルカの手首につけられた水色の大きな腕輪が鼻に当たる。
 俺の眼球には、小ぶりの乳房がグイグイ押しつけられた。
「女に、こんなこと言わせたんだから、協力してよね!」
 ハルカは恥ずかしさをごまかすためか、俺の頭を右手で抱え、残った左手でメチャクチャに小突きまわした。
「わ、わかった。わかったから、やめろ!」
 だが、殴る手が止まる気配はみじんもない。
「ホントにホントに本当?」
 なぜか、さらに力が加わる。
「ああ、ホントにホントに本当だって」
 ハルカがやっと俺を解放してくれたときには太陽はまだ空にあった。
 だが、俺の頭の上には、キラキラと星がいくつも回っていた。
 ……誰か、この女に限度というものを教えてやってくれ。

「でも無理しなくていいよ」
 頭のコブを数えていた俺の隣に腰をおろすと、ハルカは遠慮がちに細い身体を俺にもたれかけた。いや、遠慮なんか、これっぽっちもなかった気もする。
「先週だけで、三つの村がやられたの。全部で五〇六人。私たちが駆けつけたときには、女も子供も先発した仲間も……、全員、殺されてた……」
 慰めの言葉が浮かばなかった。
 俺は、他に何もできなくて、ハルカの肩を強く抱きしめた。
「刺青【ルビ:いれずみ】を入れるてる人、多いでしょ。あれね、部族とその人の名前なの」
「体じゅう、刺青だらけのヤツも見たけど、あれ、全部がか?」
 ハルカは心臓の鼓動を確かめるように俺の胸に耳をつけている。
「もとは漁師の習慣だったんだけど、一大率と戦うようになってから、みんな全身にいくつも自分の名を刻むようになった……」
 小さな肩が震えている。
「あいつら、ただ殺すだけじゃないんだもん。手と足と頭。胴体。それに耳と鼻も。生きてるうちに、みんなバラバラにするのよ。もぉ誰が誰だか、ぜんぜんわからなくて……」
「おい! なんだよ、それ!」
 俺はハルカの体を起こし、顔を覗きこんだ。ハルカの頬に引かれた二本の朱色の線が涙で溶けだしている。
「知らないよ! 私だってわからない」
 ハルカが俺の胸をバンバンたたく。
 俺は思わず、ハルカの背に手を回し、力ずくで抱きよせた。
「ごめん、怒鳴ったりして……。だから、張政は無理に戦わなくていいよ。ただのコーコーセーがかなう相手じゃないから」
「でも、おまえは戦うんだろ?」
 腕の中で、こくりとうなずいたハルカの額が胸にぶつかる。
 その瞬間、なぜ俺がここに来たのか。その疑問を、ずっと訊き忘れていた理由がわかった。訊く必要などなかったからだ。
「なあ、その頬の朱色の二本線。火の一族の証なんだろ。今も持ってんのか、その化粧道具?」
 ハルカの体がピクリと反応した。勘のいい女だ。そうこなくちゃな。
 ハルカの額が胸に当たった。また、こくりとうなずいたのだ。
「俺にも、それ、やってくれ」
 ハルカは俺の腕を振りほどくと、腰に下げた袋の中を、大慌てで引っかきまわす。
「さっさとしないと、気持ちが変わるかもしれねーぞ」
 変わるわけがなかった。たぶん俺の気持ちは、この女に出会ったときから決まっていたのだ。いや、出会う前から決まっていた気さえする。
 ハルカは、とうとう袋を逆さにすると中身を勢いよく地面にぶちまけた。
「刺青は?」
「いらねー。俺はゼッタイに死なないから」
「約束だよ!」
 ハルカは、竹の皮の包みを見つけて拾うと、振り向きざまに俺の腕の中に飛んできた。
 俺はハルカを受け止めて、そのまま後ろに倒れこむ。
 ハルカは、俺の上にまたがったまま、竹の包みをもどかしげに開く。
 朱色の泥を右手の薬指と中指にたっぷりとると、手のひらで唾と混ぜ合わせる。
 それを四回、俺の頬に乱暴になすりつけた。
「似合うか?」
「うん! 男前が上がった」
 ハルカは嬉しそうに俺の上で何度も大きくうなずいた。
 俺が起き上がろうすると、ハルカは笑いながら身体を預け、俺をもう一度、押し倒した。
 仔犬のようにじゃれあいながら、俺とハルカは地面の上を抱き合ったまま転がった。
 気づくと、互いの唇が、最高にうまい食べ物であるかのように、むさぼっていた。
 恥ずかしながら、俺は初めてだった。絶対、ハルカも初めてだったと思う。
 歯と歯が何度もぶつかり俺の唇が少し切れた。
 途中から血の味が混じった。が、そんなことを気にする余裕は、ふたりともなかった。
 ハルカの細いあごから首筋の味を確かめる。ハルカの息がどんどん荒くなっていく。
 俺が、eb!のロゴが入ったTシャツの裾に手をかけると、ハルカは上体を起こし自分から万歳した。
 一気に脱がす。
 目の前に小さな膨らみ。それを口いっぱいに含み、桜色の突起を舌でころがす。
 ハルカがしがみつくように、俺の頭を抱きかかえ、胸に押しつける。
 ぁぁぁ…。
 全身をほんのりと赤らめたハルカが、うわごとのような嗚咽をもらす。
 ぁぁ、ぅあぁぁ…。ぁあぁ…。
 ──だめだ。そんな声を聞かされたら、もう止まらん。
 俺は、ハルカの細い脚を割って、指を這わせる。
「ダメ、ダメ……。ダメ……」
 そこは、二つ折りのパンケーキに、メイプルシロップを一瓶丸ごとこぼしたようだ。
 指の腹でほんの少しなぞるだけで、とめどなくにじみだす蜜が、手のひらまでビチャビチャに濡らす。
 ──えっと確か……、女の「ダメ」はOKの意味だ!
 上の口は拒んでも下の口はそうは言ってないゼ、げへへ、とかいうアレだろ!
 俺は、Gパンの中で痛いほどギンギンになっているものを引きずり出そうと、チャックの上のボタンに手をかける。
 その手をハルカが爪を立てて止めた。
「ダメ……、本当にダメなの」
 ハルカは、まぶたを開き、申し訳なさそうに俺を見つめた。
 それでも俺はハルカを黙らせようと、唇を唇でふさごうとする。
 だが、ハルカは顔をそむけて拒んだ。
「しちゃうと、巫女の力が消えるの。そしたら、みんなに迷惑がかかる。張政だって、元のところに帰れなくなる……」
 ──そんなの、かまうもんか!
 俺がそう言おうとしたとき、耳元で小鳥がさえずるような音がした。
 チーチチ、チーチチ、チーチチ……。
 音は、ハルカが右の手首につけている、ダイバーウオッチほどもある水色の腕輪から聞こえた。
 ハルカが腕輪を巻いた手首を額に押しつける。途端に表情が険しくなった。
「もどらないと!!」
 それだけ言うと、ハルカは俺を押しのけて立ち上がった。さっさとTシャツを着ると、散らばっていた袋の中身を手早くかき集めはじめた。
「……なんなんだよ?」
 おあずけを食らった犬そっくりの、うらぶれた俺の声。
「走りながら話す。あ、これ、手首に結んどいて」
 ハルカは拾った物をひとつ、袋に入れずに投げてよこした。それはさっき突然、妙な音を立てた無粋な腕輪と同じものだ。
 一個の大きな水色の石を中心に、たくさんの群青色の小石が糸に通されて帯に縫いつけられている。帯の端は細くなり紐状に加工されている。この紐で腕輪の大きさを調節するのだろう。
 俺は右手と口で、苦労しながら左の手首に腕輪の紐を結ぶ。
「なにこれ?」
「念を増幅して飛ばすの。短い言葉なら伝えられるし、相手のだいたいの場所もわかるよ」
 ──超能力式、携帯電話?
「こうやるの」
 ハルカは目を閉じて、自分の腕輪を額に押しつけた。
 チーチチ、チーチチ、チーチチ……。
 すぐさま俺の手首で腕輪が反応した。俺は慌てて額に押し当てる。
 >>あんたの>>>笑ってる顔>>大>好き>>
 頭の中に、ノイズに混じってハルカの声が直接ひびいた。
「けっ、ひでー通信機。なに言ってんだか、ゼンゼンわからねーよ!」
 俺は、走りはじめたハルカの背を全速で追いかけた。

 ─7─

 ハルカは登ったときの倍ほどのスピードで、火山灰の土と石ころだらけの斜面を、飛ぶように駆けおりていく。
 俺もハルカに並んで走る。こっちは“飛ぶように”ではなく“転がりながら”だけど。
「なんだったんだ、さっきの連絡?」
「一大率の動きがわかったのよ。こんなこと初めて。運が向いてきたのかも、救い主さまの御利益【ルビ:ごりやく】で」
 ハルカが振り向いてウインクした。
「で、どーすんだ?」
 走りながら、ハルカは腰の袋から地図を取り出し、口に挟んで広げる。器用なもんだ。
「敵の狙いは蘇奴国【ルビ:そなこく】。んーっと、このあたり」
 指先が四国の真ん中あたりで揺れている。
「夜明けに出る。張政も一緒!」
 ハルカの声は少し緊張していた。
 いよいよ本物の戦らしい。といっても、俺には実感がわかなかったが。
「ああ。でも何で行くんだ。船か?」
「船より速いよ」
 とびきりのいたずらを思いついた男の子のように、ハルカの目が笑った。

              ◇◆◇

 草原の駐屯地に着いたのは、陽が落ちる寸前だった。黄昏の中に浮かぶ松明【ルビ:たいまつ】の火だけが、そこに人の営みがあることを教える。
 ハルカは俺の手をとると、迷うことなくひときわ大きなテントに向った。
「これから会う人たち、曲者ぞろいだから、張政、なるべく喋らないで黙ってて。とくにコーコーセーだってことは秘密」
 歩みを止めることなく、入り口の番兵に目配せすると、ハルカはそのまま中に進んだ。
「遅れてごめんなさい!」
 ハルカの大声に、テントの中にいた全員が振り向く。
 わずかな光に照らし出されたいくつもの顔は、いずれ劣らぬ異形ぞろい。
 いちばん奥には卑弥呼が小さな椅子に腰をおろしている。他の者はみんな地面に直に座っている。
 卑弥呼の傍らには、身の丈が二メートルはありそうな白髪の大天狗が陣取っている。
 さらに、その横には、なんだか場違いなタヌキ頭の小男。
 他には、青い肌で赤目の老婆、まん丸な目ががせわしなく動くカッパ女、全身が赤黒いデキモノで被われている男、尻尾のない白猿、四本の腕と足をもつ双頭の男女……。
 総勢二〇名ほどが、灯油缶ほどの行灯を囲んで、数枚の地図を回し見している。
 作戦会議の真っ最中だったのだろう。張りつめた重い空気がテント内を満たしている。
 と、白髪に長いヒゲをたくわえた大天狗が、俺を見て大きく目を見開いた。
「その顔は、いかがした?」
「あ、報告しなきゃ。張政も火の一族になってくれるって!」
 ハルカが満面の笑顔で誇らしげに胸をはると、大天狗も相好を崩した。
「ほぉ、それは心強い限り。だが……、ふたりとも、なぜ、そのような酷い顔に?」
 と言われて、俺とハルカは顔を見合わせる。
 ああっ! ふたつの口が同時に素っ頓狂な声をあげた。
 頬の朱の横線が上下にこすれ、あるいは溶けて、なかば消えかかっている。その代わりに唇、首、額、耳、ところかまわず朱色が付いている。おそらく俺の顔も似たようなものだろう。
 これじゃあ、ふたりの間に何があったか、文字どおり“顔に書いてある”のと同じだ。ハルカは耳の先まで赤くして下を向いた。
「おおかた、山の上で相撲でも取っていたのであろうよ」
 黒い山犬の武者の言葉に、ハルカは思わず顔をあげる。
「あ、そうだ。私たち、相撲を取ったんです」
 からかわれていることに気づいてないのは、ハルカだけ。
 周りから、クスクスと忍び笑いが聞こえる。大天狗も長い鼻を上下に揺らして笑っている。
「なるほど、なるほど。さぞや“激しい”相撲だったのであろうな。しかし、よほど相撲が好きとみえる。道すがらも腕相撲をしてくるとは、なあ」
「えっ?」「あっ!」「ひっ」と三種類の奇声を続けて、ハルカは握ったままだった俺の手を、投げ捨てるように振りはらう。
 手遅れだった。卑弥呼以外の全員が腹を抱えて笑っている。
 たびかさなる侍女の失態に恥じ入ったのか、卑弥呼が抱えたのは、腹ではなく頭のほうだ。
「虚空坊【ルビ:こくうぼう】どの、私に免じて、そのへんで勘弁してやってくだされ」
 卑弥呼が大天狗の杯に酒を注ぎ、虚空坊と呼ばれた天狗がそれを一気に飲み干す。
「いやいや、こちらこそ失礼つかまつった。この若者らを見ておると、己が煩悩だらけの人間であったころをつい思い出しましてな。面目もない。ほれ、からかった詫びの印に一献」
 虚空坊は、白くにごった液体をなみなみと杯に注ぐと、俺に向けて差しだした。
 その様子を見ていたハルカが叫ぶ。
「張政! それ、飲んじゃダメ! この人だよ、けさの頭痛をくれた犯人!」
 俺は杯に伸ばしかけた手を、思わず引っこめた。
「こらこら、人聞きの悪いことをぬかすな。高千穂からここまで、きのう誰が運んでやったと思う。ふたりを抱えて飛ぶは、さすがに難儀したぞ」
 俺たちが目を白黒させているのを見ると、虚空坊は大口をあけて、カカカカカと豪快に笑った。
「さっ、戯れはこれくらいにして本題にもどりましょう。時間がありません」
 卑弥呼の静粛な一声で、場内のゆるんだ空気が一掃された。さすが歴史に名を残す女王だ。
「フセマル隊長、遅れてきた張政どののために、今いちど、状況の報告を」
 名を呼ばれ立ち上がったのは、真っ黒な山犬の顔をもった、がっしりした体つきの男。さっき「相撲を取っていた」とハルカと俺をからかったヤツだ。すでに戦仕立てをすませ、身にまとった鎧も黒。
 色らしい色があるのは鋭い光を放つ右眼の金色のみ。左眼はつぶれている。
 全身は硬い毛に被われている。が、皮膚が露出している部分も目立つ。そのすべてが傷跡。この男が何度も地獄を生き抜いてきた証拠だ。
 フセマルは、すでにまとめられた報告書をクドクドと読み上げる。
「本日、三斜の刻、一大率の動向、報あり。内容吟味の末、いまだ疑あれど好ありと断ず。その内容は……」
 このあと延々と続いたフセマルの状況説明は、専門用語と独特の言い回しが多く、実のところ俺には、さっぱりだった。報告書の類いをできるだけ素人にわからないように書くのは、今も昔も変わらない日本の伝統らしい。
 だから、ここに書くのは干草の中でハルカから聞いた大ざっぱな解説だ。さらに話の途中で、ハルカが俺の二の腕を抱えたままガーガー寝てしまったので、どこまで正確か自信がない。
 小一時間、読み上げられた報告書の主旨を簡単に言えば、
「次に一大率がねらう場所がわかったので、ちゃんと準備して今回こそは勝つぞ。さあ、みんなで作戦を考えよう」ということだ。
 この情報をつかんできた功労者は、虚空坊の横に座っていたタヌキ頭の小男。名前は市松。
 襲撃の日時は、早ければ三日後の未明、遅くとも四日後の夕刻。ただし、あくまで予想だ。
 場所は、蘇奴国【ルビ:そなこく】、山ノ衆の里、祖ヶ谷【ルビ:いがや】の里。ようするに四国の真ん中あたり、たぶん徳島県の西のはずれだ。
 火の一族の陣立ては、本隊が地元の山ノ衆。山犬や猪など動物の頭をもった獣人たち。もちろんフセマルもこの部族の出身だ。
 ハルカが言うには、この部族は陸戦に秀で、とくに山岳での戦闘においては圧倒的な力を発揮する。また勇猛果敢というよりは、むしろ血の気が多いことでも有名らしい。
 虚空坊の率いる風ノ衆【ルビ:かぜんしゅ】が火の一族の空軍なら、山ノ衆は陸軍。兵の数も人間に次いで多く、間違いなく火の一族の主力部隊のひとつだ。
 個人の戦闘能力も総じて高い。一部には、先祖から受け継いだ獣に変ずる能力を、いまだ保持している者もいるそうだ。
 これに加勢するのが、山ノ衆と生活域が隣接する二部族。風ノ衆(ようするに天狗)と河ノ衆【ルビ:かわんしゅ】(だいたいはカッパの姿)だ。
 こちらは、その特長を活かし、空と河川の警戒を担当する。
 ちなみに、敵、一大率の戦力に関する情報は今回も一切ない。それが不安材料だ。
 よって、状況把握のために先発する隊の役目は極めて重要。
 まあ、要点はこんなところだ。

 俺とハルカは、座るタイミングを失い、フセマルの説明を入り口の近くで立ったまま聞いた。まるで宿題を忘れて立たされて、そのまま先生に忘れられた小学生のようだ。
「残るは、先乗りして状況を確認する隊の人選ですかなぁ」
 フセマルの形式ばった説明が終わるのを、焦れながら待っていた虚空坊が切り出した。
 すでに一升ちかい濁り酒を飲んでいるはずだが、酔っている様子はまるでない。
「何があるか、わからぬゆえ臨機応変な対応が肝心だ。危険も多い。と、すると……、この任は、風ノ衆【ルビ:うち】がやらねばなるまいな?」
 どうやら虚空坊は、最初に軍を動かし、作戦の主導権を握るハラのようだ。
 皮肉な笑みを浮かべながら、虚空坊がフセマルを横目で見た。
 それを憎々しげにフセマルの右眼がにらみかえす。
「山ノ衆と風ノ衆は、もともと仲がよくなくて、いっつもあの調子……」
 うんざりした声でハルカが俺に耳打ちした。
 聞けば、山ノ衆は名誉を重んじ、やたらとプライドが高い部族。対して風ノ衆は、挨拶代わりに他人をからかう、そんな部族らしい。現代で言えば、イギリス人とフランス人のようなもんだ。中でもフセマルと虚空坊はその典型とくれば、相性サイアクの組み合わせ。
「いや、狙われているのは我ら山ノ衆が本拠。それにこの役目、土地鑑のない者に務まるわけがない」
「なんの、なんの。空から見れば土地鑑など不要。だいたい足では遅すぎる。到着したころには戦が終わっておるやもしれんぞ。カカカカカ」
 虚空坊は、フセマルに大きな鼻を向けて笑った。すると。
 うぅぅぅ……。うぅぅぅ……。
 低い唸り声が聞こえた。フセマルの喉からだ。見れば全身の毛が逆立っている。
 うぅぅぅ……。うぅぅぅ……。うぅぅぅ……。うぅぅぅ……。
 他の山ノ衆もこれに呼応して、唸り声をあげはじめる。か、かなりやばい雰囲気。
「ほぉ、おもしろい。まとめて相手をしてやるか」
 虚空坊は立ち上がり、フセマルめがけて、杯を持った腕を振りあげた。
 一触即発の様相に場内が騒然となる。
 その瞬間、丸太のような虚空坊の腕に、白蛇のような細い腕がするりと絡みついた。
「虚空坊どの、大事なお神酒【ルビ:みき】がこぼれては、もったいない」
 卑弥呼は穏やかに微笑を浮かべ、虚空坊の杯にゆっくりと酒を注ぎ足した。
 立ち上がりかけていた虚空坊が、どっかりと腰をおろす。いつの間にか、フセマルの唸り声も消えている。テントの中に静穏がもどった。
 だが、今度は誰も口を開こうとしない。他人の顔色をうかがい、皆、周りをキョロキョロするばかり。
 と、俺のすぐそばで、参観日に張り切る小学生ばりの大きな声。
「その役目、私にやらせて。それに“渡り”をやれば明日中には着くし!」
 沈黙を破ったのは、やはりここでもハルカだった。
「渡りか……。確かに速いが……。戦は、相撲を取るのとは、訳が違う」
 フセマルの皮肉に、ライバルの虚空坊までもが大きくうなずき、卑弥呼にいたっては眉間にしわを寄せて溜息をついている。
 ハルカの手が俺の手を探し、また握ってきた。その手は少し汗ばんでいる。
「大丈夫! 張政も一緒だから。ね、ね、ね?」
「えっ?、あぁ……、お、おおおおお!!」
 マヌケな雄たけびをあげた勢いで上がった俺の右手に、全員の視線がなぜか注がれている。
 手には、例の天ノ逆矛が握られていた。その効果が抜群だったことは確かだ。
 卑弥呼だけがハルカをじっと見ている。ハルカが神妙にうなずく。
「武運を」
 凛とした声で卑弥呼が告げると、作戦会議は終わった。

 ──どうしよう?
 どうやら、あした、俺は戦争に行くらしい……。





(第二章 初陣 1 に続く)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9993701&comm_id=889699

コメント(3)

 なんか直接書き込みって緊張します(いいんですよね???)。
 それで、思いっきり細かい一カ所だけで恐縮ですが、

◎ ー6ーの濡れ場です
 「そこは、二つ折りのパンケーキに、メイプルシロップを一瓶こぼしたをようだ」
 →2つ目の「を」を取ってください

 ひとまずこれだけです、すみません。

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