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メイキングオブ ハルカ天空編コミュの●第二章 初陣 1〜5

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 第二章 初陣
 ─1─

「今日は、いッちばん高い山に登るよ!」
 二日目の朝は「なんでおまえは、いつもそんなに元気なんだ?」と、ぼやきたくなる、ハルカの元気な一声から始まった。
 先発隊のメンバーは、ハルカと俺の他にもうひとり。一大率襲撃の報をもたらした山ノ衆【ルビ:やまんしゅ】、タヌキ頭の市松だ。おそらく故郷のピンチに居ても立ってもいられなかったのだろう。目的地である祖ヶ谷【ルビ:いがや】までの道案内を買ってでてくれた。
 俺は、かなりの距離を歩かされると踏んで、フセマルがくれた臭くて重い甲冑【ルビ:かっちゅう】はパスし、ハルカが選んだ臭くて軽い帷子【ルビ:かたびら】を身に付けた。
 その軽い帷子を推薦した当のハルカは、その帷子すらも煩わしがって、昨日とほとんど同じ格好。違っているのは二日分の食料を詰めた袋が背中にひとつ増えただけ。まるで日帰りのハイキングにでも出かけるような身軽さだ。
 それにしてもハルカが言った“いちばん高い山”とは、どの山のことだろう。このあたりでいちばん高い山といえば、霧島山地の西のほうに、名前は忘れたが、高千穂よりも高い山があった気がする。
 だが、そんなことよりも合点のいかない大きな疑問……。
「なあ、ハルカ! なんで山登りなんだ? だいたい四国とは方角からして、ぜんぜん違うぞ」
 きのうと同じく、ひとりで、どんどん先に行くハルカの背に俺は声を張りあげた。
「空に浮いてる邪馬台国から、翼のない私が、どうやって梯子【ルビ:はしご】も階段も使わず降りてきたんでしょーか?」
 振り向いたハルカが、クイズ番組の司会者のような口調でいたずらっぽく謎をかけた。
 俺は歩くスピードを上げ、ハルカの横に並びかける。
「まさか、空飛ぶ船とか?」
「今日は違う。修理中なんだ」
 今日は? 修理中?
 ……って、本当にあるのかよ?
 まあ、宙に浮かぶ大きな島に、空飛ぶ船の一隻や二隻、ないほうがおかしいか。
 さっぱりわからん、という顔をしていたであろう俺に、ハルカからふたつ目のヒント。
「ミヤザキケンから張政をここに連れてきたの、私だってこと忘れた? 今日はその逆をやるの」
 と聞いて、俺の頭はますます混乱した。
 ハルカのほうも「ま、やればわかるよ」と言ったきり、この件については口を閉ざしてしまった。
 その代わり、ここまで一言も声を発していなかった市松に声をかけた。唐突ではあったが、たぶんハルカなりの気遣いだ。
「市松さん!」
 急に声をかけられた市松は、身体をピクンとさせ二センチほど飛び上がると、おそるおそる顔をあげる。
「お……おどかさないでくださいよ」
 市松は、汗をふきふき、懸命の作り笑顔でハルカを見あげた。
 このタヌキ男、背は小柄なハルカよりさらに低い。手足も短く、鋭い牙も爪もない。どうひいき目に見ても兵士には不向きだ。加えてさっきの反応から察するに、かなりの小心者。体力のなさを度胸でカバーするタイプでもなさそうだ。
 その姿はまるで、リストラ勧告におびえる、うだつのあがらない中年サラリーマン。ふたりの子供はまだ小学生。無理して買った3LDKの自宅マンションのローンも二〇年分きっちり残っている。そんな悲哀さえ背中からにじみ出ている。
 はっきり言って、一大率の秘密情報をつかんでもどったヒーローには、とても見えない。
 ハルカもそう感じていたようだ。そして、この女は思ったことをすぐ口に出す。
「ねえ、どうやって一大率の情報を手に入れたの?」
 市松は、頭をかきながら上目づかいでハルカの顔色をうかがっている。
「そりゃ、一大率に潜りこんだんで……。と言ってもあたしが潜入した組織なんぞは、下っ端のそのまた下っ端で、土ノ衆【ルビ:つちんしゅ】のとこなんですがね」
 土ノ衆とは、大ざっぱに言うと鬼族のこと。地中に独自の道をもち、人知れず移動できる鬼族は、隠密行動が不可欠である一大率とは昔から縁が深い。今も土ノ衆から火の一族に加わる者はいないばかりか、一大率に与する者さえいる。……ということらしい。
 市松が潜入に成功したのは、その土ノ衆の末端組織というわけだ。
「それにしたって、よく潜りこめたね。そのお団子【ルビ:だんご】みたいな顔じゃ、鬼には見えないけど?」
 ハルカは、市松の隣に並んで歩きながら、その愛嬌のある丸顔を覗きこんだ。
 顔をまじまじと見られて照れたのか、市松は小走りに駆けだした。そして少し先まで行くと、しゃがみこんで足元の泥を手ですくいはじめた。
 ……あいつ、コソコソなにやってんだ?
「なにしてんの?」
 俺の疑問そのままをハルカが口に出し、市松に追いつくと肩をたたいた。市松はどういうわけか泥で顔を洗っていたようだ。
 小さな手で、面【ルビ:おもて】を隠したまま、市松が顔をあげる。
「これで少しは鬼に見えませんかね?」
 泥だらけの手の下から現れたものは、市松の顔ではなかった。
 口が耳の近くまで裂け、頬と額が異様に盛り上がり、あごが突き出している。
 少し丸みは残っているものの、それは紛れもない鬼の顔だ。
「仕上げは、こんな感じで」
 そう言うと、市松は頭の上に泥で固めた二本の角を生やしてみせた。
「乾いたところで色を塗れば、もっと本物っぽくなりますし、土ノ衆と一口に言っても、山ノ衆と同じで、いろんなのがいますからね。実際のとこ、この程度で十分なんでさ」
「凄い。すごーい!」
 ハルカは目をぱちくりさせてしきりに感心している。
「ねえ、他にもできるの?」
「ええ、まぁ……」
 思いのほか褒められて気を良くしたのか、市松は次の化粧に取りかかった。今度は顔の真ん中に泥を集めているようだ。
「じゃあ、こんなのはどうです?」
 振りかえった市松の顔が、きのうの大天狗に変わっていた。
「昔は、この鼻で千人の女を泣かしたものよ。カカカカカ」
「ああ、虚空坊【ルビ:こくうぼう】だ! 品のない高笑いまでそっくり! 、凄い、凄い凄い! ねえ、他には他には?」
「えっ、まだやるんですか? しょうがないなぁ…… じゃあ、次はフセマルの大将をば」
 いつの間にか救世主にされていた俺が言うのもなんだけど、ハルカは人をのせる天才だ。
 凄い凄い、と囃【ルビ:はや】したてられ、気づいたときには、市松は三〇人を超える人物に化けていた。
 おかげで俺とハルカは長い道中も退屈しらず。半日分の山道を大笑いしながら歩き通した。
 が、市松のほうは、目的の山頂に着いたころには、顔の毛が半分ちかく抜け、べそをかいていた。
 ……ご愁傷さま。

 ─2─

 山頂には巨大な火口がくちをあけていた。その淵をたどるように俺たちは歩いている。四方に大小の湖がいくつも見える。南の空に昇っている煙は、たぶん桜島だ。
「えーっと、このへんにあるはず……、な、ん、だ、けどなぁ?」
 ハルカは誰に言うでもなく、ブツブツ何ごとか喋りながら歩きまわっている。きょろきょろとあたりを見回し、何かを探しているようだ。
 だが、目の前の火口から噴きでたらしいゴツゴツした大きな石が、ところどころに雑然と転がるばかりで、特に目を引くものは見当たらない。
「あぁ、あそこだ。は〜い、全員集合!」
 駆けだしたハルカが手招きした先にも、他と変わらない石があるだけに見えた。
 ──が、違った。
 ハルカの隣には墓石ほどの大きさの自然石がひとつ、屹立していた。見ればその先端をズボンのベルトほどの幅の赤い塗料が一周している。さらにその石を中心に同じくらいの大きさの石が、一歩ほどの間隔で規則正しく円周上に立てられている。円の大きさはピッチャーマウンドより、一回り大きい。
 ──環状列石。いわゆるストーンサークルだ。
 ここで俺が後日、インターネットで調べた豆知識を、せっかくなので披露しておこう。
 環状列石は性器や太陽のシンボル、あるいは祭事用の暦とも言われている。何らかの意図をもって人が作ったということは確かだが、本当の意味や機能は不明だ。
 ストーンサークルで最も有名なのは、イギリスのストーン・ヘンジだろう。見劣りはするが、日本にも北海道から九州まで、かなりの数が現在も残っているらしい。まして邪馬台国の時代なら、さほど珍しいものではなかったのかもしれない。
 そのひとつが、ここにあった。
 ハルカに言われて、俺と市松が円周の内側に転がっているよけいな石を片づける。その間にハルカが、中心に立つ石の周囲の地面に、持ってきた赤い顔料で曲線を描く。蛇のように波打ったウネウネした模様だ。
「ま、こんなとこかな」
 一〇分ほどで模様を描きおえると、ハルカは立ち上がって俺たちを呼んだ。
「最終目的地は蘇奴国【ルビ:そなこく】、剣山【ルビ:つるぎさん】。だけど、ちょっと遠いから、今日は三つほど寄り道していくことにするね。本当は目を閉じてるほうが波動が乱れなくていいんだけど、なんだったら開けててもいいよ。天気もいいし、いろんな景色が見られて楽しいし。じゃ、そういうことで、ふたりとも私と手をつないで」
 俺と市松は、怪訝な表情で顔を見合わせながら、とりあえずハルカが伸ばした手を握る。
「いったい何をやらかすんだ?」
 俺の質問に市松も相乗りし、こくこくとうなずいた。
「もちろん“渡り”をやるの。きのう言ったじゃない?」
 ハルカは、何を今さら、という目つきだ。
「いや、だから、“渡り”ってナニ?」
 俺も、市松のおびえた目を見て、だんだん不安になってきた。
「口で説明されてあれこれ想像するより、体験しちゃうほうが早いって!」
 明るくそう言い放ったあとに、ハルカは俺の耳もとに口を寄せ、
「きのうのアレと一緒だよ。ね」と、ささやき声でつけたした。
 ──アレ……? アレって? アレのこと?
 こんなときに、この女、なに考えてんだ、まったく……。
「じゃ、始めるよ」
 ハルカは目を閉じると少しあごを引き、口の中でなにやら唱えはじめた。
 見ると、ストーンサークルの外側に陽炎が立ちのぼっている。霞がかかるように、周りの景色がだんだん白くぼやけていく。そして……。
 ふっ、と…… 消……  え……   た……。
 その瞬間、俺たち三人は、滝のような勢いで降りそそぐ白い光のシャワーの中にいた。
 無数の光の粒子が ──・──
 ── 俺の身体の中を ──・──・──
 ──・──・── ハルカの身体の中を ──・──
 ──・──・──・──・──・── ビュンビュン飛んでいく。──・──
 なんだ、これー? ? ?
 いったい何が起きてる!?
 腰のあたりから尾てい骨に向けて身体の中を冷たいものが突き抜ける。
 落下しているのか上昇しているのかすら、わからない異様な浮遊感だ。
 身体が前後左右に揺れる。平衡感覚がおかしい。足元を確かめようと目を落とす。
「うそ? 地面が、ねーー!」
「大丈夫、私を信じて」
 ハルカが俺の手を、強く握りなおした。
 そのとき、光の雨が突然やんだ。
 最初に目に飛びこんできたのは、なだらかな山に囲まれた畑と林。ごま粒のような人家。
 その風景が一瞬でかき消え、次に現れたのは、雲海のはるか遠くに臨む薄紫色の山脈。
 それもすぐに消える。三番目はまぶしく輝く水面。そこに浮かぶ大小の島々も一瞬だけ見えた。
 次は──
 一面うっそうと茂る濃い緑の森だ。
 この森はいつまでたっても消えなかった。足の裏に地面もちゃんと戻ってきたようだ。
「ふー、終わり」という声とともに、ハルカの手が離れた。
 とにかく、あの気色の悪い浮遊感から解放されただけでも、ありがたい。
 市松は“渡り酔い”したらしく顔色が悪い。たぶん俺も似たようなものだろう。足の裏が地面を踏んでいる今も、腰の背骨あたりに、さっきの奇妙な感覚がまだ漂っている。もう三秒、続いたら……嘔吐していたか射精していたかの、どちらかだ。
 ハルカも肩で息をしている。全力を出し切った短距離ランナーの息づかいだ。
 俺は意識して深呼吸を繰りかえし、落ち着きを取りもどす。やっと周りを見渡す余裕もできた。
 眼下には深い森がどこまでも広がっている。ところどころ木々が切れている箇所は、たぶんその下に川が流れているのだろう。渓谷かもしれない。森のずっと先には海だろう。半島や島が見える。
 情けない話だが、俺にはそれくらいのことしかわからなかった。
 確かなことは、ここがゴツゴツした石が転がっていた最初の山とは違う場所だということ。
 だが、共通点もあった。おそらく今いる場所もこの辺りでいちばん高い山の頂上で、俺たちが立っているのは、あいかわらずストーンサークルの真ん中だ。これは偶然ではないだろう。
 それにしても……。
「ここは、どこだ?」
「剣山のはずなんだけど。なにしろ私も来たのは初めてだし……。どうなの、市松さん?」
 ハルカに問われて、市松は鼻を風上に向けるとヒクヒク動かす。
「ええ、間違いないようで」
 こいつ、臭いで場所がわかるのか?
 市松の鼻が正しいなら、いや、おそらく正しいのだろう。俺たちは九州の南部から四国の真ん中あたりまで一瞬で移動したことになる。
「今のが“渡り”? もしかして、これが巫女の力ってやつか?」
「ま、そういうこと。使えなくなると困る理由【ルビ:わけ】、少しはわかってくれた?」
 力なく笑ったあと、ハルカは腰が抜けたように地べたにペタンと座りこんだ。
 市松が傍らにかがみこんで心配そう様子を見ている。
 ハルカの唇がいつの間にか紫色に変わっていた。目にもいつもの輝きがない。
「四回、続けてやったの、初めてだったから。えへへ、正直ちょっときつかった……。でも少し休めば……」
 声がだんだんかぼそくなり言葉が途切れた。突然、ハルカが後ろにぶっ倒れたからだ。
 俺は駆けよって抱き起こす。身体が少し冷たい気がする。
 と、ハルカがうっすらと目を開けた。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫……」
 そう言うと、今度は完全に気を失った。
「おい、ぜんぜん大丈夫じゃないじゃないかよ!」
 どーすりゃいいんだ!?
 焦る俺に、市松がおずおずと声をかける。
「とにかく山を降りましょうや。風が湿ってきたし、じきに日暮れだ。ここじゃ、寝かせるところもない。まかせてください。森に入ればあたしが、なんとかしますから」
「あ、ああ。わかった。頼む」
 市松にハルカの荷物を預け、俺がハルカをおぶる。
 チビでやせっぽちのハルカは軽い。本当に軽い。泣きたくなるくらい軽い。
 そっか……、こいつ、疲れを知らないわけじゃなくて無理してやがったんだ……。
 俺は、ハルカを背負い、山道をガムシャラに駆けた。
 頬にポツリ。市松の勘が当たった。
 ──くそ、雨だ。
 よりによってこんなときに雨が降るなんて……。時代や場所が変わったくらいじゃ、俺の運の悪さは変わらないらしい。

 ─3─

 土砂降りになった雨空を、うんざりしながら俺は見上げている。
 俺が座っているのは、山の中腹で見つけた洞【ルビ:ほら】の入り口だ。
 巨大な岩にできた小さなひび割れが、気温差や水の浸食で、長い年月の間に徐々に大きく拡がった穴だと思う。
 奥ではハルカが白い煙にときどきむせながら、小さな焚き火に手をかざしている。
 ハルカは、ここに運びこむとすぐに意識を取りもどし、俺と市松の奮闘も知らず、
「あ〜、おなか、へった〜」と、のたまった。
 口数が少ないところをみると、まだ本調子ではないものの、体が食い物を求めているのだから、心配したほど体調は悪くないようだ。
 それにしても市松の働きは目を見張るものだった。ハルカじゃないが「凄い! 凄い!」を連発したくなるほどだ。
 まず、ここを見つけたのは、市松だ。完全に草がふさいでいた洞の入り口は、そのすぐ前に立っていたにもかかわらず、俺にはわからなかった。
 仮に偶然、発見したとしても、頭を低くして膝を曲げなければ入れないような、岩の亀裂の奥に、雨風をしのげる三畳ほどの空間があるなんて考えもしなかったはずだ。
 雨脚が強まる中で、くすぶりながらもそれなりに燃える薪【ルビ:たきぎ】を、ものの五分で一抱えも集めてくるなんて芸当も、とてもじゃないが俺にはできない。
 おまけに身体が温まる薬効のある、木の根っ子まで掘り出してきてくれたし……。
 市松がいなかったらどうなってたか。想像すると身が縮む。
 ……あんた、大したもんだよ。見た目で馬鹿にしてホント悪かった。
 ハルカの横で、そそくさと晩飯の支度をしている市松の小さな背中に、俺は心の中で何度も頭を下げた。
 湿っていた薪に本格的に火がまわり、パチパチと音を立てはじめた頃には、美味そうな匂いの湯気が小さな洞の中を満たしていた。
「できましたよ。味のほうは保証しませんが、召し上がってみてくださいな」
 市松が用意したのは、持ってきた雑穀に自生の野草を散らした味噌ベースの鍋だ。
 はっきり言って、親父の店でいちばん高い二四八〇円もする、なんちゃって北京ダックよりはるかに美味い。
 さらには、いつの間にどこで調達したのか、新鮮な肉まで入っていたから驚きだ。
「この肉、柔らかい。なんて魚?」
 ハルカは小骨の多さに顔をしかめつつも、肉を口に運ぶ手を休める様子はない。
 これだけ食欲があれば大丈夫だろう。市松も安心したようにハルカの意地汚い食べっぷりに見とれている。
「いや、そいつは魚じゃなくて、ここにいた先客なんで。なんだったら、まだたんとあるんで足しましょうか?」
「え、本当? じゃあ、お願い」
 市松は、ハルカの腕ほどある何かをズルズルと持ちあげた。それは頭を勝ち割られた大蛇の半身だ。
 ──げっ、肉の正体はそれかよ。
 具の正体を先に聞いていたら俺は申し訳ないが遠慮しただろう。でもハルカは別のようだ。
「私、これからは、長いものを見たらヨダレが出るかも〜」
「お口に合って何よりで。じゃあ、明日は蚯蚓【ルビ:あれ/みみず、というルビに変えて、あえて、あれ、とふる】のウドンといきましょうか」
 市松は爪の一本を蛇のあごに突き入れ、そこからピリピリと音をたてて一気に皮をむいた。
 晩飯の後片づけが終わったときには、雨は小降りになっていた。
「明日は晴れますよ」と言ったあとに、市松が明日の行程プランを説明しはじめた。
 目的地の祖ヶ谷までは、渓谷に沿って進むのが最短ルート。ただしこのルートは、敵に遭遇する可能性が高いので、森の中の獣道を使って迂回する。予定通りにいけば、日暮れ前には祖ヶ谷に到着。だいたい、こんな感じのプランらしい。
 市松の説明が終わるやいなや、ハルカが反対する。哀れな蛇のおかげで精をつけ、すっかり元気を取りもどしたようだ。
「ダメよ。谷の道を行く」
「いや、そっちじゃ一大率に襲ってくださいって、言ってるようなもんで」
 市松は声こそ平静を保っているが呆れ気味だ。
「で、敵に襲われたときに戦うのは……やっぱ俺? ……なんだよな?」
 俺のほうは、声もすでにビビリ気味。
「戦いたいならお好きにどーぞ。私は一目散に逃げるから」
 何を言い出すんだ、この女は。俺と市松は、そろってポカンと口を開けた。
「私たちは敵の布陣や数を本隊に知らせれば、それでいいの」
 ハルカは水色の腕輪を見せた。これで連絡するという意味だろう。
「考えてみてよ。明日一日しかないんだし、敵を探すなんてまどろっこしいことやるより、敵にこっちを見つけさせるほうが手間がかからないじゃない?」
 それはそうかもしれない。だけど普通に戦うより何倍も危険な気がするのは、俺が戦に慣れていないせいか? それとも、この女の頭がおかしいせいか?
「人間の女ってのは、とんでもないことを考えつくもんで。が、理屈は通ってる。わかりました。せいぜい目立つようにいきましょうや。ま、いざとなったら森に飛びこんじまえばこっちのもの。追っ手をまくくらいなら、あたしがなんとかしますよ」
 市松が、なんとかすると言うのなら、きっとなんとかなるのだろう。なにしろ、この男は森のエキスパートだ。
 市松が賛成に回ったので、明日は渓谷に沿ったルートを進むことにすんなり決まった。
 それから寝るまでの間は、互いの家族の話をした……と言っても、話していたのは市松がほとんどで、俺とハルカはもっぱら聞き役だ。俺のほうは家族のことを詳しく喋るとボロが出そうだったし、ハルカは話したくても、身寄りがひとりもいないのだそうだ。
 市松の話は、奥さんとの馴れそめから始まり、たくさんの子供の話に移っていった。
 この男、かなり子煩悩らしく、どの子供のエピソードも一人ひとりの顔が想像できるくらい、面白かったし優しい気持ちにさせられた。
 だが俺もハルカも疲れていた。五人目の彦市が木から落ちたあたりで、ハルカが俺の膝の間で寝息を立てはじめ、七人目の雪松が生まれた頃には俺も眠ってしまったらしい。
 そのあと、もともと夜行性であるタヌキ男が、ひとりでこっそり出かけたことに、俺たちは次の日まで気づかなかった。

 ─4─

「うわっ、ひでえ……」
 俺はさっき食べたばかりの草色の粥【ルビ:かゆ】が逆流してくるのを懸命にこらえた。
 ふたつの山ノ衆の死体を発見したのは、簡単な朝飯をすませたあと、一時間ほど山を下りもうすぐ森を抜ける、遠くに渓谷を流れる水の音が聞こえてきたあたりだ。
「このナリからして、祖ヶ谷から出っ張ってきた哨戒【ルビ:しょうかい】のようで。しかし、なにもここまでやんなくたって……」
 市松が嘆いたのも無理はない。山の斜面に転がっていた、ふたつの死体は四方八方から一斉に槍で突かれたような穴が、全身に何十とあいていたのだ。
 そして、ふたりとも頭がなかった。食われたのか、持ち去られたのか、とにかく頭だけがどこにもなかった。
 殺されていたのは毛の色や体つきから、熊頭と猪頭のようだ。両方とも体力自慢の山ノ衆の中でも屈強といわれる種類の獣人たちだ。
 そんな戦士の中の戦士のような連中を、こんな無残な姿に変えたのは、いったいどんな敵なのか。見当もつかないが、そいつには目クソほどの情けもないことは確かだ。
 ハルカは、死体の傍らに屈みこみ黙祷【ルビ:もくとう】し、なにやらお経のようなものを唱えている。俺と市松もハルカをまねて目を閉じて合掌した。そのときだ。
 バサ、バサ、バサ。カタカタカタ……。
 音がした。森の奥からだ。木の上に潜んでいた何かが飛び降りて移動を開始したのだ。
 こちらに近づいてくるその姿を見て、俺の口から思わず声が出た。
「いったい、ありゃ何だ?」
「さあ、でも、味方とは思えませんがね」
 俺と市松が後方に異様な一群を確認したとき、ハルカがやっと祈りを終えて立ち上がった。
 昨夜の打ち合わせでは、敵と遭遇したときには森へ逃げこむ手はずだったが……。いきなり森の奥から敵が現れたときは、どーすんだ!?
「とにかく逃げたほうがよさそうで」と市松。
 そりゃ、そうだ!
 市松は、きのうの雨でぬかるむ森の斜面を渓谷のほうに駆けおりていく。
 その後ろを、俺とハルカが、けさ乾いたばかりの服をドロドロにしながら滑りおりる。
 さらにそれを追いかけるのは、神輿【ルビ:みこし】に脚が生えたような蜘蛛に似たもの一ダース。長い八本の脚をカタカタと動かし、こちらに向ってくる。
 この蜘蛛モドキたちが生き物でないことは、身体を構成する部品をみれば一目でわかる。その造型は、B級のホラー映画を深夜のテレビで観た小学生が、翌日に作った夏休みの工作のような悪趣味な無邪気さと残酷さに満ちていた。
 八本の細長い脚の関節は、青竹でできている。胴体はティッシュの箱を三つ四つ並べたくらいの木箱。問題は、その木箱の上に載っている物体だ。
 蜘蛛モドキ一体につき、生首がひとつずつ、胴体の上に飾ってあった。
 首の種類はさまざまだ。女に男。子供に老人。カッパの頭もある。古いものは肉が腐り骨がのぞいている。いちばん新しいものは、まだ血も乾いていない先ほどの熊男と猪男の頭部。恐怖に目を見開き、口をあんぐりとあけ、今にも叫びだしそうな形相だ。
 俺たちと生首グモの移動速度は、ほぼ同じ。ただしぬかるんだ平地では、八本脚で姿勢が安定している分だけむこうが速い。少しずつ確実に差が詰まる。
 だが、たっぷりと水を含んだ傾斜地に入ると、その差はみるみる開いていった。
 いくら蜘蛛たちの移動スピードが速かろうと、脚を使って進んでいる限りは、ほとんどヤケクソ気味に尻と背中で斜面を滑っている俺とハルカのスピードにかなうわけがない。機械仕掛けのハンターどもには、わざわざ自分から転ぶなどというバカなまねができないのだ。
 ──よし、これなら何とかなる!
 そう思ったときだ。生首グモが一斉に地表から消えた。
 空の上から見えないヒモで引っ張り上げられたように、唐突に宙に跳ねたのだ。
 蜘蛛たちが俺たちの頭上に達する。空中で、傘を閉じるように八本の脚をそろえ、足先を下に向ける。その先端は斜めにカットされた鋭い竹槍だ。
 間違いない。あれがふたりの山ノ衆を穴だらけにした、おぞましい武器の正体だ。
 八本の槍の束が猛スピードで次々に落下してくる。第一波は十二体の半分の六体。
 ざぐっ、ざぐっ、ざぐっ。ざぐっ、ざぐっ、ざぐっ。
 いちばん近いものは、俺とハルカから三〇センチと離れていない地面に突き刺さった。
「あ、ぅあっ!」ハルカが叫んだ。
 落下の衝撃で、竹槍の束から外れたのだろう。カッパの頭が飛んできて、目玉がひとつ転がって、ハルカの目の前でつぶれた。そのうえ鼻がひん曲がりそうな腐臭のおまけつき。
 俺は、パニクっているハルカの二の腕をつかんで強引に起き上がらせると、そのまま前方に飛んで転がった。
 ざぐっ、ざぐっ、ざぐっ。ざぐっ、ざぐっ、ざぐっ。
 転がる俺たちを追いかけて、第二波の竹槍が降ってきた。
 振り向くと、俺たちが今いた場所には針山のような槍の束。さっきのカッパの頭は元の形が何であったかわからない骨と肉と汁に変わっていた。
 脚を地面に深々と刺しいれた蜘蛛モドキたちは、脚を抜くのに手間どっている。その隙に森を抜け渓谷を臨む崖っぷちまで一気に駆けた。
「こっちで!」
 先に着いていた市松が、俺たちを呼ぶ。
 市松は吊り橋の上にいた。橋は対岸まで伸びている。あの橋を渡るつもりだ。
 俺はハルカの手を引いて、市松の呼ぶほうによろよろと走る。その後ろでは泥からやっと脚を引き抜いた蜘蛛モドキたちが、カタカタと脚を動かし追跡を再開する。
 吊り橋は、長さがおよそ四〇メートル。幅は一メートルちょっと。太いツタを編んで作られた縄に丸太が何本もくくりつけられ、床部分ができている。
 ハルカを先に行かせ、俺は後ろについて渡る。
 揺れる……。
 一歩進むたびに揺れがひどくなる気がする。橋の中ほどに達したときには、ブランコに乗っているように大きく揺れだした。
 だが、この揺れが幸いし、蜘蛛たちも立ち往生している。八本の脚のうち常に四本が両脇の綱を挟むのに使われているため歩みが遅くなる。くわえて橋の幅が狭いので一度に一体しか入れない。自然に一列になる。これも渋滞の原因だ。
 その蜘蛛たちのありさまを、ハルカがちらっと見た。急に足を止め向き直る。
「張政、しっかりつかまってて」
 ハルカは両手で左右の手すりの綱をしっかり握ると、腰を左右にくねらせ始めた。
 ──へ? こんなとこで、なぜダンス?
 さらに腰のくねりにあわせて左右の肘と膝を交互に伸縮する。橋がブンと揺れる。
 ──そうか! こいつ、吊り橋をわざと揺らそうとしてるんだ!
 そうとわかればデュエットといこう。ハルカの動きにあわせて俺も腰をくねらせる。
 しかし、お袋が映画に影響されて始めた社交ダンスの練習相手をやらされた経験がこんなとこで活きるとはね。
 ま、命がけでチャチャチャを踊った高校生は世界広しといえど俺だけだろう。
 見る間に揺れが増幅していく。振り子のように橋が大きく弧を描く。
「やった!」
 ハルカの声に顔を後ろに向けると、先頭の蜘蛛モドキ四体がバランスを失い、生首を下にして川に落ちていくのが見えた。
 残った蜘蛛たちは、たまらず橋をはさむ脚をさらに一対増やす。スピードがさらに落ちた。
 ──よし、今だ!
 俺とハルカは、手すりの綱にしっかりつかまりながら、まだ揺れが止まらない吊り橋を突き進んだ。
 向こう岸で市松が笑顔で手を振っている。
 ──あと少し!
 そのとき、市松の顔が凍りついた。俺たちの後ろを指さしてなにか叫んでいる。
 顔を少し振り横目で後ろを見る。
 蜘蛛たちが橋の中ほどで、膝を曲げて跳躍の態勢に移っていた。
 まさか揺れる橋の上からここまで跳ぶつもりなのか!?
 ハルカが向こう岸に先に着く。俺に手を伸ばしながら声を張り上げる。
「逆矛! 切って! 早く!」
 吊り橋を逆矛で切って落とせと言いたいらしい。
 人の太ももほどもある綱を一刀両断なんて、竹刀すら振ったことがない素人にできっこないだろ!
 たとえ時間をかければ切れるにしても、それまでに俺は竹槍のハリネズミだ。
 それに、この矛、錆だらけなんだぞ。
「俺に、本気でできると思ってるのか!?」
 俺はハルカの目を見た。
 すると、このバカ女、にらみ返して大きくうなずきやがった。
 ──そうかよ、そうかよ、そうかよ! ああ、もぉ、どうなっても知らねーからな。
 覚悟を決めた。
 向こう岸に片足がついたと同時、その足を軸に、腰に下げた矛を抜きながら反転。
 矛を肩に背負う。その重さを腰に載せ、膝のバネを使って矛を跳ね上げる。
「おりゃあ!」
 橋を支える太い敷き綱の片方めがけ、力いっぱい振りおろした。
 がつっ。
 あちゃ、思いっきり手がしびれてる。狙いが狂って何か硬いものを叩いたらしい。
 足元を見ると逆矛の先端が、綱の下にあったはずの岩盤に深々とめりこんで止まっていた。
 ハルカと市松が渓谷側を指さして騒いでいる。俺も顔をあげてそっちを見る。
 橋の床を留めていた片側の太い敷き縄が、竜のようにうねりながら渓谷の宙を舞っていた。
 それを追いかけて、さっきまで橋の床だった何本もの丸太が次々に落ちていく。
 綱が切れたのが、やつらの跳躍とほぼ同時だったのだろう。踏み切った脚を伸ばしきった形のまま、蜘蛛モドキたちが橋の床があった空間で静止している……ように見えた。
 が、それは一瞬の錯覚。
 生首を載せた奇怪な兵器群は、一体残らず渓谷の底に吸いこまれて消えた。
 それを見とどけると、俺の膝は急にガクガクと震えだし、挙句のはてには腰が抜け、地面に尻もちを突いた。
 ハルカが俺の前に立つ。
 顔を上げると、ピースサインと白い歯が見えた。
 俺も苦笑いしながら、ピースサインを返した。
 ……こいつに、ピースサインが平和の意味だと教えたら、どんな顔をするんだろう。

 ─5─

「この橋、カズラ橋と言いましてね。後家カズラというツル草でできてんですよ。より合わせりゃ、斧でもそう簡単には切れないはずなんだが……。さすがは天ノ逆矛で」
 市松がしきりに感心していたが、いちばんビックリしたのは当の俺だ。ま、俺がのちのち知ることになる、この不格好な矛の“本気”に比べれば、驚くほどのことじゃなかったが。
「おかしいなぁ……」
 水色の腕輪を額に当てたまま、ハルカがぼやいた。
「もうこのへんまで、河ノ衆【ルビ:かわんしゅ】が来てるはずなのにぃ」
 一大率の先兵に遭遇したニュースを、近くの火の一族に伝えようとしたが、さっぱり応答がないらしく、ハルカは地団太を踏んでいる。
「きのうの雨で水かさも増してますし、こんな濁流じゃ、いくら泳ぎが達者な河ノ衆でも遅れることもありますよ。だいたい連中が約束の時間を守ることなんざ、年に一度もありゃしませんし。水の中には陸【ルビ:おか】の上とは違う時間が流れてんですよ。ま、河ノ衆と付き合うなら辛抱が肝心で」
 市松の身も蓋もない慰めに、ハルカが恨めしそうに谷底を覗きこんで肩を落とす。
「どうせ、あんなのがうろついてるようじゃ、うかつに森には入れないし、とにかく祖ヶ谷で本隊と合流して、あとのことはそれからだね。予定どおりこのまま川沿いに進みましょ。……それにしても、河ノ衆はどこ行ったのよ。こんど見かけたら頭の皿に盛り塩してやる!」
 チッ、と派手に舌打ちしながら、ハルカがやっと立ち上がった。
 その後の道中、ハルカは時間にルーズなカッパたちに、例の腕輪で何度か連絡を試みたが、結局うまくいかなかった。たぶん、受信の相手が有効範囲にいないか、竹槍に穴だらけにされているか……。ま、あれから一度も敵に会わなかったのが、せめてもの救いだ。
 石のように硬かった干し飯【ルビ:いい】が胃の中でやっとふやけ、滝と奇岩の観光にも欠伸【ルビ:あくび】が出はじめたころ、ふたつ目のカズラ橋が上流に見えてきた。
 市松によると、あの橋を渡れば祖ヶ谷はもう目と鼻の先らしい。
 橋の中ほどまで来ると、ハルカが立ち止まった。身を乗り出してまた渓流を見ている。
「おまえ、あんがいしつこいな。まーだ、カッパに未練があるのかよ?」
 俺の憎まれ口はハルカの耳に入っていない。ハルカはじっと上流を凝視している。
「ねぇ、市松さん! あれ、何かな!?」
 問われた市松はすでにいない。そそくさと吊り橋をもどっていく背中が見えた。
 ──どうしたんだ、あいつ?
「ねえ、ほら、あれ!」
 ハルカが指さした川上で津波のように高い水しぶきが上がっていた。
 とてつもなく巨大な何かが、何度も跳ねるようにしてこちらに向って進んでくる。
「クジラだ……」
 声に出してみて自分の言葉のマヌケさ加減に、自分で呆れた。
 雨で水かさが増しているとはいえ、水深はせいぜい三メートル、川底は岩だらけ、だいたいここは淡水の川。しかも現れたのは川上から。こんなところにクジラがいるわけが……。
「やっぱ、イサナだよね?」とハルカ。
「そうだな……、クジラだなぁ」と俺。
 ふたりともポカンと口をあけて、絵に描いたような、ほうけづらだ。
 近づくにつれ、細かなところも見えてきた。
 まずクジラの全長は、宮崎の市バスではなく香港あたりでよく見るカラフルな大型の二階建てバスくらい。その下のほうでは、大きな四つの車輪が派手に水を蹴立てて回っているのが見える。
「一大率!」
 ハルカがクジラの正体に気づいた。クジラの頭に“一大率”と大書されていたからだ。
 だが、気づいたときには、もう遅い。クジラ型の水陸両用戦車は目の前まで迫っていた。
 ポォォォォォォォォォォォ。
 蒸気機関車の汽笛のような音が渓谷に響き渡る。その音とともに、クジラの頭から潮が高々と噴き上がった。
 一度、吊り橋より高く上がった潮は、徐々に下がって、ちょうど俺たちの目の高さで止まった。
 その上に人間が立っている。いや、よく見れば人間とは言いがたい。
 確かに頭以外の首、肩、股、肘、膝、それぞれの部品は人間のものなのだ。だが、各パーツは別人のもの。おそらく何人もの人間から切り取られたものだ。
 それに、さっきの蜘蛛モドキと同じように、各部位を中を通した紐でつないだだけの、立ってること自体が不思議なほどの粗雑なつくり。
 ようするに人間の体の部品を寄せあつめて作った、人間大の操り人形だ。
 頭は完全な作り物。男の顔だ。
 腹話術で使う人形のように、目がまん丸であごがやたらと大きい。
 目や口は笑顔の形で作られていて、常に笑っているように見える。
 服は着ていない。が、なぜか肘から先だけが赤と青の布で被われている。
 ああ、それと……、赤と青、ツートンカラーに塗り分けられた巨大な張り型。これ見よがしに股間にぶら下げている。
 前ぶれもなく、力が抜けたようにカクンと人形の上半身が前に倒れた。どうやら、おじきのつもりらしい。
 続いて、あごが下がり、カタカタと音を立てて上下する。
「ハ、じ、メ、ま、シ、て」
 人形の口から金属がこすれるような甲高い声が聞こえた。
「ボクは一大率の、傀儡屋笑助【ルビ:くぐつやしょうすけ】デス。どうかヨろシク」
 立て続けに起きた予想外の展開に、俺もハルカも言葉を失っている。
 青い布のかかった笑助の左手が、顔のそばまでに持ち上げられる。
 ひらりと布が裏返る。そこにも人形の頭があった。男の子の顔だ。
 笑助の顔が男の子のほうに向く。
「勇【ルビ:ゆう】クン。コノお兄チャンだよ。ミンナでヨナベして作った“カシラ・ミコシ”を壊してクレタのは。でもマズはごアイサツをスませヨウ。お礼はそのアトだ」
「コンチワ。オレ、勇太!」
 右手の赤い布の中からは、女の人形が顔を出す。今度は笑助の顔が女のほうに向く。
「ホら、母サンも。カレがウワサの未来からキタ救世主、張政クンだ。有名人にアエテうれしいダロ?」
「笑助のカナイの喜美子でゴザイまス。イツモ主人がお世話にナッテおりマス」
「イヤ、母サン、世話をしてヤッテルのは、ボクのほうナンダヨ。ハハハ」
「また、アナタったら、そんな失礼なコト。もう子供みたいなヒトなんデスよ。ホホホ」
 三体の人形は、喋り方をいちおう変えてはいるものの、声は、あからさまに真ん中の男の首と同じだ。
 ──いったい、なんなんだ、この男?
 いつまで続けるつもりなのか、笑助はこの奇妙な一人芝居をいっこうにやめる気配がない。
 唖然としている俺のわき腹をハルカがつつく。見ると、ハルカの視線が俺の腰の逆矛をチラッとなめた。そして俺の目を見つめながらうなずく。
 ハルカの瞳が「さっさと目の前の敵を斬れ」と促している。
 ──了解!
 確かにこんな気色の悪い人形のへたくそな腹話術に付き合う義理はない。
 俺も軽くうなずき返し、逆矛の柄【ルビ:つか】に手をかけた。
 ──ん? 柄がいつもより熱い気がする。
 俺は逆矛をチラッと見た。そのときだ。
 笑助の左手についている子供の首が、九〇度回転し、こちらをぎろり。
「父サン、気をツケテ! コイツラ、また母サンとオレを殺スつもりダ」
 右手の女の人形が、笑助にすがりつく。
「おお、コわイ。また死ぬのはイヤ! 助けて、アなタ」
「今度はダイジョーブ。ボクがオマエたチを守ってみせるカラ」
 笑助は、顔を左右に振って妻と息子に軽く口をぶつけた。キスをしたつもりらしい。
「父サン、オレも戦うヨ」
「アなタ、ワタシも戦うワ」
 そう言うと、女と子供の人形のあごがガクンと外れた。口からキラキラ光る水飴のようなヨダレが垂れ、切れることなく信じがたい長さにまで伸びる。
 笑助は、両手についたふたつの頭を、遠くに投げるように勢いをつけて頭上から振った。
 糸だ。人形の口から吐きだされたキラキラの正体は、細く透明な無数の糸だ。
 それは意志をもっているかのように、中空できれいに左右二手に分かれると、吊り橋の両端にクルクルと巻きついた。
「家族のチカラをアわせて、悪いヤツラをヤっつけヨー!」
 興奮してるのだろうか、笑助の首がカタカタと上下に揺れた。
「張政、早く!」焦るハルカの声。
 俺は逆矛を鞘から抜いた勢いのまま、アウトローの球をバットですくいあげて打つように、下から振りぬいた。
 一瞬、刀身の軌跡に炎が走ったように見え、センター前まで飛んだくらいの手応えがあった。
 矛は、笑助の右のわきから入り、一瞬で肩口へと抜けている。
 女の頭がついた笑助の右腕が、糸をなびかせながら宙を舞う。
「アぁぁっ、喜美子……!」
 笑助は、谷に落下していく妻の首を笑顔で見送り、笑顔のまま怒りに声をふるわせる。
「よくもヨクモよくもヨクモよくも、喜美子を!」
 子供の顔がついた左手が上がる。ピンという弦をはじくような音が聴こえた。
 その瞬間、俺とハルカは足場を失い、空中に投げ出されていた。
 吊り橋が切断されていた。その周囲をキラキラと糸が漂っている。
 濁流に飲まれる寸前に見えたのは、崖にぶつかり砕け散る吊り橋。その崖の上に、ひとりポツンと立っていた市松の姿だった。
 ──市松?
 なぜそこにいる? そういえば、なんで一大率は俺の名前を知っている?
 俺はそのとき、やっと気づいた。
 あのタヌキ野郎! ここで一大率が現れることを、最初から知ってやがったんだ。





(第二章 初陣 6 に続く)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9993656&comm_id=889699

コメント(5)

(直接書き込み・・ホントにいいんですよね。くどいって?)
 的外れな指摘をしないよう、慎重に書き込みさせていただきますが・・。よろしくご高覧下さい。

 ちなみに ○ を付けた項目は
   一考くださって却下するも可
 × を付けた項目は
   明らかな「誤字」の類い です。

○ー2ー
 山頂には巨大な火口がくちをあけていた。
  くち → 口 
  火口、と続けて「口」が続きますが、縦書きだとしっくりきます。

○  市松は“渡り酔い”したらしく顔色が悪い。たぶん俺も似たようなものだろう。足の裏が地面を踏んでいる今も、腰の背骨あたりに、さっきの奇妙な感覚がまだ漂っている。もう三秒、続いたら……嘔吐していたか射精していたかの、どちらかだ。

 →ハイ、なかなかギリギリの描写が多いこの小説の中で、ちょっと「これは直接的過ぎるのでは」と感じた唯一の単語です。いえ、どうってことないのかもしれないんですけど。
 できたら 射精していた → イッてしまった くらいの方がちょっとだけ婉曲表現かな?と。


○ー4ー
  だが、この揺れが幸いし、蜘蛛たちも立ち往生している。八本の脚のうち常に四本が両脇の綱を挟むのに使われているため歩みが遅くなる。くわえて橋の幅が狭いので一度に一体しか入れない。自然に一列になる。これも渋滞の原因だ。

 → くわえて → 加えて
 漢字にした方がしっくりしますが。。一瞬「綱を口にくわえて渡るのかな」と思った自分がおかしいかもしれませんが。
─4─
>先頭の蜘蛛モドキが四体がバランスを失い、
 「蜘蛛モドキの四体が」だと思います。
>先頭の蜘蛛モドキが四体がバランスを失い、

 確認。後日まとめて直します。

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