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メイキングオブ ハルカ天空編コミュの●第二章 初陣 6〜9

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 ─6─

 水面に背中からたたきつけられた。渦まく濁流が一瞬で俺とハルカを飲みこんだ。
 体のあちこちを岩にぶつけ、泥まじりの水をたらふく飲みながらも、俺は水面に出ようと必死でもがく。だか、体がグルングルン回りどっちが上かすらわからない。
 ハルカはどこだろう。せめて、あいつだけは助けてやりたい。
 くそ、くそ、くそ……。息が苦しくなってきた。ちきしょー、死にたくねーー。
 今まで生きてこれたことに対する敬虔な気持ちなどさらさらなく、最期の最期までみっともない悪態が頭の中を駆けめぐっていた。そのとき。
 誰かが俺の腕をつかんだ。それが誰の手だったのか、確かめられなかった。
 意識が途絶えたからだ……。

              ◇◆◇

 どれくらい経ったのだろう。首がカクンと後ろに傾き、俺の口が勝手に開いた。
 肺が空気で膨らむ。押し出される。また吹きこまれる。それが何度か繰りかえされるうちに、自分で呼吸ができるようになった。たぶん俺はまだ生きている。
 だが、体が鉛のように重い。力がぜんぜん入らない。
 ──そうだ、ハルカ……。ハルカはどうなった!?
 俺は、全身のエネルギーをかき集め、重いまぶたをやっと持ち上げた。
 べそをかきながら俺を覗きこむハルカの顔がすぐそばにあった。
 その背後には、黄色く淀んだ目玉がぱちくりしながら、いくつも並んでいる。
 濁流に飲まれ、あっという間に流された俺とハルカを助けてくれたのは、遅刻などまったく気にせず、物見遊山でゆっくり川をのぼってきた河ノ衆だった。
 遅刻のお陰で助かった。時間にルーズなカッパの知り合いをもつのも悪くはない。
 それに運が悪いと嘆いた気もする、きのうの雨。水かさが増していたせいで、川底の岩にぶつかって死なずにすんだ。それを思えば、土砂降りになってくれてラッキーだった。
 あとは、ハルカがやってくれたらしい人工呼吸。いちおう二度目のキス。好きな女とキスするのは、いいことに決まってる。たとえ気を失っていたとしてもだ。
 カッパたちは俺の意識がもどったとわかると、何事もなかったかのように水の中に帰っていった。お礼の言葉も聞かず辞去の挨拶もなし。どこまでもマイペースな連中だ。
 川岸に面した大きな岩の上には、俺とハルカと太陽の光だけが残された。
 聞こえるのは、どこかで鳴いている鳥の声と、目の前を流れる水の音だけだ。
 人工呼吸のときに水に濡れた帷子【ルビ:かたびら】をハルカが脱がしたのだろう。
 上半身、裸のまま、俺は仰向けに寝転がり、その横でハルカは膝を抱えて座っている。
「死にかけたのに、なにニヤけてんの? 頭でも打った?」
 本気で心配してる風はないハルカの軽口にさえ、生きていることを感謝したくなった。
 なにが幸いするかわからない。俺の人生、まだまだ捨てたもんじゃないってことだ。
「そうだな……。死にかけて頭を打って……おまえと二度目のキスだ」
「きす? きすって?」
 俺は唇をちょっと突き出してみせる。
「あぁ……息まで泥水くさかった。ああいうのはヤだな」
「なあ、ハルカ。俺があのツギハギ人形を、ぶっ倒したら……」
「いいよ。千回くらいして」
 ハルカは顔を上げると遠くを見た。何を想像しているのか口元がほころんでいる。だが、すぐにその表情から微笑みが消えた。
「立てる!? 立てるなら行くよ」
 声が急いている。ハルカは返事も聞かずに立ち上がると、俺を振り返らずに手を伸ばした。その手をとりながら俺もハルカの視線の先を追う。
 山の向こうに火柱。続いて真っ黒な煙がもうもうとあがった。
 俺は、河ノ衆が見つけてきてくれた逆矛をつかむ。
「祖ヶ谷か?」
「たぶん」
 立ちのぼる黒煙に向かって必死で走りながらハルカが応えた。

 走った。息が続くかぎり山道を走った。
 だが、祖ヶ谷にたどり着いたのは夕方近く……。すべてが終わっていた。
 傀儡屋笑助は、俺とハルカを谷に突き落としたその足で、山ノ衆の里を襲ったのだ。
 そこで俺が見たものは、ほぼハルカから高千穂で聞いたとおりの、だが俺の想像など及びもしない、凄惨で異常な光景だ。
 動いているものが一切なかった。
 倒され焼かれた家屋、そして折り重なった死体が辺り一面を埋めつくしている。地面がほとんど見えない。死体と死体の間からわずかに覗く地面も、灰と血にまみれ元の土の色がわからない。
 鎧ごと胴を真っ二つにされた死体もある。おそらく祖ヶ谷を守っていた兵たちだろう。
 首を刎ねられているのは、たいてい女だ。男は女より生き残った者がわずかに多い。なぜなら右腕を付け根から切り落とされた“だけ”だったからだ。
 なぜ、そんな面倒なことをしたのか。俺はおぞましい答に思いいたる。
 これは当てつけだ。俺が笑助の右腕と、その右腕の先にあった女の首を斬り捨てたことへの報復なのだ。
 ──なんてことだ……。
 俺は怒りと無力感と立ちこめる血の臭いで、胸が悪くなった。
 草むらに駆けこみ胃の中の物をぶちまけた。だが、出てきたのは少量の苦い泥水だけだ。
 そのとき、ハルカの声が耳に飛びこんできた。
 振りかえると、動く者が誰もいなくなった里の中を、ハルカひとりが大声を張りあげて走りまわっていた。
 ハルカは呆然と座りこんでいる者を、手当たり次第に立ち上がらせていた。声をかけて立ち上がらない者は、容赦なく怒鳴りつけ、たたき、蹴飛ばし、強引に立ち上がらせた。
 立ち上がった者が次の生存者を立ち上がらせる。そしてそいつらが、また他のやつのところに駆け寄る。それが少しずつ連鎖していった。
 泣きながら怒りながら、血を流しながら、次々に山ノ衆が立ち上がっていく。
 奇跡的に難を逃れた者たちが、ハルカの号令のもと、けが人の救出に走りだす。腕を失った者さえ、自分にできることを探して立ち上がろうとしている。
 ハルカは俺にしてくれたように、死にかけていた里全体に息を吹きこんだのだ。
 生き残った者はおそらく半分もいない。だが、この里の人間はまだ生きようとしている。
 ひとりでも多くの命を助けようと、動ける者全員が自分の意志で動きはじめた。
 その中に、ポツンとひとつ、立ちつくしている小さな背中があった。
 ……市松?
 俺は静かに近づくと、市松の腕をつかんだ。
「市松!」
「ひっ!」
 小さな悲鳴を上げると、市松は俺の腕を振りほどき、慌てて逃げだした。
 だが、その行く手に両手を広げて立ちはだかった者がいる。ハルカだ。
 市松が一瞬、立ち止まったところを、俺が後ろから飛びつき首に腕を差しいれて締めあげた。
「てめえ、なんで俺たちを売った!?」
 俺が訊いても、わーわー泣きながら暴れるばかりで、市松は応えない。
「自分が何をしたのか、その目で見ろ!」
 俺は、市松の小さな体にのしかかりながら体ごと向きを変え、市松の顔を死体の山に向けた。
 ううぅうぅぅうぅぅぅううぅぅうぅぅぅ……。
 言葉にならない叫びをあげて、市松は失禁した。
「市松さん、なにがあったの?」
 ハルカが屈みこんで、うなだれた市松の顔を下から見つめた。
「彦市がさらわれて……」
 彦市? 市松の確か五人目の子だ。
「木から落ちた子か? まさか、おめえ。子供を人質にとられて、そんで……」
 市松は、申し訳ない、申し訳ないと繰りかえしながら、またわーわー泣き出した。
「そっか……。苦しかったね。気づいてあげられなくて、ごめん」
 ハルカが市松の頭を抱きしめて、もう一度「ごめん」とつぶやいた。
 チーチチ、チーチチ、チーチチ……。
 市松のすすり泣く声に混じって、ハルカの水色の腕輪から呼び出し音が聴こえた。
 ハルカは市松を左手で抱いたまま、右手の腕輪を額に押しつける。そして受信が終わるや、
「それで、彦市くんは?」
 そう訊ねたくせに、ハルカは市松の答を待たなかった。
 腕輪を額に当て、今度はハルカのほうから誰かにメッセージを送りはじめた。
 市松は顔をあげると、里の西にある林のほうに顔を向ける。木がなぎ倒された跡に大きな轍【ルビ:わだち】が二本、ついていた。
 ハルカは林のほうを見ながら立ちあがる。
「クジラ車がとおった跡だね。この先はカズラ橋のあった、あの渓谷?」
 チーチチ、チーチチ、チーチチ……。
 再びハルカの腕輪が鳴った。ハルカは素早く手首を額にかざす。
 ……しかし、こんなときに何度も。ハルカは、いったい誰と通信してるんだ?
 ハルカが額から腕輪を離す。
「追うよ!」
 えっ!? 俺と市松は耳を疑った。
「河ノ衆が上流までクジラを追いかけて、山に入ってからは風ノ衆に尾行を交替したって。それと、そろそろアマテラスも来る。ほら来たあ!」
 ハルカの言葉が終わるか終わらないかのうちに、夕陽の中に小さな点が現れた。それは、あっという間にこっちに飛んでくると、里の上空、いや正確に俺たちの頭の真上で停止した。
 見上げれば、その物体はファールを追うのをあきらめれば、上で野球ができるくらい大きく、丸い底にはハリウッドのSF映画ほどの派手さはないが、まばゆい光をいくつも点灯させている。
 ──空飛ぶ円盤【ルビ:UFO】?
 それ以外に言い表わす言葉を、俺は思いつかない。
「な、なんだ、これ?」
「きのう言わなかったっけ? アマテラス号。予定より半日はやく、修理が終わったみたい」
「おい、これ。どうやって飛んでるんだ?」
「そんなの私にわかると思う? 整備の人は小型の邪馬台国だって言ってたけど……本当はわかってないと思うな。だって邪馬台国には同じような船が何隻もあるけど、まともに動くのはこれ一隻だけだもん。ま、いいじゃない、とりあえず飛ぶんだから」
 ハルカと話していると、ときどき目まいがする。
 それはともかく、この世界の生活と技術のレベルがチグハグな理由がなんとなくわかった。どうやらこいつら、神様とやらの置き土産を仕組みもわからず好き勝手に使っているらしい。
 ……メチャクチャだ。
 でも、考えてみれば、俺はテレビがなぜ映るか、電話でなぜ遠くの人とと話せるか知らない。説明書も読まずに平気で使っている。同じようなものかもしれない。
 俺とハルカが話している横で、市松がよろよろと立ち上がる。
「あの……あたしも一緒に行ってよろしいでしょうか」
「当たり前でしょ。父親が行かずに誰が彦市くんを助けるのよ」
 ハルカが円盤の底を見上げたまま即答した。
 そのとき、円盤の底からスポットライトのような一筋の光が放射され、三人を包んだ。
「うわっ!」「ひゃ!」と声を出したのは俺と市松。
 足が地面から勝手に離れると、俺たちは円盤の底部へと吸い上げられた。
 ……渡りと同じこの感覚、ホント気持ち悪い。

 ─7─

 俺たちが収容されたのは、アマテラス号の底部に蜂の巣状に七つある格納庫のひとつ。
 格納庫それぞれに大きな搬出入口があるようだ。これなら一〇〇〇人を一〇分で積みこんで、一時間後に一〇〇キロ先で降ろすくらいは朝飯前だろう。
 出迎えてくれたのは、おとといの夜に会った、真っ黒な山犬の大将フセマルとその直属の兵たち三〇名ほど。その全員がいかにも歴戦のツワモノらしい隙のない眼つきで俺たちをにらんでいる。はっきり言って、逃げ出したい雰囲気だ……。
 にらむだけなら、まだいい。すぐそばまで来て俺の脇の下や股ぐらに無遠慮に鼻を突っこむ。
 山ノ衆にとっては、視覚情報より体臭や体温のほうが、相手を知るには手っ取り早いらしい。
 ハルカは、くすぐったがる程度でなんとも思ってないようだが、俺は、この山ノ衆の習慣がイヤでイヤで仕方なかった。
 ハルカは、フセマルの姿を見つけると駆けだし、その前まで来ると深々と頭を下げた。俺はといえば、事態が飲みこめないまま、なんとなくハルカの後ろにつく。
「ごめん。私たち、間に合わなかった。祖ヶ谷、守ってあげられなかった」
 黒い山犬の大きな口が不興気にゆがむ。
「守って“あげられなかった”だと? 山ノ衆をなめるなっ!!」
 ひっ、とハルカが、短い悲鳴を上げて頭を抱えた。その声を聞くと、フセマルは大きく息を吸いこみ、ゆっくりと吐き出す。生臭い息が俺の顔にまでかかる。
「ハルカよぉ……。祖ヶ谷はなぁ。一大率の襲撃を真っ向から受けて立ち、全滅することなく敵を退却させた、初めての村だ。ちがうか?」
 フセマルは、この男なりに気を遣い、精一杯おだやかな声を出しているつもりだ。たとえ、ぜんぜんそうは聞こえなかったとしてもだ。
「うん、でも……」
 ハルカがフセマルを見上げた。
「敵の大将の右腕がなかったと聞いている。左右そろっていれば、犠牲者は倍になったともな。おまえたちがやったんだろ。ならば胸を張れ。我が山ノ衆の大切な友としてな」
 フセマルはハルカから俺に視線を移した。その口元が、またゆがみ尖った歯が剥きだしになった。
 えーと、たぶん、これは親しみを込めた微笑みだ……と信じたい。
 ──大切な友。
 そう口にした本人も少々照れくさかったようだ。この話題をさっさと切り上げたかったのだろう。フセマルが後ろのほうの壁際で縮こまっていた市松に声をかける。
「ところで市松、家族は無事か?」
「いや、あの……、おかげさまで、皆……。はい」
 市松は下を向いたまま、消え入りそうな声でウソをついた。
 そのウソの有効期限は一秒もなかった。ハルカが大声でこう言ったからだ。
「フセマル隊長! 実は市松さんの子供がひとり、傀儡屋笑助っていうヤツに人質に捕られてて……。でもそいつ、メチャクチャ強いから、ここにいる全員でかかっても、たぶんほとんど殺されるけど……。でも助けたいの! 協力して!」
 …………ハルカぁ。
 少しは言い方を考えてから口に出せって。今ので俺たちは、大切な友から失礼きわまりないアホに格下げにされたと思うぞ。
 突然のハルカの爆弾発言に、さすがのフセマルも表情を変えた。……やっぱりね。
「市松、本当か?」
 市松はうつむいたまま、否定も肯定もしない。
「なるほど、そういうことか……」
 そうつぶやくとフセマルは、部下のほうに向き直ると告げた。
「生きているか、どうかもわからん、名前も知らない子供ひとりのために、この女は我らに死んでくれと、ぬかした。そんなふざけた頼みをまともに聞く気はない。よって突撃隊は、それでも行くという馬鹿のみで編成する」
 ──あ〜ぁ、言わんこちゃない。
 フセマルは部下一人ひとりの顔を見ている。目をそむける者、ニヤついている者、鼻をポリポリかく者、毛づくろいをはじめる者、さまざまだ。他人の子どものために命を賭けそうなヤツは、ひとりも見当たらない。
 広い格納庫にフセマルの大音声が響く。
「志願する者は一歩、前へ!」
 市松が不安そうに顔を上げたとき、フセマルの部下全員が、ためらいもなく大きく一歩前に出た。
「これが山ノ衆を友にするということだ。見てのとおり、俺の部下は馬鹿ばかり。好きなように使うがいい」
 フセマルは部下たちを誇らしげに見まわしたあと、
「俺はこう見えて子供が大好きでな」
 そう言うと、フセマル自身も一歩、前に出た。
「では作戦を聞こうか」
 フセマルに促され、ハルカは深呼吸すると、傀儡屋笑助の武器から説明をはじめた。
 笑助の武器が両手から放たれる無数の細い糸だと聞いたときには、首をかしげていた獣人たちも、その糸がカズラ橋に巻きつくや一瞬で真っ二つにしたと知ると、どよめいた。
 さらに、生き残りの証言から祖ヶ谷を襲ったのは笑助ひとりであったこと。今まで何千人もの手足や頭をバラバラにしてきたのも、十中八九、笑助ひとりの仕業だとハルカが伝えると声を失った。
「でも勝機はある!」と、ハルカは続けた。
 ハルカの作戦、これが作戦と呼べるものならばだが……は、こうだ。
 俺が笑助の右腕を切断したから、左翼からの攻撃には笑助の対応も一呼吸おくれる(はず)。加えて右翼に囮【ルビ:おとり】を出せば、二呼吸は稼げる(はず)。その隙にフセマルの突撃隊が左翼から一斉にかかれば、笑助を“必ず”倒せる(はず)。
 ハルカが声に出さなかった三つの(はず)が、全員の耳に聞こえた。だが、俺以外の全員が聞こえなかったフリを決めこんでいる。それに、この作戦が成功したとしても、何人かは“必ず”死ぬことにも気づかなかったフリだ。
「おい、その囮役がいちばんヤバそうだけど、誰がやんの?」
 作戦のあいまいな部分を俺が指摘すると、全員が俺を、いや俺の腰にぶらさがっている逆矛を見た。もちろんハルカもだ。
「あいつの糸だって、逆矛なら受けられる(はず)よ」
 今の(はず)は、どうやら俺にしか聞こえなかったらしい。全員が俺を見てうなずく。
 チーチチ、チーチチ、チーチチ……。
 ハルカの水色の腕輪が鳴った。
「クジラがドドロで消えたって。そこ、知ってる?」
 通信を終えると、ハルカがフセマルに訊ねた。
「ああ、土々呂【ルビ:どどろ】の滝のことだろう。それにしても見失うとは情けない。風ノ衆は翼も鳥なら、目まで鳥目らしいな」
 滝と聞いて、ある映像が俺の頭にひらめく。
「俺の“経験”から言わせてもらうと、秘密基地は地底……。さもなきゃ、滝の裏と決まってる」
「まさか……。あんな目と鼻の先にか……? くそっ、降下の用意を急げ!」
 フセマルの号令で、部下たちが持ち場に散った。残ったのは俺たちとフセマルだけだ。
「アマテラスの修理が早くて助かったよ。私たちの足じゃ追えなかったもの。あ、もしかして風ノ衆に先を越されるのがシャクだから、突貫でやらせた?」
 ハルカの遠慮のないツッコミに、フセマルがまたもや口元をゆがめる。
「ま、そんなとこだ。だから完全には直ってない。ここまでも、だましだまし飛ばしてきた。いつまた落ちてもおかしくないな。いちおう覚悟しておけ」
「おい、ウソだろ?」と、思わず俺。
「ククク、冗談だ」
 ハルカとフセマル、市松までが顔を見合わせて笑っている。あちこちからフセマルの部下たちの笑い声も聞こえる。
 ハルカにかかれば、堅物のフセマルさえ冗談を言う。子供をさらわれている男や、死を覚悟している者たちまでもが笑う。
 この女、あんがい只者【ルビ:ただもの】ではないのかもしれない。

 ─8─

 俺とハルカ、市松、それにフセマルたち、総勢三〇余名。全員が、盛大にしぶきを上げる大きな滝を見上げていた。夜の闇の中で見ると、白い外套を着た巨人が立っているようだ。
 土々呂の滝。その名は三〇メートルの高さから落ちる水がとどろかせる大音に由来する、と後日、俺は旅行会社が発行している観光ガイドの四国編で知った。
 このとき俺が目にした土々呂の滝は、観光ガイドに載っていた写真より、水の勢いが激しく幅も倍はあったように思う。このあたりは二十一世紀よりも雨が多かったのかもしれない。
「どうやら、おまえの勘は外れたようだな」
 フセマルに言われるまでもなく、誰が見ても、滝の裏には岩肌が覗くばかりで、クジラ車が消えた入り口どころか小さな通用口さえありそうになかった。
 ──あちゃー! ガキのころに観ていた戦隊モノなら、滝の裏には秘密基地、がお約束だったんだがな……。
 俺がみんなに謝ろうとした瞬間、バカ女がよけいなことを口走る。
「張政があるって言うんだから、岩のむこうにゼッタイある!」
 ──ないないないないない、ないってば、ハルカ〜!
 ハルカは怒ったように、乱暴に俺の手をとると、滝の横手に引っ張っていく。そして躊躇【ルビ:ちゅうちょ】なく滝つぼに飛びこんだ。
 横から入ったとはいえ、落ちてくる水の量は半端ではない。俺とハルカの頭や肩を重たい水が情け容赦なくたたく。
 ずぶ濡れになりながら、やっと滝の裏に出た。膝から下はまだ水の中だ。
 滝の裏まで来たのはいいが、やはり目の前には岩の壁があるだけだった。
 Tシャツを肌にぺったり貼りつけたハルカが、俺を振り向く。
「さ、とりあえず、どこから始めようか?」
「何を?」
 ハルカが、にんまり笑って俺をにらんだ。
「決まってるじゃない、この岩、たたき割るのよ」
 ……あーぁ、訊くんじゃなかった。
 俺は嘆息をつきながら、腰の逆矛を抜き、右の肩に担ぎながら半身に構える。それを見て岩の破片が飛んでくるとでも思ったのか、ハルカは俺の後方に三、四歩はなれた。
 考えてみれば、この矛も哀れだ。武器よりも他の用途に使われることのほうが断然、多い。
 杖、斧、今度はハンマー……。戦の助っ人とはいえ、人殺しなんかご免だから、俺は別にいいんだけど、この矛を作ったヤツは、さぞや嘆いているだろう。
 ま、二、三度ガツンガツンやれば、ハルカもあきらめるに違いない。景気よく矛を岩にぶつけて、せいぜい派手な音をたててやるさ。
 俺は、バッティングの要領で、軸足に乗せた体重に腰の回転を加え、一歩踏み出しながら逆矛を思いっきり振った。
 ぶんと音を立てて、逆矛が空を切った。俺はストレートに山を張って、フォークボールを空振りしたバッターのように、半回転して尻もちをつく。
 ──なんで、岩に当たらなかった?
 ハルカもキツネにつままれたように目を丸くしている。
「なに、今の?」
 俺は立ち上がると、こんどは矛の先で岩を突つく……。何の手応えもなく岩の中に入る。
 手を差し入れてみる。目には岩と見えている場所を手が素通りする。
「おい、これ。ホ」
 ……ログラフィーと言っても、どうせ俺には説明できないからやめた。
 ハルカも、俺と同じようにそばの岩におそるおそる手を入れる。そのあとのハルカの行動は大胆だった。肘から先を岩に突っこんだまま、俺の隣まで歩いてくると、こんどは頭から突っこんだのだ。
 身体が完全に岩の中に消えた。
「おい、だいじょ」
 ……うぶか、と言おうとしたが言葉が途切れた。岩から突然、手が生えたからだ。
 水色の腕輪をつけた細い手が、何かを探して右往左往している。
 ──お探しの物はこれだろ?
 俺が手を差し出すとハルカが握る。と同時に「クジラ」という声が岩の中から聞こえた。
 手を引っ張られて俺も岩に踏みこむ。一瞬、頬がひやりとし、濃い霧の中に入ったように何も見えなくなった。が、一歩目の足が着地したときには視界がもどっていた。
 薄暗い大きな空間。そこにクジラ車があった。
 滝をくぐったためだろう。洗車したように全体が濡れている。だが、つぶさに見れば、あちこちにドス黒い染みが残っていたし、車輪には肉片とも泥ともつかないものが詰まっている。
 ……そしてこの臭い。
 祖ヶ谷でかいだばかりのあの臭いだ。轟々【ルビ:ごうごう】と落ちる滝の水に消されて、外にいるときは気づかなかった。ここにも死体の山が確かにある。
「あいつ……絶対、許さない!」
 ハルカは俺の手を引いたまま、浅い水の中を奥へズンズン歩きはじめた。この女、とりあえず人間そっくりの頭がついてはいるが、きっとその中身は山ノ衆。それも猪だ。
 慌てて手を引っ張って止める。
「いったん外に出よう。これ以上、進むのはフセマルたちと合流してからだ」
 俺はハルカの右手を顔の位置まで引っ張り上げて、水色の腕輪を目の前に突きつけた。
「あっ……。うん、そうだね」
 ハルカは入ってきたほうに体を向けながら、右手の腕輪を額に当てた。
 俺は、目を閉じたままのハルカの左手を引いて、もう一度ニセの岩をくぐる。
 やはり岩の正体は密度の高い霧の層だ。それをスクリーンにしてどこからか映像を投射しているのだろう。
 おそらく昼間に至近距離から岩壁を観察すれば、様子がおかしいことに気づく。そんなお粗末なレベルだ。が、大量の水を落とす滝のカーテンを通してみれば、まずわかりっこない。だいたいずぶ濡れになりながら、滝の裏の岩を調べにくる物好きは滅多にいない。
(まさかとは思うが、二十一世紀の土々呂の滝でも、まだこの装置が稼動している可能性はゼロではない。誰か調べてみないか。運がよければ超大型の観光バスほどもあるクジラ車が見られるぞ)
 岩をくぐり抜けると、滝をくぐり抜けてきたフセマルたちと、ちょうど鉢合わせになった。
 岩の中から出てきた俺たち見て一瞬、ぎょっとしたものの、フセマルたちは、仕組みはともかく、意外なほど早く状況を理解したようだ。さすがは、なぜ浮いているのかわからないアマテラス号を平気で飛ばしている連中だ。
 フセマルは、俺の肩をぽんと叩くと、自分が先陣を切るのが当前だというように、ためらいなく岩の中に飛びこんだ。呪【ルビ:まじな】いのつもりだろうか。それに倣【ルビ:なら】うように部下たちも俺の頭や背中に次々に触り、フセマルに続く。
 そういえば、この世界の連中は、やたらと他人の身体に触れる。話すときも、ぎょっとするほど顔を寄せる。はっきり言って、ハルカ以外はかなり不快だ。
 フセマルたちのあとを俺とハルカが追いかけようとしたときだ。岩の中から数人の叫び声と、金属同士が激しくぶつかり合う音が響いた。
「うあっ!」
 ハルカの声に振り向くと、槍の穂先が岩の中から突き出ていた。ほんの三〇センチずれていたら俺の胸に穴があいていた位置だ。
 見る間に槍が伸びる。続いて岩の中から飛び出してきたのは、その槍が突き出ている大きな背中。
 巨体が俺の足元に転がって水しぶきをあげた。
「土ノ衆【ルビ:つちんしゅ】!?」ハルカが叫んだ。
 牛ほどもある赤茶けた筋肉の塊。丸太のような腕には巨大な太刀が握られている。折れた槍の柄【ルビ:え】が腹に刺さったままだ。腰に動物の皮を巻いている。あとは裸。そして短い茶色の頭髪から二本の角が突き出ている。
 ──まさしく鬼だ。
 俺の足がガクガクと震えている。武者震いなんて格好のいいものじゃない。
 笑助と対峙したときは、あまりの現実離れに怖がる暇もなかった。だが、敵を間近で見ると、こんな化け物と自分が戦っていることを思い知らされ、俺は言い知れぬ恐怖を感じた。
「張政! 下ぁ!」
 ハルカの悲鳴で俺は我にかえった。
 鬼の腕に握られた太刀が、俺の脚めがけて横合いから流れてくるのが見える。
 ──こいつ、腹に槍が刺さってるくせに、まだ生きてやがったのかよ!
 だが、気づいたときにはもう遅い。太刀を避けようにも間に合わない。
 ──わっ、ダメだ。
 色を失った俺の顔の前を、太刀が飛んで水に落ちた。
 間一髪だった。ハルカが倒れている鬼の背中に飛び乗り、太刀を握っていた腕を蹴とばしたのだ。
 が……、太刀を失ったその腕が、こんどはハルカの足首をつかんだ。
「痛っ、はなせ。バカ」
 ハルカが水の中に引き倒され、死に物狂いで暴れている。
 自由になるほうの足で鬼の顔を蹴っているが、鬼はハルカを放そうとしない。
 鬼がもう一方の手で上体を支える。ハルカの足をつかんだまま、立ち上がろうとしている。
 ──助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ。
 慌てて逆矛を抜く。鬼の頭めがけて振り下ろす。そのとき俺を見上げた鬼と目が合った。
 鬼の表情などわからない。笑っていたようにも怯えていたようにも見えた。
 ──こいつを殺【ルビ:や】らないと殺られる!
 ぐしゃりとした感触が柄【ルビ:つか】を握った手に伝わる。野球部の先輩ゴリラを殴ったときに似ているが、もっと深くいった。
 ──いや、ダメだ。ダメだ、ダメだ、ダメだ、こんなじゃ、ダメなんだ。
 俺は、矛を逆手に持ち直すと、大きな鬼の頭に数え切れないくらい何度も突き刺した。
 ずぶっ、ずぶっ、ずぶっ……電車で居眠りしているときのように……。
 ずぶっ、ずぶっ、ずぶっ……ネギを刻む音を布団の中で聞くように……。
 単調で心地よい連続音が近くで聞こえて、俺の頭は、ぼーっとなった。
「張政!」
 遠くで聞き覚えのある声がする。女の声……。誰だろう、俺は眠いのに……。
「張政!」
 そうだ、ハルカだ。ハルカの声だ。ハルカが叫んでいる。助けなきゃ……。
「張政、もうやめて!」
 気がつくと、ハルカがぶら下がるようにして俺の腕を押さえている。その顔に赤いもの飛び散っている。
「……もう死んでる」
 ハルカに言われて足元を見る。鬼の頭があった場所の水面に何かいっぱい漂っている。
 クリームみたいな物、ぶよぶよした物、紐のような物、いろいろ浮いている。
 だが、ひとつとして、それが何なのか俺にはわからない。
 ハルカが手ぬぐいを滝の水で濡らして、俺の顔を拭いている。何が付いているのだろう。なかなかとれないらしく何度もゴシゴシ拭いている。気持ちいい。
「残りはあと。もう行こう」
 けっきょく、汚れはとれなかったようだ。
「ねぇ、大丈夫?」
 ハルカが訊ねたが、なにが大丈夫なのか、俺にはわからない。
 俺はハルカに手を引かれて岩の中に入った。ハルカと手をつなぐのは好きだ。
 ……それにしても、あの鬼の頭はどこに消えてしまったのだろう。俺にはわからない。

 ─9─

 俺とハルカが霧に映った岩をくぐり抜けたときには、あらかた決着がついていた。
 奥のほうでは、まだ戦闘が続いていたが、いずれも逃げる鬼を数人の山ノ衆が遠巻きに囲みながら余裕をもって追撃している姿だ。
 フセマルの部隊の戦法は、テレビで観たハイエナの群れが狩りをする様子に似ている。一匹の獲物に対し、複数の仲間が何度も波状攻撃をかける。役割分担も明確で非常に組織立っている。
 山ノ衆の荒々しい見た目とは逆に、緻密で効率がよく実のある、悪く言えば地味でせこく卑怯くさい。だからこそ強いチームプレイだ。数的な優勢が確保できれば負けようがない。
 今回は敵がこちらの数を読み違えたせいもあったのだろう。水の中に倒れている骸【ルビ:むくろ】は土ノ衆ばかり。フセマルの部隊は傷を負った者もいたが、いずれも軽症。ようするに圧勝だった。
 面白いのは戦闘の後だ。フセマルの部下たちは道具に対して、あまりこだわりがないようだ。自分の武器を捨て、鬼から奪った武器にその場で取り替えている者が目立つ。
 なんでも土ノ衆の製鉄技術はピカイチで、武器は硬くて柔らかい、つまりは丈夫でよく切れるそうだ。この時代の主要な武器はいまだ木と石で、青銅がちらほら使われはじめた程度だから、土ノ衆の技術の突出ぶりは驚異といえるだろう。
「さ、そろそろ行くぞ」
 フセマルが戦利品の奪い合いに興じている部下たちに声をかけた。
「行くって、どっち?」ハルカが訊くと
「血の匂いがするほうへ」とフセマルが不吉な答を返した。
 フセマルの部下たちが水を蹴立てて走っていく。山ノ衆は夜目が利く。それにニオイの道も見えるのだろう。迷いがない。俺たちはその背中を追いかけた。
 ほどなくクジラ車のドックの隅に、上に向かうゆるいスロープが見つかった。ここから先は水がない。四つ足で駆けだす者もいる。山ノ衆たちのスピードも自然とあがり、先頭グループと最後尾の俺たちとの間に少し距離が開いた。
 昇りきった先に両開きの大きな扉が見えた。扉は無防備に開け放たれ、中から光がもれている。その開放された空間に一瞬、キラキラと光るものが見えた。
「みんな逃げて!」
 ハルカが叫んだと同時に、先頭のほうでも短い叫びが続けてあがった。
 俺はハルカの頭を押さえこむようにして通路の壁際まで跳んだ。
 その足下にコロコロと坂の上から何かが転がってきた。
 熊男の生首。見るのは今日ふたつ目だ。
 続いて、毛むくじゃらの脚、刀を握ったままの腕、三つ目の熊の頭。計一〇人分ほどの体のパーツが次々に頭上から降ってきて床にバラバラと散らばった。
 数々の修羅場をくぐり抜けて来たであろうフセマルの部下たちもパニックに陥っている。
「伏せろ! 散れぃ!」
 阿鼻叫喚の中をフセマルの怒号が飛ぶ。
 その声に、一斉に床にはいつくばり、左右の壁に身を寄せる。
 だが、先頭を走っていたグループの数人は、立ちすくんでいる。
「バカ! 伏せ……ろ……」
 もう一度、フセマルは叫ぼうとしたが、すぐに無駄だと悟った。立っている者には首がなく、その代わりに血しぶきが、破裂した水道管のように上がっていたからだ。
 たった一度の攻撃。
 生き残った者は二〇名に満たなかった。しかもその半数は、運良く命が助かったとしても、これから先、普通の生活はできそうにない。
 全員が扉の左右ににじり寄り、冬を越す虫のように密集した。ここしか、あの糸を避けられそうなスペースがなかったからだ。
 先ほどまで続いた絶叫は静まり、山ノ衆たちのゼーゼーという荒い息だけが聞こえる。
 部屋の中をちらりと覗く。嫌なものが見えた。ニオイの元がここにあった。
 博物館の一室を思わせる部屋だった。展示物は何百という人間の手足や頭、胴体……。人間の体が細かく部位別に切り分けられて、壁一面に並んでいた。
 部屋の真ん中には椅子が一脚。あのツギハギ人形がひとり。座って、左手につけた男児の頭を相手にまた一人芝居をしている。
 観客は見えない糸で縛られ、椅子の傍らに転がされた子供ダヌキ一名。その様を見た市松がブルブル体を震わせている。あの子が彦市なのだろう。
 傀儡屋笑助と名乗る中央の首が下を向いたまま、カタカタと細かくあごを上下させ、耳障りな高い声を出しはじめる。
「勇【ルビ:ゆう】クン……。母サンが、マタいなくナっチゃった。ダメな父サンで、ゴメンな」
 左手の子どもの人形が、笑助の頭の横に寄り添うように移動する。
「元気、ダシなよ。ソウ言えば、俺と母サン、ナンで死んダんダっけ?」
 笑助は、椅子から立ち上がり、笑い顔のまま遠くを見つめている。
「勇クンはコノ話、ナンど聞いても忘レルんだね。きナ国とナ国の戦争に巻キこまレタんだ。手足をバラバラにサレて首を刎ねラレて殺さレテたんダ。……ナンの罪もナイのに」
 さも驚いたふうに子供の人形の口と目がパカリと大きく開く。
「ああ、ソうダった。ムゴいなー。ソレで父サンは、ブジだったの?」
「ボクは運がイイから首をキラれたクラいでは死ナナいんだ。でもヒトリで寂しカったよ。ダカら、ゴらん。母サンと勇クンのカラダをトりモドすために、父サン、今ガンばっテルんだ」
 壁に貼りつけてある人間の体の部位の一つひとつを眺めているかのように、笑助と左手の子供の頭が三六〇度ゆっくりと回転した。
「ホント、戦争ってイヤだね」と、子供がぽつり。
 笑助が左手と会話を続けながら、こっちに向かってゆっくりと歩きだす。
「父サンの夢ハね。コの国を平和にシテ、マタ親子三人で暮ラスことナんだ」
「ソうだね。ソうナれば、母サンもキっと帰っテクるよ」
 笑いあっているつもりだろうか。ふたつの人形の口がカタカタと大きく揺れている。
 扉から五メートルほどのところで笑助の足が止まり、こちらに向かって声をかけた。
「聞くもナミダ語るモナミだ……。ドうダった、今のハナシ? ボクはワリと気に入っテルんだけドね」
 笑助は、そう言いながら、左手についた子供人形の口から、新しい糸を垂れ流しはじめた。じきに次の攻撃が来る。
 ハルカの作戦では、俺が囮として笑助の残った左手側に飛びこむ筋書きだった。だが、あいにく、俺が今いる位置は入り口の左側。予定とは逆だ。
 一方フセマルたちの主力は右に固まっている。こっちも逆。
 ──どうする?
 俺は、フセマルの様子を見ようと顔を横に向ける。が、首がなくなっても、まだ立っている熊男の巨体が邪魔をして反対側がよく見えない。
 その代わり熊男の体のあちこちに、蜘蛛のものよりも細い糸が絡みつくのが見えた。
 と、首なしの熊男がこちらを向いた。
 糸だ。あの糸で笑助が部屋の中から熊男を操っているに違いない。
 俺は逆矛に手をかけた。が、ハルカや山ノ衆たちの体が密着していて抜けない。
 矛を抜こうと体をひねる間に、熊男が俺に向かって剣を振り上げた。そのとき──。
「やらせるかい!」
 誰かがそう言うと、俺の横からさっと飛び出し、首なしの熊男に体当たりした。
 俺を救ってくれたのは、すでに片腕を失い息も絶え絶えの大ギツネ。最初の夜に俺のパンツを嬉しそうに口でくわえて引きずりおろした、あの素行不良のキツネ女だ。
 キツネ女は、俺を振り向き無事を確かめると、残った腕のほうでピースサインを出した。
 次のせつな、悪夢が起きた。
 作りかけの綿菓子のようにキラキラと光る物がキツネ女を被った。笑助の放った糸だ。
 それは一瞬でふたつの体から人の形を奪い、合びきのミンチに変えた。
 ──ちくしょう、なんてこと、しやがる!
 その無残な最期を生き残っていた全員が見た。怒りは、山ノ衆の心から恐怖を消し去り、さらにその獣の血を熱くたぎらせた。
 俺も同じだ。あの夜、俺の“心の”パンツまで脱がしてくれたのは、あのキツネ女だ。山ノ衆の流儀で言えば、あのときからあの女は俺の“大切な友”だ。
 入り口の右側にいた山ノ衆が、雄たけびをあげる。
 最初に部屋に飛びこんだ連中は、三歩と進まないうちに、笑助の糸の餌食になって倒れた。
 が、山ノ衆は、ひるまない。仲間の屍を踏み越えて、第二陣、第三陣が突っこんでいく。
 俺は逆矛の柄【ルビ:つか】に手をかける。まただ。柄が熱い。かまわず握る。
「待ってろ、俺も行くぞ!」
 立ち上がろうとした俺を後ろから、市松が引き止めた。
「仲間の死を無駄にしないでくださいな。旦那の出番は、あと三つ数えてからで。じゃ、彦市のこと、よろしく」
 他の山ノ衆が奇声を発するなか、市松は無言で駆けていく。なりは貧弱でも、あいつにはあいつなりの戦い方があり、市松もまた山ノ衆だった。
 市松には止められたが、俺はすぐにあとに続くつもりだった。
 が、Gパンの後ろを鷲づかみにされた。ハルカまで俺を行かせないつもりらしい。
「ひとつ」
 背中でハルカが俺の代わりに静かに数をかぞえはじめた。
 小さな声だ。だが敢然としている。俺はその声を聞いて俺は、少し冷静さを取りもどす。
 山ノ衆の間を、きらめく糸が蛇のようにのたくっている。空中で糸がきらめくたびに、首が飛び、手足が舞う。
 笑助は左腕の肘から先を動かすだけで、戦闘開始から一歩も動いていない。
 対して、動けるフセマルの部下は、すでに一〇人を割っている。
「ふたつ……」
 ハルカの声が泣いている。
 フセマルと残り三人ばかりが、笑助まであと二歩のところまで近づいていた。
 だが、五体満足な者は、ひとりもいない。
 逆矛の柄を握り直す。なんだ? 柄がさっきより熱い。
 集中だ。余計なことを考えるな。集中しろ。チャンスは一度だ。
「三つ!」
 俺は矛を抜きながら飛び出した。
 俺を新手と見るや、笑助が左手をこちらに向けようとする。
 フセマルは、笑助が俺に気をとられた一瞬を見逃さなかった。口と右腕一本で笑助の左手を押さえこんだ。
 フセマルを左手に取りつかせたまま、笑助が糸を放つ。フセマルのわき腹の肉がえぐれて飛ぶ。だがフセマルは微動だにしない。
 俺は三歩目で踏み切ると大上段から、笑助の右の肩口に逆矛を振りおろした。
 そのとき、笑助の真ん中の顔が俺のほうに向き直った。
 その口がカパリと開く。口の中には、あの光る糸のモヤモヤした塊が漂っていた。
 ──しまった!
 糸を出すのは、両手の顔だけじゃないのかよぉ! クソがあああ!
 だけど、もう行くしかねー。ただのコーコーセーに何ができるか見せてやる!
 相打ちを覚悟した俺に向かって、笑助の口から無数の糸が噴きだす。
 が、それは矛を握った俺の腕のすぐ横をかすめただけだ。
 なぜか笑助は少しよろめき態勢を崩していた。その傾きの分だけ狙いがそれたのだ。
 そして、その傾いた分だけ俺のほうも狙いがそれる。
 袈裟懸けに斬りおろすつもりが、矛が笑助の首に横から入り、そのまま抜ける。
 偶然、首をはねる形になった。
 笑助の頭がその足元に転がる。
 見れば、その脛に血だるまになった小男が必死で食らいついている。
 ──市松だ。
 すんでのところで、笑助の姿勢を崩したのは、市松だったのだ。
 頭を失った途端、笑助の体は心棒を失ったように、床にぐしゃっと崩れ落ち四散した。
 その横では、笑助の頭が、目と口を凄い速さでバタバタと開閉したあと、唐突に停止した。
「やったー!」
 声とともに体が前につんのめった。ハルカが後ろから俺の腰に勢いよく抱きついたからだ。
「ありがとう、もうバラバラの死体を見なくてすむ……」
 ハルカの額が押しつけられ、息が背中をくすぐった。
 フセマルは、息のある部下を見つけようと部屋の中を歩きまわっている。
「先に往ったやつらだけで、もう祝杯をあげてるに違いねぇ。ちっ、また俺はおいてきぼりか」
 しかしこの男……。
 左の上腕から白い物が見えている。わき腹で、ちぎれた肉の塊がぶらぶらしている。平気でのし歩いているが、足跡が血に染まっている。痛みを感じないのだろうか。
「やっぱ、旦那は本物の救世主さんだったんで!」
 市松は、彦市を抱きしめ、おんおん泣きながら、俺を振り返った。
「……そんな、いいもんじゃねーよ」
 俺はおびただしい死体を見渡しながらつぶやいた。
 俺とハルカ、市松。殺しても死なないフセマルと、運がよかった部下が四人。それに市松の息子、彦市。
 生き残ったのは、わずか九人のみだ。
 だが、これが火の一族、初めての勝利だった。

              ◇◆◇

 ハルカと山ノ衆が仲間の遺体をひとつずつ確認している。それを少し離れたところから、かける言葉も浮かばないまま、俺はただ見つめていた。
 英雄たちへの祈りを終えると、ハルカは目を開けて一番に俺を見た。
「まだ一大率に勝ったわけじゃないけど、張政がいれば、きっと勝てる。そんな気がするんだけど……。ねぇ! 私のそばにいてくれる? ずっと!」
 まったく、自分の都合ばかり並べやがって、と思ったが、なぜか口から出たのは……。
「おう。任せとけ」だった。
 ──なに、言ってんだ、俺。
 ヒーローにでもなりたいのか? いや、そんな高尚なものであるわけがない。
「あ、そうだ。きす! 勝ったら“きす”だ」
 答をハルカが先に思い出した。
 ──“とりあえず”はそれだよ! 俺が本当に任せてほしいのは、それから先だけど。
「何ですか、その“きす”ってーのは?」無粋なことを真顔で訊ねる市松。
「張政の国じゃ、仇敵を倒すと“きす”するんだよ」
 ハルカの理解は少し違う気もしたが、このさい理由はどうでもいい。既成事実の積み重ねが重要なのだ、こういうことは……、たぶん。
「ほぉ、祝いの儀か。そいつはいい。ぱぁっと派手にやれ」
 部下の亡骸を名残おしそうに眺めていたフセマルが、ハルカを振り返った。
「あ、じゃあ見てて見てて。私、これから張政と“きす”するから!」
 ──見てて?
 おい待て……。
 ハルカは、すでにこっちに向かって駆けだしている。
 ──まっ、いいか。なんだか青春してるし。
 死体だらけの部屋で他人に見られながら、するようなもんじゃない、ということは今夜にでもゆっくり教えよう。時間はたっぷりある。
 俺は逆矛を床におき、駆けてくるハルカに向かって両手を広げる。おお、これぞ青春!
 大きな目をさらに大きく見開いて、ハルカが俺の腕の中にダイブする。
 ──?
 振り向くと、ハルカが床に転がっている。なにやってんだ、こいつ?
「うそ……、張政の体……」
 言われて手を見る。手のひらの向こうにあるはずの景色が見えた。

 俺の体は白い光に包まれ、見る間に透明になっていった。





(第三章 記録 1 に続く)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=9993605&comm_id=889699

コメント(4)

(直接書き込み・・ホントにいいんですよね。くどいって?)
 的外れな指摘をしないよう、慎重に書き込みさせていただきますが・・。よろしくご高覧下さい。

 ちなみに ○ を付けた項目は
   一考くださって却下するも可
 × を付けた項目は
   明らかな「誤字」の類い です。

×ー6ーの後半
 見上げれば、その物体はファールを追うのをあきらめれば、上で野球ができるくらい大きく、丸い底にはハリウッドのSF映画ほどの派手さはないが、まばゆい光をいくつも点灯させている。
 ──空飛ぶ円盤?

 → ファール→ファウル (大辞泉、大辞林による)
 → ファール→ファウル (大辞泉、大辞林による)

 これ、今はどっちも使用されていて、野球関係での使用頻度だけを見ればファールがずっと多いようだ。
 バスケットボールの反則の意味だと、ファウルのほうが多い。
 スポーツ誌とかはどうなんだろうね。
 編集者と相談します。

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