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メイキングオブ ハルカ天空編コミュの●第六章 修羅 1〜5

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 第六章 修羅
 ─1─

 むせかえるほどの甘い香り。月明かりでも鮮やかさを失わない極彩色。
 視界を埋めつくさんばかりの花のなかに、俺は腹ばいになって倒れていた。
 気温はやや高めだが、花園の上を吹く風は涼しい。
 ──ここはどこだ? ちゃんと奴国【ルビ:なこく】に着いたのか。まさか天国?
 仰向けになり空を見る。ベガ、デネブ、アルタイル、夏の大三角があった。
 空が上にあるならば、とりあえず天国ではないのだろう。まっ、ひと安心だ。
 もう一度、星空を眺めると、デネブが、織姫【ルビ:ベガ】と彦星【ルビ:アルタイル】の間に割ってはいった第三の登場人物に思えた。果たしてデネブは男なのか女なのか、俺は知らない。いずれにせよ夏の大“三角関係”だ。こりゃ、天の川を挟んで壮大な痴話げんか必至だな。
 あ〜ぁ、俺にかかれば、ロマンチックな星空も下世話な修羅場に早変わり。あまりの想像力の貧困さに自分自身でうんざりした。
 その俗っぽい俺の耳に、ひそひそと話す男女の声が聞こえてきた。ときどき笑い声が混じる。どうやら恋人同士のようだ。
 身を伏せながら声のするほうを見る。ピッチャープレートからホームベースほど離れた先に、仰向けに寝ころがり星空を見つめるカップルらしき姿があった。
 ──いいなぁ、夜のデートかよ。うらやましいぞ……。
 男が上半身を起こす。長い巻き毛、暗がりでもわかる輝くようなグリーンの髪だ。
 覆いかぶさるように女を上から見つめている。
 男が手を伸ばす。女の髪か頬か首筋か、あるいはもーー少し下の辺りを撫ぜている。
 そうされるのを待っていたのだろう。女は愛撫に身を任せているようだ。
 ──こらこら、もしかしてここで始めちゃうのかな〜。うひょひょひょひょ。
 端正な顔を息がかかるほど近づけ、男が恋人にささやく。
「僕のかわいい……、ハルカ……」
 いいい、いま、なんて言ったあ!? 俺は思わず、立ち上がった。
 同時に俺の目の前にも、俺と同じように立ち上がった後姿があった。
 少女だ。ゆったりとした白いワンピースのような服を着ている。その背中に垂れた、尻尾のような太い緑色の三つ編みが腰まで届いている。
 俺が立ち上がった気配に少女が振りかえる。
 大きな瞳がさらに大きく見開き、続いて口もゆっくりと大きく開く。
「ぎゃあああああああ!! ぎゃああああああああ!! ぎゃああああああああ!!」
 少女が俺を指さしながら絶叫をあげた。
 その声に緑の髪の男がこちらを見た。
 月明りの中でもわかる。明らかに俺を敵と認識している目だ。
 ──おい、待て。誤解だ、誤解!
 俺が言い訳を思いつくより先に男が動く。
「はっ!」
 鋭い掛け声とともに、男が両手を地面につける。
 途端に俺は何かに足を取られ、みじめに引きたおされた。
 見れば、足首に無数の花が絡みついている。うごめく花たちが俺の下半身を競うように這い上がってくる。
 引きはがそうと伸ばした手も、簡単に捕らえられた。暴れるほどに動けなくなる。
 ついに血のように真っ赤な花が俺の喉に巻きついた。ギリギリと締めあげられる。
 息が苦しい……。周囲の景色がかすんでいく……。
 もう目は見えない……。最後に残ったのは聴覚だけだった。その耳に……。
「張政、だいじょうぶ?」
 気がつくとハルカが覗きこんでいた。
 ハルカの左右に緑色の髪と瞳をもった男女が立っている。ふたりとも額に昆虫のような触覚がある。男は訝しげに俺を見下ろし、女のほうは顔をそむけている。
 俺の体は、花の束縛から解放されていた。周囲も元の静けさを取りもどしている。
「ねぇ、どうでもいいけど……。なんでそんな格好なの?」
 ハルカに言われて、俺は自分が何も着ていないことを思い出す。慌ててタオルで前を隠した。

 連れて行かれたのは、いや、この段階では連行されたと言うべきか、緑の宮殿だった。森の中にある巨大な木造建築群だ。
 こんな非常識なものは見たことがなかった。○○みたいな、という例えが思いつかない。
 まず森の中にあるのは確かなのだが、宮殿と森の境目が見当たらない。森の中を歩いていたはずが、いつの間にか宮殿の中にいた。
 木造建築といえば、ふつう材木を使った建物のことだ。この宮殿の柱や壁も木でできているのは確かだが、その木は地面に根を張ったままなのだ。
 この宮殿は森そのもの。ありえないことだが、さまざまな森の木々が話し合って、宮殿の形に成長したとしか思えない。
 地下の浴場で体を洗い、出された服を着た。絹で出来た柔道着、そんな感じの上下だ。何で出来ているのかは見当もつかないが、軽くてやたらと着心地がいい。
 その服を身に着けると、広間に通された。
 テーブルの大きさや椅子の数から考えて、用途は会議や食事だろう。ここのテーブルや椅子も建物同様、生きた木でできている。
 部屋に入ったとき、俺が座る椅子は用意されてなかった。だが次の瞬間、床を走る竹が折れ曲がりながら持ち上がり、俺の後ろで椅子の形になった。
 まるで未来を描いたアニメか、でなければ魔法使いの館のようだ。

 俺を暴漢と間違えて、いきなり攻撃してきた物騒な男の名は、花乱【ルビ:からん】。奴国の現王子。御歳【ルビ:おんとし】、二十歳【ルビ:はたち】。ウェーブのかかった明るい緑色の長い髪。身長は俺より少し高い。女のように奇麗な顔の優男だ。
 ベップ王子と俺は勝手に呼んでいたが、この国での二つ名は“虫寄せ花乱”。この名から察するに、花だけでなく虫もお友だち、ということなのだろう。
 半年ほど前、父親である国王が病床に伏してからは、実質的にこの男が国政を取り仕切っているらしい。
 ようするに、俺が予想していた「幼なじみ+元フィアンセ+王子様、おそらく長身+美形」に「ひとりでも強い+国家権力」が加わった“だけ”のことだ。
 ワハハハ……。ここまで揃えば笑うしかない。
 続いてもうひとり。俺のヌードを目の当たりにし痴漢か何かだと思いこみ、大騒ぎしてくれた少女が花連【ルビ:かれん】姫。
 花乱の妹で、花乱につぐ第二位の王位継承権をもつ王女だ。人質として邪馬台国に送られていたが、ハルカと入れ替わりに国に戻ったらしい。
 ハルカに負けないほどの大きな瞳は、濃厚な青緑。ただしハルカがやや吊り目なのに対して花連は垂れ目。丸い顔の輪郭とあいまって、おっとりした印象だ。
 椿の葉のような深い緑色の髪。それを一本に編み、腰にたらしている。
 歳は俺やハルカより少し若そうだ。二十一世紀なら中学三年。それも清純さを売りにしたミッション系お嬢様学校。さらに言えば図書委員で園芸部のイメージだ。
 どうでもいいけど、女性として膨らむべき部分は、年長のハルカより凹凸が激しい。
 髪と瞳の色は緑。額に虫のような触覚。それが花ノ衆の特徴らしい。
 それにしても酷い目にあった。
 俺の側に誤解を受ける要素が、多少あったことは認めよう。だが、事情も確かめずに
「ぎゃあああああああ!!」はないもんだ。
 それに妹のピンチとはいえ、有無を言わせず人の首を絞めるのも、いくらなんでもやり過ぎ。
 ハルカのとりなしでなんとか誤解は解けたものの、もしあの場にハルカがいなければ、先週までの救世主は、今週は身元不明の変質者として、花の肥やしか虫の餌。
 ──冗談じゃねーぞ! 勘違いも、たいがいにしろ!
 と、俺が怒鳴りだす前に、花乱と花連に平謝りされた。
 結論から言えば、ふたりとも、王子と王女と思えないほど気さくで……、困ったことに……、とてもいい人たちなのだ。
 だいたい何が苦手といって、育ちが良くて性格がいい連中ほど苦手なものはない。特にあの屈託のない笑顔が性質【ルビ:たち】が悪い。
 たたけば体重と同じくらいホコリが出そうな身としては、たとえこっちに非がなくても自分が悪いような気分にさせられる。このときもそうだ。
「許すもなにも、俺が悪かったんだよ。いきなり裸で現れたんだから。ハハハ……」
 花乱にもらった上等な服を着こんだ俺は、心にもないことを口走っていた。
 その言葉を待っていたかのように間髪いれず
「だよねー!」
 とハルカが余計な相槌を打つと、広間は俺を含めた全員の和やかな笑い声に包まれた。
 ……というわけで、俺はこの凶悪な早とちり兄妹に、まるで十年来の友人のごとくもてなされ、まんまと丸めこまれてしまったわけだ。
 が、よくよく考えてみれば、花乱とハルカの深夜デート疑惑が消えたわけではなく、花連に思い切り、あそこを見られたことにも変わりはない。
 まあ、デート疑惑に関しては、ハルカとふたりになれば、じきに解消するはずだ……と言うか、今夜だ、今夜! 今夜こそだ!
 ところが、俺が案内された貴賓室は俺専用。つまり夜はハルカと別々……。
 ──そ、そんな殺生な〜〜!
 何を楽しみに、俺が命を懸けてここまで来たか、少しくらい気を回せよ。
 なんでハルカまで、置き忘れた避難用リュックと逆矛を俺に押しつけて
「じゃあね〜、また明日〜♪」なんだよ?
 勘弁してくれ。俺が本気でこの世界を救いに来たとでも思ってるのか!?
 悪ぶってるだけで、実は俺が善人だとでも言うのかよ? 人を見る目がないぞ!
 おまけに耳を澄ますと、隣の部屋から誰かは知らないが、猫みたいな女の喘ぎ声が聞こえてきやがるし……。
 壁を蹴飛ばしてやろうかとも思ったが、それもさもしい……。
 で、俺が代わりに何をやったかといえば、ハルカから受け取った逆矛を、朝まで三百回ほど素振りしたのだ。
 あ〜ぁ、何やってんだかなぁ……。まったくもって自分でもバカだとは思うよ。

 ─2─

 朝飯のとき、新顔のふたりをハルカから紹介された。
 驚いたことに、きのう俺の隣の部屋でサカリのついた猫のような嬌声をあげていた女は、まさしく熱愛中の猫女だった。
 アマテラス号からとつぜん消えた俺に代わり、ハルカに付き添い奴国に入った火の一族は二名。
 ひとりは、山ノ衆【ルビ:やまんしゅ】の猫顔の女で、名前はお夏。
 もうひとりが、邪馬台国出身の正十郎。こっちは人間の男。
 ふたりとも二〇代の前半に見える。服はなんとペアルック。お揃いの薄いピンク色のゆったりした作務衣【ルビ:さむえ】に似た服を着ている。
 このご両人、一大率の祖ヶ谷【ルビ:いがや】襲撃をきっかけに知り合い、順調に交際を重ね、ニャンとまあ、ねんごろな関係に至ったらしい。
 もしかしたらハルカが目指すところの異種族間の分け隔てない交流を、ある意味で体現しているカップルと言えなくもないから、お供に選ばれたのかもしれない。
 それにしてもこのふたり、食事の間も手をつないだまま。何をするにもどこに行くにも常に一緒。仲がいいにもほどがある。
 まるで籍を入れるまでは、あっちを我慢していた古風な男女の結婚直後のような、目を背けたくなるほど迷惑な睦まじさだ。
 あ〜ぁ、この調子じゃ、今夜も「にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜、にゃ〜」だよ。
 俺は朝から気が重くなった。
 気が重いといえば、もうひとつ。
 きのうのお詫びに、花連が面白い場所に案内してくれると言う。
 いや、まあ俺も、異種族間の交流というヤツに協力するのは、やぶさかではない。
 ましてお相手は清純派のお姫様。顔は幼いが、顔から下は十二分に大人。性格も誰かさんに比べれば、ずっと女らしい。それに一方的ではあるが、すでに裸の関係だ。
 俺に断る理由はない。問題があるとするなら、ハルカなのだが……。
「私は花乱王子と話がありますから。おふたりで、どーぞっ!」と、他人行儀なつれない返事。なんだか知らんがご機嫌ななめ。
「ああ、そっ! じゃあ、好きにさせてもらうからな」と、俺も俺で、よせばいいのに売り言葉に買い言葉。いつの間にやら険悪なムードだ。
 ……それにしても、俺、なんかハルカを怒らせるようなことしたか?
 朝っぱらから言い争うつもりなど毛頭なかった。ただ、ハルカとケンカしたことは一度もなかったから、こんなときどう接していいかわからなかった。それだけだ。
 今まで何も言わなくても互いの気持ちを理解しているものと思いこんでいた。
 そういえば、俺はハルカに「好きだ」とか「愛してる」とか、言ったためしがない。
 これでもいちおう九州男児。そういうのはちょっとな……。
 でも「女って、わかっていても、そういう優しい言葉をかけてもらいたいものなんですよねぇ」と、バツイチの女優が昼のワイドショー番組か何かで、ほざいてた気もする。
 俺に比べて花乱のヤツは、いけしゃあしゃあと「僕のかわいい……、ハルカ……」だもんなあ。あいつだってベップ王子なんだから九州男児だろうに、ずりぃよ。
 ──よし!
 硬派の九州男児は今日でやめた。今さらだけど、ちゃんと気持ちを伝えよう。
 昼飯のとき……は人目があるし、晩飯のとき……も同じか。じゃあ、夜は……別々。
 あら? ふたりっきりになるチャンスがないぞ。これってヤバくないか。
 じゃあ、じゃあ、じゃあ! しょうがない今だ、今すぐ!
「おーい、ハルカ! ちょっと」
 俺の声に花乱と話していたハルカが振り向く。それと同時に、
「行ってきまーす♪」
 花連は俺の手を引いて歩きだし、残った手をハルカと花乱に向かって振った。
 ハルカはその様子を呆気に取られて見ていたが、
「ごゆっくりぃぃぃ!」
 妙に腹に力が入った強い調子で言い返し、花乱の手をとるや俺にくるりと背を向け、宮殿の奥に向かってドカドカと大またで歩みさった。
 ──えっ? おい? ハルカ……?
「ハルカさん、どうしたのかしらね」
 花が笑ったような邪気のない花連の顔を見ながら、俺は溜息をついた。
「おふたりも、お暇ならご一緒にどうですか?」
 花連が誘ったのは、部屋の隅でいちゃついていた正十郎とお夏だ。
 顔と体は花連に向けつつ、正十郎が横目で俺を見る。
「私どももお供してよろしいんですか?」
 戸惑いながら訊ねる正十郎をよそに、花連は俺を振り向いて微笑む。
「大勢のほうが楽しいですものねぇ、張政さま?」
 俺はあいまいに笑った。
 ……花連は俺とデートしたいわけじゃないらしい。

 ─3─

 城から一歩外に出ると、生い茂る草木がすべてを塞いでいた。
 空が見えないから昼なのに暗い。三メートル先もわからないほど見通しも悪い。
 加えて、異様に蒸し暑い。たぶん不快指数一〇〇%以上だ。
 そんな密林の中を、花連はスキップでもするように軽やかに歩いていく。
 花連の周囲と前方だけ、スポットライトが当たっているように日が差している。木々が自ら避けて道を作っているのだ。
 彼女が通りすぎたあとは、何事もなかったかのように木が閉じ、道が消えていく。
 この不可思議な状況では、俺と正十郎とお夏は、自然と花連に寄りそうようにしか歩くことができなかった。
 金色の目を、白黒させながら……というのはヘンか、猫の目のように……ってもともと猫だし……、まあ、とにかくお夏が、物珍しそうに辺りを見回している。
「姫様、これ、どういうことニャ?」
「お夏さん、姫様はやめて、よかったら花連と呼んでくださいませ」
「あ、はい。じゃあ花連……さま。なんでここの木、勝手に動くのニャ?」
 そう言いながら、お夏は木で爪を研ごうとした。その手を制止し、花連は言葉を慎重に選ぶように間をとり、ゆっくりと口を開く。
「私が王家の者だからでしょうか」
 あらら、このお姫様もハルカと違う意味で、話がつながらないタイプらしい。
「貴国では、王家の方が歩くと、樹木でも避けると?」
 大まじめな顔で馬鹿げた質問をした正十郎も困惑していたが、答える花連もそれに輪をかけて困惑した面持ちだ。
「身分が高い者に道を譲るのは、どこの国の民も同じではありませんの?」
「そりゃあ、足がある者なら、そうしますでしょうが……」
 それだけ言うと正十郎は、すっかり困り果てた顔で口をつぐんでしまった。
 俺は「国の民」と聞いて、ふと気づく。
 この国に来てから、花乱と花連以外、ほとんど人の姿を見ていない。今日も給仕係を数人、見かけたきり、宮殿から出たあとは誰にも会っていない。声すらも聞いていない。
 黙りこんだお夏と正十郎に代わり、今度は俺が、このトンチンカンなお姫さまに、お訊ねする番のようだ。
「人を見かけないけど、奴国の町は王宮からずいぶん離れてるのかな?」
 俺の質問の意味が、花連にはすぐにわからなかったらしく、きょとんとしている。
「ああ! そういうことでしたか。話が噛み合わない理由がやっとわかりました」
 突然、そう言うなり、鈴を打ち振るような、澄んではいるがけたたましい笑い声を、花連は森中に響かせた。その声に呼応するように、周囲の葉や枝がザワザワと揺れる。
「この森の木々すべてが我が国の民ですのよ。とくに用事のないときは、皆、この姿なんです。ふふふ、……ハルカさん、そんなことも教えてなかったのですね。さすがだわ」
 口をあんぐりと開けた俺たちに、花連が説明してくれたのは、こういうことだ。
 花ノ衆という部族は、樹木と人間の形態を自由に変えられる。原則は樹木形態で、いわば有事のみ人型になる。
 理由は、個体レベルでほぼ自給自足が可能な樹木に比べ、人間の姿はエネルギー消費が大きく生活コストが何十倍もかかる。他国より突出して多い奴国の人口を維持できるのも、この二形態の切り替えを効率よく用いているからだそうだ。
 たとえば人間という大型の動物が生きていくには、食物を得るために、田畑なり森なり思いのほか広いフィールドが必要になる。それに対してかなり大きな樹木でも、畳一枚分の土地があれば、たいてい事足りる。そういうことだ。
 また花ノ衆は、木の姿であれば数百年、長寿の者は数千年も生きながらえると言う。
 そこまで説明すると花連はひと息ついて、うつむいた。上目づかいで俺の顔色を伺うようにチラチラ見ている。
「あの……、私もこう見えて、十五歳。……足す八歳。……足す百歳なんです」
“足す”と言うたびに花連の声は小さくなった。
 突然そんなことを一方的に告げられても、なんと応えていいものやら見当がつかない。それになぜか、花連は恥かしそうに俺を見ている。
 だが、ここで驚いては、なんだか失礼な気がして、俺は助けを求めようと、隣りで指を折っていた足し算が苦手な男の肩をたたく。
「百歳を超えてるなんて、ぜんぜん、そんな風には見えないよ、ねえ!?」
 いきなり話を振られた正十郎は、なにを思ったかお夏を抱き寄せる。
「え? あ、まぁ、こいつなんて、こんな身体【ルビ:なり】ですが、まだ九つですしね」
「愛があれば、歳の差なんて関係ないのニャ〜」
 お夏は、正十郎に顎の下を撫ぜられ、気持ちよさそうに喉を鳴らした。
 その様子を、お夏より百歳以上年上の花連が、顔を赤らめて見つめている。
 山ノ衆は、人間より成長が早いと聞いたことがある。だが、子供がいてもおかしくなさそうな、この猫女がまさかの九歳……。俺より年下に見えた花連が一二三歳……。
 卑弥呼の歳を聞いたときには仰天だったが、このふたりの年齢に関しては、俺の理解を完全に超えていて、むしろ驚きは少ない。
 そういえば……。
 ハルカの正確な歳を俺は知らない。なんとなく最初に顔を見たとき、同い年か、せいぜいひとつ下か上、それくらいだと決めつけていた。
 いったい、ハルカはいくつなんだろう?
 一〇年ほど、この国で暮らし、初めてここに来たときの記憶もあるようだから、その時点を五歳とすれば今は十五歳以上。
 下はそんなとこだとして、上はどうだろう。
 あいつがメチャクチャ幼く見えるタイプで、実はすでに二十歳をすぎていると聞かされても、たぶん俺の気持ちは変わらない。年上……、嫌いじゃないし。
 ──なーんだ。じゃあ、なにも問題ない。
 そこまで考えて、俺はなにか大事なことを見落としているような不安にかられた。それは、底の見えない穴を身を乗り出して覗くような、得も言われぬ恐怖によく似ていた。
「そろそろ、行きましょうか」
 花連の声に、密林がまた道を開けた。俺は不安の正体がわからないまま歩き出した。

 この森には見たこともない木も多い。数種類の樹木が抱き合うように絡み合う奇妙な光景も何度か見かけた。他の木に寄生され枯れた大木がそこら中に倒れている。
 姿は木でも意識はあるようだから、これは、いったいどういう状況なのだろう。
 俺の想像が正しければ、花ノ衆は決して温和な性格などではない。
 わずかな光を求め、日々、部族内で闘争を繰り広げ、強い者だけが生き残る。それを暗黙のルールとした、いわば弱肉強食の民族だ。
 ──敵に回したくはないな。
 俺は、いかにも争い事と縁のなさそうな花連の横顔を見ながら、そう思った。
「……ところで、どこまで行くんだ?」
 思わず口から出た俺の言葉は、少しうんざりしたトーンを含んでいたかもしれない。
 この森が複雑怪奇な生態系を成しているのは確かだ。だが、複雑すぎて違いがわからず、どこも同じに見えてだんだん飽きていた。もちろん、これが木ではなく人の姿だったら、それはそれで、あまりの密度と視線の多さにイヤになっていただろうけど。
 俺に声をかけられ花連が歩みを止めた。顔を俺に向けたが、目はそらしている。
「石人【ルビ:いしびと】の里に……」
 独り言のように告げると、花連はそそくさとまた歩き出した。
 この素っ気ない答に反応したのは、正十郎だ。
「お待ちください、花連さま。奴国に石人なる部族が暮らしているとは初耳ですね」
「いえ、石人は過去の遺物。人ではありません」
「……と言われますと?」
 歩きながら話す内容ではないと思ったのか、正十郎が立ち止まった。それに気づいて花連も足を止める。
「詳しくは存知ませんが、奴国には昔、人間が住んでいたそうです。石人はその先住者たちが、土ノ衆【ルビ:つちんしゅ】と戦うために作ったものだとか」
「へー、それでその人間たちは?」
 俺が訊くと、花連は目を伏せる。
「わかりません。確かなのは今は、ひとりもいないということだけ。おそらく土ノ衆を地の底に封じ、それと引き換えに……、滅びたのではないかと……」
 花連は、俺の反応をうかがうように、またチラチラと見ている。
「ふーん、で、その石人を、なんで俺たちに見せようと?」
「それは……、向こうに着いてから」
 なんだ、今の間は? この娘【ルビ:こ】は何か隠している。それが何かは見当もつかない。俺は、ただじっと花連を見つめた。
 その視線に気づき、花連はうろたえている。やっぱり何かを隠してる。
 張り詰めた空気。それを完全に無視してお夏が口を挟む。
「姫様。……じゃなくて、花連さま。その石人の里はまだ遠いのニャ? あたし、喉がカラカラ。足も疲れた。もう歩けないのニャ」
 お夏の場合、言葉を喋り二本足で歩いても、甘え方や身勝手さは、そのへんの猫とあまり変わりない。あ、忘れてた、それにまだ九歳だ。
 だがその奔放さは花連にとって、今は好都合だったようだ。
「あ、ごめんなさい」
 そう言うと、花連は俺の視線から逃れるように、お夏のほうに向き直った。
 そして森の上空を見上げる。つられてお夏も上を向いた。
「だれか、ヒヨの実を」
 花連の声と同時に、お夏が大声をあげながら横に飛び退いた。俺も思わず上を見る。
 何かが大量に頭上から降っていた。それは真っ赤に熟れた果実だ。
 見る間にお夏のそばに赤い小山ができた。腐りかけたイチジクのような甘い芳香を放っている。これが、花連がさっき言っていた、ヒヨの実なのだろう。
「うわ〜っ! これ、ぜんぶ食べていいのニャ!?」
 お夏は、ヒヨの実を手に取り、匂いをかいでいる。知性がヨダレになって溶け出しているとしか思えないほど、うっとりした呆けづらだ。
「お好きなだけどうぞ。ただし食べ過ぎると幻覚を見ることがあるので注意し……」
 花連の話を最後まで聞かずに、お夏は口の周りを真っ赤にして、果肉にむしゃぶりついていた。お夏が、ガブガブとかぶりつくたびに、甘ったるい香りが空気を染めていく。
 鼻の奥がしびれるような香りに、俺は思わずごくりとつばを飲んだ。
「お口に合うとよろしいのですが」
 声をかけられて初めて気づいた。花連が俺と正十郎に、小ぶりのスイカほどもある真っ赤な果実を差しだしている。
 受け取った果物の形を見て、ぎょっとした。正十郎もその奇妙な形をまじまじと見つめている。
 ヒヨの実と呼ばれた果実は、どこか人間の赤ん坊に似ていた。
 ふたりの怪訝な表情に気づいたのか、花連が説明を付け足す。その声は不自然なくらい平静だ。
「はるか昔、子供を人の形で産んでいたころの名残です。今はその形に意味はありませんから、お気になさらず召し上がれ。そして種は少しでも日の当たる場所に、吐き出してやってくださいませ」
 正十郎が腰を屈め、お夏と並んで夢中でかじりつきはじめると、香りはさらに濃くなった。容赦なく鼻腔に入りこんでくる刺激的な香りに、頭がくらくらする。
 俺も、とうとう我慢できなくなった。
 意を決し、赤ん坊に似たその果実の、腹の辺りに歯を立てる。コンニャクくらいの弾力がプチリと切れると、異様な甘酸っぱさが口の中いっぱいに拡がった。
 ──う、うめえ!
 すべてがどうでもよくなるような、そんな甘さだ。
 それが頭の中に一気に染みこんでくると、もう手も口も止まらなくなった。
 一瞬、花連だけが果実を口にしていないことが気になったが、それもじきに忘れた。
 ──うめえ! うめえ!
 子供のように口の周りを汚しながら果実にむしゃぶりつく正十郎が、視界の隅にぼんやりと見えた。
 その手の中にあった赤い物が動いたり、泣き声をあげたりしてるようにも思えたが、そんなわけはない……。
 ──死ぬほど、うめえーぞ!
 お夏が臨月の妊婦のような大きな腹を抱えながら、正十郎の口の周りをベロベロと舐めている。なんて浅ましい女だ。
「もっと、くれよぉ。もっと、くれよぉぉぉ」
 誰かが喚いている。確かではないが、それはたぶん俺の声だ。いや、きっとそうだ。
 血のように赤いよだれ垂らしながら、俺が泣きながらすがりついているのは花連の足。その白い太ももに、俺は頬を擦りつけている。
 花連はそれを不愉快そうに振りはらい、俺の頭を足蹴にする。そして何度も踏みつける。おしとやかな彼女が、そんなことをするはずがないのに……。
「張政さま、しっかりしてくださいっ!」
 遠くで花連の声が聞こえ、口の中にアンモニア臭が拡がる。
 俺はむせ返りながら、黄色い果肉を吐き出し、我に返った。
 目の前では、お夏と正十郎が赤いヒヨの実の最後のひとかけをめぐり、激しい取っ組み合いをしていた。
「これを飲ませて!」
 花連が差しだしたのは、人間の足そっくりな黄色い果物。それが俺を正気に戻した物の正体だと、すぐにわかった。それほどに酷い臭いだったからだ。
 俺は、互いの首を絞めあっているお夏と正十郎に跳びかかると、涙が出そうなほど臭う黄色い足を、指のほうから無理やりふたりの口に突っこんだ。
 途端にふたりは、堪【ルビ:たま】らず咳きこみ、続いて胃の中の物をあらかたぶちまけた。
「すみません。お止めするのが遅れてしまって……」
 おびえたような花連の声を、俺たち三人は、赤い吐しゃ物の中に座りこみ、ゼェゼェと荒い息をしながら聞いていた。
「……ありゃ、いったい何だ?」
 俺は、それだけ訊くのが精一杯だった。
「ヒヨの実は、祭りのときに食べる物で……。お疲れの様子でしたから、ご気分を少し高揚させてさしあげようと……。どうやらそれが人間には効き目が強すぎたようです。本当に申し訳ありません」
 花連の大きな瞳から堰を切ったようにポロポロと大粒の涙がこぼれだした。
 それを見た正十郎は、恐縮した面持ちで立ち上がろうとしている。
「お顔をお上げください。ちゃんと忠告を聞かなかった私どもも悪いのですし、まあ、おかげさまで体もこのとおり、なんともありませんし……」
 言い終わらないうちに足元をふらつかせ、正十郎はまたペタンと尻からへたりこんだ。
「しばらく横になって休んだほうが、いいんじゃねーの」
 実は俺も立てなかった。まだ目まいが残っていた。
「……面目ない」
 正十郎は大の字になってパタンと倒れた。その傍らではいつの間にか、お夏が派手ないびきをかいていた。

 ─4─

 俺たちがなんとか動けるようになったのは、たぶん三、四時間たったあとだ。
 その間、花連は何度か水を汲みに走り、ミント系の葉っぱも差し入れてくれた。
 その葉っぱを噛むと、口の中に残っていた悪臭がやわらぎ吐き気がおさまった。
 それにしても、天狗酒といいヒヨの実といい、この世界の食い物は油断できない。
「なんか悪【ルビ:わり】ぃな」
 俺は、かいがいしく働く花連に声をかけながら、よろよろと立ち上がった。逆矛を杖にするのは久しぶりのような気がする。
「いえ、私が浅はかなことを考えたばかりに、皆さまにご迷惑をおかけしました……」
「ホントにもう気にするなって。それよりだいぶ時間を食っちまったけど、石人の里だっけ……、こんな調子じゃ今日は無理っぽいな」
 うっそうと茂った葉にさえぎられ、太陽の光が直接、落ちてこないから、時間を知る術はない。だが俺の勘では午後の三時から四時。日暮れまで三時間というところだろう。
 頭【ルビ:こうべ】を垂れていた花連が顔を上げた。その表情はなぜか明るい。
「それなんですが! 皆さまがお休みの間に、歩かずとも行ける道を見つけました」
 そう言われて辺りを見回すが、そんな道はどこにもない。
「どこにあるニャ?」
 落ち着きなく目を動かしているお夏に、花連が微笑み、また上空を見あげた。
「こ、今度は、なにが落ちてくるの……ニャ?」
 こわごわと仰ぎ見ていたお夏が悲鳴を上げた。ほぼ同時に、俺と正十郎も思わず声を出す。
 またしても頭上から何かが落ちてきたのだ。
 数本の太いツタだった。それがあっという間に、全員の腹の辺りに巻きついた。
「では、参りましょうか」
 穏やかな花連の声を合図に、四人の体が引き上げられていった。
 上昇とともに木洩れ日が明るさを増していく。さっきまで立っていた地面は、すで暗闇の底に沈み見えなくなった。
 そのとき足元から、ぎゃあぎゃあ、と騒がしい声がした。
「あぁ! 重ね重ねごめんなさい!」
 花連の慌てた声に下を覗くと、お夏が逆さづりになって泣きべそをかいていた。お夏を捕らえたツタは、腰ではなく足に巻きついたらしい。

 ほどなく俺たち四人は、一面に広がる森の上に立っていた。
 腹に巻かれたツタはそのまま。別のツタが急ごしらえの足場を作っている。
 太陽は西に傾きかけていたが、夕陽に染まるには、まだ猶予がある。
 薄暗い森の底とは対照的に、ここは太陽をすぐ近くに感じるほどまぶしい。
 なのに下よりずっと涼しい。湿度が低く風があるからだろう。
 風が吹くと森の木々が揺れ、エメラルド色の海原が波立っているように見える。
 俺はその雄大な光景を見て、ふと疑問が湧く。
 ──本当にここ、あの別府なのかよ?
 温泉が宮殿の地下にあったものの、湯煙が香る温泉地という印象がまるでない。
 右手に見える海岸線には、花でできた広いベルトが続く。あとは見渡すかぎりの、森、森、森。まるで熱帯のジャングルだ。
 左手には高い山が七つも八つも連なる山脈が見える。別府の近辺にある高い山といえば、湯布院のある山を数にいれてもせいぜい四つ。あの連峰はいったいなんなんだ……?
 首をひねる俺の横で、花連がおもむろに、はるか南にある岩山を指さす。
「あのふもとに石人の里があります。さ、皆さま、手近なツタに両手で、しっかりつかまってくださいませ」
 促されるままに、そばのツタをつかむと、ツタも数年ぶりに会った友人と握手するように、ぎゅっと手に巻きついた。同時に緩んでいた腹のツタも締まる。
 その様子を花連が慎重に確認する。まるで離陸前のCA【ルビ:キャビン・アテンダント】のようだ。
「膝を曲げて、少ししゃがんだほうが楽かもしれません」
 ──いったい、この娘【ルビ:こ】は、なにを始めるつもりなんだ?
 花連の言葉の意味をゆっくり考える暇もなく、足元に変化が起きた。
 何千本もの太いツタが絡みあうと、それが信じがたい勢いで伸びていく。
 見る間に、書家が筆を走らせるように、森の上に迷いのない美しい曲線が現れた。
 それは、両手を広げたほどの幅をもつ、ツタでできた小道だ。
 その小道そのものが、南を目指して急流のごとき速さで、どんどん進んでいる。
 上に乗っている俺たちは、自分の足を動かすことなく風を切っていた。
 大きな空港や駅にある“動く歩道【ルビ:ムービング・ウォーク】”。ようするに、これは、生きてる動く歩道だ。
 だが、スピードはぜんぜん違う。
 そうだな、この生きてる歩道なら、フルスロットルの五〇CCのバイクと競争しても、いい勝負できる。いや、ここには信号がないから圧勝か。
 あと、動く歩道といえば、ふつうは平面を真っすぐに移動するためのものだ。ところが、こっちは凸凹はあるしカーブも多い。おまけに揺れる。
 地形に合わせて、ちゃんと体重を移動しないとガツンと大きな衝撃が背骨から腰に来る。ただツタにつかまっていれば、いいというものじゃない。
 他の木より高い木が森から突き出していると、それを避けるために道は勝手に傾きカーブする。このときの、振り落とされそうなGが堪【ルビ:たま】らない!
 体感的には森の上を、スキーで滑降している、そんな爽快な気分だ。
 これ、遊園地のアトラクションにしたら絶対当たる! なにしろ物静かな花連までが、きゃあきゃあ、わあわあ、歓声を上げている。若い女の子にも大ウケ間違いなしだ。
 みるみる南の山が大きくなり、目の前に迫ってくる。
 ついに山が視界いっぱいになった。
 そこで俺たちは、生きてる高速歩道から降りた。森が途切れたからだ。

 地面に足をつけたときには、膝がガクガクと笑っていた。そのかわりに俺は笑顔も取り戻していた。気分ハツラツ〜!
 ただ、お夏は酔ったらしく立ち上がれそうにない。毛に覆われているからよくはわからないが、たぶん顔も真っ青。この女、猫のくせに平衡感覚が弱いのかもしれない。
 心配そうに正十郎が背中をさすっている。このふたり、本当に仲がいい。
 ──ハルカも来れば、よかったのに……。
 あいつは勘がいい。さっきの生きてる歩道も、きっとうまく乗りこなせたはずだ。
 誰よりも大はしゃぎして、楽しんだちがいない。
 挙句の果てに当初の目的を忘れて「もう一回いこう!」と、ねだったかも。
 ──ちぇ、つまんねーの……。
 俺は天を突くような高い木が密集した森を、しげしげと仰ぎ見た。
「あれが石人の里です」
 花連の声が、未練がましい俺の妄想を断ち切った。
 振り向けば、花連が岩山のふもとを指している。その方向に目をやれば、色とりどりの花が一面に咲いた野原の向こうに、鋭く切り立った崖。
 そこに十数体の石の巨人たちが整列していた。
 花連を先頭に俺たちは花の中を歩きはじめる。お夏は、正十郎におぶわれている。
 崖が近づくにつれ、石人の巨大さに息を飲む。
 崖のスケールは、五階建てのマンションが一〇棟ほど横に並んだくらい。自然にできた崖ではない。これは石を切りだした跡が崖に見えるほど大規模な採石場だ。
 そして直接そこから彫りぬかれた人型、それが石人だ。
 石人の姿は、一部、鬼などの変り種もあるが、ほとんどは、教科書でおなじみの兵士を模【ルビ:かたど】った埴輪に似ている。この時代の鎧兜をフル装備し、左の腰には矛を差した姿だ。
 まあ、実際にはフル装備したヤツなんぞ、一度もお目にかかったことはない。たぶん、石人のモデルは将軍クラスの自分の足で歩かない騎馬兵か何かなのだろう。あんな重いもん、ぜんぶ身につけて、まともに動けるのはフセマルくらいのものだ。
 身長はまちまちだ。標準は電柱と同じか、ちょっと高いくらい。最も大きいもので、その倍程度。矛の長さはそれぞれの身長の半分ほどだ。
 立っている、座っている、寝ている、ひとつとして同じポーズのものはない。
 数えてみると石人は、全部でちょうど二〇体あった。ただしそのうちの三分の一は、石の壁から彫りだす途中で放棄された未完成品。残りも腕や頭が欠けているものが多い。
 お夏を除く、全員が石の巨人たちを見上げている。
「で、これを見せたかった理由、そろそろ聞かせてくれよ」
 俺の声が聞こえなかったのか、花連は石人を見上げたままだ。もう一度、声をかけようとしたとき、
「今も動くかどうか試していただきたいのです」
 花連の薄い唇が、そうつぶやいた。
「うそだろ!?」「これ、動くんですか?」
 顔を見合わせる俺と正十郎。
 そのやり取りを正十郎の背中で聞いていたお夏の耳がピクリと動く。
「とりあえず、動かしてみるニャー!!」
 正十郎の背から飛び降りると、唖然とする俺たちを尻目にお夏が駆けだしていた。
 そこには、先ほどまでのぐったりした哀れな猫の姿は、もうない。新しい武器を前に興奮し、全身の毛を逆立てた、ひとりの山ノ衆の背中があるばかりだ。
 よほど気が急いているのだろう。お夏はとうとう四つんばいで走り出した。
「あ〜ぁ、あの格好で走ると服が汚れるのに、いくら言っても聞かないんだから……。元気が余ってる女を、恋人にすると大変ですよね」
 正十郎は、俺の肩を揉むマネをし
「お互いに」と付け足すと、お夏を追いかけた。
「こら、お夏、待て〜」
「正ちゃん、あたいのシッポ、捕まえてみるニャ!」
 戯れるふたりの声を、俺はなかば呆れつつも、うらやましく思いながら聞いている。
 そのとき、ふいにつんのめった。
 花連が俺の手をとり、引っ張ったのだ。
「私たちも……」
 ──行くのはいいが、その恥ずかしそうな目の伏せ方と、頬の赤らめようはナニ?
「あ、ああ……」
 俺がうなずくと同時に、花連が急に駆けだし、俺もしょうがなく付き合って走った。
 と、いうわけで、俺は手を離すタイミングを完全に失ってしまった。
 俺と花連は、花園の中を駆けていく。目の前で濃い緑色のポニーテールが揺れている。走りながら時おり振り向く花連の頬は、薄紅色に上気している。
「うふふ、張政さま、早く、はやく」
「おい、そんなに引っ張ると転ぶって」
 なんだか安物の制汗剤かなにかのコマーシャルに出てくる恋人同士みたいで照れる。
 ──ハルカが一緒に来なくて、ホントによかった……。
 こんなところを見られたら、言い訳のしようがないもんなぁ。
「どうかなさいましたか?」
 立ち止まった花連が心配そうな顔で、俺を見上げた。息が弾んでいる。
 ──あ、あれ? なんか俺、ドキドキしてる。
「い、いや、なんでもないよ。それより、競争しようぜ、競争!」
 俺は花連の返事も聞かずに走り出した。
 おまけに、競争しよう、と口では言ったくせに手は握ったままだ……。
 ──ま、いいか。
 どうせハルカだって、今ごろ花乱とお手てつないで、お散歩中かもしれないしな。いや、きっとそうだ。そうに決まってる!
 そうだよ。なんで、ここにいないあいつに俺が気を遣わねばならん。
 前を見れば、五体満足な石人の前で、正十郎がお夏を肩車している。石人のどこかに取りつこうとしているようだ。
 俺たちに気づくと、お夏が振り向きこちらに手を振った。
 後ろからは、花連のクスクス笑いが聞こえる。俺もつられて笑い声をあげた。
 ──これって、もしかしてダブルデートってやつか。
 いい感じじゃないですか、なんだか青春してて。ハハハ。
 笑顔のまま、心の隅にわずかに残っていた後ろめたさを、俺は力いっぱい蹴飛ばす。
 それを見計らっていたように、花連の笑い声と足が唐突に止まった。
 振り向くと、花連の顔が凍りついている。
「どうした?」
 俺の問いに応える代わりに、花連が俺の肩ごしに叫ぶ。
「ふたりとも早く逃げて!!」
 ──なんだ!?
 慌てて前を見る。花連の視線の先には、肩車したままのお夏と正十郎。こっちを見てきょとんとしている。
 そしてふたりの背後に石人。そのふたつの目の穴に、赤い灯がともっていた。
 さらに石人の全身にまがまがしい渦巻き模様が赤く光りながら浮き出る。
「おい! 後ろだ、後ろぉ!」
 俺は花連の手を振り払うと、逆矛を抜きつつ全力で走った。
 石の巨人は太い足を上げ、今しも一歩、踏み出そうとしている。
 そこにお夏と正十郎がいた。

 ─5─

 振り向いたお夏が異変に気づいたのは、大きな足が振りおろされるのと同時だった。
 ズンという地響きとともに、あたりの花がいっせいに揺れた。
 お夏と正十郎が、石人の足のすぐ傍らでうずくまっているのが見える。
 頭を抱えたふたりが、おそるおそる顔を上げた。
 ──ふ〜、どうやら無事のようだ。
 ──で、石人は…………?
 なぜだ。理由はわからない。一歩、足を踏みだしたその姿勢のまま、スイッチが切れたように停止している。目の赤い光も、蛇のような渦巻き模様も消えている。
 間近で見ると、石人はその大きさ以上に異様な迫力がある。理由のない恐怖を覚えるのは、俺たちと同じ、人の形をしているせいかもしれない。
「止まった……ようですね……。それにしても、どうして動いたのでしょう?」
 追いついた花連の声が後ろから聞こえ、また俺の手が握られた。その手が震えていた。だからそっと握りかえした。安心させるためだ。いやホント、それだけ。他意はない。
「花ノ衆の誰かが乗ってるってことは?」
 俺は石人から目を離さずに訊いた。
「いえ、アレは、私たちには動かせませんから」
「なんで?」
 俺はチラッと後ろを見た。花連はうつむいている。
「それは…………」
 言葉はそこで途切れた。この娘【ルビ:こ】はいったい何を隠している? 俺は声を荒げないように、女性には優しく、優しく、優しく、と三回、自分に言いきかせてから口を開く。
「花連……、言えよ。俺には」
 反応があった。“花連”と名前を呼び捨てにしたとき、花連の手から一瞬、力が抜け“俺には”と言ったあと、前よりも強く握られた。
「わかりました」
 背中から聞こえた、しおらしい声に被さるように、前方から硬い物が擦りあわされるような、不気味な音がした。
 ゴリゴリゴリ。ゴリゴリゴリ。ゴリゴリゴリ。
 石人の首がゆっくりと回転している。顔がこちらに向いて止まった。
 暗い目の穴に、そして全身に、ふたたび赤い光が拡がっていく
「……冗談だろ?」
 俺は石人に目をやりながら、ゆっくりと後じさった。
 巨大な体が向きを変える。そして……。
 ズン! ズン! ズン! ズン! ズン! ズン!
 俺たちに向かって走りはじめた。
「やべえ、逃げろぉ!」
「とにかく森まで!」
 俺と花連は手に手をとって森を目ざして走る。そのあとを連続した地響きが追いかけてくる。
 石人は、膝をほとんど曲げずに足をあげ、肘を伸ばしたまま手を振っている。その走り方は、お笑い芸人がわざとやっているように、ぎこちなくヒョウキンそうに見える。
 だが、あの巨体だ。どんな不格好な走り方でも、歩幅が広いことに変わりはない。
 俺たちと石人の距離は、見るまに縮まっていった。
 ──くそったれ! あんなの相手にやるのかよ!? くそくそくそ!
 森まで、あと二〇〇メートル。そこで花連の足がもつれた。
 急いで助け起こす。
 だが、その一瞬で追いつかれた。石人は、自分の矛の間合いギリギリで足を止めた。
 俺は覚悟を決める。石人を、にらみつけながら逆矛を抜き放った。
 だが…………、今日の逆矛の刀身には熱も光もない。錆が浮いているだけだ。
 ──ちっ、よりによってこんなときに。こんなナマクラで石が斬れるのか……?
「あ! あれを」
 花連に指摘されるまでもない。あんな大きなもん、俺にだって見えている。たとえ見えてなくても、この音だけでもわかる。
 ズン! ズン! ズン! ズン! ズン! ズン!
 目前の石人の後ろからさらに一体、別の石人がこちらに迫っている。
 ──いくらなんでも一度に二体は無理だろ……。
 俺は花連を後ろにかばう。
 逆矛を地面につくほど極端な下段に構える。狙いは石人の左足。当たっても当たらなくても一撃をくれたら、花連をもう一度、森に走らせる。
 俺が石人の足元に飛びこもうとしたとき、突如、その左足が地面から離れた。
 足の裏で何度も何度も、地面をたたく。石人がジタバタと暴れている。
 その様は、まるでかんしゃくを起こした子供か、地団太を踏むハルカそっくりだ。
 地面が大きく震える。立っているのがやっとだ。俺は両足をひろげ腰をおとす。
 そのとき、後ろから俺の腰に、花連がすがりついた。
「バカ、離れろ」
 思わず、俺が大声を出したのと同時に
「バカ〜! 離れろ〜!」
 石人のほうからも怒声……、いや黄色い声がとんだ……気がした。
 石人はズンと一歩、前に踏み出し、そのままの姿勢で停止した。
 見れば、その両足を花のツルがびっしりと覆っている。そのツルが石人の暴走を食い止めたようだ。
「けがは、ないかい、花連?」
 花畑の中から身を起こしたのは、花乱だった。助けてくれたのはこの男らしい。
 そのとき、足にツルを絡ませたまま石人が膝をついた。
「あんたたち、いい加減にしなさいよ!!」
 石人からどこかで聞いたような声がした。
 その言葉を最後に石人は完全に停止し、両目の赤い灯も、体の赤い模様も消えた。
 石人の股間の蓋がパカッと前に開く。見覚えのある広い額が見えた。
 その広い額は、ミサイルのようなスピードで、俺めがけて一直線で飛んでくる。
 俺は立ち上がり逆矛を投げ捨てると、両手を広げて待ちかまえた。
 前と後ろから女の子に抱きつかれた俺の色男ぶりが目に浮かぶ。こういうシーンは決して嫌いじゃないぞ。もてる男は辛いよなぁ。そうだ! この際、花乱にも男は顔や地位じゃないということを教えてやろう。うひょひょひょひょ。
 だが次の瞬間、俺の無邪気な想像は、腹に突き刺さった強烈な痛みとともに消し飛んだ。
「うぐっ……」
 ようするに俺は、後ろの花連に自由を奪われ、前から飛びこんできたハルカの容赦のない頭突きを、完全に無防備だったみぞおちに、まともに食らったというわけだ。
 一瞬、息が止まり、頭が真っ白になった。
 朝、この凶暴な女に、俺は何か大事なことを告白しようとしていたはずだ。
 だが、それが何だったか“少しも”“絶対”“永久に”思い出せない気がする。
 みっともなくぶっ倒れる前に見えたのは、二機目の石人から降りてきたお夏の姿だった。





(第六章 修羅 6 に続く)
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