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Humanity's Teamコミュの裸で来たに何不足

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はじめまして、ちょっと長いですが、自分の尊敬する
故長谷川保を題材にした日記を紹介させていただきます。

かなり長くなってしまいました・・・。

以下 Wikipedia&「夜も昼のように輝く」より拝借(一部編集)。

キリスト教徒であった長谷川保は、1930年、無一文の病気の生活の中から、当時「死に病」と恐れられていたひとりの結核患者のための病舎を浜松市に建てた。のちにこの病舎はベテルホーム(ベテルはヘブライ語。旧約聖書に出る地名で「神の家」の意)と名づけられる。

重症肺結核患者収容保護施設は地元住民による激しいたち退きの迫害にあい、常に反対運動、嫌忌・排斥の対象となり、やむを得ず3回に亘って移設を余儀なくされる。

長谷川保は、1936年(昭和11年)、静岡県庁に出頭するよう通知を受け取りました。その少し前、近隣の村人たちが、彼の建てた結核患者の家を襲撃し、暴動を起した罪のために取り調べられた直後のことでした。しかもその時、結核患者の家のために、多額の支払いが必要な時でした。

しかし長谷川保は、自分に納得できるまで祈って、神がこの危機を逆に好機に変えて下さると信じました。県庁に出向いた長谷川保が、その耳に聞かされたことは、天皇陛下は彼の働きを喜び、支援するために多額の御下賜金を贈られるとの知らせでした。

1942年、財団法人認可。聖隷保養農園付属病院開設(聖隷三方原病院の前身)。 1961年、日本で初めての特別養護老人ホーム「浜松十字の園」を開設する。 1982年、日本で初めてがん末期患者などのための「ホスピス(緩和ケア病棟)」を開設するなど病院・福祉施設の拡充につとめる一方、 各種学校遠州キリスト学園を始めとする 各種医療関係学校を経営し、福祉・医療教育にも力を注いだ。

また、1946年戦後第1回の衆議院議員総選挙に当選、以後衆議院議員を7期連続で務めた。在籍中は、自らの実践を元にして、国民生活保護法などの福祉に関する法律の制定に奔走した。

生涯私的財産を持たないというポリシーを貫き、病院敷地内のバラック小屋に住み続けた。 遺言で死後も墓を作らず、浜松医大に献体。骨格標本となり、今でも聖隷クリストファー大学内に居る。
自分の側には、人を救う何ものもないことを知った上で、神は働いて下さると信じて、日本最大の福祉事業家としての働きを進める。「人は心に信じるとおりになる。」これが心の不思議な姿です。

長谷川保は1971年に自分の半生を記録した一冊の本 「夜も昼のように輝く」 を出版する。 
「この本に記されたものは、大正2年(1923年)ごろから昭和23年にわたる、私の半生の記録である。記憶の不確かなところや私の勝手な推量もあるので、小説風の体裁を借りて記したのである。文中の早川俊介はほかならぬ私自身でありその他の登場人物も既に故人となられた方々を除き、仮名を用いてあるが、すべて実在し事件も事実のままである。敗戦とその後の経済復興とそれに伴う驚くべき物質的繁栄は、性と暴力とエゴが一世を風靡して、人生も社会も退廃し混乱してしまった。このようなことで人間は幸福になるはずがない。・・・・・私は生涯を社会福祉、教育、医療事業や政治に投じたキリスト者として、これを黙過することはできない。幸いこの小著が、この暗黒混乱の社会の一隅を照らす光ともなれば幸いである。」
長谷川 保

実はこの長谷川保は私の祖父であり、ちょうどこの本を出版した
1971年にわたしが生まれ、俊介という名前も(早川俊介)から貰ったものである。 

私は小学校6年生までの幼少期を祖父の家の隣にある
これまたバラック小屋(もとは寄付金で建てられた結核病棟であった)で過ごす。 

4畳半一間の一軒家に母、姉、私の家族3人(父は仕事上の理由で海外)+犬1匹。
布団は2枚しか敷けないため、一番臆病な(当時はお化けが怖くて・・・)私は寝るときはいつも決まってまんなかを占拠。

敷布団は2枚のため、寝相の悪い両端のせいで、布団が大陸移動し朝起きると大体ほっぺたに畳のあとがついていたのを記憶する。 

信じ難いとは思うが、家具らしい家具はなく
しいて言えばテレビと卓袱台と本棚
(これはゴミ箱から拾ってきた本棚をペンキで白く塗り替えて、家族3人で絵を描いた傑作品)
ぐらいで、あっそうそう、唯一、友達に自慢できたのは手で触ると自動的にとまる扇風機。 

前述のように、父は商社マンで海外勤務していたこともあり、
実は家には2年にせいぜい3−4日ぐらいの頻度でしか会えなかった。 
家の壁にはシャガールの絵のほかに、額縁に入った写真が2枚あって
一枚は顔写真でもう一枚は全体像。 
私はもの心のついた頃から
それらの写真を当然の如く父と信じていたのだが
小学校5年生の時に家に遊びに来ていた友達に写真を指差して、
「あれが、パパ!」ってな感じで説明すると
大体、友達は「すげ〜っ、しゅんべえのパパ外人みたいっ!」 
なんてよく言われたものだ。

すると、いきなり母親が大笑い。そしてこう言った。
「しゅんすけ、何を言ってるの〜、あの全体像はパパだけど、
顔写真のほうはママの大好きなジェームス・ディーンだに(遠州便)」 
だって。

なんだよ、結局、外人だったのかよ。

風呂は家に付いてなかったため
祖父の家に家族3人で毎日お風呂に入りに行くのが日課だった。 
食事も少なくとも週の半分は保じいさんと八重子ばあちゃんと一緒で
コロッケなんかは肉の替わりにシーチキンが入ってたりして
粗末な食事であったにもかかわらず
愛情たっぷりなので、とてもおいしかったのを記憶する。 

食べ物の大切さを小さいときから教わり
お蔭様で、生まれてこのかた食べ物の好き嫌いや出された料理
を残したことは一度もない。 

ふと、映画ガイア・シンフォニー(地球交響曲)の第2番に登場した
佐藤初女さん「食はいのち」
苦しむ人や助けを求めて訪れる全ての人を迎え入れ
おいしい手作り料理と生活を共にすることにより
元気付けているおばあちゃんを思い出す。

体が大きく頑丈な作りになったのも
今思えば愛情たっぷりの祖母の料理のおかげです。 
天国の祖父母に感謝です。 

わたしは何も同情を求めて子供時代の貧乏物語を語っているわけではなく、みなさんに言いたい、是非、共感してもらいたいのは、今までの半生を振り返ると
一番貧しかった(あくまでも経済的にとの意味)はずの子供の時代が
一番幸せで溢れんばかりの愛に満たされていたと実感すること。
すなわち、お金とは必要不可欠で本来は神聖なる物でありますが
人が幸せになるにはそれ以上に重要な要素がたくさんあるということ。

裸一貫で生涯私的財産を持たないことを貫き通した祖父母が
わたしに身をもって教えてくれたことの一つであり
まだまだ未熟ではありますが
今のわたしの生き様の土台になっているのだと、つくづく思います。

そして祖父に限らず、この激動の戦後の時代を生きてきた人生の大先輩のかたがたには、やはり現代の微温湯に漬かりきっている私たちにとって、学ばねばならぬことが多そうです。

長くなってしまいましたが・・・
実はこれには続きがあって
ちょっとだけ、最近になってハッキリとわかってきたことを書きます。

これは、わたし自身も若い頃から何となく思ってたことなのですが、最近は保じいさんよりメッセージ(想念)のようなものを受け取っています。 それによると、実はわたくしには保じいさんの意思を引継いで行くという宇宙の使命(ミッション)があるということ。

最近、シアトルで知り合った女性の方で
(私はこのかたとは勝手に過去生からのソウルメイトと思っておりますが)
とてもすばらしい霊能力をお持ちのかたでいらして
Shamanic Journey (瞑想をして守護霊・ハイヤーセルフと直接コミュニケートしていくヒーリング法)
のなかでガイドとコンタクトしてもらい
以下のメッセージを頂戴しました(つい昨日の話、カッコ内は私の追記コメント)。

俊介さんのお祖父さんは生前、団体を創設するときに本当は宗教色は出したくなかったのだけれど、世間に理解してもらえる形にするためにあえてキリスト教を利用したような感じがあるみたいなのです。本当はReligiousではなく、Spiritualな団体にしたかったと。それを俊介さんに伝える目的で、お母さんが俊介さんの人生に組み込まれているようです。

(大学生の頃まで日曜学校に通い、主にキリスト教(仏教も別に通って少し勉強していましたが)、キリスト教に限らず宗教団体にはどうしても限界を感じ(というのも、本来のイエスの説いたことは真理と思いますが、意味が完全に伝っていない、後になり人間の解釈で作り変えられてしまった部分が多々あるため)、わたしは敢えて宗教にこだわらない宇宙の真理を探究するようになりました。やはり、一番お薦めの本はNeale Walsch著のConversations with God (神との対話)です。)

(わたしの母は霊感の強い人で、看護大で心理学・精神科を教えていたこともあり(当時は心理学では霊の存在はタブーでしたが・・・)、キリスト教徒である一方、昔から独学で宇宙の真理につき熱心に勉強していて、いろいろと身をもって教えられました。わたしにとって母の影響というものが大きいのは間違いありません。)

俊介さんが実際にどういうことをするのか聞くと、何か将来自分でUniversalなSpiritualityに基づく団体Non Profit Organizationみたいなものを設立するか、そういった組織(NPO、NGP、その他国際機関など)で要職に就いて、人類全体や地球全体のためになるような仕事をする」「人類全体のためになるようなこととは・・・例えば地球温暖化、環境汚染、森林破壊などの環境問題や人権問題などを改善する試み」 だそうです。俊介さんのビジネスや会計学のバックグラウンドはそういった組織を設立したり、あるいは運営する上でとてつもなく貴重な財産だそうです。(財政の管理とかFund Raisingとか)今まで培ってきた経験は決して無駄になるどころか、これから大きく役立つそうです。

でも俊介さんが一番先にしなければいけないことは、過去生から引きずる罪悪感や自分に対する怒りをある程度解消することのようです。俊介さんは多くの人とのつながりを通じて解消する道のようです。 あとは、自分を愛し、大切にすること。罪悪感から一刻も早く人の役に立つことをしたいとあせりがちだそうです。でも抑圧された感情を整理するにつれ、必要なものは自然に現れてくるそうです。

最高に嬉しいですねー。 2日前からはじめたmixiも必然であることは間違いありません。mixiの皆さんには今後長いお付き合いになり、わたしのライフワークをいろいろとサポートしてもらうことになるかもしれません。 

最後に祖父の書いた信楽狸賛という詩です。
祖父の家の前にあった大きな白い腹をした狸の置物を思い出します。

「太っ腹ではら白く
聖霊酒に酔っぱらい
その勢いで仕事だ仕事
資金は通帳天国払い
きんはどっしり大地について
いつも賛美とほほえみ絶えず
裸で来たに何不足」  長谷川保

きんはちょっと手遅れですが、楽しく、自分に正直に、そして人間味溢れる生き方をして、将来はわたしも裸で来たに何不足と世界に大きな声で言いたいものだ。

コメント(6)

しゅんべえさん、はじめまして♪
あきやんと申します♪
なぜか、惹きつけられて全文を読ませていただきました。
私はカイロ、レイキ、3in1キネシオロジーなどを行っているものです。約10年前から体の治療に限界を感じ、メンタルやがてはスピリチュアルな探究へと導かれました。そのころに出合ったのが「神との対話」でした。

しゅんべえさんの文章の中で、ミッションに関するあたりで、私が神との対話をよく読んでいたときに感じた、しびれるようなゾクゾクっとする感覚がありました。

私にはわかりませんが、きっとなにかのご縁があるかもしれませんね♪ 今後とも、よろしくお願いします♪
あきやんさん、

どうも、長い書き込みに全文付き合っていただいて
ありがとうございます。

いまは米国のシアトル在住ですが
実はわたしも自己探求のため、これから
本格的に霊気、Vipassana瞑想をやろうとしております。

自分の中でも、ようやくその時期が来たという実感があります。また、色々と教えてください。 

因みにまだmixi暦3日です。よければ、マイミク申請させて頂きます。

今後ともよろしく
しゅんべえさま、はじめまして。
ナグと申します。(あきやんとも仲良くさせて頂いてます(笑))

この記事を拝見したのは、コミュの最新書き込みに上がっていた

『裸で来たに何不足』

このタイトルになぜか惹かれました。
そして、全文を読ませていただくうちに、何か(何とは言えませんが)
通じるものを感じました。

ここに書かれているMissionのなかの、
> 一番先にしなければいけないことは、〜
からの部分。僕自身も『神との対話』等々のスピリチュアルな文献と
自身の過去の経験の中から、これが一番最初の僕の課題と、それこそ
昨日の日記に記したところでした。

プロフィール拝見させて頂きます。
今から行きますので・・・・・。

今後ともよろしくです。
             『真実の探究者』ナグ
はじめまして〜
私は 韓国プサンに住んでいます。
すごいおじいさんですねえ〜
本当に そうやって 暮らしてたなんて 感動しました〜
これからも よろしく おねがいします。
私は 二ールさんも お勧めのダンで運動してるのですが
この文章 ダンのコミでも 紹介しますね〜!!
どびんさん、こーへーさん、

ありがとう!私のもので宜しければ、どんどん皆さんと共有してください。

また、別に書いた私の魂の叫びを掲載させていただきます。

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