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九条の会@mixiコミュの「本の紹介 『憲法25条+9条の新福祉国家』(二宮厚美著・かもがわ出版)」

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 著者である「二宮厚美氏」は1947年生まれ、したがって現在の憲法のもとで誕生し、育ち、その後の人生を歩んできた国民の一人、つまり「憲法第1世代」の一人である。
 同世代の者からは異口同音に語られることであるが、憲法は空気や水のようなもの、歴史から与えられた生存に不可欠な社会環境そのものであった。
 国民主権、基本的人権、平和主義などという憲法の原則は、日々の生活において、疑うべき一点の余地もないほど自明なことであった。

 だがしかし、現在日本においては、「改憲問題」が時代の争点になってきている。これは、日本人であれば誰もが真剣に立ち向かわなければ問題である。平和と福祉の理念を語る憲法9条と25条は断固として、徹頭徹尾守らなければならない。

 この本は、2004年の秋に京都で、「憲法を暮らしに生かす平和・福祉国家構想」をテーマにした講演会の「講演テープ」と「レジメ」をもとに大幅に書き加えられて表された書物である。「9条関連」の本は数多く発刊されているが、「9条+25条」といったテーマで著された本は少ないのではないかと思う。

 私は、このトピの中で「自分自身の学習内容」について触れながらこの本を読み進めていきたいと考える。私が書き込んだ内容にコメントなど「書き込み」をしていただければうれしく思う。
 まずは、この文章を私自身のこの「学習」への「前書き」としたいと思う。

コメント(7)

今、この本を読み進めているのですが、今まであまり深く考えていなかった事を改めて考えさせられています。みなさんにもぜひご一読をおすすめ致します。
仕事にも関係がありますので二度ほど読みました。
「憲法のカナリア」という表現が目に留まり、
『世界 憲法論文選』という分厚い本まで買ってしまいました。
雑誌『世界』に掲載された著名な方の憲法に関する論文が
選りすぐってまとめられています。ほとんど読めていませんが。
福祉の世界では、介護保険法の改悪や障害者自立支援法により
憲法25条に違反するような事態が各地で起きています。
いまこそ読まれる本ですね。
僕の他にもこの本に注目してくれていた人がいるのを知ってうれしく思いました。
最初のあたりの部分を少し転載してみます。


【改憲派の台頭とそのねらい】

 日本国憲法は、試練の時を迎えている。憲法改正派は、現在を長年の宿題をはたすべき最大のチャンス到来ととらえ、なかには、改憲というよりも「新憲法制定」を意図する動きもあらわれている。とはいえ、憲法問題の最大の焦点は第9条にあるから、どこまで手を広げて改正論議を盛り上げるか、改憲派のなかでも、戦略・戦術的に違いが生まれる。

 とくに、9条改正は、各種の世論調査が示すように、国民世論のなかにいまだ多数派の地位を築いていない。それどころか、9条改正派の中にも、伝統的右派の国家主義的改正派から、新自由主義的な国際貢献派まで、その意見に違いがある。

 改憲と合わせて問題となっている「教育基本法の改正」(既に改悪されたが・・・)でも、恐ろしく古めかしい教育勅語回帰派から教科書見直し派、さらに新自由主義的教育改革派まで、色とりどりで、その内部では意見が分かれる。

 とはいえ、改憲派の合流点が、なんらかの形で9条を変えること、これによって日本の「国のかたち」を根本のところから見直そうとする点にあることは疑いをいれない。一言でいえば、日米間の集団的自衛権行使を可能にした戦争国家への道、これが改憲派の基本的なねらいである。

 改憲か護憲かの選択は、昔からの言葉を使っていうと、「バターか大砲か」という選択でもある、ということにならざるをえない。「バターか大砲」かというのは、いいかえると、「福祉国家か戦争国家か」という選択のことをさしたものである。改憲勢力は、9条改正を主張して、同時に、国民にたいしてこの「福祉国家か戦争国家か」の選択を迫るのである。


どうでしょうか?僕はやっぱり「大砲よりもバター」の方がいいです。
 今の権力が作ろうとしている社会と国家を格差容認の階層型社会と夜警的戦争国家などと位置づけ、それに対抗する日本の未来構想を平和的な新福祉国家として語る人たちが、二宮厚美さんの他にもいらっしゃいます。
 知っているところでは、後藤道夫や渡辺治が、護憲を語る上でも社会構想の選択として書いていたと思います。

 雑誌ポリティークhttp://www.junposha.co.jp/guide/1sya/poli/index.htm

 第11号が、05年の9.11総選挙後に書かれた改憲問題の特集で、この1年間僕の教科書でした。内容はかなり重たいです。(未だに読めてないところも・・・ ^^;)
「第9条」と共に「第25条」(生存権)についても多いに注目していくことが求められると思います。この2つの条文は「双子」のような関係にあるからです。このことに関する文章を上に転載した文献からもう少し転載してみます。


【戦後に双子として生まれた9条と25条】

 「福祉国家」という言葉が今日的意味で生まれ、社会に普及していくことになったのは、第二次大戦の前後、1930年代のことであった。ただしこの言葉は、自然に、いわば一人っ子として生まれたわけではない。実は、すでに「戦争国家」という言葉があり、これが台頭してきた結果、それとの対決・対抗を使命として誕生した言葉なのである。30年代の「バターか大砲か」の選択をあらわすものとして、「福祉国家か戦争国家か」という選択が人びとの口にのぼるようになったのであった。

 第二次世界大戦は、「福祉国家か戦争国家か」の対決のなかで、幸いにも福祉国家派の勝利でその幕を閉じた。戦争国家派に対する福祉国家派の勝利は、戦争国家派の息の根を止める意味をもったから、その帰結は平和国家の誕生でもあった。日本の憲法でいえば、このとき産声をあげた平和国家の証として第9条が明記され、また、戦争国家に打ち勝つ力となった福祉国家の証を示すものとして第25条が明記されたのである。その意味でいえば、憲法9条と25条は、1930年代から第二次大戦までの歴史の申し子として、あたかも双子のように誕生したのである。

「第9条を守る」ことは「日本国憲法」全体を守ることの象徴です。
「日本国憲法」に勝手に手をつけることができないように「世界遺産に登録しよう」という運動が現実味を帯びてくるように感じます。
「9条改憲派」は「25条」を毛嫌いし、「25条」に麻酔をかけて巻き返しをはかろうと企んでいるようです。「9条」と「25条」は「双子」のような関係にあるので、どうしても「25条」にも裏から麻酔をかけて「9条問題」が「憲法全体」に目を向けさせるきっかけにならないようにしなければならないと考えているようです。以下に『憲法25条+9条の福祉国家』(二宮厚美著・かもがわ出版14ページ〜15ページ)より少し転載してみます。


【9条の改正からの戦争国家への道は25条に対する挑戦】

 いま日本の改憲勢力が9条の改正から戦争国家への道をめざすとすれば、それは、9条と双子のような関係にある25条に対する挑戦を意味するだろう。このことは、改憲派を構成する伝統的国家主義から、新国家主義のいずれもが、足並みをそろえて25条の生存権を毛嫌いすることにも示されている。9条改正派が25条の生存権保障を毛嫌いし、邪魔者扱いするのは、国民一人ひとりの平和的生存権が保障されている国では、戦争国家に向けて国民を動員することが難しいからである。

 だから、現在日本の改憲派は、すでに発表されている読売新聞改憲試案や自民党・憲法改正プロジェククトチーム「論点整理」などに例をみるように、家族の扶養義務や社会連帯などをもちだし、いわば25条に麻酔をかけて、その力を弱める工夫をこらそうとする。これは、現在の戦争国家派が、いわば相手に一度は一敗地にまみれる結果に終わった福祉国家派にいま再挑戦し、その巻き返しをはかろうとする姿にほかならない。


 「9条」と「25条」は双子のような関係です。「9条」だけでなく「25条」の方にもしっかりと目を向けていく必要がありそうです。
すぐ買います。
今、『福祉に働く仲間の「9条・25条の会」かながわ』の世話人やっているので私にとっては必読の本になるはずです。
二宮先生は発達保障についての本が印象的ですが国家類型について語られていたとは知りませんでした。

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