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哲学 思想 精神 コミュのいじめ bullying 

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> 「子どもが一定の人間関係のある者から、心理的・物理的攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」で、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行うよう徹底させる」

> これは2007年(平成19年)1月19日以降の定義で、従来のいじめの定義では「自分より弱い者に対して一方的に、身体的・心理的攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」としていた。
 
いじめ
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81
CP:http://zhp.jp/H2xy
 

category: いじめ
PC:http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%81
CP:http://zhp.jp/02VD
 
いじめ相談
0570-0-78310(なやみ言おう)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06112210.htm
 
(topic "死 自殺"
comment=48...52
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=3&id=55552469
CP:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=10&id=55552469&readmode=start
 
yoitomake song
http://youtu.be/sxHf7xW12xg
 
contrail
http://youtu.be/BAdqPc00zu4)
 
2012/07/20-12:00...↑

コメント(49)

天乱武装さん  失礼しました

【D群】「いじめ」の現れ方の一つとして「加虐者」の魔手を逃れ、「受難者」が「第三者=傍観者」の立場に置かれることもある。

これで良いでしょうか。
みなさん おはようございます

いやー「いじめ」、頭の痛い問題ですね。薬飲んで治まったけれど……眠れなくなりました(笑)

分類の補足説明をします。

【A群】では「人間存在の内に嗜虐は潜む」という?と、?いじめは犯罪である。を混同してしまいました。?→【D】です。
【B群】は「受難者」の立場より「いじめ」を捉えてみました。
【C群】は「加虐者」の立場より「いじめ」を捉えてみました。
【D群】は「いじめ」の現れ方で括りましたが、これは細分化すべきだと考えています。
【E群】は「いじめ」が引き起こす社会現象と政治動向で括りました。「利用してやろう」まで、出てきます。

【A群】は「いじめの本質」を論じるべきでしょうか。
【B群】は「受難者」の発する「サイン」を、どう、誰が見つけて「白日の元に晒すか」ということが大事でしょう。
【C群】は「その先はどうなるのか」という、加害者の「想像力」の問題と「誰かが、止める」声かけが大事でしょう。
【D群】は 複雑ですね。とくに「いじめの土壌」というのが大問題だと考えています。これの「根は深い」でしょう。
【E群】は「日本的伝統」共同体の在り方が変わってきているところが大きな問題でしょうか。

このような分類で良いでしょうか。  書き込み、よろしくお願いします。
はじめまして。takiともうします。

私、難しいコトは何一つ言えはしませぬが、

自分はこういったモノにたいし、まずこのコトに注目します。
(これは自分の"感覚"が、その一部(ソレをする側の心理の)を視つけるのですが)

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=8967503&expand&__from=mixi


また、、、

こういったコトにも。

http://blog.tatsuru.com/2012/07/18_1123.php



そなの・・・ですね。

「リスク」と「デンジャラス」とでは、

まったくもって、の、"違い"があると、自分の経験でもそう視ています。


で、例えば、脳科学の話で、

本能と云われる恐竜脳(reptileとも言えるかの…)を覆うのは動物脳、

その動物脳を覆っているのが人間脳。


と、この話は、

そのドラコ(恐竜脳(reptile))たる本能を、制御したり、
セルフ・コントロールできるのは、やはり、人間脳と鑑みるならば、
そこで、鑑みさせられるところでしたが、

多くの方々は、そこのところをどうとらえられるでしょうか……と…?!


(注:動物脳と獣にしても、獣と動物脳では境があるともみます。普通に考えても、
人間にたいし沿おうとする、わんちゃんと、獣では、まったく違いますから、
そこも一つみて)

(ここに関して、ともすれば特有のエゴが出て……、例えばの話、
ソコから逃げたくなる場合もあるかもしれませんね…。しかし、
解決へと向かうならば、必ずや、まずソレをみなければならなくなります)


で、やはりです。この問題については、かなり昔から、

テキトウに"やりすごしすぎ"てしまったのでは?!

そうですね。ステレオ・タイプにもなりすぎて・・・、

と、そう鑑みていたところで・・・。


いずれにしても、
大きいところの話にもなってくるので、
家族とかのそういった狭い範囲で解決できる話ではない。と、

こういう事がおきるたびに・・・。

また、本当の意味で解決するとなったら、
"理解しなければならない"ところが、いくつか出てくるとは、
みております。

いたらない話で、もうしわけございません。
takiさん はじめまして

ぶしつけではありますが、

★どうも話の「筋の通し方・建て方」を、間違っておられるように思います。

ここでは、昨今問題になっている「いじめ」についてを、皆で考えようとしています。

そのために限られた情報の中から「いじめ」という現象を、皆で見つめようとしています。


takiさんの提出された

1.「人の災難を喜ぶいじめっ子の脳」
2.、「デインジャーとリスク」

ですが、1.2.共に「トビ1〜12の、文脈より逸れている」と、思います。


ここは「哲学史・思想史・精神史」のコミュニティであり、「思考すること」が大事なところです。
また「Mixi内」ということから、「ど素人」の集まりでもあります。

☆「問いを建てる」ことにより、「答えを導く」ことを、みんなでしようとしています。

「1.」は、「検証されて公理」になっていなさそうです。
「2.」は何故「いじめ」の話で「デインジャーとリスク」なのか、理解に苦しみます。

出来れば「トビ1〜12の、文脈」に沿って、考えていただきたいと思います。何故なら、

takiさんのように
「自分の思うだけの、他人の見解」を、ここに与えられても困惑します。

是非、ご自身の「いじめ」への、意見の提出をお願いします。

もし、この方法を認めると、ここが「とんでもトピックス」になってしまいますので。

葦原風太郎さん
こんばんは、お久しぶりです。

皆さんが色々と考えて仰っておられること、至極まともなご意見だと思います。

しかし、ぼくの考えでは、<いじめ>を行う側、葦原さんの言葉をお借りしますと、いわゆる加虐者側の人間がなぜ<いじめ>を行うのか。

という問題のみに至りましては、
ぼくは、ただ自らの武力、権力、教室なり職場内での存在力を周りの人間に見せ付けるためだと思います。

いかにも自己中心的な考え方です。

故に、ぼくは、
昨今のいじめ問題がありふれる世の中で
『いじめられる側にも問題がある』
『加虐者側にも心の問題がある』
などと、加虐者側を庇うような風潮に納得がいきません。

中高生のいじめ問題が
タイムリーで話題に上っていますので
視点を中高生に向けてみます。

現在の日本では不良を美化した漫画やドラマ、映画などが人気で出回っていたりすることなども、少なからずいじめを拡張させる問題であるとぼくは思います。

今の世の中
不良がカッコ良い
武力が人間の強さ
などと勘違いしている
呆け者がありふれているのです。


そんな呆け者の中に
真面目な生徒を加えたとしたなら、ひとたまりもなくいじめの標的となることでしょう。


上記、記しましたことは
至極簡単に思い付くことです。
しかし、いじめの大半は水面下での出来事なのです。

このままでは、ますますいじめは止むどころか、広がってゆく一方だと、そう感じます。


起承転結なってない文で申し訳ありません。

ごきぶりめがねさん みなさんこんばんは


ごきぶりめがねさんの意見で考察してみます。

・「いわゆる加虐者側の人間がなぜ<いじめ>を行うのか」

ここは、「いじめの本質論」的、問題意識ですね。

・「自らの武力、権力、教室なり職場内での存在力を周りの人間に見せ付けるためだ」

私もここが最も大事な処だと見ています。ここには「権力・社会」の在り方が、子供社会に反映していると見るからです。


・「日本では不良を美化した漫画やドラマ、映画などが人気で出回っていたりすることなども、少なからずいじめを拡張させる」

子供たちは大人社会を反映して、自分たちの小社会を形成してゆきます。真似・学び・模倣が、不慣れなために「いじめ」を子供社会の中で演じるかのようです。

・「そんな呆け者の中に真面目な生徒を加えたとしたなら、ひとたまりもなくいじめの標的となる」

ここが、みなさんの「心の痛み」となります。

・「いじめの大半は水面下での出来事」

いじめが「悪いこと・犯罪であること」は、子供たちも知っている。

・「このままでは、ますますいじめは止むどころか、広がってゆく」

そうですね。人間社会の形成と共に、権力が形成され、「支配原理」の中に「いじめ」も潜みます。


つづく

いじめの「土壌」(競争原理→権力・統治機構)を考えてみたいと思います。


☆「万人による万人の闘争」これは、ホップスがリパイアサンに掲げた言葉です。

・「地球」という、星の資源・富は限られてあり、それを80億の人間が「競争と配分」しています。

それは「力のある者・国」が「良いところを大量に支配」します。
国境とは「大地の配分」であり、ほぼ戦争により国境は引かれました。それが第二次世界大戦であり「勝者による線引き」でアフリカには直線で表れています。

一方に
・「市場」と「パテント・既得権」なども、勝者の論理により世界に貫徹されます。
これに反発すると「テロ国家」のラベル・レッテルが貼られます。およそ「国家いじめ」のあることも見えてきます。

・地球資源の配分を巡り、第一次世界大戦は「帝国間戦争」として顕著に表れ、

・第二次世界大戦は「帝国主義」に反発する、解放戦争として立ち現われました。
ここに「民族自決」の主張も強く表れ、「国家・国民の意思」決定が重視されるようになりました。


この頃、M・ウェーバーは「競争原理と協調原理」ということを、キャピタリストに説きました。
何故なら「世界支配・国家分割・戦争」の背景に、領土配分があり、ここで「万人による万人の闘争」が起きていると見たからです。
およそこれを「資本主義国」に向けて説きました。


また、K・マルクスは計画経済を提起しましたが、革命当初はその熱があるものの、スターリニストは後にみごとな「労働監獄」を作りました。
ここでは「鉄のカーテン」のもと、不満分子の摘発「いじめ・収容所・殺戮」が繰り返されました。
それはノーメンクラツーラを生み「スターリン体制」を組み上げてゆきます。


ただいま日本は「修正資本主義(社会主義)」の中間にあるでしょうか。
政府の予算配分は「計画経済」的であり、民間企業は法の元に自由競争で会社を営みます。


いずれにしろ「地球資源の(公平)配分」を考えると、ただいまの「万人による万人の闘争→階級闘争→分裂支配」
この中に「いじめ」の本質も、見えてきそうです。


いじめは、「資源配分」という観点でみれば、「強いアメリカ」が第三世界を食い荒らしてきた。とも、表記できます。
日本国内で見れば、「パワーハラスメントの元凶」は、資産配分・労働配分・賃金配分の末端に於ける、争奪戦の結果。との見方も立ちそうです。 


★「おいおい、そんな大そうな問題かいな?!」との、声が起きそうですね。


しかし、「子は、親を映す鏡」でした。「いじめの土壌」には複雑な利害関係が、背後に潜んでいそうです。

「やくざ・PTA会長・地域制・民族」などなど。書き込みを見ていると諸問題の背後に相当な「差別意識の根」も見えてきます。

ある意味「戦後日本」が、清算できなかった諸問題の数々ですね。


★ 子供たちはそのような社会・地域・学校で、「みんな仲良く」できないのですね。


★「子供が親の仇を背負い共同生活」するようなものです。


おっと、「筆過」を起こしそうです。みなさんも冷静に考えてみてください。



◎私は「いじめ」を、「競争原理の一つの表れの形」として見ています。



下記を見ていただければ、ある程度の納得を得られると思います。

「職場いじめ Workplace bullying」
(一般 パワーハラスメント)
http://www1.ocn.ne.jp/~sako/wpbullying.htm
「国家-共同体-権力(共同体維持装置)」 前近代的統治システムの「身分差別」について


上記にて「万人による万人の闘争」ということで、「資源配分-富の争奪戦」を考えた。
ここでは「身分制度や奴隷制度」について考えてみたい。
「争奪された富の配分」は、階級社会において「身分・能力」に応じて配分が成される。

★「いじめ」は、それを反映していないだろうか。
子供のいじめに、他者を「支配し、使役する」ことは、見られないだろうか。
そこに「嗜虐」があるのではないだろうか。


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「国家一般について」
人間が社会を形成し始める以前に家族を形成するだろう。
原始社会の家族は「出産」嫡子により母系中心であろうことが想像される。
「原始、女性は太陽であった」ことは、今では多くの者が認めることである。

なお、自然世界からの採取・狩猟生活であり、そのことにより人間は増殖するのであれば家族は群れとなり家族群として郷を形成するだろう。
その中より有力者が出て長となりその郷を治めるだろう。
そのことは男女を問わずとも、家族形態は母系中心であるだろうか。

生産力は採取・狩猟・牧畜生活が中心だということは、一定のテリトリーに一定の包容力と、考えられるので、郷と郷の間には距離がおかれる。
なお、自然世界に依存してあるから天変地異などによる不作は生存危機となる。このことは郷による郷の侵略の引き金となるから、武装して郷は「壕」へと変貌をとげ互いに可侵・不可侵の関係もできてくる。
それは家族・家族制度の社会的発展であり、豪族誕生であり、豪族間の社会契約であり、社会発展は大きな家族形態を国家として提起してくる。
地域部族王権国家の誕生である。
およそ争いは食物・土地をめぐり、小地域の小競り合いが収奪を繰り返して敗者と勝者にわかれ、勝者はいよいよ大きくなる。
それは統率能力でもあり、観点を変えれば社会形成能力であり、支配権力である。
法律などの考えが至らずとも「掟・不文律」なり、ルールなりがそこにはあるだろう。

「日本について」
およそ日本人とは南方民族・北方民族・大陸民族、そして極少しの原住民の混交、あるいは先攻住民と後攻・後続住民の混交なのだろう。
大陸から見れば緑豊かな南国の楽園でもあるのだ。
その位置関係から人々が船を獲得して交通・交流があったことは想像に難くない。
 
ここに約二千年位の前に稲作文化がもたらされる。
そして青銅器、そして鉄器なども流れ込み、高床式倉庫も建ち、稲籾も貯蔵できることにより稲作文化による財産が形成される。
採取・狩猟・牧畜生活より「稲作」へと労働が投下され生活形態が変化して、土地への執着への動機が著しく変化してゆく。
採取・狩猟・牧畜生活においては「移動・越冬」が大きな問題であったが保存食料の出現はこの問題を解消する。
稲作地域社会は生存率が高くなり社会が安定する。定住も可能となる。

稲作文化は財産の形成に気付かせ、同時に社会分業を促進する。
採取・狩猟・牧畜・稲作の、道具や生活品を製造する手工業部門が生まれる。このことは小地域間の関係にも影響を与え出す。
小競り合いが豪族・部族間の戦闘へと発展し、王族・豪族の国家間戦争へと、その規模がいよいよ大きくなってゆく。

およそ小さな国家侵略はここより始まる。国家が国家を掠め取ることもここより始まる。
こうして地域部族王権国家は、その規模を大きくすることが命題となる。
勝者は敗者の部族を消滅せしめ、捕虜を奴隷として使役することが当たり前のこととなる。
勝者は、敗者・捕虜をして労働力とすることができるできることに気付く。
これにより奴隷狩りも始まり、奴隷は強大国の私有財産であるから、意図的な王権国家侵略が始まることになる。
奴隷制度の発生はここにより始まるのだろう。生産手段の労働力としての気付きが奴隷狩りさえ促すのだ。
使役される奴隷が勝者の部族の労働力として、強大国家の社会に編成されて固定化されてゆくのだ。

強力な部族間の戦闘もあれば、その損失の回避のために和睦し、国家間契約を結ぶことにより、更に強大となるものもある。
力関係の中で部族間の関係は優劣が規定されてしまう。
戦争が両方に夥しい負債となる時にこれを避けるため主国と属国との社会契約が生じる。
それらの社会契約をして王権国家群と呼ぶのだろう。国家安全保障条約の原始的なスタイルだろう。

これらにより王権国家群は人口の増加と社会的関係と生産力をいよいよ増し、社会発展は管理(精神)労働と生産労働に二分化して、また文化発展に応じて分業は細分化されてゆく。
管理(精神)労働は族長としての政務・実務を行い、自然環境に左右される農耕は巫女としてシャーマンを求める。

生産労働は、農民の土地への定着を求め、信賞必罰は身分制度に投影されて、敗者の捕虜を奴隷として最下層に置き、自部族の犯罪者をその上に置き管理させることが起きただろう。
時によりそれは逆転することもあるが、それは分裂支配の更なる強化であるだろう。

およそここでは過酷な労働や、汚れる仕事が奴隷の仕事となる。
勝者は奴隷を管理する立場になる。

都合の良い労働力であるから「生かさず、殺さず」に労働効率を追求する。
戦闘の後の管理状態は勝者が武装して使役するし、王権国家群の安定化と、奴隷の反抗状態により支配暴力は緩和されてゆく。

王権国家群の安全と安定が長期化して奴隷制度が固定化すれば、替わりに社会的な隷属が身分制度として固定化される。
過酷な労働は奴隷の仕事として定着し、汚れる仕事も卑しい仕事として見なされ、職業にも「貴賎」が投影されてゆく。
★「おいおい、『いじめ』について話そうよ」

ということで「世間一般」は、このようないじめの「背景・土壌」を、それこそ隠ぺいしようとします。

逆に「背景・土壌」を守るために「いじめ・犯罪」を起こした者たちに徹底的な攻撃を仕掛けます。

★「ラベル/レッテル貼り・フレームアップ・追い込み・カキコミ」などがそれです。

それはこのコミュニティの、このトピックスでも起きました。
このトピックス【12番】-「人の災難を喜ぶいじめっ子の脳」が、それです。

★これは「いじめっこ」への「レッテル貼り」に、当たることですね。

「いじめ」は「犯罪」ではありますが、「予断を与える、ラベル貼り」も、同次元的行為ですよね。


◎「おいおい、『いじめ』について話そうよ」は、「共同体の利益・治安」を守るためにもあり、いじめの「背景・土壌」を、それこそ隠ぺいしようとします。
「いじめ」を議論するための諸要素表 (みなさんの意見をここに反映します)


【A群】「いじめ、の本質に関わる事柄」

・「いじめ」は、人間社会、人間そのもの、の中に嗜虐傾向として潜み、それは他者に投下される。
・「いじめ」は、人間社会(階級闘争)の、子供社会への反映であり、それは「潜在化する」傾向にある。
・「いじめ」は、「種の保存本能」より派生し、「共同体の利益を守る」ため二面あり、「いじめ」行為そのものと、「仕返し」とに分かれる。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【B群】「受難者の立場より」

・「受難者」は、事件以前になんらかのサインを他者に示している。
・「受難者」は、代償行為として「交代要員」を用意することがある
・「受難者」は、代償行為として「いじめ仲間」に入り、立場を逆転し新たな「いじめ」を開始する。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【C群】「加虐者の立場より」

・「加虐者」は「対象・受難者」にラベルを貼り、攻撃目標であること仲間に示す。
・「加虐者」は「加虐者サポーター」を形成する。
・「加虐者」は「いじめ」を「遊び」として、事件を共同の遊戯行為として、意味を刷りかえる。
・「加虐者」は「仲間」と識別するための差異に着目しラベルを貼り、その範疇には入らない。
・「加虐者」には「事の行く末」が、見えていない。見ない。
・「加虐者」には、「受難者」の命の儚さが見えない。
・「加虐者」は「加虐者サポーター」とともに「いじめ」を隠そうとする。
・「加虐者」は「親の威」または「帰属集団の威」を振り回し、「いじめ」を行為する。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【D群】 「いじめ、の現れ方」

・「いじめ」の現れ方の一つとして、自殺者の発生により「事件」として顕在化する。
・「いじめ」の現れ方の一つとして、「事件」として扱われれば「警察・行政」が介入する。
・「いじめ」の現れ方の一つとして、「地域性」が考慮される。
・「いじめ」の現れ方の一つとして、マスコミなどのフレームアップがある。ネット情報も一役買う。
・「いじめ」の現れ方の一つとして、「加虐者」の魔手を逃れ、「受難者」が「第三者=傍観者」の立場に置かれることもある。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【E群】「いじめ、が引き起こす社会現象と政治動向」

・「いじめ」が、事件として顕在化すると、「受難者」の側に社会的制裁を加えるべきとして「加虐者」包囲網が生まれ、「加虐者」を監視する体制が組みあがる。
・「受難者サポーター」は、「私的刑・リンチ」を標榜しつつも、現在は「監視」に努めている。逃さないためである。
・ 政府・政治家・教育家・マスコミなどが論評を通じて「第三の利益」を引き出そうとする。
・ マスコミ・ネットによる「魔女狩り」的状況は、他の場面でも散見される。
・ 日本的伝統文化の崩壊(協調原理の喪失)」が、「いじめ」を加速している。



以上
> 葦原風太郎さん
まとめ、お疲れ様ですニコッ
天乱武装さん みなさん こんにちは



☆まだどっせ! まだありまんがな! これは「まとめ」でなく「叩き台」でっせ!

では、どうすれば「いじめ」を、無くすことが出来るのか。

☆「家庭・学校・社会・国家・世界を、見直せばいい」

とは、誰もが思うこと。でも、「途方に暮れる」しかない。

★「根っこから、叩きなおす」では、あまりにも話が大きすぎる。

☆茶飯事に発生する「いじめ」に、個別対応するのが「話が早い!」

それを「ここより」見出せなければ、だらだら書き綴ることの、意味がない。



今はここまで。ばいちゃ!
カウンセラーを雇うように、事件の裏付け、情報収集を目的とした法律家を雇うのはどうでしょうか。

虐めを含む問題に対する資料が揃い次第 相談者と学校に提出するとか。
「白日のもとに、晒す」は誰でも良いのだけれど。
それより

【・「受難者」は、事件以前になんらかのサインを他者に示している。】

から、ここで「止める」のがベストだと思います。

およそ「学校・放課後」で事件は起きる。

★だから教師が「一番に気付く」

二番に親かな。しかし「共働き」なら、気づき難い。
初めて書き込みさせていただきます。

ここまで読ませていただいて、「いじめ問題」の要素が非常に多いことが改めて分かりました。要素が多くて、問題を解決するにはどこを変えればいいのか難しいですね。
学校(共同体)の環境なのか、家庭の環境なのか、いじめる側なのか、いじめられる側なのか、第3者なのか・・・。


大雑把な話になってしまうかも知れませんが、私は当事者となり得る各人に「流されない生き方」を提唱します。特に傍観者となってしまう第3者に。

問題を恐れるのではなく、積極的に問題を解決する姿勢を持つことだと思います。

1,当事者予備群に前もって・・
 いじめられても早い段階で「いじめ」を告発できるよう、家庭、学校で教育すること。
 いじめる傾向のある子へのケア。

といった対策をとることも必要でしょう。

2,いじめが起こっているのを見たときに・・
 周囲の生徒が大人に相談するよう家庭・学校で教育しておく。

 現場の教師が一人で解決できなくてもよい、上司か外部に相談できる場を確保する。

 カウンセラー、ケースワーカーといった、現場に介入できる人材を派遣する仕組みを作る。

 教育委員会を教育管理者的な立場から教育サポート係に改革する。

といった教育現場の変化も必要でしょう。

3,しかし社会全体として

どんな社会であれ、人の作る社会では、その構成員同士助け合って生きるしかないことを自覚する。

自分に問題がなければいいのではなく、問題はいつもどこかにあり、それを解決するために自分が要員としてそこにいる。

期限や課題に追われる生活に流されるだけではなく、
風潮や習慣に沿って生きるだけでもなく、

いつも聞こえている声と違う声を聞こうと努力すること。
いつも見ているものと違うものを見ようと努力すること。

流れに乗っていてもいいのです。流されてしまわずに周囲や全体を見る余裕を持っていること。

それが必要なのではないでしょうか。

そうすれば気づくのが親であれ、教育関係者であれ、その時点でもっと自由に動けるはずだと思うのです。



ただ、今回問題になっている、大津市の事件のような場合、教育関係者や警察の対応が悪かったといわれている、それらの点は大いに細かく検討され改善されるべきだと思いますが。



全体の意識改革を唱えても意味が薄く、コミュの主旨に合わないかもしれません。すみません。
きるふぇさん みなさん こんばんは

・「私は当事者となり得る各人に「流されない生き方」を提唱します。

同感です。しかし逆に「ターゲット」にされる可能性も大きいですね。 

私は今は、本来は「向かうべき方向があるのではないか」とも、考えあぐねています。

・「特に傍観者となってしまう第3者に」のここは、

【A】群・「それぞれの無関心」が、「いじめ」の温床となる。

に、付加しましょう。


しかし
・「どんな社会であれ、人の作る社会では、その構成員同士助け合って生きるしかないことを自覚する」

これは子供たちに理解できるでしょうか。大人は判ってる「したり顔」ですませています。

子供たちは日夜学校で「上下関係の中で」生きることを訓練させられています。
逆を謂えば「いじめ」も社会に同化するための「遊び・訓練」と言い換えられます。これにより「気の弱い子供」に学校は監獄であり、いじめられると「地獄」と化します。


例えば「ビーバップHI/S」風に考えると
・「 1の諒解の下 3と4が 2を、追い落とす 」
・「 234567が結託し 1 をいじめる 」なんてこともあります。
或いは、教師の陰に隠れて、教師の暗黙の諒解のもとに
・「クラス全員で 1 を、いじめる」なんて、途方もないことも考えられますね。


・「全体の意識改革を唱えても意味が薄く、コミュの主旨に合わないかもしれません」

しかし、ここは「哲学史・思想史・精神史」であるので、

☆「全体の意識改革を唱える」ことができないのであれば、逆に
「つまらない!」と、逆に私などは思います。

解釈ばかりの、提案できない哲学に、何の魅力があるでしょうか。
もっと他に「いしめトビ」は多々ありますし……。


 あるいは「緊急性」に感じ入り「対症療法」として、
・「受難者のサインを見逃さないためにはどうすれば良いのか」をもっと検討すべきでしょうか。

そちらは「とんでもとぴ」に、乱立されています。



☆「正しい問いを建てることが、正しい答えを得る」と、私は考えています。

☆よって「このトビックス」では、「いじめ」の、「そのもの」と「背景・土壌」を見つめます。


某TV局「ダーウィンが見た?!」を見ていて驚いた。

「最北端で暮らすニホンザル」は「階級社会」を形成していない?!

自然の懐に抱かれて、寒さと戦いながら「母ざる社会」を形成していて、いたってアナーキーに暮らしている。

・「ボス猿現象」は「動物園にしかない?!
ここを知らない「子供と大人」
昔に聞いたことがある。
あの時の先生は、もういない……。

全国「子供電話相談室」
http://www.tbs.co.jp/radio/kodomotel/archive.htm
みなさん こんばんは

コメント【29・30・31】「生贄とスケープゴート」を、一旦、取り下げの為、「削除」します。

少し、急いでしまいました。

もっと「見るべき視点」が多々ありそうです。

☆  <「いじめ」を議論するための諸要素表 > こちらをもう少し考えてみましょう。
・ユダヤ人に対する「いじめ」の凄まじさ

「ユダヤ人虐殺」については、全て「ヒトラーが悪い」とするけれど、私などは「ハイデガーも一役買った」と見ている。

・ヒトラーは、実存哲学より「民族の実存」を、考えたのではないだろうか。

ゲルマン民族の優越性 ≠それが異端排除→ユダヤ人、ロマ人、障害者の排除→「大量虐殺」 に、至ったと見ている。

また、ヒトラー一人の問題でもなく、ドイツ国民やフランスを含む周辺諸国もこれに協力した。

当時ドイツはワイマール共和国を樹立し、みごとな「民主主義体制」を獲得するも、帝政ドイツ時代の第一次世界大戦の「大きな負の遺産」を引き継ぎドイツ経済は破綻した。

ドイツ国民は復権を願った。

ここに目をつけたのが、彼だろう。彼は国民を鼓舞する。異端に憎悪を向ける。国家統一をさらに強大なものに仕立ててゆく。

ユダヤ人は、この時に「スケープゴート」にされた。

イスラエル建国は「ユダヤの悲願」であったに違いない。そのことは認める。

しかしパレスチナ問題はどうだろうか。彼ら自身が「ゲットーの住人」だったのに……。

「いじめ」の具体例を探ろうと、様々なコミュを覗く。そこに見える憎悪の数々。

それが「いじめ」の温床・土壌であり、正体だ。

それは「差別用語の乱発」にも、見える。また関連コミュニティにも、その性格が見える。

ここに「日の丸」があるのが悲しい。そこには間違ったエスノナショナリズムが見える。



☆しかし、エスノナショナリズムが、「排他主義」であってはならないだろう。



日本人は古来より渡来人を多く受け入れてきた。大陸と半島の動乱が大量の避難民を生んだ。

およそ「先進的」な避難民たちの力を借りて、避難民と共に日本は社会発展を遂げてきた。

日本には何故「朝鮮式山城」の数々が在るのか。それは「百済救援」の失政の後の「白村江の敗北」があったからだ。




また、例えば「漢字」の利便性。この文字記号は一字で意味を表す。サンスクリット・アルファベットは数字を要する。

日本・朝鮮半島・中国大陸は「アジア文化圏」と言って良い。

ところがここにも世界分業の下に、国家間利害が絡む。よって「仲が悪い」→「近親憎悪」を抱える。



生活基盤であるところの「地域」に目を向ければ「差別」は顕著だ。

およそ国家間利害関係の複雑さが、もろに「生活」に反映する。

「○○人」・「○○地域」、それより派生する差別用語のいやらしさは見るに堪えない。



およそ「日の丸」を掲げるなら、間違ったナショナリズムやミリタリズムに立つのではなく、古来よりある神道の立場に立って日の丸を掲げてほしいものだ。

神道に見る「なおらい」とは「一つ釜の飯をみなで喰う」こと。ここには天神地紙もいる。今在る人は祖先を崇拝する。

元を正せば、人間なんて「ただのサル」 たった一人の「グランドマザー・ラッキーマザー」に、行き当たる。



しかし「今」を生きる「我々」に、「生存競争」も厳然としてある。「競争原理・力の支配」がここにある。そこに「私」と「他者」がある。

日本は、日本人自身が、世界に向けて新たな「協調原理」を提起しなければならない時期にも来ているのに……。

その「協調原理」とは、何なのだろう。



それは、たぶん「生態系」や「食物連鎖・生命連鎖」の立場に立つものなのだろう。あるいは「棲み分け」だろうか。

そこの処が見えてこない。何故なら「弱肉強食」が「世の習い」となるからだ。




☆「人は、人として、人と共にある」には、どうすれば良いのだろうか。



 
> takiさん:12
 
(comment=12
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=1&id=70646109
CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=3&id=70646109&readmode=start)
 
こんにちは。
コメントに提示された以下のページを覗いてみました。
 
"人の災難を喜ぶいじめっ子の脳"
PC:http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=8967503
CP:http://zhp.jp/X3H1
 
いじめの初段階は、いじめっ子も心を抑えて冷酷なのかもしれません。
つづけるうちに快感に変わる、いや変えるように脳の回路が機能するだろうことは、経験的にわかるはずだと思いました。
 
例えばナチスの拷問担当者や収容所所員のなかには、ニヤニヤ笑いながらユダヤ人を暴行したという話はよく聞かれます。
また最近は一般語っぽくもなったSMの世界でも、明らかにサディストは快楽を感じています。
 
こうした、ある状態にある脳や身体は、うつ病などと同じく、科学によってさらに特定できるようになるでしょう。
いじめの予防や改善の有力な対策の1つとなるかもしれません。
 
"デインジャーとリスク"
http://blog.tatsuru.com/2012/07/18_1123.php
 
この2つの範疇から未成年者・校内のいじめを考えると。
まずリスク(小さな災い)まで根絶するような教室は管理度が高すぎ、また微温的で無菌的な代わりに自由の少ない、逆に健全でない状態になると思います。
対してデインジャーの観点からは、行きすぎた悪戯や暴力は、社会的には犯罪といえるため、校内に警察的な規制や監視を改めて敷く検討も必要な事態かとも思いました。
 
動物脳などの話については。
例えば江戸城のように、ヒトはヒトになる前から旧来の脳の外側に新たな脳を追加する手順で進化してきました。
生物史や社会史に見られる、種族や個体の闘争を、現代の日本の未成年者の校内のいじめに投影するのは確かに本質的ですね。
ただ、生態系や社会の縮図というよりも、教室をやはり理想の社会の実験場あるいは道場に見立てると、いじめが生物や脳の本質的な課題というよりも、いじめっ子の脳になってしまった直接の近因を探ることが有効かと思いました。
 
それは家庭で、虐待があればもちろんですが、そう積極的でなくても例えば核家族・共働き・塾通いなどの、徹底された機能化が、家庭を冷たくし、育児放棄や保護放棄と同じ結果を招いて、それが教室に持ちこまれている、そんな気がします。
 
さすがに各家庭の中身を修正するのは困難ですが、校内の課外の時間や・授業自体を改善することはまだ必要だと思います。
その改善では、いじめをなくすというよりも、個人やその集まりが幸せになるにはどうしたらいいか、それを探しつづける習慣を身につけさせることが大切だと思います。
 
(ただ、いじめの責任を問うとしたら、第一に家庭・次に国民・学校は第三かと思います。
もちろん法的には管理責任などで学校が上位かもしれませんが。)
 
warMartさん みなさん こんばんは


【12】の、解説を、ありがとうございます。ようやく私にも「takiさん:12」コメントの意味が呑み込めました。

しかし、間違っていると困るので確認させてください。


★「いじめっこ脳」は、後天的・(生活・学校・社会)環境が、その生育を決定する。

のでしょうか。

・あらゆる民族・国民が「いじめっこ脳」になる可能性がある。

ということでしょうか。



それともこれは、

★アプリオリに、先天的に、「どこかの国・民族」に限り、遺伝しているもの。

なのでしょうか。

・特定の民族・国民だけが「いじめっこ脳」になる可能性がある。

ということでしょうか。



★某コミュでは「いじめっこ脳・遺伝子・○病」として、このことは良く話題の一つに上げられています。

よって「こちらには、こちらの文脈に沿って」提案いただけたら、大変有意義な意見でしたね。

 
> 葦原風太郎サン:36
 
(こんにちは。
まず、他のコミュニティでのことや・当トピックで先行された文脈などから、外れた内容であっても、いじめに関するコメントであれば寛容に対応してかまわないのではないかと思います。
このトピックではそうした自由で雑多な進行でいいと思いますが、そのなかで葦原風太郎サンのように1つの文脈を形成なさることもとても有意義だと思いました。
また、トピックの作成者がトピックの説明文でそのトピックを何か規定するとしてもまた有効だと思います。)
 
いじめっ子の脳が先天的か後天的か、これはどちらかというと多分に後天的だと思います。
もちろん、例えば民族に身体的な特徴があるくらいですから、柔軟な脳神経に民族的な特徴が刻まれている可能性は充分にありますが。
 
stanford prison experiment
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93
 
例えば、ある未成年者が家庭で、核家族・共働き・塾通いなどの合理主義から、過失でも冷遇を受けて育児放棄・保護放棄のように育つと、心理的(・後天的・脳神経的)にそうした人間関係・配役を発想しやすくなり、さらにはそのなかで冷遇を受ける側よりは与える側のほうへ就きたい(逃げたい)と望むという、いじめの主因はこういった作用だと思います。
 
脳について気になるのは、脳神経にしろ身体にしろ、進展してしまったものを元の状態に戻す、というのは難しいだろうという点です。
例えばあのサイトにあるように、他人の指がピアノの蓋に挟まる場合に面白味を感じてしまったら、それを忘れさることは難しい。
これは、一輪車に乗れるよう回路を結んだ脳が、再び一輪車に乗れなくなることは難しいのと同じです。
 


warMartさん みなさん おはようございます


【36】の設問に対し

A.
「いじめっ子の脳が先天的か後天的か、これはどちらかというと多分に後天的だと思います。

B. 
「もちろん、例えば民族に身体的な特徴があるくらいですから、柔軟な脳神経に民族的な特徴が刻まれている可能性は充分にありますが」

D.
「ある未成年者が家庭で、核家族・共働き・塾通いなどの合理主義から、過失でも冷遇を受けて育児放棄・保護放棄のように育つと、心理的(・後天的・脳神経的)にそうした人間関係・配役を発想しやすくなり、さらにはそのなかで冷遇を受ける側よりは与える側のほうへ就きたい(逃げたい)と望む」

E.
「脳について気になるのは、脳神経にしろ身体にしろ、進展してしまったものを元の状態に戻す、というのは難しい」

F.
「他人の指がピアノの蓋に挟まる場合に面白味を感じてしまったら、それを忘れさることは難しい」


との、答えと意見をありがとうございます。


また

「当トピックで先行された文脈などから、外れた内容であっても、いじめに関するコメントであれば寛容に対応してかまわない」

・これには「私も、同意見です」

ただ、私は「それでは、収集がつかなくなるのではないか」との危惧がありました。

☆しかし「みんなで考える」ためには「参加と意見」が必要ですね。

★私が大人げない観があります。ので改めます。
                                でわでわ



 
〈「“いじり”と“いじめ”は紙一重」。
木村拓哉、いじめ問題に言及。〉
 
大津市の“いじめ問題”以降も全国のいじめや学校側の対応の実態が明らかになっている。
木村拓哉のラジオ番組『木村拓哉の Whtat's UP SMAP!』(FM TOKYO)にもリスナーからそれに関係するような悩みが届いた。
7月27日の放送で彼がそれに答える形で“いじめ”について語ったものだ。
 
リスナーの悩みは要約すると
「クラスで“いじられキャラ”なのかもしれない。
でもいじられるのは嫌です」という内容だった。
木村拓哉はそれに対して直接悩みを解決する形でなく、全リスナー、あるいは全国へ問題提起した。
 
彼はバラエティ番組では
「“いじられキャラ”がいて“いじる”者がいる。そしてそれを見て楽しむお客さんがいる」それは“メディアの中では成立する”と説明する。
SMAPでいえば“いじられキャラ”にあたる稲垣吾郎や草なぎ剛も「プライベートでいじられるのは嫌だと思うよ」と木村は語気を強めた。
 
そして木村拓哉は
「“いじる”のと“いじめ”とは文字も似てるし紙一重」だ「相手が嫌がればそれは“いじめ”だろう」と持論を展開した。
「僕が学生の頃も“いじめ”はあったが、死と直結することはなかった」と自身の体験を振り返ると
「あの頃は先生のゲンコツや平手打ち、まわし蹴りとかもあったけど良かったこともあったかも。
今はそれも無いし、何かが失われている」と語った。
 
また、木村は冒頭のリスナーからの相談に答えるかのように
「今は現場の生徒が考えないといけない時がきたのではないか」と主張する。
教師や親に頼っても解決しない。
実際に関わる生徒自身が考えて解決するしかないというのだ。
そして彼はこう付け加えた。
「『木村拓哉があんなこと言っていた』とこれをきっかけに5分でいいから生徒同士で真剣に語り合ってくれたらいいな」と。
 
“いじめ問題”についてはさまざまな著名人がさまざまな意見を出しているが「現場の生徒が考えるしかない」といった意見は未だに聞かない。
だが、ここにこそ“解決”の道があるのではないか。
さらにそれを突き詰めれば大人社会へ向けて「政治家に頼っても解決しない」と警告されているようでもある。
木村拓哉が投げかけた言葉は重く深い。
 
(編集部 真紀和泉)
2012/07/28-10:45 Techinsight Japan
http://japan.techinsight.jp/2012/07/kimuratakuya-ijimemondai-radio20120727.html↑
 
 
Adolf Hitler
comment=74
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=4&id=33277359
CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=15&id=33277359&readmode=start
 
"hey Jude"
comment=1
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=1&id=70302130
CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=1&id=70302130&readmode=start
 
"Precious"
comment=7
PC:http://mixi.jp/view_bbs.pl?&page=1&id=61645472
CP:http://m.mixi.jp/view_bbs.pl?&page=2&id=61645472&readmode=start
 
 
> かえる子サン:41
 
(はじめまして。
コメントありがとうございます。
これからも気軽に書きこみくだされば幸いです。)
 
ご解説は的確で、同意できました。
 
> 「役割→階級」が「教室内を支配する雰囲気」にまで肥大してしまい、ある意味「その状態が誰にとっても平和/楽しいのだ」という麻薬効果をもたらすことが多くある気がします。
> そして協調性を重んじる日本人であるからこそ「その和を乱してはいけない」と感じ、(クラス内の)第三者からの問題提起がなされにくい
 
大人の一面である保守性が、家庭やテレビから子どもに刷りこまれ、教室にも表れているのでしょう。
和という、多数の合意には、当然ながら正しいものもそうでないものもありますが、私たち大人は善か悪かや・公正かなど・の確認を忘れることはあっても、損得や利便といった合理性はあまり忘れないのだと思います。
そして、どれもこれも和として、固定観念・思考硬直を起こしてしまっている。
増税がいつも支持されなかったり・過去のファシズムの台頭などはその例です。
日本では特に、島国で大多数の単一民族での歴史が長く、本土戦や革命が少ないため、被支配に慣れた国民性があって、それが和の悪循環につながっているのでは、と思います。
 
> 私が提案したいのは、そんな小さな馬鹿馬鹿しい世界に安住するのはやめて、潔く出て行ってしまえばいい、逃げればいい、登校拒否しちゃえばいいということです。
 
いじめは身体的や精神的な暴力なので、不登校や教室外通学・越境通学などの緊急避難は適切だと僕も思います。
ただ、本来なら被害者ではなく加害者を確保しなくては、再発率がより高いはずなのですが、難しいのは重度の被害にならない限り犯行が特定されづらいことですね。
 
> 「みんな幸せになれるように生活する」ということは不可能に感じます。
> 「自分だけが辛い想いをする社会」は小さくても確実に存在して、でも社会というのは無数にあるのだから、選ぶことはできると思います。
 
まだ誰も辛い想いをしていない小社会(集団・組織)を選んで、そこへ移動すること。
確かに、無駄や被害を受ける場所を捨てて、次の場所へ移ってゆくのも一義的には肝要だと思います。
 
まだ辛くなく幸せな社会と・もう辛く不幸せな社会とでは、どこが違うのでしょうか?
前者を積極的に存続させるのに効果的なことって、何なんでしょうか?
 
(to our children's children's children
http://youtu.be/DLiSXc9-4OY)
 
みなさん こんばんは

「出ればひっこむ・引っ込めばでるか」と、期待していたのですが……。いじめは、うっとうしい問題ですよね。



> かえる子サン:41

・「役割・位置・レッテル」での 「いじめられっ子」は見事に言い当てておられると私も思います。しかし……。


★「幼い子供ほど、逃げられない」現実があります。


親や教師が「いじめに気付いていない」場合、たいていの子供は「毎日、学校に行きなさい・毎日、来なさい」と言われます。

・「学校に適応できない=会社・社会に適応できない」=「落後者」と、見なされてしまいます。

・小学生・中学生に「学校・社会」を捨てることは無理だと思われます。

 
"夜回り先生 水谷修氏 いじめで死者出たら学校関係者に処罰を"
 
大津の中学2年生の生徒が自殺した問題を機にいじめが問題となっているが、“夜回り先生”こと、教育評論家の水谷修さんは、前進をみない問題の根っこを、
「学校や教育関係者の視点が間違っているのです」ととらえている。
「(教育関係者は)いじめを子供と子供の問題としかとらえていない。
でもね、いじめは社会問題なのです。
いじめがなくならないのは、社会のなかに歪みがあるから。
落ちこぼれを出してしまう教育、不信感を生む学校システム、人を信じられなかったり、いつもビクビクしている子供をつくる家庭。
社会が抱えている問題は、最終的に何かの形になる。
そのひとつがいじめです」
 
たしかに大津で起きたいじめは、社会の歪みを映す鏡であったかもしれない。
では、いま子供を守るために、大人たちにできることはなんだろう。
 
水谷さんの提言を、3つ紹介しておきたい。
ひとつ目は、「組織防衛」を最優先する学校に、具体的な過失責任の取り方を導入することだ。
「いじめで子供が亡くなったら、学校長や担当教員を厳正に処罰すべきです。
彼らは、子供を守れなかったのですから。
過失に対して責任を取らない大人を、子供は絶対に信用しません」
 
ふたつ目は、教育行政に問題解決の考え方を転換するように求めている。
「学校現場だけでいじめを解決することは、絶対にできない。
学校に、もっと『外部』を入れるべきです。
そのために、いじめを人権侵害ととらえて相談を受けている法務省人権擁護局があるんです。
教育委員会は、法務省の介入を拒否してはなりません」
 
3つ目は、いじめられている子たち、その親たちへのメッセージだ。
「逃げるだけではダメです。
闘ってどこかで決着をつけないと、後々癒えない傷を残します。
声をあげて、現実をできるだけ多くの機関、人に伝えましょう。
警察や人権機関、市長、マスコミ、近所の人でもいい。
いろいろな人間に知られれば、いろいろな立場で取り組んでくれるのです。
 
いま大津の事件によって、日本中の学校が、いじめに対して対処せざるを得ない状況に置かれています。
夏休みの間に動くことができれば、2学期から学校が変わります。
子供がいる親は、学校でいじめがあるかどうか、子供に聞いてください。
たとえ自分の子供が当事者でなくても、いじめの事実があれば学校に知らせてください。
それが自分を、自分の子供を守ることにつながるんです」
 
(女性セブン 2012年8月9日号)
2012/07/30-16:02 NEWSポストセブン
PC:http://www.news-postseven.com/archives/20120730_133282.html↑
CP:http://k.news-postseven.com/archives/20120730_133282.html↑
 
warMartさん  かえる子さん みなさん こんにちは

warMartさん 「ネタ振り」ありがとうございます。できれば私見を述べてい頂くともっと嬉しいのですね。
(でも、管理者の立場もあるしね)

・コメ【44】の「発言」は私も賛成です。学校は閉鎖空間であると私も見るからです。
ここには「教師の保身」が見えます。よって「聖域」化させてはならないと私も思います。
また「いじめ」の少ない学校は、元より教師から進んで学校を開放化しているとも思います。


・コメ【45】かえる子さん

私は高校三年の秋に中退しました。そうです。私はかえる子さんの言われる如く「そんなくだらない学校、捨てちまえ!!」を、やっちまいました。(笑)
これには「普通のいじめ」とは違った特殊な理由があります。「1972」年のことですから。学生運動の終焉期ですね。
教師・生徒・父兄より「やめちまえ!やめさせろ!」と言われていたので、そうしただけの話です。よって自身に「いじめ」とは映らず「反動」と見えていました(笑)
職員室で教師に殴られたことも、生徒仲間よりも数々の嫌がらせやバッジング、または教師の指示に拠る懐柔工作もありました。
よって、その私は「教育監獄」より「労働監獄」に棲み替えを余儀なくされました。(笑)

★ここで「監獄」は語弊があるのですが、当時マルキストの私にはそのように見えていたのですね。

○およそ高校生なら私のように可能です。それは「義務教育」でも無いからです。

例えば「親が子供のいじめに気付いた」場合は「経済能力」が有れば「引越」も可能です。
でも気づいておられるように「不況の昨今」転宅を望んでもそう簡単に事は運びません。
大抵、何らかの事情があり転宅を断念することでしょう。
よって「小・中、学校内で、発見し、解決する」ことが一番可能性が高いと考えています。

また「教師と生徒」が「ここ」にはいるのです。「いじめ」は教室で生まれ、「事件」は放課後に、他所に起きることが多い。
よって「教室・生徒」を見ている「者・教師」が真っ先に気付くはずだと、私などは観ています。

親に問題が無いとも言いません。親は愛情持って子供に接すべきだとも思います。
ただし、私は家庭内問題と「稼ぎ」に追われて子供たちが見えにくくなっていたのも事実です。
「バブルの崩壊」は私の家計を直撃した頃に、私は商売と育児に追われていたのですね。
昨今も、やはり「両親」は稼ぎに目が眩んでいると観ています。「毎日飯を食う」のは各家庭の最重要課題ですから。

★やはり私は、「教師による事無かれ主義」が、一番大きな問題の要素だと考えています。

☆みなさんは、どう考えられているでしょうか。
みなさん、こんばんは

・「気になる記事」    だったので、ここに掲示します。

『 ゲーム化するいじめ「○日で潰した」とクリア感覚で喜ぶ子も 』
  http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2117056&media_id=125

 社会問題化するいじめ。かつては、いじめっ子といじめられっ子がまったく別のグループに属するということが多かったが、最近では同じグループの中で“いじめ”が起こることが多い。グループの中で人間関係を構築していく過程で、誰かが“標的”となり、“いじり”が始まり、加えて、あるスイッチがはいると“いじめ”へと発展していくのだという。そんな状況となっても、いじめられっ子はグループに属していることを求めるケースが多い。著書に『若者たちに何が起こっているのか』(花伝社刊)がある社会学者の中西新太郎氏はこう説明する。



「子供たちにとって友人関係とは、家族以外に唯一、社会と繋がっているもの。無視されれば、それが“0”になってしまい、自分が透明人間みたいな存在になってしまいます。それは本人にしてみれば、死ぬことより苦しいんです。それを考えれば、いじめられてもいいから、グループの仲間にいたいと思う子供が少なくないんです」



 だが、一度、いじめへのスイッチがはいってしまうと、いまの子供たちは、相手が“潰れた”とわかるまで続けることが珍しくない。さらに恐ろしいのは、いじめられている当人が“潰れる”最終段階が自らの命を絶つことであるという可能性すら感知できない、想像力の欠如である。



「いじめっ子にすれば、自分に屈しない子がいるということは、自分が否定されているのと同じことなんです。自分の価値が咎められている気がするんです。ですから、徹底的に最後まで続ける。しかも質が悪いのは、一度、その味を覚えてしまった子は、一種のゲーム感覚で、それを続けていくことです」(前出・中西氏)



“○日で潰した”、“今日はひとり潰した”などと、まるでテレビゲームをクリアしたときと同じような感覚で喜ぶ子供もいるというから、ゾッとする。しかも、近年はその手法も携帯電話の普及などによって、多岐にわたっているという。



「携帯メールで“あの子、明日から無視ね”と、いじめっ子のひとりがグループ全体に一斉にメールを送れば、次の日から、その子は孤立します。周りの大人から悟られることなしに、指一本で、相手を不登校や自殺まで追い込めてしまうようになってしまったんです」(前出・中西氏)



 さらにネット社会到来で、その卑劣さは増しているという。文科省の「ネット上のいじめに関する対応マニュアル事例集」には、以下のようなネットによるいじめが綴られている。



●ある児童が、勝手に本人の名前を使われたうえ、ネット上の掲示板に出会い系サイトに書き込むような内容の不適切な書き込みを行っているかのように装われる被害を受けた。



●ある生徒が、同じ学校に通う生徒について、事実無根の内容のメールを作成し、4人以上に送信するように促すチェーンメールとして送信した。



●ある女子生徒は、本人の知らないうちに自分の名前を使われ、「私は男好きで、いろいろな人と出会いたいと思っている」などの内容のメールを、不特定多数の生徒に送信された。



 時代の変化とともに、直接、手を下さなくても、相手をどんどん精神的に追い込んでいけるようになっているのも、いじめの陰湿さに拍車をかけている気がしてならない。



 また、痛みを伴わない無機質ないじめだからこそ、いじめっ子たちには、「これ以上やったらヤバい」といった危機感はなく、危険な状態なのだという。



「加害者側とすると、“相手に肉体的ダメージを与えていないからいいだろ?”という考えなんです。ですから、“相手が死んじゃうかもしれない”なんて想像力はないんです。あくまでいじめられっ子はゲームの駒にすぎなんですよね…」(前出・中西氏)



※女性セブン2012年8月23・30日号

 
"豪 いじめ巡り教授と生徒が討論"
 
日本と同じように学校でのいじめが問題になっているオーストラリアで、いじめを専門に研究している大学教授が、中学生や高校生といじめ問題について話し合う討論会が行われました。
 
オーストラリアでは、日本と同様に学校でのいじめが問題になっており、教育関係者などが中心となっていじめ対策について議論を続けています。
 
こうしたなか、オーストラリア南部のワイアラにある学校で、28日、いじめを専門に研究している南オーストラリア大学の ケン リグビー教授と、日本の中学2年生から高校1年生に当たる生徒24人がいじめ問題について話し合いました。
 
生徒たちからは「やめるように声をかける」とか「間に入って止める」などの意見が出た一方で、「何も声をかけずに見ているかもしれない」といった声も聞かれました。
 
リグビー教授は「いじめを見たときに、当事者に声をかけたりすることで、50パーセントの確率でいじめが止まる可能性がある」として、いじめを止めるためには周囲も積極的に関わることが大切だと説明しました。
 
この学校でも、いじめの報告が増えているということで、リグビー教授は
「生徒たちがいじめの問題を真剣に考える機会になった」と述べ、生徒自身に考えてもらうことの重要性を強調しました。
 
2012/08/29-04:00 NHK NEWS WEB
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120829/k10014607811000.html↑
 

http://youtu.be/ozmEvXaFRsY
 
 
“0歳児にも思いやりの心 性善説を示唆? 京大グループ研究”

生後10カ月の赤ちゃんでも、困っている人に同情する気持ちがあるかも−。
京都大や豊橋技術科学大(愛知県)のチームがこんな実験結果をまとめ、米オンライン科学誌プロスワンに13日発表した。

〈しゃべられない乳児…イジメ敏感、被害者に反応〉

1歳半以上の子供では同様の結果が報告されていた。
今回、まだ言葉を話さない、より幼い乳児にも思いやりの心が見られることを示しており、京大の鹿子木康弘特定助教は
「人間の本質は『善』だと示唆している可能性がある」としている。

チームは、青い球体と黄色の立方体を「攻撃者」と「攻撃される者」に見立て、両者が動き回りながら、一方が攻撃者として、もう一方にぶつかる動画を用意。

生後10カ月の日本人の赤ちゃん20人に、どちらかの図形が攻撃者、攻撃される者になる動画を見せた後、両方の図形の模型を置き、どちらを手に取るかを観察した。
すると、20人中16人が攻撃された方の模型をつかんだ。
両者がぶつからない動画を見せた別の20人の赤ちゃんでは、手に取る模型に偏りはなかった。

チームによると、チンパンジーの群れで、けがをした仲間に近寄る行動が見られることなどから、物をつかむなどの接近行為は、動物行動学的に同情している態度と考えられている。

2013/06/13-10:11 MSN産経west
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130613/wlf13061310120002-n1.htm (CP:http://zhp.jp/BBHW )↑
 

(性善か性悪かという善悪の概念を、性質の普遍的な前提にしてしまおうとするこの実験者はおかしい、と僕は思いました。

猿や犬には悪意も悪事もなく、ただ種の保存欲求か仲間意識かが少なくなる経験を辿った個体は排除され・弱い個体は守られる、ということだと思います。
種が他の種との生存競争に勝つための一環は、いわゆる善と呼ばれる本質と違うものかと。

赤ちゃんの場合は、さらに単純で、まだ仲間意識みたいな概念は当たらないと思います。
ただ、能動と受動だけを認識して、受動を目標物のように認識して、それで興味を示し、示さなかった赤ちゃんはたまたまそうした発想を時間内にしなかった、ということかと思えました。

ちなみに大人の関心がバラつくのは、知性により様々な解釈をさせるためで、個体差も大きいからかと。

善悪は人間社会に作られた人工的な想像物だと僕は思っているわけです。
人間でない生物・社会性を知らない人間(乳児や狼少年)・に善悪はない、または混在していると思うのです。
なので、この実験結果は拡大解釈されていると。 )
 

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