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哲学 思想 精神 コミュの諸子百家 (老子の68章と70章についてなど) 

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(諸子百家とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称。
「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。
「百家」は儒家などの学派。
 
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      儒家
      墨家
      法家
      名家
      道家
      縦横家
      雑家
      農家
      小説家
      兵家
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E8%AB%B8%E5%AD%90%E7%99%BE%E5%AE%B6
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%80%81%E5%AD%90

 

http://www.youtube.com/watch?v=a274OwEjP4Y&fmt=18
 

added sentence and picture: w a r m a r t ;1098147↑
2010/08/04 23:32↓)



 
老子の70章に
「我を知る者希なるは、則ち我は貴ければなり。
(私を知る人が少ないのはそれだけ私が真の価値があって貴いからだ)」と書いてあります。
 
68章には
「善く士為る者は武ならず。
(真にすぐれた人物は武勇をひけらかさない)」と書いてあります。
(書き下し文と口語訳は角川書店の『老子・荘子』を参照させていただきました。)
 
一方で「真に優れた人はそれをひけらかさない」と言いながらもう一方では「私は優れた人だ」と言っていて、矛盾しているような気がします(私が真の意味を理解してないからかもしれませんが)。
 
それにそもそも本当に聖人というべき人ならば「自分は貴いのだ」などと公言したりしないと思うのです。
 
老子の“徳経”にこのような謙虚さに欠けると思われかねないことが書いてあるのはどのような理由があるのでしょうか。
 
(※老子を批判するつもりでこの質問を書いたわけではありません)
 

コメント(3)

70章の方は何故なのかの説明の為に書かれていて、ひけらかす為ではないからだと思います。
> シマ(千のプラトー)さん
ありがとうございます。
(返事遅くなりましてすみません)
>  老子の70章に「我を知る者希なるは、則ち我は貴ければなり(私を知る人が少ないのはそれだけ私が真の価値があって貴いからだ)」と書いてあります。
68章には「善く士為る者は武ならず(真にすぐれた人物は武勇をひけらかさない)」と書いてあります(書き下し文と口語訳は角川書店の『老子・荘子』を参照させていただきました)。一方で「真に優れた人はそれをひけらかさない」と言いながらもう一方では「私は優れた人だ」と言っていて、矛盾しているような気がします(私が真の意味を理解してないからかもしれませんが)。それにそもそも本当に聖人というべき人ならば「自分は貴いのだ」などと公言したりしないと思うのです。


第70章は、「本当の我を知る者が希なのは、本当の我というのは誰もなかなか知りえないほど貴いからなのだ」ということだと思いますが、
ここで言う我とは表面的・日常的な私のことではなく、自分を掘り下げた所に見出される真我について言っているのだと思います。
真我にまでたどり着く者はまれだ。
しかしそこにたどり着けば、真我がいかに貴いか、至高であるかがはっきりとわかる。

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