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[dir]ワークショップ情報総合コミュのご報告〜きくみるはなすフクシマ・天栄村縁坐舞台

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7月16日、福島県天栄村のふるさと文化伝承館にて、きくみるはなすフクシマ・天栄村縁坐舞台を執り行いました。
きびたきプロジェクト代表の畔上裕子さんが、彼女のふる里である天栄村に、きくみるはなす縁坐舞台を勧進して下さってこの度の御縁を頂いたのです。


天栄村は東京電力福島第二原発から70kmの地点にあり、放射能汚染の被害を受けました。


地元農民と天栄村役場職員たちの必死の努力により、放射性物質除去作業は
成功裏に進みましたが、風評による被害は厳しく、天栄村自慢のおいしいお米、
おかずがいらないと人々に喜ばれてきた天栄米をはじめ、農産物はすべて売れなくなってしまったのです。


ほうれん草はダンボール一箱が50円まで下落し、それでも売れ残る状況となりました。



近隣地域で長年有機農業に打ち込んできた農家の中には、悲観のあまり自らの命を絶ってしまわれた方もありました。


飛行機から見た福島の大地は、僕が毎年随行しているオーシャンズ・カンボジア・プロジェクトで美しい農業国カンボジアの上空を飛んでいる時の景色かと錯覚する程、青々とした水田が広がっています。


この豊穣な緑の大地に「放射能汚染」という言葉を重ねようとしても、全くミスマッチで、考えることさえ難しく感じました。


きくみるはなすフクシマ・天栄村縁坐舞台のチームメンバー7人は、迎えに出てくださった畔上裕子さん、ご主人の悟さんと合流し、須賀川市(旧長沼町)の山間部にある藤沼湖の様子を見に行きました。


山々の間に満々と広がる大きな湖で、温泉やボート遊びに賑わったリゾート地、長沼湖は、あの地震で決壊し、なんと湖水が全て流れ出してしまって干上がり、
湖底だったところは草原となっていました。


美しい湖面を見ながら周回できるようになっていた舗装車道は、土手ごと引きちぎられたように崩れたままになっています。


湖水が流出した側のふもとに住んでいた人々にとっては思いがけない頭上からの洪水被害となったのでした。


想像を絶する景色の現場を見て、物思いに沈みがちな我々を暖かく迎えてくださったのは、畔上裕子さんのご実家の居心地のよい雰囲気とお父様の畔上弘さん、
そして我々に車を提供してくださり運転手を務めてくださった叔父様の畔上卓雄さんのおもてなしでした。


裕子さんと悟さんが腕を振るってくださって、福島産の野菜をメインにした新鮮な料理をたくさんいただきました。
特に、お味噌を大きなきゅうりに塗りつけての丸かじりはちょっと感動的なおいしさでした!


お暇するときに畔上弘さんは、「いつでも泊まりに来てください。」と優しい眼差しを向けてくださり、思わず「またお邪魔させてください。」と答えたのでした。


一休みさせていただいて元気になった我々は天栄村役場へ向かい、
天栄村産業振興課長の吉成邦市さんと面会しました。


吉成さんは一見やさしい “いかりや長介さん” みたいな純朴な風貌なのですが、実は気骨の備わったサムライです。


震災直後、天栄村が放射能汚染の危険にさらされている事実を察知するや直ちに、天栄米栽培研究会の岡部政行さん達とともに、稲の放射線量をゼロにするための戦いに立ち上がったのです。


平時は、趣味の「いい車」を乗り回しながら自分の好きなことだけして暮らしていた、という吉成さんは、全く知らない放射能汚染について独学で猛勉強を開始します。


風に乗って降ってきた放射性セシウムは地表1〜2cmの土壌にとどまっています。
もし土を耕すと深くまで沈んでしまうから田畑を耕作してはいけない、と県からの指導がありましたが、それを守れば農民たちは生業を捨てなければなりません。


吉成さんは湧き上がる義憤とふる里への思いをバネにして、活動を開始します。


あちこちを駆け回って役場で購入した高価な放射線量測定器を使いこなすため
放射線技師の資格を取って、いつでも線量計測ができるようになると
まず微生物の働きでなんとかならないかと10種類を試しますが、結果が出ません。


試行錯誤の末、カリウムを十分に摂取している植物は放射性セシウムを吸収しないという事実に行き当たります。
さらにゼオライトという天然鉱物はセシウムを吸収してくれるという事実。
しかしゼオライトは稲の栄養素であるカリウムも一緒に取り込んでしまいます。


ところが、18世紀のドイツで初めて合成された、インクの着色料などに
使われている人工顔料のプルシアンブルーが、土中に溶けたセシウムを
吸収する力を持ち、しかもこちらは稲の栄養素を取り込むこともありません。


そこで、ゼオライト、プルシアンブルーを大量に買い込み、稲の栄養素であるカリウム、 窒素、りん酸と一緒に水田に散布して実験します。


カリウムを通常の4倍にすることで効果があることが分かりました。


簡単には言葉にできない、本当にたくさんのご苦労が続きました。


ある日、期待と不安のため緊張しながら収穫し、計測した米や稲わら
に対して、天栄村役場の放射線量測定器の針は、ついにND(不検出)を示します。


この時、吉成さんや岡部さんを中心とする天栄村の農民達の努力は報われたのです。


ところが吉成さん達天栄村の人々はさらに困難な問題に直面して愕然とします。


東京電力福島第二原発から飛来した放射線の量をゼロにしても、
人々が農産物を買ってくれないのです。


例年は毎年完売していた天栄村特産の滋養豊かな漢方米や無農薬米が、
福島の名が付いているという理由で売れ残ります。


福島第二原発でなく東電第二原発と名づけてくれていれば、と悔やしい思いが募ります。



吉成さんは言います。

「こうして一対一で顔と顔を見合わせて話さないと信じてもらえないのです。

数字でゼロだと示してもダメです。インターネットで訴えてもダメ。
時間がかかっても実際に一人一人と出会って伝えていく営みしか
本当には効果がありません。しかし僕はあきらめません。

アイデアはいろいろあるし、あと8年の在職中に天栄村の仲間と株式会社を作って
村を発展させるのが夢です。」


と語る吉成さんは、風雪に耐えてきたその風貌にまぶしい笑顔を見せてくださるのでした。


7月16日、天栄村の緑の谷を見下ろす山上に建てられたふるさと文化伝承館で、
きくみるはなすフクシマ・天栄村縁坐舞台の公演が開催されました。


東京や千葉から駆けつけてくださったお客様も交えて、吉成さんや岡部さんをはじめ、 村役場の職員や天栄村に移り住んで農業を学ぶ若者、そして「地域おこし協力隊」のメンバー達が集まりました。


「では御縁の坐をお願いいたします。」


縁坐舞台の囃し方を務める僕が、おひとりおひとりのお話を承って一礼とともに宣言します。


十分な沈黙の時間のあと、直接床にあぐらで坐っていた人形(ヒトガタ)役者達が動き出します。


村役場職員のお一人が、大きな病気や事故にあった時に、おばあさんのことを思い出し、その都度不思議にも命が助かった経験を話してくださいました。


東北ではこのお話に限らず、すでに亡くなっている家族や親戚が
大事な場面で重要な役割を果たすお話を、比較的多く聞かせていただくように思います。



地域おこし協力隊のメンバーで、天栄村に長期滞在している若い女性は、
自分がここにいることや人生そのものが、出会った人との“つながり”でできていると、瞳を輝かせて話してくれました。


そして吉成さんも。。


「自分を支えている言葉は「感謝」だ。周りのみんなのお陰で現在の自分がある。ありがたいという気持ち、生かされているという気持ちがある。」


他の皆さんよりも随分言葉少なだったのですが、舞台では、「ふざけんな!」と
行政に立ち向かっていった吉成さんの強い憤りや勇気を示すエネルギーが現れました。


吉成さんも涙となって見つめてくださいました。


天栄米研究会の岡部さんも、自分を支えている言葉は「お陰様」であると話します。
ただ、自分が米作りをできるのもあと5年くらいか。。年々しんどくなる体を感じて思う。
とつとつと、そしてしみじみと語る口調から、福島に生きる農民の魂のようなものが伝わってきます。


東京から駆けつけてくださった青年は、
「すごいものを見た。
自分が今、こころに浮かぶ言葉は、「つながり」。
つながりのなかで、自分が、ある必然性をもっていろんなところにまたつながり、運ばれているように感じる。」


次々と縁坐舞台が現れては消えていきます。


最後に強い気持ちを現したのは、この三年ほど天栄村に深く関わって村人から
農業を教わっている若者でした。


「ネガティブなこと、言っていいですか。
なんであなた方は、この人たちの気持ちがわかるんですか!
ここに来てたった二日しか居ないのに。
自分は三年間、ずっと見てきた。それでも、まだまだわかったとは言えないのに。
吉成さんたちがどれだけがんばったか・・・・
あなた方はなんでこんなことができるんですか!
…すいません、最後にこんなことを言って。」


彼の言葉は強い怒りに溢れていました。


確かに我々は、昨日今日来たばかりの旅の一座に過ぎません。


重く緊張した長い沈黙のあと、縁坐役者たちは渾身の気迫を持って彼の言葉を受け止め、 舞台上でそれぞれの「本当」を賭けて「運び」を行ったのでした。
決して「演技」では応答できない場面でした。


それぞれの生き方、生き様と生き様との真剣勝負であったと思います。


燃えるような眼差しで舞台を見ていた若者は、

「まだ僕は怒っています。
だけどあなた方が、四つに組もうとしている真剣な人たちだということは認めます。」



何か全力を振り絞った試合のあとのような、何かをやり尽くしたあとに訪れる沈黙の時間。。


と、吉成さんが若者に体を向け、じっと見つめながら口を開きます。


「E君。君は僕らに同一化してるんと違うかな。
僕らはこの天栄村に生まれてここで生きていくしかないんだ。
だから僕は、外から来た皆さんが、こうして村や我々のことに関心を持って耳を傾けてくださり、表現してくださることが本当にうれしいんだよ。」


若者を思う深く温かい気持ちがその声に宿っており、会場の雰囲気が芳醇なものに変わります。


公演後は、本番の真剣な緊張感とはうって変わって、皆が笑顔を交わし合い、
お互いの道のりを讃え合うような、和やかな空気に包まれました。


E君は、地域おこし協力隊の女性との結婚を控えていることが分かり、
真剣勝負を交わした縁坐役者の面々の祝福を受けて笑顔になっています。


吉成さんや岡部さんの赤銅色の笑顔も見えます。


さすらいの旅の一座、きくみるはなす縁坐舞台の、たった二時間弱の舞台公演ではありますが、舞台を終えて土地の人々と親しく集う、まるでお互いに旧知の間柄であったような懐かしい時間は、我々縁坐役者にとって、我が父母兄弟の生まれ育ったふるさとに立つと同じ、心安らかな、楽しいひと時です。


こうして、「きくみるはなすフクシマ・天栄村縁坐舞台」の物語は、
村人の暮らしを見守る山上に鎮座し、天栄村先祖代々の命の流れを寿ぐ
ふるさと文化伝承館において、大団円を迎えることができたのです。


この度のご縁を紡いでくださった皆様に心より感謝いたします。


ありがとうございました。


     きくみるはなすフクシマ・天栄村縁坐舞台座長   橋本久仁彦    







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 きくみるはなす縁坐舞台
 enzabutai@bca.bai.ne.jp
 http://ptproduce.com/
   橋本 久仁彦
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