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米原万里大好き!コミュの『安』と相手の気持ち

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2008年から2010年にかけて、『クイズ米原万里!』 のトピックを立てていたホリです。
万里さんのエッセイにはお腹が痛くなるほど笑わされていたので、そうした爆笑エピソードの中からクイズを出して皆さんで大いに盛り上がりましたね。(読んでいない方は過去トピックを参照ください)

昨年末に2015年を表す漢字として、『安』が選ばれましたが、その理由は「安心・安全・平安」ではなく、「不安・安保・安部」と言われて、民族対立やテロ、地域紛争や貧困など、社会不安が増大しているからということでした。

そんな時にまた万里さんのエッセイを読んでいたら、爆笑エピソードの間に、人間が人間を理解すること、相手の立場に立って物を考えることの難しさがたくさん書かれていることに、改めてビックリしました。

「魔女の1ダース」に、以下のエピソードがありました。
� 並茖下‖臉鏝紂�中ソの関係は悪化し、)1969年春には、ついに中ソ間に武力衝突が起こる。1980年初頭まで両国関係は敵対と憎悪の一途を突き進んだ。(1983年夏に、中国東北地帯を訪れた米原さん、)私には大変衝撃的だったことがある。瀋陽にも長春にもハルピンにも、市心部の広場に1945年最初に市内に入ってきたソ連軍の戦車や、ソ連軍の戦闘機を記念碑として石の台座に乗せていたのである。40年も前のものなのに、手入れは行き届いていて、台座の前には花束が絶えない。(中ソ関係が最悪だった60年代70年代を通して、この記念碑は維持されていたのだ。)1945年にソ連が一方的に日ソ中立条約を破棄して、ソ満国境を破り、なだれ込んできた。(そして日本人民間人が地獄のような目にあったことは多数の作品が語り伝えている。)
しかし、しかしである。日本に侵略され蹂躙され続けた中国東北部の人々にとっては、そんなソ連軍が解放軍だったのである。(多くの日本人が今も抗議し続けるソ連のソ満国境侵犯について、)中国人は神聖な感謝すべき行為として記憶にとどめているのである。それは、とりもなおさず、日本の中国における支配が、いかに中国人にとって苦悩と屈辱に満ちた耐え難いものであったかを物語る。

�◆�1988年に東ベルリン行きの機内で隣り合った在日朝鮮人の紳士と親しくなった米原さん、)ドイツと朝鮮半島は、ともに第二次大戦後の不毛な対立の犠牲になり、同じ一つの民族が引き裂かれてしまっていた。いま搭乗機が着地しようとする国と隣席の紳士の故国が共有する悲劇を思って、「この国は、お国と運命を同じくする国ですね」というと、「それは違う。断じて違う」紳士は突然声を荒らげ穏やかな表情をかなぐり捨てた。私は雷に打たれたようなショックを受けた。降伏したドイツが、連合国に戦後処理のため占領されたのはいたしかたない。しかし朝鮮は一貫して日本の拡張主義と侵略戦争の犠牲になってきた国である。紳士の金さんは口にこそ出さなかったが、「本来、引き裂かれるべき責任を負っていたのは日本だった。ドイツが受けた罰を日本が免れたのは、それを朝鮮・韓国に肩代わりさせる結果になったからだ」

他にもいろいろ考えさせられるところがありましたが、長くなったのでここまでにします。

現在、天皇陛下御夫妻がフィリピンを訪問されていますが、54年前の皇太子時代に訪問されたときにも現地で犠牲者の遺族と交流したそうです。当時ご夫妻の訪問をきっかけに、日本への反感は大きく減り、現在日本への好感度が高い国として、フィリピンはベトナム・台湾・タイに次ぎ4位との情報もあります。

同国人の慰霊だけでなく、敵国であった現地の戦没者を思いやる国の代表者の動きは、戦後のドイツでも高い評価を得ていますが、日本では皇室以外におおきく取り上げられることがありません。
日本人には日本人同士の関係は特別だという思いがあったのではないかと思います。それが外国人の気持ちをくみ取る努力不足を助長して、外国から見れば、戦後賠償やODAなどお金だけで片づけるように見えるのではないでしょうか。

10年前に亡くなった万里さんの著作は、爆笑エピソードだけではなく、世界の平和とそのための外国人とのコミュニケーション、社会不安の解消に大きな示唆を与えてくれます。

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