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ゲンドゥン・シェラプ大師コミュの大師の修行体験

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ぴかぴか(新しい)2008年講演録より抜粋ぴかぴか(新しい)

<アムド時代>

私は19歳の時(1980年)に、出身地であるレプコン(青海省=アムド地方の西寧から車で2時間ぐらいに位置する町)のゲルク派の名刹ロンヲ寺の僧侶になり、29歳まで経典の勉強に励みました。その当時はまだ、文化大革命の傷痕が色濃く残っており、ようやく宗教の自由がみとめられ、世の中にお坊さんの姿が再び見かけられるようになった時代でした。私はお坊さんの姿を見かけた時、「僧侶になりたい」という気持ちが心の中から湧き出てきて、「僧侶になろう」という強い意志を抱きました。それで僧侶になりましたが、当時は、お寺の環境が全く整っておらず、雨露をしのぐ建物があるだけで、勉強するどころか、最初の3か月間はお寺の整備のために肉体労働に励むしかありませんでした。いろいろな先生が私の弟子になってもよいとは言ってくれたのですが、満足できる先生にはめぐりあえませんでした。そんなある時、お寺の僧院長に呼び止められ、「あなた、そのようなことを続けていてはいけません。ちゃんと先生のところに弟子入りして勉強しなさい。」と言われ、ようやく先生を紹介してもらって勉強ができるようになりました。ところが、先生のところに集まる僧侶たちは皆、自分の経典を持参してきているのに、最初私は、経典すらない状態でした。しかし、先生が後に、クラスで教えている経典を私にくださいました。このことは将来、私が教える立場にまわることを暗示しているかのように思えました。そのように私は、お寺とは全くかけ隔たったところから入門し、僧侶になるための勉強も行ったことがなかったので、最初の3か月間は、お経の読み方も、仏教の考え方もさっぱりわからない状態でした。

それからしばらくして、私は先生に言われてラブラン・タシキル寺出身の有名なゲシェー(仏教博士)のもとに行くことになりました。会いにいくと、ゲシェーが、「私は昨日、よい夢を見たのですよ。それはきっとあなたのことを暗示していたのでしょう。あなたのことを指導してあげましょう。あなたは勉強すれば、とても良い成果が現れるはずです。」とおっしゃってくださいました。そのゲシェーの元で6、7日ほど学んだら、仏教の教理やゲルク派の基礎概念などが理解できるようになりました。ゲシェーはひどく喜び、あなたは将来、人に説法することになるでしょうと言われました。

その後、ロンヲ寺に戻り、ゲルク派で行われる問答を交わしたところ、それがとても上達していました。それを見たお寺の僧院長や先生たちは、とても喜んでくださり(私自身もうれしかったです)、1年半ほどたったら、今度は私が教えを説くほうになっていました。実際、クラスをたくさん持つようになり、私がラサに行く頃(私は29歳になっていました)にはロンヲ寺の学僧300人の内、100人が私の弟子になっていました。寺の仏教クラスは八つから九つあったと思いますが、そのうち五つのクラスを私が受け持っていました。その頃は、弟子の指導、自分の勉強など、毎日が忙しく過ぎ去っていき、食事時間が1日に30分しかないほどでした。そのように、しばらくは弟子の指導に専念していましたが、教えることも飽きたし、このままでは教えることだけで人生が終わってしまうと思い、ラサに行って一介の僧として修行に専念しようと決意しました。

コメント(7)

<ラサ時代>

ラサではセラ寺に滞在し、しばらくは一介の僧として、経典を学びつつ幸せな時を過ごしました。しかし弟子も取らずにおり、お金が一文もなかったので、だんだんと食糧に不自由しはじめました。以前であれば、乞食(こつじき)に行くことができたものの、既にそのような時代ではなくなっていたので、当時、食べるものといったらツァンパしかありませんでした。

そのような折、問答大会が開催されました。チベットでは毎年、チベット暦11月に、ラサ近郊の有名なセラ、デプン、ガンデン、チョカンといったお寺の持ち回りで問答大会が開かれます。その年は、セラ寺での開催だったため問答大会に出場したところ、とても良い成績を修めました。すると、セラ寺から、是非、弟子を育成してほしいと頼まれ、寺から住まいや食糧、世話をするお付きの人まで提供されて、あっという間にそれまでとは打って変わった環境が整えられました。それで依頼されたとおりに、セラ寺で3年間ほど弟子たちを教えました。また、ガンデン寺など他の寺々からも、「ぜひ先生として来てください。」といった依頼がありましたが、セラ寺が私を手放そうとはしませんでした。その当時、セラ寺で仏教の教えを学びたい人がいると、その人たちを皆、私のところに送ってくるので、日々、弟子が増えていくようになりました。そのため、教えることに、ほとんどの時間を費やさなければならない日々が再び続くようになり、しだいに私は、今のこの生活の全てを放棄して、修行に専念したいと思うようになりました。しかし、そうすぐに決心がついたわけではなく、たくさんの心配事もありました。山奥に一人籠って、どうやって食糧を確保できるだろか? 誰も助けてくれる人がいなかったら生きていけるのだろうか? もし、病気になったらどうなるのだろう? などと1年間ぐらい思い悩んだ末に、山に籠って修行をする決心をしました。
<洞窟での修行時代>−1

私が赴いた修行場は、山の高い所にある洞窟でした。そこには、以前修行をしていた人々が使った経典(八千頌般若経など)が残されており、私はそれをとても吉兆として受け取りました。しかし実際、その洞窟での修行は、想像を絶する大変さでした。標高が高い上、あまりの寒さに鼻水も出て、しだいに食糧も底を尽き、このような状態では修行を続けられそうにないので、2か月で帰ろうとさえ思いました。すると2か月後に、私がその山奥で修行をしていることを知って、弟子の一人が心配してツァンパを持ってやってきました。それで食糧を確保できたので、もう少し頑張ってみようと思いました。ところが、弟子が帰った次の日から雪が降り始め、その後1か月間、ずっと雪が降り続けました。そのため毛布をかぶり、数少ないツァンパを食べつつ修行に励みました。その間、いろいろな夢も見て、「私は今年死ぬに違いない、仮に今年死ななくても、必ず死は訪れる。だからひたすら修行しなくては!」と念じていました。その段階で、お経の文言にとらわれるのは止めて、瞑想に専念しました。本心をいうと、もしその時、雪が1か月間降り続けなければ、ひょっとして私は瞑想修行を断念して下山していたかもしれませんでした。でも雪のために下山することができなかったので、洞窟に籠ってひたすら修行するしか道はありませんでした。当初、その洞窟には扉が無かったので、雪が降ると洞窟の中まで雪が舞いこんできて、雪を降りかぶりながら修行を続ける日々を送りました。とにかく、もの凄く寒く、寝る時、左を上にすれば左側が冷え、右を上にすれば右側が冷えて、いつも凍えていました。食糧は1日にツァンパを1〜2握りしか食べられなかったので、時計のバンドが肘より上の腕まで上がるほど、がりがりに痩せてしまいました。結局、5か月間、その洞窟で瞑想修養を積みました。その間、集中的に修行したことで、瞑想がとても熟達し、過酷な環境とは裏腹に、しだいに心は晴れやかになっていきました。そして、どのような土地に行っても、これほどの苦労はあるまいと思うと、私はいくらでも修行ができると思いました(その当時の私の生活ぶりときたらチベットの大成就者ミラレパさながらの苦行の連続でした)。また、瞑想が上達した頃、いろいろな夢を見ました。その中で、自分の将来の夢も見ましたが、その頃見た夢の通りに、その後の人生が展開しているように思えます。また、その洞窟で修行している間、チベット仏教で使われる楽器でギャリンというトランペットのような音や、太鼓を打ち鳴らすような音、千人の人が話しているような声などが、夜な夜な聞こえてきました。今年、瞑想していた洞窟でもそのような音が聞こえてくることが少しはあったのですが、不思議なことに、他の洞窟で瞑想している時には、それまでにも、またその後も、同じような体験をしたことはありませんでした。

私がその洞窟に籠ってから5か月後に、ロンヲ寺から2人の弟子がやってきました。その弟子たちは、私の痩せ細った姿を見て言葉を失い、涙をぽろぽろと流しました。その弟子が洞窟にやって来た理由は、私にロンヲ寺のリンポチェ(寺で一番えらい転生ラマ)の先生になってほしいと頼むためでした。しかし当時の私は、教えることには全く興味を失っており、ひたすら瞑想に専念したいと思っていましたので、その申し出を断りました。しばらくしてからラサに戻ると、寺の人々から、「せっかくあなたの出身寺であるロンヲ寺が、あなたをリンポチェの先生にしようとしたのに、あなたは全くその気がないと答えたので、皆が怒っている。なんでロンヲ寺に戻らないのか。」などと言われてしまいました。それで私は、どうしようかと迷い、チベットで予言が下るというので有名なラモイ・ラツォ湖まで歩いて行って、パルデン・ラモのお告げを受けることにしました。もしこの湖の啓示に洞窟が出てきたなら瞑想三昧に生きよう、寺が出てきたなら寺に戻って教えよう、町が出てきたら坊さんはやめて俗人に戻って商売でもしようと思ったのです。最初、その湖の水面に何も表れてはきませんでしたが、だんだんと水面が揺れはじめ、例えてみれば、映画を観るように、そこに映像が湧き出てきました。その映像の中で、山の片斜面が砂、もう一方の斜面は草原で、そこに洞窟が見えました。そして、その映像がどんどん自分の方に迫ってくるように観えました。そのような予言の映像が現れたので、私は一生涯、瞑想だけして生きるという決心をしました。
<洞窟での修行時代>−2

その湖で見た映像がどこかということに関して、いろいろな人々が、『菩薩の37の修行法』というお経を書いたギャセー・トメー・サンポという方が修行をされたラサの近くの洞窟ではないか?」と言ってくれました。その洞窟に行ってみると、予言で観た通りのものではなかったものの、とても神聖な場所でしばらく滞在したくなりました。そこで米や大麦などを買い求め、そこで一年修行する誓いをたてて修行を始め、2か月間は、全く人にも会いませんでした。その場所には、火を使いたくても薪になるようなものさえなく、草で作った座布団が1枚あっただけでした。最初に持ち込んだ食糧も、2か月経つ内に底を尽き、修行を貫徹すると誓いを立てたのに、このままでは飢え死にしてしまうと少し心配になってきました。そんなある日、明け方の夢の中に(夢と思えないほど鮮明でした)、とても痩せた女の子が脂身を持ってやって来て、「何日かこれでしのいでください。その後は私が何とかしますから。」と言い残していきました。私は、夢でその少女の姿を見て、とても嬉しく思いました。ふと目を覚ますと、当然それは夢で、そこには誰もいませんでした。その日、朝の瞑想を終えて、昼の十一時ごろ薪を探しに行くと、ウサギの死体が落ちているのを見つけました。食べ物を見つけたと思い、喜んでウサギを持ち上げると、内臓が腐りかけ、中身が下にどろどろと落ちてしまうような状態でした。これを食べたら中毒してしまうかもしれないと心配にもなりましたが、その時、昨晩見た夢を思い出し、その女の子はパルデン・ラモの化身で、このウサギは、パルデン・ラモからいただいたものに違いないと思って食べ、飢えをしのぐことができました。それから4・5日経った明け方、洞窟に数名の遊牧民がやってきて、子供が数ヶ月行方不明なので、行方を探してほしいと頼まれました。私は占いなどほとんどしないのですが、これはきっと、夢に出てきたパルデン・ラモのお告げと関係があるに違いないと思い、占って「その子は死んではいない、どこそこに行けばきっとみつかるだろう。」と教えました。すると、その占いが百パーセントとまではいかなくても、けっこう当たったので「あの洞窟には食べ物も着る物も何一つ持っていないが、神通力がすごい行者がいる。」という評判があっという間にその地域に広まり、毎日、次から次へと人々が占いを頼みに洞窟を訪れるようになりました。人々が食糧を持ってきてくれるので、食べ物には何の不自由もなくなり、かえって食糧が余るほどになってしまいました。すると今度は、ネズミが30〜40匹もやってきて、夜な夜な私の体の上を走り回り、食糧を食べ散らかすようになってしまいました。あまりにもネズミが多いので、私はちょっと腹を立ててネコでも来ないかと思っていたら、急にどこからかネコがやって来て、一日二日のうちにネズミを全部食べてしまいました。ネコはきっと、私の手助けをしてくれるつもりだったのでしょう。また、燃料(チベットではヤクや牛などの糞を薪代わりに使う)が無くなったらどうしようかと思っていると、夢の中で、どこそこにヤクの糞があるというお告げがあり、その場所に行ってみると、1年間使っても困らないほどの燃料を見つけることができました。とりわけ水が格別においしく、そこは特別な加持と祝福が与えられている聖なる水がある聖地なのだと思います。そのような訳で、9か月間、この洞窟で修行を続けることができました。
<聖地巡礼時代>

前述したとおり、食糧や燃料には全く不自由しなくなったものの、しだいに人々が洞窟に押し寄せてくるようになり、仏教の修行に専念できなくなってしまったため、私はその洞窟を後にし、聖地巡礼に出かけました。

巡礼では、ツォンカパ大師のお生まれになったゲルク派の有名なお寺であるクンプム寺にも行きました。巡礼に同行した連れと共に、お寺を見下ろす位置からお寺を眺めていたら、白い馬が寺の方から現れ、だんだんと私に近づいて来ました。そして、目の前で私に対して3回いななき、なおかつ、私の横を3回行き来して消え去っていきました。これは、クンプム寺の有名な護法尊が乗られている馬だったのだと思います。これは私の旅の連れも目撃しています。

その後、文殊菩薩の聖地である五台山に列車に乗っていきましたが、その車中でも、私はひたすら瞑想を続けていました。瞑想が深まるにつれ、肉眼の視覚を用いなくても、何が起きているかが観えるようになっていきます。例えば、目をつぶっているにもかかわらず、列車の乗務員がやってきて私のお椀に水を注いでいくのが観え、「もう一杯になった。あっ、こぼれる!」と思って目を開けると、連れのお坊さんが、お茶をどうぞと目の前に差し出していたりします。また、五台山のお寺に1か月ほど瞑想していた頃は、神通力のようなものがしだいに冴えてきて、部屋の中で瞑想しているにもかかわらず、連れのお坊さんが外に水を汲みに行ったことなどが、何となくわかってしまう。なおかつ、夢でもなく現でもない状態で、女の人が二人やってきて、「ああ、先生は今、寝ていらっしゃいますね〜。」などと言っているのが聞こえてくる。その女の人は、実在の人でもなく、全く夢でもない、そのような体験もしました。しかし、チベットでは、このような体験を自分のラマに語ることはあっても、一般的な話の種にして語るべきでことではないことをご承知おきください。

さらに巡礼の足をインドまで延ばし、ダラムサラ、ツォペマ、ブッタガヤ、サールナートなど、聖地と言われているところを隈なく巡り、瞑想を行いました。

私はミクツェマのマントラを、チベットで1千万回唱えました。修行を始めた頃は、やればやるほど修行が進み、マントラの回数に応じた瞑想体験を積むことができましたが、あと2か月ぐらいで1千万回唱え終わるという頃になって、急に瞑想を邪魔するようなことが起きはじめました。例えば、カルマなど本当にあるのだろうか? 死んだ後、本当に輪廻転生などするのだろうか? 仏が説かれたことは真実なのだろうか?などという、仏教の教えを否定するようなありとあらゆる考えが心の中から湧き上がってきて、どうしようもありませんでした。満願成就する直前になると、そういった邪見が出てきてしまうようです。それで、ラマに対してひたすら祈願し、経典を読み返すなどして、間違った見解が多少は和らいではいきましたが、完璧にそれを取り除くことはできませんでした。しかし、パドマサンバヴァの聖地であるインドのツォペマという所に2か月間ほど留まり、さらにさまざまな聖地を巡って修行することで、仏性とはどういうものであるか、自分の心の中にある仏とはどういうものであるかを深く理解することができました。それは喩えてみれば、夜中に大きな町に着いても、町の全体像を見てとることができないですが、その時、稲光が空に光ったら、一瞬のうちに町の全景が見えてくるようなものです。そのように、心の中にずっと存在している仏なるものの確信を得ることができました。そこに至ると、以前現れてきたような邪見が生じることは一切なくなり、その確信がますます強まっていきました。
<再び、アムド時代>

インドからは、1999年にチベットに戻りました。それまでは、教えを説くとしてもチベット人だけだったのですが、チベットに戻ってからは、中国人にも教えを説くようになり、しだいに世界各国の人々にも説法する機会が増えてきました。私自身は、ラマという名を課せられるような存在ではありませんし、ゲシェー(仏教博士)やケンポ(僧院長)といった地位も持たない一介の僧侶にしかすぎません。しかし、アムドに戻ってからは、人々が私のことを信仰してくださるようになり、今年の正月には、1日に400人ぐらいの方が面会を求めて訪れるようになりました。私の話を聞いた人々というのは、教えが食い入るように体に浸透していくような感じを持たれるようです。また、私に叱られると、まるで噛みつかれたような印象を持たれるようで、動物に噛みつかれた時などの痛みとは異なり、そこから教えが食い込んでくるので、噛みつかれたことを逆に喜んでいるようにさえ見受けられます。振り返ると、私は僧侶になってからの13年間は経典の勉強を行い、その後の14年間は、ひたすら修行に励みました。今もなお、1年間の内の8〜9か月間は洞窟などに籠って、一日、11〜12時間、瞑想修行を行っています。
ミーさん
ご無沙汰しています。
うろうろ、道に迷って、ここに久しぶりにたどり着きました。
なんだか
ほっとして、干し草の遠い香りを、なつかしむように、文字をたどりました。
ありがとうございます。
ホッ (^^/

先日(火曜日)、山川亜希子さんのお話を聞きに妻と千歳船橋の「けやき美術館」に行きました。
そのお話のなかで
「北海道の富良野の広大な土地の 上に 1m以上の雪が 積っています。
その雪の上に、3月下旬頃、炭を撒きます。炭のあるところから雪は溶けていき
雪の下に、7cm位に育った麦の若葉が一斉に出ています。あの雪の下には緑の大草原が育まれているのです。すごいですね。素敵ですね。地球の今は、雪の下に芽吹きつつある麦を孕んだ雪の原、という状況なのだと思います。」
「今あることを、すべての植物、すべての石などに輝きを感じられる、そんなときが来ようとしていると感じます。
判断をくだすことなく、しずかに、ただ静かに、見つめれば、すべては輝いています。」
「私の病気も、偉い方?達の病気も、すべてが用意されていた。」
と話は続きました。

とりとめなく書いちゃいました(^^;
すみません。

お体大丈夫ですか?
今日は、とても暖かでした。
明日から平年並みの寒さに戻るようです。
どうぞ、ご自愛下さい。

オン・マニ・ペメ・フン  

フリー

 寒さもあと少し・・・春が待ち遠しいこのごろです。
 めっきり、ここ数年で寒さが苦手になった私(^^;)

 寒さのせいにして、怠慢な心と体ふらふら
 そんなときはいつも、大師のことが思い出されます。
 久々にミクシーに入って、早速やってきましたが・・・深く反省あせあせ(飛び散る汗)
 
 今年も大師にお目にかかれるよう、
 気を引き締めていきたいと思いました。

  ありがとうございますぴかぴか(新しい)
 

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