ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

岩内高校コミュの岩内高校の校歌を覚えていますか?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
            風巻景次郎 作詞
 一

雪光る山脈(やまなみ)遠く
チセヌプリ清(さや)けき影を
見晴るかす ここの丘辺(おかべ)に
若々し学び舎立てり
かの山の雪の如(ごと)くに
君や我 ここに集いて
けがれなく我をたださむ

 二

裾長き丘の傾(なだれ)を
堀株静かに注ぐ
碧なす入り江の辺(ほとり)
いち早く開けし港
その歴史まさに承け継ぎ
君や我 ここに集いて
雄々しくぞ道を拓かむ

 三

この丘の広きに立てば
落日に茜なす雲
空の色 清く杳(はる)けく
永遠の真理を想う
かの空の高きを望み
君や我 ここに集いて
厳かに知叡(ちえい)を求めむ

(校歌の楽譜と歌詞は、ここでダウンロードできます。→
http://www.iwanai.hokkaido-c.ed.jp/gakkougaiyou/gaiyou.html


 高校時代、音楽を選択していて、音楽の先生から、「この校歌は、有名な国文学の学者が作詞した」ということを聞いてはいましたが、さほど気に留めてはいませんでした。

 京都の大学に進学して、国文学を専攻し。中世文学ゼミで、年来、目論んでいた西行を卒業論文として取り上げることにした時、主テキストとした、岩波古典文学大系の「山家集」の編者が風巻景次郎となっているのを見て、思い出しました。

 そうだ。俺の高校の校歌の作詩者は、この人だった。

 ゼミの担当教授だった石原清志先生に、このことを話したら、

「ほう、そうだったの。それはすごいですね。風巻景次郎は、私も学生の頃、あこがれのまとでした。」

 と言ってくれました。

 今、Wikipediaで調べてみたら、風巻景次郎は、終戦直後の1947(S22)から57(S33)まで北海道大学の教授として勤務しており、その期間に

「数校の北海道の公立高等学校の校歌の作詞も手がけた。」ということらしい。

(Wikipediaの記述の中の「校歌の作詞を手がけた学校」のリストの中には、道内13高校の名前がありますが、岩内高校の名前が記載されていなかったので訂正・加筆しておきました。)

Wikipediaでの、風巻景次郎の説明はここ→

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E5%B7%BB%E6%99%AF%E6%AC%A1%E9%83%8E#.E9.AB.98.E6.A0.A1

 この歌詞のすばらしさは、きちんと地名を織り込んで、高校生向けに前向きな向上心を促しており、国文学者らしく、古文と漢語の正しい語彙に則った五七調の律詩になっているところです。

 ただ、後で思ったのですが、惜しむらくは「チセヌプリさやけき影を」という部分。岩内町や校舎から真正面に見えるのは岩内山。チセヌプリは、その陰に隠れて見えませんよね?。おそらく風巻景次郎は、岩内に訪れたかもしれないけれど、おそらくあの山を地図で確かめて、後ろの、少し標高が高いチセヌプリだと思って、歌に詠みこんだのではないでしょうか?
 校歌ができたとき、誰も指摘しなかったのでしょうかね?

 みなさん、この校歌を歌えますか?

 他の高校出身の人と交流するとき、誇り高くこの校歌を歌ってみたらどうでしょう。
(僕は、大学のゼミのコンパなどで、歌って見せたこともありますよ)

コメント(1)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

岩内高校 更新情報

岩内高校のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング