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香港映画脇役悪役列伝コミュの【男優列伝】ピーター・K・ヤン/ヤン・チュン(楊羣)

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本名・楊鵬舉。1934年9月25日、日本統治下のハルピンに生まれる。幼少時は北京と上海で暮らし、第二次大戦の最中に香港へ移住した。終戦後の1949年、僅か15歳で映画界入りを果たし、幅広い役をこなす二枚目俳優として順調にキャリアを重ねていった。1960年には女優・俞鳳至と結婚。彼が60年代半ばに主演した作品には、子役時代のジャッキー・チェン(成龍)も顔を出している。60年代後半からは名匠リー・ハンシャン(李翰祥)が台湾で撮影した作品に出演を重ねた。またその最中、日本の映画会社・東映制作による『大陸流れ者』(66年)に、妻・俞鳳至と出演。鶴田浩二・丹波哲郎ら日本のスター俳優と共演を果たす。そして69年、台湾ゴールデン・ホース賞最優秀主演男優賞を受賞。
1970年には映画会社フォン・ミン・カンパニー(鳳鳴影業公司)を設立。第2作目となる『地獄から来た女ドラゴン』(72年)では、妻・俞鳳至が監督デビュー。台湾の復興劇校出身の新人ジュディ・リー(嘉凌)を主演に抜擢。残酷美あふれる過激なアクションシーンが話題を集めた。続く『ザ・エスケープ』(72年、ビデオのみ)では史実に基づいた骨太なアクション・ドラマを展開。この映画でジュディとダブル主演兼任で監督デビューも果たしたヤンは、再度台湾ゴールデン・ホース賞最優秀主演男優賞を得る。更にジュディの主演3作目となった『不死鳥 カンフーコップ』(73年、ビデオのみ)では明朗なコメディータッチを前面に出し、シリーズ化された。76年には京劇の演目として名高い「玉堂春」をモチーフにポルノ描写を織り込んだ『新・金瓶梅』を監督兼主演でヒットさせ、知遇のあったリー・ハンシャン監督の下で演技を学んでいたスーザン・ショウ(ヤムヤム・ショー=邵音音)をヒロインに抜擢しスター女優として送り出す。
78年にはゴールデン・ハーベスト所属のサモ・ハン(洪金寶)を招き、『燃えよデブゴン』を制作。スーパースター、ブルース・リー(李小龍)を題材にした本格パロディー映画として注目を集め、サモの代表作とした。プロデューサーを兼任したヤンは、コレまでの二枚目路線から一転、薄毛のカツラを付け、狂気を交えたコミカル演技で新境地を見せた。80年代に入ると、香港の大手テレビ局TVBのドラマに出演するようになり、映画では徐々に悪役を交えた脇役へシフトするようになる。85年にはショウ・ブラザースを出て刑事役に活路を見出したダニー・リー(李修賢)の主演作のプロデュースを手掛け、無名時代から共演歴のあったジャッキー・チェンのハリウッド進出作品『プロテクター』(85年)に出演する。1990年代に入りTVBとの契約が満了するとATVのドラマにも進出するが、香港返還による映画市場の衰退に伴い、21世紀に入ってからは映画界と徐々に距離を置くようになり、晩年は夫人とともにアメリカ・ロサンゼルスに定住していた。
2022年10月24日未明、膀胱癌のためロサンゼルスの病院で死去。享年88歳。生前約120本の映画に出演。

<主な出演作品>
大陸流れ者(66)、地獄から来た女ドラゴン、ザ・エスケープ(72)、金瓶梅(74)、新・金瓶梅、ロンゲスト・ブリッジ(76)、燃えよデブゴン(78)、香港ポリスストーリー(84)、プロテクター、七福星(85)、愛と復讐の挽歌、愛と復讐の挽歌・野望編、天使行動(87)、香港歓楽哀歌 美しき生贄たち(88)、銃弾に追われた街(90)、マイ・ヒーロー、カジノ・レイダース2(91)

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