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香港映画脇役悪役列伝コミュの【女優列伝】スーザン・ショウ/ヤム・ヤム・ショウ(邵音音)

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1950年、香港生まれ。幼少時国民党の軍官であった父親に従いて中国・広東省へ渡るが中華人民共和国建国による迫害で、香港を経由し台湾へ居を移す。家庭は貧しく学校では國語(北京語)や台湾語が不得手の為ひどいイジメを受けたという。苦労の末学費免除の看護学校で5年間学び、その後シップナースとして世界23ケ国を巡り、香港へ寄港後船を降りてクラブ歌手に転じ、現在の芸名を名乗る。
1972年に映画デビューを果たし、ショウ・ブラザースのトップ監督チャン・チェ(張徹)が主宰する「長弓電影公司」と契約する。12本の映画に出演した直後の76年にはショウ・ブラザース入りし、リー・ハンシャン(李翰祥)監督の下で本格的に演技を学ぶ。一方で呂奇監督の成人映画にも多数出演してセクシーな演技を披露し、男性ファンから圧倒的な人気を得た。
その後日本でも劇場公開された主演作『新・金瓶梅』(76年)がカンヌ国際映画祭に出品された際プロモーションで現地を訪れAP通信などの取材が転載された言い回しを見た台湾当局が彼女を「中国共産党のスパイ」と決付け、映画界での活動が制限された。舞台やTVドラマへシフトするなか、悪女を演じることが増え、後年につながる性格俳優のベースが形成された。
舞台出演でマレーシアを訪れた際現地の富豪と知合い84年に結婚。一女を儲けた後アメリカ・サンフランシスコへ移住。香港映画界から一旦引退するが、現地では華僑の友人から香港芸能界のゴシップについてよく尋ねられたという。
結果86年の『燃え立つ欲望』(ビデオのみ)から復帰し、以前にもまして映画出演を重ねていく。90年代半ばにはプロデューサー業にも乗出した。他の俳優たちと同様香港返還前後は一時的に出演本数が減ったが、舞台出演や社会奉仕活動にも積極的に参加し、長年収集してきた清朝時代の皇帝の御印を中国本土の博物館に寄贈した。
21世紀に入るとコレまで以上に映画出演が活発化。パン・ホーチョン(彭浩翔)、デレク・クォック(郭子健)、スカッドといった新世代の若手やインディーズ系の監督作品にも積極的に出演。性格俳優としてグレーヘアなど加齢や容貌の衰えを隠すことなく幅広い役どころを演じ、『野。良犬』(2007年、映画祭のみ)や『燃えよ! じじぃドラゴン』(2010年)の演技で香港電影男金像奨の最優秀助演女優賞を授賞。『全力スマッシュ』(2015年)が「第8回したまちコメディ映画祭in台東」の特別招待作品として上映された際には、プロデューサー兼主演のジョシー・ホー(何超儀)と共にゲストとして来日し、マスコミの取材に応えている。
現在に至るまで180本以上もの映画に出演し活躍中。

<主な出演作品>
新・金瓶梅(76)、如来神拳 カンフーウォーズ(82)、姑娘淫悶日記(83)、燃え立つ欲望(86)、ドラゴンアームズ(89)、仁義なき抗争(90)、妖艶奇伝、ラスト・アクション・キョンシー(92)、ユー・シュート、アイ・シュート(2001)、野。良犬、出エジプト記(2007)、燃えよ! じじぃドラゴン(2010)、恋の紫煙2、低俗喜劇(2012)、ボヤージュ(2013)、点対点、ファイアー・レスキュー(2014)、全力スマッシュ(2015)、霊幻道士 こちらキョンシー退治局(2017)

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