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富岡鉄斎コミュの高橋新吉『美術論集すずめ』より

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最近再読した『美術論集すずめ』に鉄齊に関する文章がありましたので少々長いのですが引用します。最後の部分など鉄齊好きにはたまりませんね。著者のダダ詩人である高橋新吉の慧眼はすごいものがあります。

鉄齊外史
 八幡浜市の清水岩次郎氏が、富岡鉄斎の作品を、豊富に所蔵されている事は、私の子供の時から聞いていたが、このあいだ久しぶりに清水氏をお訪ねして、鉄齊の書画を見る機会を持った。
 菊池義房、菊池紋平の両氏と一緒だったが、清水氏は忙しい時間を割いて、突然の要求にもかかわらず、色々珍しい話もしてもらった。
「朝考夕試」の額が懸かっていた。「鉄齊外史」と署名してある。他に杏雨、青石などの額もかかっていた。青石は、私の八商の同級生の、野田稽造君の父である。杖をついて、よく散歩していた青石を私は知っているが、養神窟と号したその画室を覗いたことも屡々ある。竹田系の南画家で、その作品は、南予一帯に多いが、蓋しその真価は、未だ埋没されていて、広く知られていないが、将来必ず問題になる画家だと私は思っている。
 私は、稽造君から、鉄齊が晩年に、矢鱈に何にでも絵を描きたがって、下駄の表にまで絵を描いたことなど、聞いたことがあるが、この話は、清水氏からの又聞きのようである。
「自尚其志」「大正十一年大寒八十有六」と書いた、鉄齊の晩年の作を見せてもらった。
 鉄齊の夫人は、喜多郡の内子あたりの人であったようで、鉄齊は八幡浜地方へ、一、二度来遊したことがあるのである。
 清水氏の先代が、鉄齊の不遇次代からの知り合いで、鉄齊は毎年書画を贈って来たそうで、その数は、どれくらいあるか公表されていないが、私も聞き漏らして知らないのである。
「明治三十二年の十月十二日、山城の太秦で、清水尚古と相与に洛西太秦の牛祭り観て、翌日其意を写し、以て云々」と但書のある大和絵風の洒脱な一幅があった。尚古は清水氏の先代である。
「此世の人は客に来るとおもえば世話もなし」と、鉄齊自身と、清水尚古氏が対談している図もあった。
「止可談風月」を談ず可らず、と読むらしい。
「未出土時先有節、到凌雲処陳無心」の書もあった。
 清水氏は、両親が亡くなられた時に、その年号を、鉄齊に書いてもらった以外に、一幅も頼んだことはないと、言われた。鉄齊の方から、黙って送ってきたものや、先代が、鉄齊を京都にたずねた時、持って行けと言われて、もらったものばかりだとの事であった。
 東京で、鉄齊の展覧会があるので、それを見るために、急いで上京したようなことも、私はあったが、戦後も、鉄齊の個展が数回開かれて、私は見たのであるが、鉄齊の偽物も数多く見ているのである。
 清水氏のところにある鉄齊は、貴重な傑れたものであろうと思うが、急な申し込みだったので、一部分を見せてもらっただけで、全貌をうかがうことは出来なかったが。篤実な清水氏のことだから、その保存にぬかりはないだろうけど、将来は、私立の美術館でも建てて、保管したらどうかと思うのである。そうすると、多くの人の目にも触れることになり、人心によき影響を与えることにもなるだろうと思う。
 この頃八幡浜地方には、茶の湯が盛んで、これを習う人よりも、教える人の方が多いということを耳にしたが、鉄齊の書画などを鑑賞する力もなくして、徒に利休居士の真似をしてみたところで、それは猿真似というものだと思うのである。

美術論集すずめ 高橋新吉著 竹葉屋書店 昭和三十六年四月 より

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