ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

加藤周一コミュのfacebookからの転載

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
井上 吉郎さん。
11時間前
20日後の9月16日に、≪加藤周一没後10周年記念のつどい≫が開かれる。小森陽一さん (東京大学大学院教授、「九条の会」事務局長)が、「加藤周一と九条」の演題で話をする(9月16日〈日〉 午後 4時〜 6時、立命館大学国際平和ミュージアム 、参加料は1200円〈当日払い〉)。膨大な財産を残した加藤の著作の一つが「夕陽妄語」。
「夕陽妄語」(せきようもうご)は、加藤周一の同名短文のタイトル、『朝日新聞』夕刊に1984年7月から死の直前である2008年7月まで、毎月1回連載された。全285編、四半世紀にわたる1回3000字ほどの文章は、僕らの貴重な財産。2016年にその全文を初めて読めるようになった。
『夕陽妄語1、2、3』(加藤周一、ちくま文庫)は、著者60代以降、内容はもちろん、文章の質も楽しめる。一言で言えば、読書することが愉しめる。<個人の経験のなかには、その人にしかわからぬもの、他人には伝え難いものがあるだろう。同様に一世代の経験には、他の世代に伝え難い要素があり、一国民の経験には、その国民にしかわからぬ一面がある。そんなことは、はじめから明らかで、今さら強調するまでもない。その上で、しかも、個人間に、あるいは集団相互に、敢えて話を通じさせる工夫こそが、文化ではなかろうか。男のためにも、老人のためにも、日本人のためにも、私は書かない。私は、私の話題に関心をもち、日本語を解する老若男女の誰にでも向けて書くのである>(「『若者向け』の文化について」85・2)
加藤周一は「夕陽妄語」で、芝居(『巨匠』という芝居)、絵などの美術品(シャガール回顧)、本(『中野好夫集』再読)、展覧会(「ユダヤ人の生活と文化」展)、映画(『エイジアン・ブルー』の事)、追悼文(戦後史の中の丸山眞男)、過去の出来事(アウシュヴィッツ解放50年)、世の中の出来事(イラク征伐と日本)、政治(また9条)など森羅万象をテーマにし論じた。<その内容は、しばしば時事にわたり、またしばしば時事にわたらない。いずれにしても折にふれて出合った事物への私の反応である>。
『夕陽妄語2 1992−2000』で加藤は言う。<本質的なちがいがあるとすれば、それは青年の後に老年が来るのに対し、老年の後には死が来るというだけであろう。しかし語ることができるのは、生であって、死ではない。語ることは人生に属し、死は人生の否定にすぎないからである。否定は思考の前提(論理的用語)の一つであり、思考の対象ではない。故にあの聡明な古代中国人もいった。「我生を知らず、いわんや死をや」と。花を見ているときにはその散ることを思わない。舞を見ているときにはその終わりを考えないのである>(「老年について」97・11)
新聞連載時に読み、出版されたときに目をとおし、今回の「ちくま文庫版」で全編に浸った。三読、僕にとってこの文章は「伴走者」でもあった。小川和也は『夕陽妄語3 2001−2008』の解説で、≪「夕陽妄語」は加藤さんの人生後半二十四年間の精神の運動の軌跡である。それは日本の知的遺産である≫と書いている。
<国民(主権の保持者)が上にあり、雇われた専門家集団がその下にある。これが民主主主義のどの地域でも実現されない、またそれ故にこそ極めて重要な理想である。役人が威張る国は、まさに民主主義をさかさに吊るした原型ではないか。多くの国では現状の大部分をさかさにすれば民主主義に近づく。また別の多数の国では現状をそのままにして守った方が良い。さかさにすれば、かえって悪くなる>(「さかさじいさん」08・7)。これは、「夕陽妄語」最後の文章であり、『夕陽妄語3』の最後を飾るものだ。単行本に初めて収録された。座右の書3冊、人生の最大収穫の一つ。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

加藤周一 更新情報

加藤周一のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。