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漢文 一日一話コミュの【荀子2】 性善説は前提が間違っている

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「ひとが学問をするのは、天性が善だからである」と孟子は言った。
思うに、この説は間違っている。
これは天性が何であるかを認識しておらず、天性と人為との違いをわきまえない見解である。

天性とは、生まれつきできあがっているものであって、学んで得られるものでもなければ、作ろうと励んで作れるものでもない。
これに対して、礼・義とは、聖人が作り出したものであって、学べば身につけることができるし、励めば作り出すこともできる。
学んでも身につかず、作ろうにも作れないものなのに、人間が生まれつき身につけているもの、それが天性である。
生まれたときにはないのに、学べば身につくし、励めばつくれるもの、それが人為である。
これが天性と人為との違いである。

たとえば見たり聞いたりする力、これが天性である。
見る力は目と不可分だし、聞く力は耳と不可分である。
見たり聞いたりする力が学んで得られるものでないことは明らかだ。

孟子は「人は天性が善である。悪に走るのは天性を失うからに過ぎない」と言った。
思うに、この説は間違っている。
なぜなら、もし人間が生まれながらに備えている性質や天分が、あとから失われるのだとすると、それでは人間が天性を失うことになるからだ。

この点からしても、人間の天性が悪であることは明らかだ。

いわゆる性善説とは、人間が生まれながらに備えている性質や天分を、美しいもの、善良なものとみなす見方である。
そうすると、生まれつきの性質や天分は、美しさや善良さと切り離せない関係にあることになる。
ちょうど、見る力が目と不可分だから、目には視力がある、聞く力と耳と不可分だから、耳には聴力がある、という関係と同じだというのである。

ところが人間の天性はそうではない。
たしかに、腹がへれば飯が食いたい、寒ければ火にあたりたい、疲れれば休みたい、これが人間の性情である。
にもかかわらず、人間は腹が減っても食物に手を出さないことがある。
それは自分より先に食べさせてやりたい人がいるからである。
疲れていても休まないことがある。
それは自分より先に休ませてやりたい人がいるからである。

食物を前にして、子が親に譲り、弟が兄に譲る行為、休息をとるとき、子が親を先に休ませ、弟が兄を裂きに休ませる行為はどちらも性情に反する行為である。
けれども、そうすることが孝子の踏むべき道であり、礼・義の規範なのである。
もし性情に従えば、譲る行為はありえない。
なぜなら譲るのは性情に背くからだ。

この点からしても、人間の天性が悪であることは明らかだ。
善なる性質は人為の所産に過ぎない。

コメント(4)

こういう先人たちの言葉を深く考える論理思考ゲームは楽しいですね。ウインク

でも
人間の天性≠善
ということは説明されていますが、だから
人間の天性=悪
ということが明らかとはならないのでは?

善と悪の二項対立が前提となっているならば成立するかもしれませんが、
それだと荀子の言葉からスタートして
人間の天性≠悪
故に
人間の天性=善
と全く裏返しの主張も可能になってしまうように思えます。

色々考えていくと様々な要素が出てきて難しいですよね。もうやだ〜(悲しい顔)

経営学の大家である先生が
「『人間の本質』は『性善なれども弱し』すなわち『性弱』だと思うのが良い」
と言っていました。

これも一つの考え方かな?と思います。
>さとぴょんさん
性善なれども弱し、という考え方、面白いですね。
経営学の大家というと野中郁次郎先生しか日本では思い浮かびませんが??
もしそうならすごい先生に学んでますね〜。

私のたった二十数年の人生においては、人間の本質というのは、一定ではないんだと思っています。

生まれたときに善も悪もなくて、無、いわば真っ白なキャンパスみたいなもんじゃないでしょうか。

それが育っていく環境の中で、いろいろな絵が描かれ、その人の性格やら考え方やらが決まっていく。

ちょっと老子に近い考えですが、だからこそ、環境が変われば人は変わる、と思っています。

付き合う人だったり、住むところだったり、読む本だったり。

科学が進んで、遺伝子が性格を決めるという研究がある中、そんなことを言うのは時代遅れと言われても返す言葉はないですが、若輩者の私としてはそんな風に考えています。
クマさん:

野中先生よりも先輩の伊丹先生です。。一橋を今年退官される先生ですね。

確かに人間の本質は一定ではない気がしますね。自分自身も悪の誘惑に負けそうになったり、自分の中で「これは正義だ」と言い聞かせて「悪」になりかねないことをしたり。。

環境によって人は大きく変わりますよね。特に仕事やプライベートでで一杯一杯になると偽悪的になったりもしますし。

遺伝子が性格を決めるにしても関与率はそれ程高くないと思いますね。一卵性双生児でも性格は異なりますし。。

ある意味、古典を深く理解することは学問的なDNAを自身に取り込むことではないかと思うところもあります。。

民族の、世界の遺産に触れるのはやはり意義のあることですよね。

個人的にはギリシア哲学よりも諸子百家の方が性に合うのは日本人だからでしょうね。。あせあせ
さとぴょんさん

野中先生ではなく、伊丹先生でしたか!
すごいですね!うらやましい限りです。

私も実はギリシア哲学等は全く触れたことないです・・・^^;

東洋的な考え方との比較をしてみたいなあと思っているので、暇があればギリシア哲学の本でも読みたいのですが、なかなかその暇が・・・いい訳ですね

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