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☆地球屋☆コミュの小説批評お願いします

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1997年3月、わたしたちの門出の時を迎えた。
彼は、てっきり地元の中学に進学するのだと思っていた。
業式の数日前までは…
別れは突然やって来た。
まさに夕立のようだった。
わたしの心はいきなりの雨でぐしゃぐしゃだった。
卒業間近のある日、『母からの手紙』を先生から渡された。
その当時、活字が苦手だったわたしは困っていた。
その時、彼が「もしよかったら代読したろか?」
と言ってくれたので、喜んでお願いした。
『第一に「人を大切に」、第二に「自分を大切に」、第三に「何事もやりぬいてほしい」』
とわたしの活字嫌いなのを気遣い、3つに要約されていた。
この手紙は、この時のわたしの心には響かなかった。
それよりも彼が読んでくれた事がわたしはうれしかった。
そして、卒業式を迎えた。
空は憎らしいほど晴れ渡っていたが、私の瞳からは、小雨が降っていた。
その日はわたしにとってじめじめした一日になった。
卒業式を終え、クラスのみんなに卒業文集に一言書いてもらった。
わたしと彼もお互いの卒業文集を交換して、一言ずつ書いた。
彼は、「六年間同じだったけど、楽しかった。」と…
この言葉がズシンと響くのは、もう少し後の事であった。
わたしも記憶は定かではないが似たような事を書いたような気がします。
この時、わたしがアクションを起こせば良かった。
と後悔した。
これでわたしたちの接点が無くなるはずだったのですが、いきなり私の誕生日に彼から手紙が届いた。
お祝いの言葉と「文通しませんか?」という予想しないうれしい内容だった。
わたしは、「よろしくお願いします。」と言った内容の返事を書きました。
こうして、わたしたちの文通は始まったのでした。
楽しい日々は長いこと続きませんでした。
その日はやってきたのでした。
彼からの最後の文通は、2000年の年賀状でした。
新年の挨拶と「今までよく続いたなぁ」という内容でした。
2000年3月、わたし達は別々の中学を卒業しました。
卒業の際、わたしは彼に会いに行きたかったのですが、無計画なわたしの願いが叶うはずもなく、わたしは地元の高校に入学しました。
これがわたしの1回目の高校生活でした。
しばらくは順調に進みましたが、ある日事件がおきました。
朝起きて、薄着でゴロゴロしていると風邪をひいてしまいました。
これがわたしにとっての人生初めての欠席でした。
次の日、学校に行くと授業が大分進んでいました。
わたしは取り残されていました。
彼との手紙が途絶え、勉強に行き詰まったわたしはあろう事か死にたいと思いました。
小学校の頃の『母からの手紙』をここで読んでいたらなぁと思いますが、後の祭りです。
そして、すべてのことが嫌になり、学校にも行かなくなりました。
その頃、シドニーオリンピックが行なわれており、テレビにかじりついて見ていました。
わたしの家はたこ焼き屋をやっていました。
だから、たまに手伝いをしていました。
店で、中学生だった少年に出会いました。
その少年は店にちょくちょく来ていたので、世間話などをしていました。
ある日、私は少年に彼の事とあまり学校に行ってない事を話しました。
すると少年は、「学校には行かなあかんで」と言いました。
でも、学校には行けず、いつしか少年に会うのが楽しみになっていました。
普段から少年に「カラオケに行こう」と誘われていたので、カラオケに行ったり、公園で夜遅くまで話し込んだりするようになりました。
「わたしと付き合ってください」と5・6度つまりながら言いました。
緊張は長く続くのかと思いましたが、あっけなくすぐに「いいよ」と少年は答えました。
次の日、わたしは連れと少年と少年の連れと一緒にカラオケに行きました。
その帰り道、少年が「やっぱ無理」とあっさり言われ、わたしと少年の付き合いは始まらずして終わりました。
それでも、わたしは、少年に再度アタック続けました。 
しばらくして、少年は受験勉強で忙しくなるからというので、会わなくなりました。
これで、自然と距離が離れるはずだったのですが、少年はわたしの連れと付き合い出し、わたしと連れは寝ても覚めても一緒に居る間柄だったので、よく少年の顔を見ました。
あヽそうゝ、彼とは「どうなったか」って、少年に告白する前に想い人が他に居るのに、告白するのは失礼だと思ったので、電話しました。
電話口で彼の声を聞いた瞬間に「好きだ」と言ってしまいたい気持ちを抑えて、彼に一方的に淡々と話をしました。
「手紙が届かないからかけちゃった。」とわたしが言うと、彼は「ごめん」と短く答え、わたしはいきなり本題を告げた。
「あの好きでした」と詰まる事無く言った。
わたしの中で、すべてが音をたてて崩れだした。
彼は「ありがとう」と短く答えた。
そこでテレカの度数が切れた。
わたしは家に帰ってウァンウァン泣いた。
座布団にふして、落ち着くのを待った。
わたしは自暴自棄になった。
学校は夏休みになっていた。
わたしにはどうでもいい事だった。
ある日、彼から手紙が届いた。
いつもは、暑中見舞いのハガキだが今年は違っていた。
便箋もいつもと違い、茶封筒だ。
開けるのがこわかった。
わたしは深呼吸をして、便箋に手をかけた。
1枚の紙に「今後、手紙も受け取らんので送るな。」
と書かれていた。
わたしは呆然とした。
2・3日寝込みました。
ある日、夜店がありました。
わたしは、ビールを一気飲みしました。
すごい虚しさにおそわれました。
すぐに、家に帰り寝ました。
夏休み明け、私は何も無かったかのように登校しました。
クラスのみんなの視線がいたかった。
夏休みの宿題をしていなかったことに気がついた。
また、わたしはおこもりをはじめた。
小学校の頃の事を思い出していた。
(小学1年、彼と出会った。
この時は、幼稚園の時に毎日のように遊んでいた子がいた。
その子と同じクラスになれなかったことが悲しかった。
彼は車椅子に載っていたので、車椅子の子だとしか思っていなかった。
小学2年、彼はこの頃から、よく学校に来ていた。
この頃、書いた将来の夢、わたしはたこ焼き屋で叶ったのには少しビックリした。
彼は、ラーメン屋だった。
ある意味接点を感じる。
小学3年、彼はもう車椅子に乗っていなかった。
活発でクラスの人気者だった。
わたしはそんな彼に今思えば恋をしていたのだろう。
この頃、わたしはちゃらんぽらんで、先生の言うことも聞かず、自由気ままなお転婆な子だった。
彼はしっかり者で少し天然な所のある子だった。
小学4年、彼と同じ班になった。
彼は班長で、みんなに称号をつけた。
彼は「のんきな班長」、わたしは「夢見る少女」だった。
わたしは、今でもこの称号が好きだ。
彼はこの頃同じ班の子と付き合っていた。
わたしは、彼と、その子の橋渡しをしていた。
今思えば、考えられないことだ。
彼とその子は生徒会役員だった。
小学5年、彼は賢く頼りになる存在だった。
わたしは先生に反抗しては、毎日親を呼び出されていた。
わたしも彼も皆勤賞だった。
彼の彼女が変わっていた。
小学6年、彼はモテモテだった。
わたしはクラスのほとんどの子に嫌われていた。
でも、わたしと彼は仲がよかった。
わたしはいつでも、学校に行けば、彼に会えると思うようになっていた。)
物思いから冷めた。

わたしはひとまずバイトを始めた。
この頃、学校を辞めた。
あれこれバイトを転々としていた。
ある日、少年の卒業式の話を耳にした。
わたしは、少年が家に帰ってくるのを、家の近くで待っていた。
待つこと4・5時間で帰ってきた。
親が一緒にいるのでスルーした。
小1時間して、少年が出てきた。
わたしは「卒業おめでとう」と月並みのことを言った。
あまり話す事が無かった。
気がつけば、18になっていた。
彼を最後に見てから、6年も月日は経っていた。
わたしはあの頃と何も変わらないでいた。
誕生日がうれしい歳も過ぎていた。
ひとまず、車の免許でも取ろうと教習所に通った。
すぐに免許は取れた。
でも、乗る車が無かった。
またバイトに打ち込んだ。
家にいる時間よりバイトにいる時間が増えていった。
わたしも高校を続けていれば、受験で忙しい頃だ。
世間は夏休みだったがフリーターには関係ない話だ。
わたしは急に彼に会いたくなった。
2連休が会ったので、2連休の前の日に彼の家に着くように葉書を出した。
わたしは、彼の気持ちも考えずに行動を起こした。
彼は、東京の外れで、わたしは大阪の外れに住んでいた。
青春18切符を手に鈍行列車で10時間かけていった。
わたしは大阪を出たことが無かったので、ハラハラドキドキしていた。
旅の長さに疲れていった。
東京駅に着いた時は、不思議な感覚におそわれた。
わたしにとって、東京はテレビの中心の世界だった。
その地に今、わたしは立っていた。
不安は山ほどあった。
とにかく彼の顔を見たい一心で彼の家を探した。
案外、あっさり見つかった。
彼の家に行くと、なんと手厚くもてなされた。
わたしは門前払いされるものだと思った。
彼は熟に言っていていなかった。
彼の両親と少し話を交わしていた。
この事により、わたしと彼の距離はますますひろがった。
私は突然、2度目の高校受験をする事を決めた。
 わたしは2003年の4月、高校1年生になった。
結局、学校に通うだけの目標の無い日々。
わたしは何がしたいのか、わからなくなる。
フリーターの頃、憧れていた高校生活。
満たされない日々。
わたしは茶髪でういていた。
一学期はアッという間に過ぎた。
夏休みをだらだら過ごしていた。
このままでは、夏休みの宿題を終わらす事は出来ないと思ったので、褒美を考えた。
「夏休みの宿題が全部やり終えたら、彼に手紙を出していい」
いきなり、気力がわき、アッという間に宿題をやり終えた。
彼に暑中見舞いを出した。
中学時代は一度も出さなかったのに、今頃になって書けるなんて皮肉なものだ。
だが、夏休みは長い。
後一カ月程残っている。
昼ドラにはまった。
夏休みが終えようとした時、友達が来た。
「柔道部に入らないか?」と誘われた。
わたしは柔道にはまった。
高校生活はとんとんと過ぎた。
わたしは20になっていた。
成人式を迎えた。
中学校のメンバーで成人式の夜に同窓会をした。
100人程集まった。
その席で、わたしは「消防団に入らないか?」と誘われた。
OKした。
みんなはわたしより少し前を歩いている気がした。
高校2年が終わろうとしていた。
わたしは将来のことを何も考えず、彼のことばかり考えていた。
私は「柔道部のみんなが強すぎるんだ」と自分に言い訳をして、部活に顔を出さなくなった。
図書室に、放課後通いだした。
この頃、多くの小説と出合った。
私は、いつの間にか高校3年になっていた。
進路はどうするのだ。
就職しよう。
地元で一番アホな学校に通っていたのと、ゆとり教育の導入により、クラスでは頭のいい方だった。
「なんとかなるのでは」と思っていたがあまかった。
もとゝ、勉強する習慣がついていないのでなかなか思うように進まず、断念した。
その頃、世界柔道がやっていたので、私はもう一度、柔道部に顔を出すことにした。
でも、引退の日はすぐに訪れ、勉強する以外逃げ道が無くなった。
この頃、弟の行動があまりにも幼稚なので
「学校の先生は何をやってとんじゃ」とぼやいていた。
母が「じゃあ、あんたが小学校の先生になって、教える側になりなさい」と言われた。
その一言で、私は大学進学して教育を学ぶと決めた。
自分の学力のなさを痛感した。
小学校の教員免許の取れる学校は絶望的だった。
仕方なく、別の大学に入学した。
                                    (つづく)

コメント(10)

文章的にいえば
〜だった。〜でした。〜ました。
これは統一した方がいいと思います。

内容はその日にあったことを書く日記といった感じです。
もう少し会話の内容など細かくゆっくり書かないと伝わらないのではないかと思います。

詳しいわけでもないのに偉そうなこといってすいません。
文章のリズムがよくない…言い切りとですます調を統一すればどうにかなるかもしれないけれど。
あと、読む人を突き放してるような印象を受けます。
生意気なこと言ってすみませんm(__)m
バリうれしいです。

意見を書いていただけるなんて!!!!!!!!!!!!!!

感謝感謝です。
少しでけ手を加えました。
内容に変化はありません。

1997年3月、わたしたちの門出の時を迎えた。
彼は、てっきり地元の中学に進学するのだと思っていた。
卒業式の数日前までは…
別れは突然やって来た。
まさに夕立のようだった。
わたしの心はいきなりの雨でぐしゃぐしゃだった。
卒業間近のある日、『母からの手紙』を先生から渡された。
その当時、活字が苦手だったわたしは困っていた。
その時、彼が「もしよかったら代読したろか?」
と言ってくれたので、喜んでお願いした。
『第一に「人を大切に」、第二に「自分を大切に」、第三に「何事もやりぬいてほしい」』
とわたしの活字嫌いなのを気遣い、3つに要約されていた。
この手紙は、この時のわたしの心には響かなかった。
それよりも彼が読んでくれた事がわたしはうれしかった。
そして、卒業式を迎えた。
空は憎らしいほど晴れ渡っていたが、私の瞳からは、小雨が降っていた。
その日はわたしにとってじめじめした一日になった。
卒業式を終え、クラスのみんなに卒業文集に一言書いてもらった。
わたしと彼もお互いの卒業文集を交換して、一言ずつ書いた。
彼は、「六年間同じだったけど、楽しかった。」と…
この言葉がズシンと響くのは、もう少し後の事であった。
わたしも記憶は定かではないが似たような事を書いたような…
この時、わたしがアクションを起こせば良かったと後で後悔した。
これでわたしたちの接点が無くなるはずだった。
しかし、いきなりわたしの誕生日に彼から手紙が届いた。
お祝いの言葉と「文通しませんか?」という予想しないうれしい内容だった。
わたしは、「よろしくお願いします。」と言った内容の返事を書きました。
こうして、わたしたちの文通は始まったのでした。
楽しい日々は長いこと続きませんでした。
その日はやってきたのでした。
彼からの最後の文通は、2000年の年賀状でした。
新年の挨拶と「今までよく続いたなぁ」という内容でした。
2000年3月、わたし達は別々の中学を卒業しました。
卒業の際、わたしは彼に会いに行きたかった。
しかし、無計画なわたしの願いが叶わなかった。
わたしは地元の高校に入学しました。
これがわたしの1回目の高校生活でした。
しばらくは順調に進みました。
しかし、ある日事件がおきました。
朝起きて、薄着でゴロゴロしていると風邪をひいてしまいました。
これがわたしにとっての人生初めての欠席でした。
次の日、学校に行くと授業が大分進んでいました。
わたしは取り残されていました。
彼との手紙が途絶え、勉強に行き詰まったわたしはあろう事か死にたいと思いました。
小学校の頃の『母からの手紙』をここで読んでいたらなぁと思いますが、後の祭りでした。
そして、すべてのことが嫌になり、学校にも行かなくなりました。
その頃、シドニーオリンピックが行なわれており、テレビにかじりついて見ていました。
わたしの家はたこ焼き屋をやっていました。
だから、たまに手伝いをしていました。
店で、中学生だった少年に出会いました。
その少年は店にちょくちょく来ていたので、世間話などをしていました。
ある日、わたしは少年に彼の事とあまり学校に行ってない事を話しました。
すると少年は、「学校には行かなあかんで」と言いました。
でも、学校には行けず、いつしか少年に会うのが楽しみになっていました。
普段から少年に「カラオケに行こう」と誘われていたので、カラオケに行ったり、公園で夜遅くまで話し込んだりするようになりました。
ある日、わたしは「わたしと付き合ってください」と5・6度つまりながら言いました。
緊張は長く続くのかと思いました。
しかし、あっけなくすぐに「いいよ」と少年は答えました。
次の日、わたしは連れと少年と少年の連れと一緒にカラオケに行きました。
その帰り道、少年が「やっぱ無理」とあっさり言われ、わたしと少年の付き合いは始まらずして終わりました。
それでも、わたしは、少年に再度アタック続けました。 
しばらくして、少年は受験勉強で忙しくなるからというので、会わなくなりました。
これで、自然と距離が離れるはずだった。
しかし、少年はわたしの連れと付き合い出した。
わたしと連れは寝ても覚めても一緒に居る間柄だった。
なので、よく少年の顔を見ました。
あヽそうゝ、彼とは「どうなったか」って、少年に告白する前に想い人が他に居るのに、告白するのは失礼だと思ったので、電話しました。
電話口で彼の声を聞いた瞬間に「好きだ」と言ってしまいたい気持ちを抑えて、彼に一方的に淡々と話をしました。
「手紙が届かないからかけちゃった。」とわたしが言った。
彼は「ごめん」と短く答えた。
わたしはいきなり本題を告げた。
「あの好きでした」と詰まる事無く言った。
わたしの中で、すべてが音をたてて崩れだした。
彼は「ありがとう」と短く答えた。
そこでテレカの度数が切れた。
わたしは家に帰ってウァンウァン泣いた。
座布団にふして、落ち着くのを待った。
わたしは自暴自棄になった。
学校は夏休みになっていた。
わたしにはどうでもいい事だった。
ある日、彼から手紙が届いた。
いつもは、暑中見舞いのハガキだが今年は違っていた。
便箋もいつもと違い、茶封筒だ。
開けるのがこわかった。
わたしは深呼吸をして、便箋に手をかけた。
1枚の紙に「今後、手紙も受け取らんので送るな。」
と書かれていた。
わたしは呆然とした。
2・3日寝込みました。
ある日、夜店がありました。
わたしは、ビールを一気飲みしました。
すごい虚しさにおそわれました。
すぐに、家に帰り寝ました。
夏休み明け、私は何も無かったかのように登校しました。
クラスのみんなの視線がいたかった。
夏休みの宿題をしていなかったことに気がついた。
また、わたしはおこもりをはじめた。
小学校の頃の事を思い出していた。
(小学1年、彼と出会った。
この時は、幼稚園の時に毎日のように遊んでいた子がいた。
その子と同じクラスになれなかったことが悲しかった。
彼は車椅子に載っていたので、車椅子の子だとしか思っていなかった。
彼は休みがちだった。
小学2年、彼はこの頃からよく学校に来ていた。
この頃、書いた将来の夢、わたしはたこ焼き屋で叶ったのには少しビックリした。
彼は、ラーメン屋だった。
ある意味接点を感じた。
小学3年、彼はもう車椅子に乗っていなかった。
活発でクラスの人気者だった。
わたしはそんな彼に今思えば恋をしていた。
この頃、わたしはちゃらんぽらんで、先生の言うことも聞かず、自由気ままなお転婆な子だった。
彼はしっかり者で少し天然な所のある子だった。
小学4年、彼と同じ班になった。
彼は班長で、みんなに称号をつけた。
彼は「のんきな班長」、わたしは「夢見る少女」だった。
わたしは、今でもこの称号が好きだ。
彼はこの頃同じ班の子と付き合っていた。
わたしは、彼と、その子の橋渡しをしていた。
今思えば、考えられないことだ。
彼とその子は生徒会役員だった。
小学5年、彼は賢く頼りになる存在だった。
わたしは先生に反抗しては、毎日親を呼び出されていた。
わたしも彼も皆勤賞だった。
彼の彼女が変わっていた。
小学6年、彼はモテモテだった。
わたしはクラスのほとんどの子に嫌われていた。
でも、わたしと彼は仲がよかった。
わたしはいつでも、学校に行けば、彼に会えると思うようになっていた。)
物思いから冷めた。

わたしはひとまずバイトを始めた。
この頃、学校を辞めた。
あれこれバイトを転々としていた。
ある日、少年の卒業式の話を耳にした。
わたしは、少年が家に帰ってくるのを、家の近くで待っていた。
待つこと4・5時間で帰ってきた。
親が一緒にいるのでスルーした。
小1時間して、少年が出てきた。
わたしは「卒業おめでとう」と月並みのことを言った。
あまり話す事が無かった。
気がつけば、18になっていた。
彼を最後に見てから、6年も月日は経っていた。
わたしはあの頃と何も変わらないでいた。
誕生日がうれしい歳も過ぎていた。
ひとまず、車の免許でも取ろうと教習所に通った。
すぐに免許は取れた。
でも、乗る車が無かった。
またバイトに打ち込んだ。
家にいる時間よりバイトにいる時間が増えていった。
わたしも高校を続けていれば、受験で忙しい頃だ。
世間は夏休みだったがフリーターには関係ない話だ。
わたしは急に彼に会いたくなった。
2連休が会ったので、2連休の前の日に彼の家に着くように葉書を出した。
わたしは、彼の気持ちも考えずに行動を起こした。
彼は、東京の外れで、わたしは大阪の外れに住んでいた。
青春18切符を手に鈍行列車で10時間かけていった。
わたしは大阪を出たことが無かったので、ハラハラドキドキしていた。
旅の長さに疲れていった。
東京駅に着いた時は、不思議な感覚におそわれた。
わたしにとって、東京はテレビの中心の世界だった。
その地に今、わたしは立っていた。
不安は山ほどあった。
とにかく彼の顔を見たい一心で彼の家を探した。
案外、あっさり見つかった。
彼の家に行くと、なんと手厚くもてなされた。
わたしは門前払いされるものだと思った。
彼は熟に言っていていなかった。
彼の両親と少し話を交わしていた。
この事により、わたしと彼の距離はますますひろがった。
私は突然、2度目の高校受験をする事を決めた。
 わたしは2003年の4月、高校1年生になった。
結局、学校に通うだけの目標の無い日々だった。
わたしは何がしたいのか、わからなくなった。
フリーターの頃、憧れていた高校生活は満たされない日々の連続だ。
わたしは茶髪でういていた。
一学期はアッという間に過ぎた。
夏休みをだらだら過ごしていた。
このままでは、夏休みの宿題を終わらす事は出来ないと思ったので、褒美を考えた。
「夏休みの宿題が全部やり終えたら、彼に手紙を出していい」
いきなり、気力がわき、アッという間に宿題をやり終えた。
彼に暑中見舞いを出した。
中学時代は一度も出さなかったのに、今頃になって書けるなんて皮肉なものだ。
だが、夏休みは長かった。
後一カ月程残っていた。
昼ドラにはまった。
夏休みが終えようとした時、友達が来た。
「柔道部に入らないか?」と誘われた。
わたしは柔道にはまった。
高校生活はとんとんと過ぎた。
わたしは20になっていた。
成人式を迎えた。
中学校のメンバーで成人式の夜に同窓会をした。
100人程集まった。
その席で、わたしは「消防団に入らないか?」と誘われた。
OKした。
みんなはわたしより少し前を歩いている気がした。
高校2年が終わろうとしていた。
わたしは将来のことを何も考えず、彼のことばかり考えていた。
わたしは「柔道部のみんなが強すぎるんだ」と自分に言い訳をして、部活に顔を出さなくなった。
図書室に、放課後通いだした。
この頃、多くの小説と出合った。
わたしは、いつの間にか高校3年になっていた。
進路はどうするのだ。
就職をする気だった。
地元で一番アホな学校に通っていたのと、ゆとり教育の導入により、クラスでは頭のいい方だった。
「なんとかなるのでは」と思っていた。
しかし、あまかった。
もとゝ、勉強する習慣がついていないのでなかなか思うように進まず、断念した。
その頃、世界柔道がやっていたので、わたしはもう一度、柔道部に顔を出すことにした。
でも、引退の日はすぐに訪れ、勉強する以外逃げ道が無くなった。
この頃、弟の行動があまりにも幼稚なので
「学校の先生は何をやってとんじゃ」とぼやいていた。
母が「じゃあ、あんたが小学校の先生になって、教える側になりなさい」と言われた。
その一言で、私は大学進学して教育を学ぶと決めた。
自分の学力のなさを痛感した。
小学校の教員免許の取れる学校は絶望的だった。
仕方なく、別の大学に入学した。
                                    (つづく)
あったことをそのまま書いているという感じで
小説というより作文のようです。
もっと小説を読まれることをお勧めします。
まずは好きな小説の文章ををそのまま書き写し
リズムを覚えることからやってみてはいかがでしょうか。

書きたいことが多いあまり、先へ先へ進もうとして
文章が細切れになっているのではないでしょうか。
ひとつひとつのエピソードをもっとゆっくり書き込んで
自分の頭の中にある世界をそのまま外に出すような気持ちで
丁寧に表現してみると、いいかと思います。
はやてさんありがとうございます

参考にさせていただきます。
はじめまして

主人公の心理描写が少ないですよね。心理描写だけでなく、風景も何もかも描写されていない感じを受けました。
普段小説は読まれますか?
読んだとき、主人公の表情や場面、物語の世界が脳裏に浮かびはしませんか?
別の方が言ってらした様に、これでは日記です。酷い言い方をすれば、1日の事を細かく書くものである日記以下です

作者の頭の中では物語として補完されているので、自分ではなかなか分からないのでしょうが、何故そうなったのか分からない箇所が何点かありました
例えば『母からの手紙』
何故母からではなく先生から貰ったのですか?
このシーンで、主人公と母は別居しているのかと思いましたが、後に出てきますよね…
それから『彼との別れ』
主人公は酷くショックだった様ですが、読み手としては完結されていません。てっきり同じ中学に行くと思っていた、で終わり…そこから別の中学に行ったのかと推測はできますが、わざわざ読者に推測してもらう程の事では無いと思います

そして、実は一番気になったのは『ゝ』です
文体が現代的であるのに、唐突に旧字体を入れられると、は?っと、理解に苦しみ一瞬固まってしまいました(ゝの意味は分かりますよ)
このような表現がお好きなら、それなりに文章自体もそれにあうように変えた方がよろしいかと…

最後に、彼、少年、連れ など、登場人物に名前が無いと言うのは別に問題ないのですが、無いのですがっ、場面転換や人物像がハッキリしないので混乱してしまいました
場面転換…と言えば、この作品の起承転結は何処ですか?
エピソード毎に起承転を繰り返している様な印象を受けたので、一度物語全体の起承転結を考えてみて下さい
この物語で主人公がどう変わっていくのか、成長するのか、何かが進展するのか、物語の主軸を考えてみて下さい


小説家でも、その手の専門家でもありませんが、作品を良くするためには厳しいことも遠慮しない主義なのであしからず…
参考になれば幸いです

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