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深読み愛好会コミュの羊の角を折ると「器物損壊」?

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ニュースを見てなにか納得がいかなくてグダグダと下のように書いてしまったのだけど、納得のいかないのはなぜでしょうかね。 これには深い読みも何もいらないのか、単なる言葉の遊びなのかどこかで間違っているのか、ああ、読めない、、、、、。



日本のニュースを見ていて公園のヤギの角が折られたという報道があった。 世界各地どこでもこういうことが時折あり、そのたびに犯人の屈折した思いを想像すると憂鬱になるけれど、ここで被害(者?物?)のヤギには悪いのだがクスリと笑ってしまったのだ。 警察が捜査しているこの案件が「器物損壊」の罪となっているからだ。

まず人であれば「被害(者)」であるけれど羊なら動物だから(者)ではなく(物)になるのか、まあ動物は「動く物」と書かれるので「物」かもしれないともおもっていると羊の角が「器物」とくる。 なるほど角は外敵を抑制するための凶器ともなり得る器で、臓器という器もあるので体の一部だから分からなくもないけれど、それでは「物」と来て「損壊」となると、何か i-Pod のような持ち物が壊されたような気がして妙な気がする。 それに「壊す」だ。 「壊す、壊される、壊れる」のは物で、人なら「傷つける、傷つけられる、傷つく、」だろう。 だからここでも羊は動物、「物」だから「壊す」でいいのだという理屈が通るのだが、何故かしっくりいかない。 何故だろうか。

人間でも「壊す」行動のほうは建物や茶碗など大なり小なり日常茶飯事なのだが、人間が「壊れる」となると尋常ではない。 思い浮かぶのが「人格崩壊」であり「家庭崩壊」であり、それは何か一つそれまで保っていたシステムがなだれをうって「壊れる」様態を思い浮かばせるのだ。

最近若い夫婦が自分の幼い子供の首を振り切って死なせたり、母親が子供を折檻、その理由が様々なことが耐え切れなくなってだという。 他の場合には母親が直接の殺人犯だとしても父親、もしくは男のDVによる教唆、示唆があっての場合もあるという。

幼い子供にはまだ自分を守る角という器もできていないのに傷つけ死に至らしめる。 それは自分の至らなさを者(物)にあたって傷つける(壊す)ことでもあり子供を自分たちの持ち物のように扱うのだからここでの案件は「自己所有器物損壊」にあたるのかもしれない。 まてよ、自分の物を破損させても所有権は自分にあるのだからそれは自由で、他人、社会に害をあたえなければ差し障りなく罪にはならない。 そうすると子供は自分の物扱いでいいわけだ。 それは羊の角を損壊するのとかわりなく自分の羊なら何もいわれる筋合いはないではないか?

他人の羊や共同体の羊なら話は別で今回の事件のように器物損壊罪に問われるのだが自分の所有物なら酷いことをせず殺しても別段とやかく言われない一方、子供はいくら自分の者(物?)であっても壊してしまえば罪になる。 それは人だからだ。 羊とは扱いが違う、、、、のか?

さて、羊なら酷いことをしてもそれが自分の所有(動)物ならいいのかというと、この国、オランダではそれも動物虐待罪になる。 そして罰則があり適応されている。 日本にはそれがあるのかどうか、あってもそれが現実に適応されているのかどうかはしらない。 ここでいうのは自分の所有している物(動物)についてだが、、。 この国には「動物党」という政党があり議員をオランダ国会に送り込んでいる。 「政治に「動物のための党」だって? 人間世界の福祉、税、移民、軍事問題等を無視して動物の方が大事なのか、なんともはや、、、」という声もあるがこの党では動物を喰うな、殺すな、とまでは言っていないようだ。 殺すなら痛みを最小限に、動物には動物の権利を、、、というわけだ。 どんな権利かと細かくいうとかなり事が面倒になる。 しかし、それに賛同する有権者が何万人もいるのだからただの冗談では済まされないのだろう。 権利の意識のない者(人、子供)、物(動物、生き物)にも権利を、というわけだ。 なんの権利なのか。 生存権なのだろうか。 

人間にはそれがあるのは当然だが動物(動く物、すなわち物なのだ)には限りがあるようだ。 例えば絶滅寸前の動植物には生存権を人間が与えているふしがある。 昨今話題の鯨に鮪だ。 絶滅の危険がなくて残虐な殺し方をしなければ家畜と同じように殺しても問題はないはずだ。 その条件を満たすなら牛は良くて鯨はだめだ、というのは通らない。 それに牛ならいいけれど絶滅の危機にのない種類のイルカを殺すのはだめ、知能が高いから、というのも危険だ。 それを敷衍すると、馬鹿なら、知能が劣っているならいい、という差別につながるだろう。 自分のかわいがっている牛を瞬時に苦しみを感じる暇もなく殺すのは合法だ。 牛の経験はないけれど他の動物なら、たとえば鶏なら経験はある。 気持ちのいいものではないけれど喰うために殺す。 農家ではごく普通のことだ。 自分の「器物を損壊」したのだ。

まてよ、人間には生存権がある、というけれどそれにも限度がある国がある。 今日のニュースで麻薬を持ち込んだか持ち出そうとした日本人が中国で薬物による死刑に処された、と報道があった。 かの国では毎年千人単位で死刑が実行されていると仄聞した。 それに日本はそれには口を挟めないだろう。 日本にも死刑はあるのだから。 人が人を殺すのだ。 たとえ、それが国の法で国が犯罪者を殺すのだ、といっても所詮は人が人を殺すのだ。  アフガンかイラクでアメリカ軍のヘリから兵士が記者を何人も殺して喜んでいる映像がリークして今日のニュースになっている。 WikiLeaks というサイトにでているらしい。 それだけ見ると「残虐な」合法?殺人だ。

ここまで書いてきて羊の角は昨日のニュースになっていた。 今日のニュースはこれだ。 林にたくさんの犬猫の死骸が放置されていた、というのだ。 多分、死んだ動物の引き取り業者、動物の葬儀社が契約どおり「適当に」処理しなくて放棄、遺棄した、ということなのだろうと推測される。 上でいったように犬猫は「物」であるし死んでいるのだからより「物」に近くなっている。 だからこれは「死体遺棄」ではなくて「器物放置、放棄」なのだろう。 ネットで見てみると警察は「廃棄物処理法違反の疑い」で捜査しているとあった。 なるほどもし持ち主が業者にペットの死体を持ち込んだとするとそのときには「死体」は「廃棄物」になるらしい。 ペットの葬儀は「処理」なのだ。 それでは人の葬儀のあと「焼き場」で合法的に「焼く」のは「廃棄物処理」ということになるのか。

話を羊のほうにも少し戻すと一方でこういう声も聞こえる。 角の方は体の一部、器だけれど羊はまだ生きている、しかし、犬猫の方は命がなく死んでいるのだから死体なのだと。 体というのは一つのシステムをもっている形をなす全体性、ここでも体がでてくるが、部分ではない、だから動物でも人間でもかわりはないのだ、と。 だから死体は物ではない、というのか。 もしそうなら、「器物損壊」で変だとおもったのは羊が生きているからそうなので、もし死んでいれば「虐待」「致死」「死体、遺体遺棄」ということになって人並みの言葉が添えられるかもしれない。 問題は羊が生きていたから物並みの言葉で片付けられたので、もし死んでいれば人間並みの言葉が添えられていたかもしれない。 そのときには死因となった「器物損壊」は問題にならないのかもしれない。 つまり、生きていれば「物並み」に扱われ、死ねば「人、もしくは人に近いような」扱いに変わるのか。 少なくとも言葉の上では。 かな? けれど、まだ何かしっくりこない。

コメント(5)

「人間以外」って全部状態がどうであれ「器物損壊」だよね。
ニュースみて心痛みました…その瞬間器物損害って聞きまた心痛みましたが……
まぁ人間以外は物扱いが多いから仕方ないのでしょうが…単なる表現で気にするのもおかしいのかもですが、やはりなんとなく腑に落ちなかったです

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