ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

共産主義者同盟(BUND)史研究会コミュの72年3次分裂について

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ブント73年分裂考
部外者であるから資料を見ながら憶測するしかない。しかし,73年12CCにおける分裂の過程で問題になったのは70年6月以降に党内闘争のためにつくった軍事体制つまり政治局に直結した軍事委員会が71年の急速な武闘派闘争の雰囲気の中で爆弾闘争を試みざるを得なくなり,その総括から党内多数を占める西田派の発言権が増大したこと,これに政治的に対応して日向が,まず爆弾闘争派を葬り,少数派であるにもかかわらず大衆戦線で多数を占める西田派を放逐して純化しようとしたことである。したがって世に言う共産同第3次分裂は爆弾闘争の処理と,大衆戦線派を放逐して日向主導の建党路線をすすめるためのものであるから,(理想的には)日向はこの段階で党支持者に対してそれなりの説明を行なうべきだったと考える。

推測であるが,戦旗派の分裂過程は次のように展開したのではないか

1)69年のブント9回大会で「党の革命」「軍事を組織する党」という提起が承認された(実態化はともかくだ)
2)その後,69年に7.6事件が起き赤軍派が分裂していく。
この過程で赤軍派とは袂をわかった理戦派は表面的に党建設至上主義となり,武装闘争に一歩をおいている。70年4.28以降ブント内で分派闘争が熾烈になる。この間,70年における戦旗派は武装闘争を行なわず旗持ち行列に終始する。ちなみに70年10月には上京した関西派を切捨てる。このあたりで12.18の分裂は不可避になる。
3)1970年6月,理論戦線9号で日向が「軍事を孕む党」を提起する。この日向の提起はSSLをKIMに組織変更しようというものであった。従来のB-SSL-大衆の図式を,B-K-AIF-大衆の4段階でとらえている。このとらえ方では軍事が党組織論のどこに位置づけられるか不明である。そこで
4)70年6月以降組織をB-YIRG-RG-K-AIF-大衆と位置づけ直した。ところがB-YIRG-RGは実態としては党内党争用のゲバルト部隊であること。次にB(YB)というように党政治局の裏側に軍事委員会を設けた。このことによってB-K-A系列とB(Y)-RG系列という,いわば合法と非合法の二本立て指示系統が出現した。かつY-RGはPB議長の私兵化し地域に足を持てない構造になった。理戦9号のこの路線は日向-野田ラインで構築されていて,実態としては党内闘争至上主義と言われてもしょうがない体制である。
5)こうした情況の中でRG系列は71年9月の東峰十字路闘争,10.11月決戦にあわせて爆弾闘争を準備し,かつ72年5.13神田遊撃戦をYIRG-RG-K-AIFの組織系統で行なった。
6)ところが神田遊撃戦で100名を超える逮捕者を出したこと,さらに逮捕者の中から爆弾闘争を自白したものが出たと思われるに及んで,和光-西田派が爆弾闘争反対派として登場し72年5月の11CCでYIRGの解体,KIMの凍結を打ち出した。和光-西田系は統制委員会を掌握してRG系列を牽制した。
7)この動きについて日向派は中間派として振る舞ったのみならず,西田と桑の実(YIRG)系の闘争に一歩引いて関わった。
8)この間,党中央官僚である日向派と地区を握りAIFを持つ多数派の西田,それに軍事官僚グループである「桑の実」が3派並立するかたちとなり,ままず日向+西田が桑の実を排除し,次に12CCで日向が西田を追い出した。追い出したというか西田が多数を引き連れて戦旗派として独立した。その後,日向は少数派として最大動員200名から再建を図ることになる。
つまり71年秋期から72年神田遊撃戦まで日向は主体的に関わったわけではなく,日向系党官僚によるリモートコントロールと,西田と桑の実の党内抗争を一歩引いて見ていたに過ぎないということになる。72年12CCの分裂は,むしろ機能しない中央に対して11CC以来発言権を飛躍的に拡大した西田が見切りをつけ日向を放逐したというようにとらえられる。実際に大半の活動的部隊は西田に移った。
この見方で良いのだろうか。
(12CCの直前に4人委員会なる文書が出回っていると言うことだが未見)

この間,地域に足を持てないY-RG系列は兵隊の再生産が出来ない情況に追い込まれただろう。次第に高齢化(オッサン化)したということ。

そうすると71年4月28日に野音で連合戦旗派と壮烈なゲバルトを戦ったのはYIRGに指導されたRG-Kを中心とする部隊であって,その後の理戦派メンバーとは異なると言うことになる。
72年中にいわゆる理戦派の若返りが起きてくるのもこうした事情からだろうか。

注)
Yは軍事委員会,RGは共産主義突撃隊(ローテ・ゲバルト),KIMは青年同盟(ブントの下部に設けられた青年同盟),AIFは反帝戦線,YIRGは組織名称として出てくるので政治局に直結した軍事委員会と解釈しているが,私には名称が分からない。

コメント(1)

詳細な考察有難うございます。僕は73年に高校生でしたが、九州で日向戦旗派の分裂を同時代で見ていました。しばらく詳細が分からないまま、西田系でいました。「桑のみ」Gの「案山子パンフ」をお持ちで有れば、ぜひ「現代古文書」として公開して下さい。日向+西田?が焚書してしまったものという事ですよね。僕はその後、赤報派の日向派批判をたまたま読む機会があり、それに学びました。それは現場でも共感できて、日向の動向よりも12.18BUNDの動向に関心軸を置いていました。ちなみに関西BUNDの田原芳氏の議論を日向は終生学ぶことがなかった。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

共産主義者同盟(BUND)史研究会 更新情報

共産主義者同盟(BUND)史研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。