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創作小説研究向上委員会コミュの『Marco-Polo』

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Chapter.1 ファイト・クラブ

 ウィルハート家が誇る栄光の青の都。七匹の龍が永遠の守護を約束した水上都市。百億の星に祝福された理想郷。千年王国終焉の地。八百余人の旧王族が余生を送る街。
 数多くの名を持つ旧王都レイニッセは政治機能こそ停止しているものの、現在でもウィルハート旧王国の経済の中心として繁栄を続けている。歴史ある豪商が構成する『セントラル・マーケット』、小売商から旅商人まで含有する共同経済体『メイプル・コミュニティ』、情報社会を統合する『インテリジェンス・サイト』、歓楽街と裏社会を取り仕切る盗賊ギルドとして名高い『フェリス・ホイール』、そして、旧王国の食糧事情を一手にささえる『ドール・キーパーズ』。さらには旧王国騎士団をもととして結成されたガーディアン組織『ライト・ペーパー』と八百万の神々を懐に抱えこんだ宗教ギルド『モーニング・グローリー』。これらの組織はお互いに複雑に絡まりあい、表向きの妥協と裏向きの謀略を繰り返しながら、それぞれの勢力を拡大してきた。彼らとかかわることなくレイニッセで生活することは不可能であり、無政府状態の旧王国で生きるということはなんらかのかたちで彼らの恩恵を食むことにほかならない。
 強大な力を持った彼らの一角、盗賊ギルド『フェリス・ホイール』はレイニッセの東側高級住宅街エルミタージュに居を構えていた。縦横無尽に走る水路に周りを囲まれたエルミタージュは芸術の粋を集めて架けられた石造りの橋のほかは陸路から中に入る術はなく、水路は複雑に伸びてはいるが実は独立したひとつの堀に過ぎない。石橋は朱色の長衣をまとった衛士が直立不動で守っており、水路はエルミタージュ内を巡回するゴンドラが警戒網を形成している。外部の人間が堀のなかに入るためには住人が発行した許可証が必要で、それは『フェリス・ホイール』の構成員でも例外ではない。それが入札の日であっても。
 ライザ・エル・コンチェルトは『ファンシー・ボール』を代表して、ギルドの招待状を手にエルミタージュに足を踏み入れていた。長身といっても、ジャンルカ・ガスペローニのスーツに包まれた体はあまりにも華奢。ハイカラーのホワイトシャツにナロータイ、エナメルのドレスシューズとどこから見ても丸腰。プラチナブロンドをベリーショートにした男装といえども、明らかに少女とわかる姿は旧貴族の屋敷が立ち並ぶ街並みにはふさわしいが、盗賊ギルドの入札の場においてはかよわい獲物にしか見えない。侵入者を完璧なまでに拒む衛士もゴンドラも内側の人間が内側で獲物を狩ることには無関心。強力な護衛を擁している旧貴族たちとは違って、盗賊ギルドの入札はひとつの会社につき一名の参加者しか認めない。自分の身は自分で守るしかなく。しかし、ライザの歩いたあとにはすでに三人の荒くれ男が地べたに這いつくばっていた。
 ミラーコロ聖堂の地下墓地を三日間だけ独占して探索する権利の入札。最低入札値がギルドの相場の百倍である三十万エイユーであっても、ひとつのモノを除き、宝物を売却した利益の八割の上納を求められても、ライザはこの権利を手に入れなければならなかった。ただ王になるために。いつもなら腹心のバードに任せるところを、みずから出張ってきたのも確実に競り落とすため。ひとつのモノに指定された今回のターゲットが西風の魔女シセ・プリトヴィッツェの魔導書であると言われれば、ライザは全財産を叩いても入札で権利を競り落とす。金銭で足りなければ、腕づくでも。参加した会社をすべて敵に回しても。
 盗賊ギルドの入札は金銭での競りと同時に実力行使による権利の獲得を認めていた。とはいっても、エルミタージュに入る際にすべての武器は没収される。金属製のものはもちろん、セラミックであってもガラスであっても動物の骨であっても、戦争が発生する危険性があるものは例外なく取り上げられる。攻撃魔法がこめられた呪具も同じく持ち込めない。ひとたび得物を持てば、わずかひとりであっても街を消滅させるくらいは簡単にやってのける猛者が数多くいるための対策だが、得物を取り上げたところで、戦争が戦闘になるだけの違いにしかならない。入札に参加する会社は素手で競合他社を叩き潰すことができる、あるいは手にした権利を守り抜くことができる人間を送り込んでくるからだ。同じ盗賊ギルドの構成員でも競合相手はただの獲物でしかなく、必然、入札前から数々の修羅場を潜り抜けてきた歴戦のツワモノたちがあちこちで潰し合いを行うことになる。初めて入札に参加するライザも彼らの容赦ない洗礼を浴びることになったが、彼女は羽虫を払いのけるかのように襲撃者を簡単に打ち払い、無傷のまま『フェリス・ホイール』の玄関を潜った。フロントホールで優雅に微笑を浮かべる受付嬢に招待状を渡す。隠し文字による招待状の確認が終了すると、機械仕掛けの人形が現れ、入札会場への案内にたった。有名無名の芸術家たちが筆を競ったフレスコ画で埋め尽くされた廊下を抜けて、守護魔法の紋様がさりげなく彫刻された部屋に通される。『フェリス・ホイール』がかつて貴族の館であったときにはゲストルームのひとつとして使われていたものだったが、入札に使用するには十分な広さがあり、既に五人の先客が座を占めていた。その場で引き返したくなる最悪な顔ぶれが揃っていた。
「ガキを差し入れるたあ、バードも少しは気が利くようになったか」
 ニットキャップを目深に被った髭面の男の言葉に、全員がげらげらと笑う。
「しかも、ただのガキじゃねえ。この部屋まで無傷でやってくるふ菓子だ。食いでがありそうだぜ」
「もれなく伯爵家の全財産つきってな」
 レザージャケットを引っ掛けただけのスキンヘッドと純白のカットソーにMのイニシャルを入れた優男が続ける。馬鹿笑いはさらに大きくなった。盗賊ギルドの競合他社のなかでももっとも力があるファイブ・シスターズの代表たち。敵に回すのは望むところだが、素手で全員を相手にするには少し分が悪い。ニットキャップ、スキンヘッド、カットソーの三人はタイマンなら勝負になるとわかっているが、ダブルのストライプスーツを着た目つきの悪い男と素肌にカラーシャツを引っ掛けだだけのチビスケの実力はまったくわからない。それにみえみえの挑発に乗るほどおひとよしでもない。それにバードから入札前にトラブルを起すなと釘を刺されている。ライザは馬鹿笑いと食い物の話を続ける五人を黙殺して、彼らから離れた椅子に腰を落ち着けた。同時に、何時しかけてくるとも知れない襲撃に備えて全身の神経を臨戦態勢まで高めておく。
 ガキであることも、自分が旧伯爵家の人間であることも事実だ。そのことをネタにされるのはなんてことはない。しかし、食い物に見立てられるのはまっぴらだ。この入札が公表された七日前にも、ライザと『ファンシー・ボール』を食い物に見立てたニットキャップの配下を彼らが飲んでいた店ごと切り刻んだ。それまでも決して友好関係にあったわけではなかったが、事件をきっかけにして、ギルド最大最強の会社『ブライア・ルート』とニットキャップの特攻隊長フランチェスコ・スプラーニから公式に抹殺目標としてロックオンされた。この場で出会うのは予想済みではあるが、敵対する他の四社ともつるんでいることまでは想定していなかった。
 全員が敵と思えば、たいしたこともない。
 翡翠の王座を目指すと決めたときから、作るのは敵ばかりとは覚悟していた。荊の道しかないことも、王座を占めるまで陽の光に背を向けることも。自分がウィルハート始皇帝カシオスに謀殺されたライザ・エル・ウィルハートの転生だと自覚した瞬間から、まっすぐに王座を目指すことだけが彼女の進む方向と決まっている。
 ウィルハートでライザを名乗ることは反逆者を意味する。千年の長い歴史で王国は五度の滅亡の危機を乗り越えた。カラミス侯謀反、レイメル公最終戦争、コンフィール伯七年戦争、ウィルハート内乱、四カ国連合王国征伐作戦。すべての戦役にライザ・エルを名乗る将軍や参謀が存在したことが確認されている。後の歴史家たちに「幸運の女神の前髪がもう少し長ければ、ライザが新しい支配者となっていただろう」と言わしめるほど、ライザはウィルハートを追い詰めた。実際、レイニッセから王が逃げ落ちたこともある。しかし、数多くの王妃を輩出したレイクウッド公爵家、武器商人として財を成したリンファー公爵家、食糧庫として王国を支えるドール伯爵家のいわゆる御三家を最後まで味方につけることができず、ライザ・エルを中心とした軍は最終的に崩壊を余儀なくされた。反乱軍の降伏により身柄を拘束されたライザ・エルは五度に渡り、公開処刑された。そのたびにライザを名乗ることは禁止され、同時に反逆者の名前として定着した。決して王となることは許されない名前となった。それでも、彼女は七代目のライザ・エルを名乗った。九歳のときに転生を自覚し、六人のライザ・エルの経験と知識を共有したからには、他に選べる道はなかった。ライザを名乗ってわずかに七年。生家であるコンチェルト伯爵家を掌握し、活動組織『ファンシー・ボール』をまとめあげた。既にウィルハート王家は王たる血の資格を持つ王族をなくし、王位は空白となっていたが、ライザの王宮への行軍はゼロから、いやマイナスの地点からしか始めるしかなかった。王の資格となるエルの血筋を持つもののひとりとして翡翠の座にふさわしい器量を世間に示さなければならない。始皇帝以前、ウィルハートの大陸統一の先陣を切ったライザ・エル・ウィルハートの片腕として活躍した西風の魔女シセ・プリトヴィッツェが書き残した魔導書を手に入れることはその第一歩だった。シセ・プリトヴィッツェの力を手に入れれば、盗賊ギルドで力があることを示すことができ、政治的に大きな意味があった。さらにかつての味方の力を陣営に引き込むことで、ライザ・エル・コンチェルトがカシオス帝に簒奪された王の座を奪い返すという正当な理由を表に押し出すことができる。
 ゲストルームに七人目と八人目の参加者が案内されてきた。ブロンドの長髪を麻縄で縛っただけの『レッドアイズ』の頭領、赤と橙と黄色で波模様をつけたロングコートを着込んだ『ケルベロス』の左頭。どちらも味方ではなく、名前も知らないが、表立っては敵ではない競合他社の人間だった。バードが軟化交渉とかで巻き込みにかかっているが、まだ同盟は成立していない。同盟していない以上、この場では敵でしかなく、先客の五人よりはましだが、背中を向けていい相手ではない。ふたりは第三の勢力としてライザともファイブ・シスターズとも離れた椅子を選んだ。
 機械仕掛けの案内人はさらに見たこともない黒服を着たひとりの男を案内してきて、抑揚のない声で入札参加のための約定時間が経過しことを告げた。さらに、九人で行われるこの入札の責任者が?13であると続ける。盗賊ギルドの幹部は通しナンバーで呼ばれ、定数は十五人。数の大きさによる力の序列はまったくない。ただ欠番が出たときにメンバーが補充されるだけ。そのメンバーがどんな組織から選出されるのかは盗賊ギルドの構成員たる会社の幹部にも極秘にされている。ライザが知る限り、構成員である会社の社員が選ばれたことは一度もない。
 案内人の代わりに受付で優雅に微笑みを浮かべていた女性が部屋に入ってきて、全員に『フェリス・ホイール』の飾り文字がすかしで入った紙と各々に色の違うやわらかい蝋を渡してまわった。彼女は「一回目の入札値段を書くよう」に言い、そして、小型の鉄の箱を持ってあっという間に全員から入札値段を集めて回る。全員の入札が終わると、鉄の箱を空いている椅子に載せ、その場に立ったままで彼女は表情を消した。気の短い参加者にとってはイライラが募る状況だが、この場にいるものは彼女が精巧にできた機械仕掛けの人形い過ぎないことをよく知っていた。当然、素手で喧嘩を売っても、彼女を叩きのめすまでに相当にてこずることも、この場所に集まっている競合他社が消耗した獲物を見逃してくれないことも。ファイブ・シスターズたちも、『レッドアイズ』の頭領と『ケルベロス』の左頭も、まったく知らない男もおとなしくしており、ライザも受付嬢と周りのメンバーの動きを警戒しながら、盗賊ギルドが次に起こす動きを辛抱強く待っていた。
 おそらくは全員がライザと同じように周りに神経を尖らせていた。しかし、表情を消した受付嬢の隣に忽然と姿を現した少年に気付くまでには一瞬の空白があった。気がついたらその場所にいたという感じで、金色のやわらかい癖毛を気にしながら少年は鉄の箱を開けていた。歳には不相応なタキシードでかっちり固めているが、オーダーメイドでしつらえたのか、お子様が服に着られているという印象はない。やや小柄なプレゼンターが当たり前のように場を取り仕切っていて、その場にいる誰もが抵抗なく受け入れている。ライザは自分より年下であろう少年と目が合い、微笑を返されて初めて、とんでもないペテンにかけられている事実に気付く。
 違う部屋にいる。ドアの位置も窓の位置も出鱈目に置かれている椅子の位置も座っている場所も少年の出現前と変わらない。光線の入り込む角度も同じ、床のモザイク模様にズレがあるわけでもない。フレスコ画も寸分たがわず同じモチーフで描かれている。ただ、絶対方向感覚を持つライザは部屋の空気に含まれる水の匂いがほんのわずかだが強くなっていることで、空白の時間があり、移動させられたことを確信していた。
「第一回の入札結果を発表します。もっとも高い値段をつけた会社にミラーコロ聖堂の地下墓地を探索する第一優先権があるものとします」
 開けられた鉄の箱を掲げながら、少年は入札参加者を見回し、ライザと再び目が合っていたずらっぽい笑みを浮かべた。瞬間、「気付いたことに口出しは無用です」と頭の中で少年の声が聞こえる。「動かないで平静を保って」とさらに畳み掛けられた。
「もちろん第一優先権を持つ会社に全資料をお渡ししますが、みなさんご存知のようにこの権利は入札金額をこの場で支払い、無事にエルミタージュ域を出なければ確定しません。今回のエルミタージュ域は堀の外側二ブロックまで戦闘域として借り上げていますのでご承知おきください。なお、他社の第一優先権を奪う以上、『フェリス・ホイール』に入札会社が提示した金額と同等の金額および一割の手数料を支払う必要があることは慣例どおりです」
 そして慣例どおり、第一優先権を奪われた会社は盗賊ギルドから全額の返金を受ける。さらにいえば、ギルドは強奪に人的な手を貸すことはしないが、落札者を積極的に護ることもしない。一割の手数料など彼らにとって見れば取るに足らないものでしかなく、強奪の許可は競合会社を争わせ続けることに意味があるのだ。
「それでは、第一優先権を持つ会社を発表します。入札金額は七百五十万エイユー。青色の蝋で書かれた『ワール・ウインド』に第一優先権を認めます」
 ファイブ・シスターズのひとり、純白のカットソーの男が立ち上がる。Mの刺繍は単に男がMと呼ばれていることに由来していて、『ワール・ウインド』で幹部を張っていることを意味している。間違いなく猛獣の側にいる人間で、少なくとも、素手で相手にするにはちょっと骨を折ることは事実だ。
 彼が提示した七百五十万エイユーという金額は『ファンシー・ボール』昨年度の純利益をはるかに超える。実際、ライザが書き込んだ値段は強奪の権利を失わない裁定入札金額の三十万エイユーで、メンバーを見た瞬間に強奪する側になることを決めていた。もちろん、強奪に参加する場合はみずからが示した入札金額をギルドに納めなければならないことも計算の上だ。追う側にターゲットを示す以上、追われる側にも敵を明らかにするという見せ掛けだけの平等な制度もうまく立ち回れば、経費を切り詰められる。
 ?13がMを除く全員の参加者に強奪の意図を聞き、参加を表明した全員から各々が入札に書き込んだ金額を徴収して回った。ファイブ・シスターズの四人も『レッドアイズ』も『ケルベロス』も黒服も、当然、ライザも強奪を宣言した。?13は徴収した金を無造作に受付嬢に渡すと、最後にMから七百五十万エイユーを受け取り、ミラーコロ聖堂の地下墓地探索の許可証と関連資料をパッケージしたものであろう紙封筒を引き渡した。
「最後に権利をつかんだ方は本日零時までに報告に来てください。以上、以後はご自由に」
 優雅なしぐさで?13が一礼するのと、ファイブ・シスターズの四人が『レッドアイズ』と『ケルベロス』のふたりに噛み付くのとどちらが早かったか。とてつもなく堅いものが生身の肉を殴りつける鈍い音を聞きながら、ライザはレザージャケットのスキンヘッドの後頭部をドレスシューズの踵で踏み越えてゲストルームから飛び出した。廊下ははるかに続く真っ暗な石畳。?13が現れたときに感じた、部屋を強制移動させられたという違和感は間違いなかったようだ。真っ先に飛び出していたMは違和感すらもたなかったのか、石畳の上で一瞬立ち止まった。その一瞬でライザは間合いを詰め、射程ゼロで左手の掌底を肝臓に当てる。同時に密着させた左手を軸にしてバイシクルの要領でドレスシューズの爪先をMの後頭部に叩き込んだ。しかし、着地したときにはMの両の拳がライザに襲い掛かっていた。ダメージがないはずはないが、まったくのノータイムでの反撃にライザはバックステップでかわすしかない。渾身のバイシクルを受け流されたMからカウンターをとったとしても、一撃では沈まないだろう。素手では圧倒的に不利。そう悟ったライザはMの拳にフェイントの蹴りでカウンターをあわせながら、出口を探し始めた。体感している方向感覚だけで廊下を進んでいく。無事にエルミタージュの橋を渡れば、バードが『ファンシー・ボール』を率いて待っている。それは他の八人も同じく会社を待機させているだろうが、武器を手にすればライザは敵が何人いようとも切り刻む自信があった。
 剣の技術は才能と経験がものをいう。ウィルハートが海辺の小国だった千年の昔、ライザとカシオスは流れ者の剣術者ミーシャ・ブルタバに基礎から徹底的に叩き込まれた。両手で戦うロングソード、片手で扱うショートソード、刺突を目的としたレイピアやエストック。ミーシャの剣術は多岐に渡り、どの剣をとっても一流。だが、鍛えられて十年。ウィルハートが世界に覇権の名乗りを挙げたときにはライザの腕は師匠をはるかに超えていた。剣戟の技術に頭脳での駆け引きが加わったライザの剣は兄弟弟子のカシオスはおろか、師匠であるミーシャも数合と打ち合うことはできなかった。その才能に比べ、転生によってライザは千年の修行を重ねている。現在のレイニッセで彼女とまともに剣を交わせる人間は数人といないだろう。太古の名工に鍛えられたエアリアルショートソード『エンリル』はライザがミーシャに授けられた剣で、千年を経ても忠実に彼女のもとに戻ってきている。
 だが、剣を手にするまでには未知の領域である『フェリス・ホイール』の建物内を絶対方向感覚だけで抜け出さなければならない。しかも、筆頭標的のMとやりあい、入口に誘導しながら。純白の両の拳はライザを切り裂こうとするかのように加速を続けている。動き始めた当初こそカウンターを合わせる余裕があったが、現在はかわすことに神経の半分を使わなければならなくなっている。まともに食らってしまえば、華奢な体はそのまま石壁に埋め込まれるに違いない。そうなれば、食い物としてエルコラーノ歓楽街に数枚の百エイユー紙幣で売り渡される運命が待っている。
「最初だけかい。伯爵家の令嬢さんよ」
 Mの顔がサディスティックな笑みに歪み、わずかながら右の拳の振りが大きくなった。ナロータイを一瞬にしてカラーから抜き取ったライザは、彼の右手を絡めとり、そのまま水月に向けて一直線の蹴りを叩き込む。完全にカウンターで決まったライザの反撃にさすがのMも動きを止めた。その隙を逃さず、体を密着させて顎に向かって渾身の掌底を叩き込んだ。脳を力任せに揺らす最大の急所で、たまらずMが崩れ落ちる。その瞬間にまったくの死角から黒服が飛び出し、Mがサッシュに挟み込んでいた紙封筒を引き抜くとそのままスピードを緩めることなく、ライザの横をすり抜けていった。とっさに手を出したものの黒服をつかみ損ねたライザは、すぐに石畳を蹴って黒服の後を追った。背中からフランチェスコ・スプラーニらしき怒号が聞こえるが、まだはるかに遠い。ライザは先行する黒服を見失わないように全力で廊下を駆けた。黒服が出口を目指していることをすべての感覚が訴えていて、獲物をつかんでいる彼を追いかけることは、剣と権利を手にする彼女の目的にぴたりと一致していた。
 無限に続くと思われた廊下を突き当たったところにある部屋は塔の造りをしていた。黒服は内壁を螺旋状に登っていく石階段を駆け上っており、薄明かりのなか、遥か高い位置に出口であろう扉が燦然と輝いていた。視線の端だけで扉の位置を確認するとライザは一気に階段を駆け上がった。黒服との距離はほとんど縮まらないが、後ろ姿ははっきり見えている。扉は閉まっており、数秒でも手間取ってくれれば打撃を叩き込めるだろう。そうでなくても、あの扉の向こうで入札資料を強奪する。あと数段、獲物を追い詰めるべくスピードを上げた頭上でガチャリと音がした。鍵がかけられている。シメタとそのまま突っ込んだ瞬間に思いも寄らぬ剣戟がライザに向かって振り下ろされた。反射的に右腕に仕込んである革籠手で受け止めた。雑魚相手の剣戟なら単に受け止めるだけだが、黒服の攻撃を受けた瞬間、練りこんである完全防御魔法が発動していた。ライザの防御技術と革籠手の防御能力で受け流せない場合は、魔法が発動して跳ね返すのだが、この黒服はギルドのチェックをどう掻い潜って何を持ち込んだというのだろう。しかも、すべての衝撃を吸収するはずの防御魔法にまで威力が食い込み、黒服が返す剣戟でドアを切り刻んで姿を消すという手順を踏んでも、手の痺れがまったく取れないことを考えれば、相当威力がある攻撃魔法か伝説の剣が打ち込まれたといっていい。それでも、権利を取り戻すためにライザは立ち上がって粉々となった扉を潜った。そこはあの機械人形に案内されたフレスコ画があふれた見覚えのある廊下だった。
 出口はひとつしかない。迷うことなくフロントホールまで駆け抜け、戻っているであろう受付嬢への挨拶も省略して、玄関を飛び出した。黒服は十メートル先、エルミタージュの石橋の上を滑るように遠ざかっており、さらにその向こうにファイブ・シスターズをはじめとする競合他社の兵隊が陣を張って待ち構えていた。黒服はその陣の中にみずから飛び込んでいき、文字通り薙ぎ倒して向こう側へと抜けた。数秒遅れてライザも彼の道を突き抜け、『フェリス・ホイール』が設定した戦闘域でバードと落ち合った。すでに左手にはエアリアルショートソード『エンリル』を手にしている。エアリアルショートソードとはいっても、エンリルの刀身は風の魔法術式を太古の名工が数代にわたって鍛え上げた一種のエネルギー体。ライザが視認により、ショートソードのかたちを取らせているに過ぎない。ひとたび鞘から抜きされば、不可視の刃がありとあらゆるものを切り刻む。もちろん、ライザの腕があって初めてコントロールできる暴れ神でもある。
 破壊を求めるエンリルの剣先で黒服を牽制しつつ、側面から襲い掛かってきた『ブライア・ルート』のメンバーを切り刻んだ。太刀筋は周りの空気を巻き込み、雑魚どもを一瞬で塵に変える。真正面に見える『フェリス・ホイール』の建物から競合他社が出てくるまでが勝負。他の会社のメンバーたちも黒服が権利を持っていることは理解しているようで、ライザを遠巻きに警戒しながら、黒服に攻撃を集中している。めったに見られない競合他社同士が仕掛ける魔法と剣戟による波状攻撃は並の人間なら消し炭も残らない強力なものだったが、黒服は見えない力を一閃しただけで降りかかる火の粉を払いのけ、無数に降りかかる白刃をすべて弾き飛ばした。ライザと黒服の間の障害物が瞬間ゼロとなる。地を蹴ったライザは丸腰にしか見えない黒服に襲い掛かった。目に留まらない速さで数百回繰り出されたエンリルの刺突攻撃は周りの大気を巻き込み、カマイタチを起こして黒服を切り刻み。その手ごたえのあまりのなさにライザは攻撃の手を止めた。的となっていたはずの黒服の姿はなく、いつの間に移動したのか、彼はライザの背後で怒号を撒き散らして波打つ大剣を振り回しているフランチェスコ・スプラーニの相手をしていた。後続の入札参加者たちも、ライザと黒服が会社の部隊と打ち合ったわずかの間にエルミタージュから戦闘域まで抜けていたようだ。ゲストルームで潰しあったはずだが、他の入札メンバーも全員が五体満足でそれぞれの得物を手に乱戦を繰り広げている。バードも無銘のロングソードを抜いてMと打ち合っている。『レッドアイズ』と『ケルベロス』はバードの手回しか、今のところ、うちのメンバーと連携してファイブ・シスターズに当たっている。
 入札メンバーはツワモノだが、あとは雑魚。ライザみずから鍛え上げた『ファンシー・ボール』メンバーなら支え切る。となると、黒服を切り刻む邪魔になるのは『ブライア・ルート』特攻隊長のスプラーニしかいない。彼が使う波打つ大剣は悪魔のひとりとの契約のしるしで、スプラーニは剣と引き換えに魂を売り渡している。剣技も独学らしいが、それなりには使いこなす。そして、なによりも厄介なのは悪魔の契約内容が不死ということだ。ライザがスプラーニとやり合って切り刻んだことは一度や二度じゃないが、ミンチにしたところで二週間もすれば、見たくもないニットキャップと髭面に絡まれることになる。
 戦況はとみれば、黒服が連続して繰り出す見えない斬撃をスプラーニは大剣で簡単に弾きながら、逆に打ち込んでいき、黒服を一方的に押している。目的が権利の強奪である以上、スプラーニと一時的に組んで黒服を動けなくするべきだが、そんなことは王位を失うことになってもお断り。スプラーニもロックオンした相手のお情けなど絶対に受けない。
ライザは邪魔者から排除することに決め、一直線にスプラーニに切りかかる。ワンステップでかわした相手の懐に飛び込んでエンリルの柄を水月に叩き込む。エンリルの特性を利用すれば刃を逆方向に顕現させるのは簡単なこと。水月に突き刺した風の刃に力を加え、体を左回転させてスプラーニの肋骨の下を押し切った。返す刀で髭面の男の左側面に原型がなくなるまで斬撃を繰り返す。動けなくなるはずの傷だが、悪魔の呪いで痛みをまったく感じないスプラーニは波打つ大剣の一撃を叩き込んできた。大量出血でリミッターが外れたか、革籠手にずしりとした重みが加わり、発動した防御魔法で右側へとスプラーニの力を受け流した。体のバランスと力のバランスを一時的になくしたスプラーニに立ち直る間を与えず、風の刃を元に戻したエンリルの刺突でニットキャップを被った頭ごと完全に切り裂いた。まあ、これくらいでは三日もすれば生き返ってくるだろうが、今のところはこれで十分。目的はあくまでも探索の権利。重心の向きを変え、『ブライア・ルート』の雑魚どもを始末して戦闘域から離れようとしている黒服との距離を一瞬に詰める。今度は逃がさないように右手の革籠手で壁を作りながら、刺突と斬撃を高速で繰り返す。表情は見えず、動きからも何も感じず。かわすだけで精一杯ということでもないらしいが、建物内で繰り出してきた見えない力は使ってこない。『フェリス・ホイール』が設定した戦闘域からの脱出まであと数メートル。安全地帯に飛び込むことを第一と考えているのか。ならば、退路を断って権利を奪い取るまで。
 口の中だけの呪文で、エンリルを握った左手にブーストの暗示をかける。五秒間だけ左手の筋力を倍加させ、さらに剣戟の速度をあげた。そして、エンリルの風の刃が黒服の肩を捉えたと感じた瞬間。ライザの剣をガチッと硬度のあるものが受け止めた。
「血気にはやるのもいいけどさ。相手によるって経験から学ばない、ライザ」
 聞き覚えのある声。ちらりと見えるブルネットに嫌な予感がする。黒服から目を離すと情報ギルド『インテリジェンス・サイト』に属する馬鹿女が数打ち刀でがっちりとエンリルを止めていた。フラパーの頭をライザに向けて微笑んでいる。
「とっくに権利はうちのものだしさ」
 そう。ライザは馬鹿女を押し切れず、かといって、切り刻むこともできず。風の魔法ですべてを切り刻むはずのエンリルは、新米の冒険者でも見向きもしない安売りの刀を、いや、エイミーの剣技を打ち破ることができない。黒服はとっくに安全地帯に逃げ込んでいる。戦闘域を抜けて外観の魔法を解いた男をよく見れば、馬鹿女の下で働いている超強運の魔術師シリウス・ダウニング。ありとあらゆる魔法に祝福されたノンスペラー。あの見えない剣戟も彼だけが持つ空間の引き出しから取り出したあの場限りの剣なのだろう。しかも、どこに埋もれているともわからない伝説の武器と同性能を持つレプリカを。
「というわけでさ。うちと取引しない。この権利。特別に一千万エイユーで譲ってあげるよ」
「ふざけるな」
 ライザの口をついて出たのは馬鹿女への反発でしかない。安全地帯まで逃げ切ったシリウスから権利を強奪したとしても、その行為は認められない。それどころか、重大な逸脱行為として盗賊ギルドの制裁が待っている。落札者が『フェリス・ホイール』の構成員でなくても、正式な招待状を持っていれば権利は正当に行使できる。
「姐さん、ここは穏便に買い取りましょう。あこぎな値段でも競られるよりはましでしょう」
 Mを動けなくしたらしいバードがライザの背中まで下がってきて、ささやく。この場合、馬鹿女の条件を飲むことが一番だと、バードの諫言を聞くまでもなく、わかっている。それでも、千年の間に血に刷り込まれた敵愾心はウィルハートが没落したからといっても忘れられるものではない。目の前にいる馬鹿女は『アッパーデッキ・インテリジェンス』の実質上の社長。剣聖ミコシバの直弟子で免許皆伝の腕前、マゴロクとカネサダという伝説の刀を使う正統派の剣客。そして、旧王国御三家レイクウッド公爵家の令嬢。過去五度の王国奪取の挙兵をことごとくつぶした家の末裔。エイミー・エル・レイクウッド。ライザと同じ王たる資格を持つ血が流れる女。何度引き裂いたとしても殺したりない。
「不本意でしょうが。ミラーコロの宝物なら八割上納でも十分に元がとれます。私怨を晴らすのはシセ・プリトヴィッツェの魔導書を手に入れて、西風の魔女を復活させてからでも遅くはないでしょう」
 バードのささやきが続く。ライザはにこやかな表情でエンリルを受けているエイミーを睨みつけ。
「本当に一千万エイユーで手を打つんだな」
「ええ。一度口にしたことを引っ込めるほど、ワタシは怖いもの知らずじゃないつもりだよ。キミが代々の怨みを勝手に抱いているのもよく知っているしね。ミラーコロ大聖堂地下墓地の探索権。この場で買い取ってくれるかな」
「わかった」
 エンリルを引き、切り刻みたい気持ちを押さえつけて鞘に収めた。風の刃をエネルギーとして放出していた魔剣がエアリアルショートソードとして収斂する。
「バード、契約書を作って。この馬鹿女に一千万エイユーをくれてやって」
 ロングソードを引いたバードがうなずき、『アッパーデッキ・インテリジェンス』の営業担当社員と話を始めた。
「キミもいつもこれだけ素直だったらね。もしかしたら、初めてじゃない。ワタシの家とキミが一時的でも和解したのってさ」
 満面の営業スマイルを見せ付けられたライザは、エンリルを抜こうとする衝動を無理矢理抑えつけた。こいつは馬鹿女だが、情報と剣術だけは間違いなく最高級のものをもっている。敵ばかりのレイニッセで、たとえ私怨ばかりの相手でも、敵対していないものまで敵に回す必要はない。ただ、本当にむかつくだけで。

コメント(8)

宵千紅夜さんがこてこてのファンタジーを書きたいということを言ってらっしゃったので、一年ほど前に書いたものをアップしてみました。はっきり言って背中をおすということですね。
第1章を書いた段階で続きを書く時間がなくなったので、第2章を少し書いただけでほったらかしですが。
ほんの気分転換で書いてみて、今読み直すとたくさん直すところがあるなと思う作品ですが、読んでみてください。
長いんで、印刷してよみます。すんません。
とりあえずファンタジーの製作決定したので、勉強させていただきますv
宵千紅夜さんへ
ゆっくり読んでください。感想楽しみにしています。

hirotakoさんへ
確かに長いですね。1章分なのでコピペして分割するのは思いつきませんでした。本のかたちにすれば、簡単に読めるんでしょうけど、PCの画面だと読みにくいですね。
よみました。
かなり面白いです。
臨場感があって、戦闘(ライザが追いかけてくあたり)シーンなんかどきどきしながら読みました。

ただ、最初の世界説明の後、いきなり入札の話が出てきて「ん?」という感じがしました。
ライザが話の中心になってからは、すんなり読めましたが、
最初は視点となる主人公がいないせいでしょうかね?

全体としては、ネットで読むものではないと言い切れます。
私個人の感覚でもありますが、液晶画面は文字を沢山読むのに適していないかと・・・・。
それゆえ、紙媒体なら面白く読めるものも苦痛が伴うものに。

しかし、続きができたらまた読ませていただきたいです。
しっかり印刷しますからw

それだけしても、読む価値ありです。

次ぎ描くファンタジーの参考にさせていただきますねー。
今回はどうも、ゴチですw
私なんかがこてこてファンタジーに入りにくいのは、最初からその雰囲気ムンムンの状況が気持ち悪いからで、そういうのを軽く越えさせてくれました。
オークションから話が始まり、魔法の匂いも漂わせつつ、途中まで肉弾戦というのが良かったです。
少し気になったのは、間の無さですか。
疾走感が有り細かく描写された戦闘シーンが、飽きさせず面白いですが、間が無いなと。
実際戦っているのを追えば間なんて無いのでしょうが、アニメで言うと、一瞬スローになってみるとか対峙した二人の間に風が過ぎるとか、そういった感じのがあったらなと。武器を使った戦いになる節目に、それが有ったら良かったな、と思いました。
次は紙で読んでみたいですね。縦書きで。
金髪の少年が気になるので、どうか続きを。
宵千紅夜さんへ
最初の入りの部分から視点がぶれるのは、やはり最初の目が完全な三人称だからですね。現実社会を描くときなら、読者とある程度現実を共有できているので、いきなり入っても大丈夫なのですが。やはりファンタジーは難しいです。
臨場感があって面白いというのは最高の褒め言葉ですね。
ありがとうございます。
長いのはもう許してもらうしかなくて、プリントアウトしてくださいませ。
時間があれば、また続きを書きますよ。

くろ猫さんへ
この世界は18、19の頃に出来上がっていて、実はその頃に遊び倒したのですが、やはり絵心がないためか、ちゃんと深い描写まではできなかったかもです。
今は現実社会のミステリ専門で書いているので、魔法の世界に疎いのは勘弁してやってください。
完全防御魔法はもう語呂がいいからとしかいえないです(汗)
絵は描いてもらえるとありがたいです。どの部分でもライザでもエイミーでも?.13でも、ファイブシスターズでも好きなキャラを描いてくださいませ。
プリントアウトしてもお釣りかくるるくらい面白いというのは本当に褒め言葉です。ありがとうございます。

薫翁さんへ
こてこてのファンタジーを感じさせないまま物語に引き込むのはぼくが今ミステリを専門にしているからだと思います。たぶんですが。
ファンタジーの間というのはよくわからないんですよね。テレビもサッカー以外はほとんど見ないこともあって、スローにしたほうがいい場面も一気に書き抜けることが多いです。たしかに直すべきところは多いかもしれないですね。
縦書きの紙っていうと本になるってことじゃないですか。最高の褒め言葉ですが、ぼくがファンタジーを書くといったら編集さんにそんな時間があったらミステリを書けと叱られそうです(苦笑)金髪の少年が気になりますか。続きは少しはあるのですが、時間があるときに書いてアップしますね。楽しみにしていてください。
感想ありがとうございます。

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