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チェダゼミナールコミュのロシア革命とソ連の成立 P134〜 資料168

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【ロシア三月革命】
 ロシアは先の日露戦争に敗北し、経済発展も進まず、ヨーロッパ諸国の中でも貧しかった。さらにWW?においては東部戦線の戦場となり、国民生活は悲惨であった。そんな中<1917年>、首都の1( ペテログラード )<西方への窓>で労働者のストライキ・デモが起こり、戦争中止を訴えた。結果、皇帝2( ニコライ二世 )は退位、家族全員が処刑され、300年続いた3( ロマノフ朝 )の支配は終わった。この一連の革命を4( 三月革命 )という。この革命の後、自由主義的(金持ち中心)な臨時政府が成立。その一方で社会主義的(貧しい人中心)を目指す労働者・兵士ソヴィエトの権力が生まれ、金持ち中心の政府と対立した。





【ロシア十一月革命】
 皇帝は退位したが、臨時政府が戦争を辞めなかったため、労働者や兵士の生活はさらに困窮した。そんな中、貧しい人々の代弁者となったのが、5( レーニン )であり、彼の属したグループを6( ボリシェヴィキ )という。彼は、四月テーゼを発表し、民衆の支持を得た。7月には7( ケレンスキー )が首相となったが、彼は結局土地改革を進めず、相変わらず金持ち有利な政策を行なったため支持されなかった。そして11月、政府は倒され、レーニンが新たな政府を樹立した。この革命を8( 十一月革命 )という。そして、三月革命と十一月革命を合わせて9( ロシア革命 )という。つまりロシア革命は、市民革命(王制打倒・三月革命)と社会主義革命(金持ち中心から貧しい人中心へ・十一月革命)という二つの側面がある。









【革命後のロシア】
 レーニンが樹立した政府をソビエト政府という。この新政府は、戦争を中止するため、ドイツと10( ブレスト・リトフスク条約 )を結んだ。しかし、その後も、新政府VS旧政府の争いは続いた。ソビエト政府は、労働者など貧しい人々が中心となって国を動かす11( 社会主義 )体制を目標としていた。社会主義の最終目標は、国民皆が平等に財産を分ける12( 共産主義 )であった。これに対し、資本主義諸国はロシア革命を危険視扱いし、英・仏・日・米などが革命に干渉した。日本はロシア革命の際、シベリア出兵を行なった。シベリア出兵の際、米の買占めが起こり、13( 米騒動 )に発展した。
 ロシア革命への干渉に対抗するため、ロシアは共産主義の結束を高める必要があった。そのため、1919年に、世界の共産主義運動を指導するため14( コミンテルン )を結成した。また、穀物の強制徴発、企業の国有化などの15( 戦時共産主義体制 )をとって戦った。

【ソ連の成立】
 穀物の強制徴発は、対ソ干渉戦争におけるロシア軍の食料を賄うために必要不可欠だった。しかし、強制徴発は同時に、農民の不満も招いた。そこで、政府は方針を転換し、一定量の穀物を税金として納入さえすれば、後は自由に農民が販売してもよいとする16( 新経済政策 )<ネップNEP>を採用した<1921年>。
 1922年には、ロシア・ウクライナ・白ロシア(現ベラルーシ)・ザカフカース(現アゼルバイジャン、アルメニア、グルジア)の国が結びついて、17( ソヴィエト社会主義共和国連邦 )<ソ連>となった。
 貧しい人々、労働者が中心となって国を動かすこの社会主義(共産主義)体制は、成立当初は順調であった。しかし、ソ連は結局1991年に崩壊することになる。

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