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チェダゼミナールコミュの第4章 ヨーロッパ・アメリカの諸革命と世界の変動

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第1節 工業化社会の到来 教科書P78〜 資料集134〜135

この授業の目標

なぜ我々は英語を学ばなければならないか理解する! なんでフランス語や日本語ではないのか。

[産業革命]
 まず産業革命のイメージがつきにくい人は、「工業化」と捉えるとよいだろう。産業革命の最大の意義は、人口の増大だと思う。産業革命は1760年代、1( イギリス )でまず起こったが、100万年前の地球上の人口は約13万人、それが1830年代になると人口は10億人、1930年には20億人、2010年現在は2( 70億人 )となった。つまり、機械化による商品の大量生産・大量消費、大量輸送が可能になったことにより、人口は劇的に増えたのだ。では、産業革命以前はどうだったかというと、商品は当然一つ一つ手作りであるため、大量生産することは出来ないし、値段も高い。
 産業革命以前は、就職先は親元である。つまり、親の仕事を継ぐのが通常である。そのため、学校に行って勉強する必要がないため、教育制度や学校制度も存在しなかった。子どもは小さなころから親の仕事を手伝いながら、仕事を覚える。それが、産業革命によって親の仕事を必ずしも継ぐ必要性がなくなった。そのため、子どもはとりあえず学校に行って勉強し、将来の就職先を見つけるのである。産業革命発祥の地がイギリスであるため、世界標準語も英語、世界標準時もイギリスとなった。
 ただし、産業革命はイギリス発祥の第一次産業革命(18世紀末)の他に、アメリカ・ドイツが主役の第二次産業革命(19世紀末)、アメリカや新興国が主役の第三次産業革命(20世紀末)に分けることが出来る。第一次産業革命の主産業は軽工業、第二次産業革命の主産業は、重工業。第三次産業革命の主産業は3( IT )産業である。ともかく、ここではイギリス産業革命について詳しく見ていくことにする。
【イギリス経済】
 イギリス産業革命は、アメリカ独立革命とフランス革命とほぼ同時期に進行した。産業革命以前の動力源は水力や木炭が主流であり、山間部に工場や住宅が集中した。しかし、新しい動力源として4( 石炭 )が登場し、平野部、都市部に人口が集中するようになった。石炭を燃やし、蒸気エネルギーを動力に変えたのである。イギリス産業革命の背景は色々ある。まず、農業の機械化により、農業に人手が要らなくなったこと。失業した農業従事者が、流行の工業に沢山流れたこと。イギリスは、石炭や鉄などの資源に恵まれていたこと。さらに、フランスとの戦争5( 七年戦争 )の勝利によって、アメリカ・インドにおける英国の仏国に対する優位性が決定したことが大きい。アメリカ・インドを支配できたことにより、原料調達地や大消費地を得たことになる。つまり、イギリスはライバルフランスとの戦争に勝ったことで、フランスに勝る植民地を手に入れた。フランスはイギリスより若干遅れて産業革命をスタートさせている。資料集135?を参照























【世界の工場】
 イギリスは元々6( 毛織物 )産業が盛んな国だった。イギリスはヨーロッパのかなり北にあるため、冷涼な気候である。そのため、毛織物が作られていたのだが、毛織物は温かいが、弱点もある。それは着心地が悪いということである。そんな中、イギリスの植民地であるインド産綿布(キャラコ)が、温かくて尚且つ着心地もよいと評判となりいわゆるコットンフィーバーが起こる。当初はインドからの輸入でまかなっていたが、イギリスの貿易赤字が悪化したことにより、「なんとか自前で作れないか」と思慮した結果、イギリスで繊維産業が発達した。繊維産業は需要が大きく,小資本で始められるという利点があった。産業革命の発火点は7( 綿繊維 )産業(軽工業)だったのだ。イギリスは独自の紡績・織布・染色の技術開発を行い、インドからの輸入に頼らなくてもよくなった。水力紡績機を発明したのが8( アークライト )である。彼は特許と工場経営により巨富を残し、1786年には9( ナイト )に叙せられた。1789年以降、蒸気機関による紡績工場が普及し、蒸気力の他産業への応用、工作機械の開発が進んだ。
商品を大量生産出来るようになると、それを大量輸送する必要が出てくる。そこで蒸気機関車と鉄道が普及した。イギリスは鉄道発祥の地でもあり、機関車トーマスは元々イギリスのアニメである。蒸気機関車の実用化に成功した(1825年)のが、蒸気機関車の父と呼ばれる9( スティーブンソン )である。初めて鉄道が走った区間は、イギリスの港町10( リバプール )とイギリス<イングランド>産業革命発祥の地11( マンチェスター )である(1830年)。ちなみに日本初の鉄道は明治5年(1872年)日本の大消費地である12( 東京 )<新橋>と東京の港町13( 横浜 )間である。機関車・レールはイギリス製を使用していた。イギリスの鉄道技術・土木技術は世界に輸出され、イギリスに莫大な富をもたらした。鉄道というのは、天候に左右されない大量・確実な輸送・移動手段である。かつての移動手段は、徒歩か馬車しかなかったが、天候に左右されるし、少量しか輸送できないし、スピードも遅い。イギリスの鉄道技術が世界に14( 交通革命 )をもたらした。
英国は19世紀中頃、世界の工業生産高の半分を占め15( 世界の工場 )と呼ばれた。ちなみに21世紀現代の世界の工場は16( 中国 )である。現代のイギリスは工業より商業、特に17( 金融業 )が発達している。

【産業社会】
産業革命が進行すると、工業都市が出現する。イングランドのマンチェスターや、スコットランドの18( グラスゴー )などが有名だ。さらに、ブルジョワによる経済規制撤廃・政治改革がさけばれ、それを理論的に支えたのが自由放任主義を唱えた19( アダム・スミス )であった。アダム・スミスは、「経済は国があれこれ規制するより自由にしたほうが発展する」と著書20( 諸国民の富 )で説いた。アダム・スミスの理論は新興ブルジョアに支持され、国内の地主貴族や諸外国に新たな対応迫った。
一方で自由主義経済(資本主義)が発展することは、資本家の労働者への搾取が問題となる。自由競争の元では、金持ち(資本家)の方が有利だからだ。金を持たないものは、安い賃金でも働かざるを得ない。労働力を売ることでしか、お金を得る手段を持たないからだ。工業地帯の実態調査(1831〜33年)では、児童の労働時間は19時間に達し、休憩時間は朝食に15分、昼食に30分、飲料をとる時間に15分だった。過酷な労働を強いられた労働者はやがて資本主義を否定し21( 社会主義 )を標榜するようになる。社会主義は、社会全体で稼いで、それを社会全体に平等に分配する経済主義だ。
一方、資本主義で富を蓄積した国家は、市場や原料調達地を海外に求め始める。こうして他国を植民地支配する22( 帝国主義 )が生まれ、イギリスの帝国である23( 大英帝国 )が成立。イギリスに乗り遅れまいと、フランス・ドイツ・イタリア、そして日本も帝国主義を標榜し、後のWW?・?に繋がっていく。
 自由主義(Liberalism)について少し説明を加えておくと、この自由には二つの意味があり、一つは国家による管理経済に反対して、経済活動の自由放任を良しとする考え方。もう一つは、出版・思想の自由、世論の存在を前提に、24( 野党 )の活動を認め立憲政治を行うことである。例えば中国は25( 中国共産党 )しか政党が存在せず、野党が存在しない。つまり、中国共産党の独裁国家であり、中国国民は自由に発言が出来ないし、メディア規制はされている。中国は20世紀末から経済の自由化は徐々に進みつつあるが、政治や思想の面では自由化が進んでいない。
ある組織を進歩させていくためには、常に批判する立場の人が必要であると思う。国会中継を見ていると汚いヤジがとんでいることもあるが、あのヤジも言ってみれば一つの仕事であり、批判してくれる人がいないと緊張感も生まれない。国や政治家が何かおかしなことをしていたら「それは違うだろ」と批判出来るだけの判断力を養うことが重要であると思う。そして、選挙には必ず行くこと。例えば投票率が国民の20〜30%だったとする。すると、選ばれた政治家は、「どうせ俺らがムチャクチャしても国民は政治に無関心だから、俺の首は切られない」となって、本当にムチャクチャなことをするだろう。これは歴史が証明している。独裁者が、国民のためにいいことをしてくれるケースも稀にあるが、大概はムチャクチャする。

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