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チェダゼミナールコミュの第2章 律令国家の形成 ?飛鳥の朝廷 教P29〜31 資46〜

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縄文→弥生→古墳→飛鳥
【東アジアの動向とヤマト政権の発展】
 飛鳥時代は6C〜7C。古墳時代は3C〜7Cでしたので、後半部分と重なります。
さて、飛鳥時代初期の6Cは一言でいうと「大伴氏・物部氏・蘇我氏が権力争いをしていた時代」です。まず始めに権力の座に着いたのが大伴氏の1( 大伴金村 )です。彼がどのように権力の座についたのかというと、6C当初、武烈天皇が亡くなりました。彼には後継者がいなかったため、このままでは天皇家断絶のピンチです。この危機を救ったのが大伴金村でした。彼は天皇の遠い親戚だった後の継体天皇を越前から連れてきて天皇の地位につけました。継体天皇にとっては、大伴金村のおかげで天皇になれたわけですから当然彼を大事にします。大伴金村の権力を象徴する出来事としては、加羅の一部だった任那(みまな)四県の百済割譲です。つまり日本が影響力を及ぼしていた地域を百済にあげるという指示を彼が出せるぐらいの権力があったということです。
 しかしこの大伴氏の権力にかげりを見せる事件がおこります。527年の筑紫国造磐井の乱です。この乱を鎮めたのが物部氏です。大伴氏と物部氏は共に軍事を司る豪族で、いわばライバル関係です。大伴氏は磐井の乱をとめることが出来ませんでした。    一方で、任那四県百済割譲により加羅西部地域を完全に百済が支配するようになりました。しかも割譲の際百済から賄賂を受けたのではという疑惑まで浮かび上がります。これを失政と非難され、以後物部氏が権力を握っていきます。
 6C後半になると今度はこの物部氏と新興の蘇我氏の対立となります。蘇我氏は渡来人と非常に交流が深く、彼らのもつ先端技術・文化を巧みに取り入れ力をつけていました。ということは、蘇我氏は崇仏派ということになります。なぜなら仏教というのは渡来人からもたらされた宗教だからです。それに対し物部氏側には中臣氏という家来がいましたが、この中臣氏は神道儀式を司る豪族でした。つまり日本古来の神を信仰しているということなので、廃仏派となります。587年に用明天皇が亡くなると次の天皇を誰にするかで大臣2( 蘇我馬子 )と大連3( 物部守屋 )が対立、蘇我氏は聖徳太子と協力して勝利を収め実権を握ります。これにより仏教は朝廷に公認され、日本の国教のようなものになっていきます。日本に寺が沢山存在するのはそのためです。権力を握った馬子は斉蔵・内蔵・4( 大蔵 )の三蔵を管理し財政権を掌握し、さらに自分のいうことをきかない崇峻天皇を暗殺します。そして自分の思い通りになる人物ということで、姪の5( 推古天皇 )を天皇にします。推古天皇は史上初の女帝です。彼女は自分の甥である6( 聖徳太子 )(厩戸王・父:用明天皇)を7( 摂政 )という形で天皇の仕事を代行させます。弱冠20歳の若さでした。つまり蘇我馬子も推古天皇も聖徳太子も皆親戚関係だったということです。摂政聖徳太子の行った政治をまとめると
8( 冠位十二階 ) 今まで一族単位で与えていた位を個人単位に与える
9( 憲法十七条 ) 豪族に役人意識をもたせ国家官僚としての自覚と天皇服従
10( 遣隋使 )派遣 大国中国へ対等関係を要求
 仏教を受け入れた=仏教とともにある先進的なシステムも受け入れる=中国の政治システムもマネるということです。さらにいえば聖徳太子の父は天皇ですので、天皇中心の国づくりが理想だったわけです。そのため憲法十七条では和の重視(1条)三宝(仏教)の重視(2条)、天皇への服従強調(3条)などが記されています。
 その一方で冠位十二階という世襲制度を打破しようとする制度を作っているところが大変面白いところです。かつては氏姓制度によって身分・地位を固定していたのを、「頑張り次第で出世させてあげるよ」というのが冠位十二階です。
 遣隋使で有名人物は11( 小野妹子 )です。因みに彼は男性です。彼が持たされた国書には「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す〜」と書かれていました。これは中国皇帝に臣属しないことを意味し、隋の皇帝12( 煬帝 )から怒りをかいます。「天子」は天下に一人でなければならなかったのです。しかし当時、隋は高句麗を攻めようとしていました。その際、日本を敵に回すことは隋にとって不利になると考えたため、対等関係こそ認めませんでしたが、留学生の受け入れを認めました。妹子は冠位十二階の第五位大礼だったが、のちに第一位大徳に昇進しています。その他有名な遣隋使・遣唐使をまとめておきます。
名前 後の身分 弟子(塾生)
1 高向玄理(たかむこのげんり) 国博士
2 南淵請安(みなみぶちのしょうあん) 中大兄皇子 中臣鎌足
3 旻(みん) 国博士 中臣鎌足 曽我入鹿
4 犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)
遣隋使・遣唐使とは要するに留学生です。帰国後、彼らの新知識が大化改新以後の国政改革に影響を及ぼします。因みに1〜3の人物は漢人系の渡来人です。元々中国には詳しかったということです。
【飛鳥の朝廷と文化】 資料集P48〜50参照
 飛鳥時代は蘇我氏や聖徳太子に象徴されるように、「いかに仏教をとりいれるか」がキーワードとなります。寺院の建立が古墳にかわって豪族の権威を示すものとなります。そのため飛鳥文化の中心人物も蘇我氏と聖徳太子となります。

蘇我馬子 13( 飛鳥寺 )
聖徳太子 14( 法隆寺 )・四天王寺(日本初の官寺)
鞍作鳥(くらつくりのとり) 法隆寺金堂釈迦三尊像
※ 聖徳太子は飛鳥から20km離れた斑鳩(いかるが)を本拠地とします。蘇我馬子との対立に疲れたためと考えられている。

余談
6C末〜8C後半までの16代天皇のうち8代が女性天皇である。

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