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チェダゼミナールコミュの35 アメリカ合衆国の発展とカナダ 教科書P106〜 資料集P142〜

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【アメリカ合衆国の拡大】
 アメリカ大陸は16世紀頃に発見された1( 新大陸 )であり、アメリカ合衆国は2( 1776 )年に独立を果たした新興国家である。そのアメリカが21世紀、繁栄の極みにあるのはなぜだろうか。一つに、地理的条件が大きい。アメリカとヨーロッパは、大西洋を隔てて離れているし、アジアとは太平洋を隔てて離れているため、他国から侵略を受けることがほとんど無い。そんなアメリカの基本外交方針は3( 中立外交 )である。中立外交と言えば聞こえはいいが、要は「アメリカはアメリカで勝手にするから、他の国は口出ししないでね」ということだ。アメリカが独立したのは1776年。当時は東海岸沿いの4( 13 )州しかなかったアメリカであったが、ヨーロッパがフランス革命やらナポレオン戦争やらでゴタゴタしている隙に、どんどん領土を拡大していった。まずアメリカ独立が正式に承認された1783年の5( パリ条約 )によって、6( ミシシッピ )川以東をイギリスから割譲された。さらに1803年にはフランスから7( ルイジアナ )を1819年にはスペインから8( フロリダ )を、1845年には9( テキサス )を併合し、1848年にはカリフォルニアを10( メキシコ )から割譲された。アメリカは東部13州から、西へ西へと開拓を進めていった。これを11( フロンティア )という。アメリカのフロンティアは1848年のカリフォルニアで大陸を縦断した時点で一端終了となるが、この1848年というのはアメリカにとって幸運な年となる。メキシコから譲り受けたカリフォルニアで金鉱が発見されたためだ。翌49年には12( ゴールドラッシュ )と呼ばれるほど人々が殺到した。1848年はヨーロッパ人にとっても幸福な年で、二月革命により、ウィーン体制が崩壊した年で、「諸国民の春」と呼ばれている。
 さて、アメリカがどんどんフロンティアを推し進める中で、アメリカに元々住んでいた13( ネイティブアメリカン )〈インディアン〉は、不毛の居留地である山に追いやられた。開拓を進めたのは、イギリス系を頂点とする白人移民であった。また、アメリカ南部の大農場(プランテーション)では黒人奴隷制が敷かれ、黒人は重労働を強制させられた。アメリカ南部はアフリカに近いため、かつて奴隷貿易で連れてこられた黒人奴隷が数多くいた。つまりアメリカにとっての民主主義というのはあくまでもヨーロッパから移植した白人にのみ適用されるもので、先住民や黒人には差別的な扱いであったということだ。このフロンティアを正当化するために、未開の辺境への入植と文明化が使命=14( マニフェスト・ディスティニー )<明白なる天命>という言葉が標語とされた。7代アメリカ大統領で、西部出身者で初の大統領15( ジャクソン )は、1830年に16( インディアン強制移住法 )を施行した。
 一端終了したアメリカのフロンティアは、1853年17( ペリー )来航という形で太平洋を隔てた日本にもやって来ている。日本はアメリカのその圧倒的な軍事力にビビり、渋々開国してしまった。日本はアメリカの51番目の州であるという言い方がなされるが、当たらずとも遠からずである。

【南北戦争】
アメリカが独立して100年ほどたった頃、アメリカ史上最大の戦死者を出した18( 南北戦争 )(1861〜65年)が勃発する。南部では、大農場でタバコや綿花を生産し、イギリスなどに輸出することで経済が成り立っていた。つまり南部の農場主は、19( 自由貿易 )と奴隷制を支持していたのである。
一方、北部は南部ほど暖かくなく、綿花・タバコ栽培や農業には適さないため、商工業を発展させようとしていたが、まだ発展途上段階であった。発展途上段階ということは、自由貿易をしてしまうとイギリス製品に負けてしまうため、20( 保護貿易 )を主張し、奴隷制にも反対した。フロンティアにより西部での新州が成立するたびに、奴隷制や貿易についての是非が問われた。
そんな中、奴隷制反対の21( リンカン )(共和党)が大統領に当選すると、南部諸州がアメリカ合衆国から離脱し、22( アメリカ連合国 )という新たな国を結成した。この南北戦争は当初南部優位だったが、リンカンは23( ホームステッド法 )〈自営農地法〉を成立させ、開拓農民の支持を得た。ホームステッド法とは、西部の未開発地を5年間開墾すれば、自分の土地にしてもよいというものである。また、24( 奴隷解放宣言 )を出し、国内外に支持者を獲得し、結局この戦争は北部の勝利で終わった。奴隷ではなくなったとはいえ、黒人の貧困や差別はこの後も続いていくこととなる。
戦争が終わって間もなく、アメリカ合衆国を東西に貫く25( 大陸横断鉄道 )も開通(1869年)し、ヨーロッパからさらに移民が流入することとなる。南北戦争を終えたアメリカの資本主義経済は急成長を遂げ、(「金ぴか時代」)と呼ばれた。1890年頃、フロンティアが消滅し、国内を完全統一したアメリカは以後海外への膨張へと打って出る。帝国主義時代の幕開けである。




36 ラテンアメリカと世界資本主義 教科書108〜 資料集

【ラテンアメリカ諸国の独立】
ラテンアメリカとは、大航海時代の先陣をきったラテン系の1( スペイン )2( ポルトガル )が支配した中南米を示す。18世紀ラテンアメリカ社会の階層秩序は、トップに本国(スペイン・ポルトガル)派遣の植民地役人がいて、その下に、現地住民の諸階層が存在していた。上から順に
1)現地生まれの白人大地主3( クリオーリョ )
2)白人と先住民の混血4( メスティソ )
3)白人と黒人の混血5( ムラート )
4)先住民,黒人など
となっている。
 中南米は大航海時代で、新大陸として扱われ、ヨーロッパ諸国に長らく植民地支配を受けていた。そんな中、18世紀末から19世紀前半にかけて独立気運が高まる。何度も出てきているように、18世紀末からアメリカ独立革命やフランス革命が起きており、「一致団結して革命さえ起こせば、王や支配者を倒せる」という空気が流れていたのだ。中南米の独立で先陣を切ったのは1804年の6( ハイチ )〈宗主国は仏〉である。つまりアメリカ大陸では1776年のアメリカ合衆国独立に次ぐ二番目であり、世界初の黒人による共和制国家でもある。このハイチの独立をきっかけに、ナポレオン戦争期(1803〜15年)頃、南北アメリカで本国からの独立が進んだ。スペイン領植民地の独立運動は現地生まれの白人である7( クリオーリョ )の指導の下行われた。つまり、アメリカもラテンアメリカも現地生まれの白人が中心となって本国からの独立を図ったという点で共通している。南米のほぼ全部はスペイン領かポルトガル領だったが、革命家8( ボリバル )によって9( 大コロンビア共和国 )が出現した。この大コロンビアは、後にコロンビア・ベネズエラ・エクアドルなどに分裂し、それぞれの道を歩みだした。旧ポルトガル植民地は、まとまって10( ブラジル )として独立した。
また、アメリカは独立したといっても、独立当初はイギリス経済に依存していた。アメリカがイギリス経済から独立を果たすのは、ナポレオン戦争期である。このとき、イギリスは海上封鎖を行い、アメリカとフランスとの通商を妨害したため11( 米英戦争 )が勃発した。この戦争の意義は、勝敗云々よりも、戦争によって米英の通商がストップしたことにより、今までイギリス経済に依存していたアメリカが自立を始めたという点にある。アメリカは後に南北戦争後に、世界一の資本主義国となる。


【独立すれど従属】
ラテンアメリカの独立成功の背景は二つある。
一. 欧州はナポレオン戦争真っ只中で、ラテンアメリカ植民地にまで  目を向ける余裕がなかったこと。
二. アメリカ・イギリスによる独立支援。
一番については解説はいらないと思う。二番については解説をする。ラテンアメリカを植民地支配していたのはほぼ12( スペイン )で、イギリスからしてみれば、スペインの力を弱めるために、一旦ラテンアメリカを独立させ、その後イギリスが13( 政治支配なき経済進出 )を狙ったのである。そして、アメリカ合衆国は、当時独立ホヤホヤの弱小国で、地理的にアメリカ合衆国に近い中南米をヨーロッパに支配されたままにしておくよりも、アメリカ合衆国が支配したいと考えていた。そこで、1823年、アメリカ5代大統領14( モンロー )がモンロー宣言を出し、ヨーロッパとアメリカ大陸の相互不干渉を唱えた。これらの理由により、ラテンアメリカの独立が促されたのである。
独立後のラテンアメリカ諸国は、本国役人にかわり、クリオーリョが権益独占した。さらに、農業・鉱業は、欧米の需要に依存。つまり、現地の人のために食糧を生産するのではなく、欧米に輸出するために生産していた。つまり、欧米の経済的支配下に置かれていたことを意味する。

【世界資本主義のシステム】
 19世紀前半までに、イギリスを中心に3層構造をなす世界資本主義のシステムが形成された。
国 地位 利害・主張
中心 イギリス 世界の工場・銀行 自由貿易
半周縁 仏・独・米・日 後発資本主義国 保護貿易・富国強兵
周縁 東欧・アジア・南米・アフリカ 従属経済・植民地
 イギリスは、すでに世界一の地位を確立していたため、自国の商品を自由に売りたい、すなわち15( 自由貿易 )を推進していた。一方で二番手グループの、後発資本主義国は、自由貿易にされると、自国の製品がイギリス商品に絶対に負けてしまうので16( 保護貿易 )を主張した。それ以外の周縁国は、列強国の植民地支配、もしくは政治的支配なき経済支配によって、従属国として扱われ、21世紀現在もまだまだ発展しきれていないのが現状である。

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