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チェダゼミナールコミュの54 ファシズムの台頭

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【ナチ党の政権獲得】〜ヒトラーの野望〜
世界恐慌によって世の中に不安・不満が蔓延し始めるとファシズムと呼ばれるあらたな政治運動が生まれた。具体的には民主主義を批判し、指導者による厳格な統制に基づく共同体主義、砕いていうと1人のカリスマ、絶対的リーダーのもとその人物の命令が絶対的なものとなる。そして、ラジオ放送局のディレクター(番組制作者)も政府の宣伝に使われ、国に都合の良い情報ばかりを流して、逆に都合の悪い情報は流さなくなる。この様に特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する政府などの宣伝行為を1( プロパガンダ )Propagandaという。ファシズムはまず1922年,イタリアで2( ムッソリーニ )率いるファシスト党が、「黒シャツ部隊」でローマへの軍事的デモンストレーションを敢行させ、政府に圧力をかけ政権を掌握した。ムッソリーニは後にヒトラーと盟友関係となる人物である。そのヒトラーはどのように独裁者・権力者になっていったのだろうか。ムッソリーニによる軍事的圧力での政権奪取を聞いたヒトラーは翌23年3( ミュンヘン一揆 )を起こし武力による政権獲得を目指したが失敗し逮捕されてしまった。つまりミュンヘン一揆は失敗に終わり、ヒトラーのドイツ制覇・世界制覇の夢はいったんとぎれることになる。獄中でヒトラーは「国を支配するためにはやはり合法的に選挙で勝ち上がっていくしかない」と悟る。ヒトラーは巧みな弁論術者であり、1929年以降世界恐慌による社会不安がドイツ国内に蔓延していたのを利用して、ファシズムへの支持増大に成功しヒトラー率いる4( ナチ党 )が政権獲得に成功した。ナチ党の政権公約、いわゆる5( マニフェスト )は失業対策であった。世界恐慌により発生した失業者の雇用を創り出すことでドイツを復活させることを国民に約束した。実際彼は完全雇用を達成している。ヒトラーはドイツ復活のためには国民の一致団結が必要だと考えた。そこで利用されたのがユダヤ人である。ユダヤ人は商才に優れ、不況の中でも富裕層が多く、ドイツ国民にしてみれば「自分達は不況で苦しんでいるのに、何で彼らだけ贅沢できるのか」という心境だった。そのためドイツ国内のユダヤ人を排斥することを通じてドイツ国民の団結力を高めた。WW?敗戦で焦燥感にかられていたドイツ国民にとってヒトラーの演説は分かりやすく、かつ熱狂的なものであった。「ドイツ国民こそ世界で最も優れている、だから戦争によって領土を拡大し、ドイツ人の住む場所をどんどん増やしていかなければならない」という言葉は熱狂的に国民から支持された。日本でも金融危機後社会不安が広まっており失業者が町中にあふれていた。当時の日本は日清戦争・日露戦争・WW?いずれも勝利し、三連勝中だった。そのため軍部が政治家を押さえて権力を握っていた。その軍部がやりたいような政治をするため天皇のカリスマ性を利用し、巧みに支持者を集めていった。軍部のやりたいこと、それは「戦争」である。なぜなら軍部は戦ってナンボであるし、負け知らずだったからだ。日本ではWW?を15年戦争と呼ぶこともある。WW?は6年間だったのに15年とはどういうことかというと、1931年の6( 満州事変 )から日本はほぼずっと戦争状態にあったからだ。戦争に勝ち大日本帝国が広まれば軍部の権利も増大し、日本国内の失業者を海外に送り出すことも出来る、つまり失業対策にもなるのだ。国民はもちろん戦争なんてしたくないのだけれども、失業している立場だと文句も言えなかった。日独伊に共通しているのは、天皇(日)、ヒトラー(独)、ムッソリーニ(伊)という、誰も逆らうことの出来ない存在がいたこと。そして世界恐慌による失業者対策が領土的野心につながり、戦争に繋がっていったことである。国内の政治・生活が不安定であったとしても自国が戦争で海外に勝ったとなればやはり国民は熱狂するし、豊かになれると信じるものがいるから戦争に歯止めがきかなくなる。
【ナチ党独裁体制の成立】
政権獲得したヒトラーは戦争遂行のため7( 全権委任法 )を成立させる。通常法律は選挙で選ばれた国民の代表者が集まる国会で作られる。これを立法権というが、この立法権を政府(内閣)に委任してしまうという法律が全権委任法である。国民は戦争に行きたいわけではないので当然戦争には反対する。国民の代表者である政治家は選挙に勝つために国民の言うことをきくので戦争に反対する。ヒトラーは戦争をしたい、つまり自分の思うようにしたい、そのためこのような法律を成立させてしまった。34年,ヒトラーは総統(国家元首)となり、大統領と首相を兼任した。完全なる独裁者となったヒトラーは反対派やユダヤ人に対し、秘密警察・親衛隊を使って残虐した。秘密警察とは国家体制維持のため、その全容が秘密にされている警察である。ヒトラーに反抗するものやユダヤ人を送り込んだ施設を8( アウシュヴィッツ )強制収容所という。
【ヴェルサイユ・ワシントン体制への挑戦】
独裁者ヒトラーは領土的野心をむき出しにし、国際連盟脱退(33年),徴兵制復活・再軍備宣言(35年)
非武装地帯ラインラントへの軍進駐(36年)など、ヴェルサイユ条約・ロカルノ条約違反を公然と行うようになった。
一方中国大陸進出を目論んでいた日本も1931年、満州鉄道路線爆破事件( 柳条湖事件 )を起こす。この事件の犯人を現地の中国人になすりつけ、戦争を行う口実とし、中国北東部を占領する。そして翌32年傀儡国家9( 満州国 )をつくった。柳条湖事件から満州国設立までを満州事変という。完全な日本の自作自演で行われたこの満州事変に対して国際連盟からリットン調査団が派遣され、「満州は日本が無理矢理つくった国だから国として認めない、すぐに中国に返還しなさい」と勧告が出た。これを日本は不服とし、1933年、日本は国際連盟を脱退する。日本がなぜそこまで満州に固執したかといえば日本国内の失業者対策と満州に資源が豊富であったことだ。失業者対策ついては前述したように、世界恐慌によって失業者となってしまった人々を満州に送り込むことが出来る、仕事を与えることが出来るという点。資源が豊富というのは戦争を遂行するためには鉄・石炭など大量の資源が必要であり、その資源を満州で賄うことが出来ると考えたからである。イタリアでは地中海帝国建設の目論みのため10( エチオピア )侵攻(35年)を始め、翌36年に併合した。このエチオピア侵攻も国際連盟により違法と判断され、イタリアは翌37年に国際連盟を脱退している。国際連盟はこのイタリアの暴走をなぜ止められなかったのかというと、国際連盟には違法な国に対する軍事制裁措置がとれなかったためである。世界に対して公然とルール違反を始めたこの日独伊は後に同盟国となりWW?へと突き進んでいく。
55 第二次世界大戦前夜の世界
【スペイン内戦】 〜WW?の前哨戦〜
WW?直前、WW?の前哨戦ともいえる戦いが起こった。それがスペイン内戦である。対立軸は

主義 ファシズム(全体主義・軍国主義) 反ファシズム(民主主義)
参加国 ドイツ・イタリア ソ連の義勇軍
スペイン内 フランコ将軍 人民戦線
 本来なら英仏が反ファシズム側について援護しなければならないところだが、英仏は極力ムダな戦いをさけるため、不干渉政策をとった。そのためこの戦いはファシズム側の勝利となった。
【ミュンヘン会談】 〜ヒトラーの野心を見誤った英仏〜
 ヒトラーの野望はまず東欧に向いた。西欧には英仏という強国が存在するためだ。まず38年3月元々ドイツの一部でヒトラーの出身地である11( オーストリア )を併合する。さらにチェコスロヴァキア内にあるドイツ入居住地12( ズデーテン )地方まで要求し始める。英仏はWW?に勝ったとはいえ、ドイツに途中まで負けていたため、極力ドイツとの戦争を避けたかった。そこで13( ミュンへン会談 )(38年9月)を開き、なんと英仏首脳がヒトラーの領土要求を認めてしまった。なぜならドイツ領土的野心の矛先が東欧の小国に向かっていた、つまり西欧の英仏にまで火の粉が飛んでくることはないと判断したからだ。ミュンヘン会談で交わされた内容は「じゃあズデーテン地方までは特別にドイツ支配を認めます。でもこれ以上はダメですよ」というものだ。これに気をよくしたドイツは39年3月,チェコを併合し、スロヴァキアを保護国化した。結局ズデーテン地方じゃ飽きたらずチェコスロバキア全体を支配してしまったのだ。ミュンヘンで交わした約束事を早速破ったことになり、英仏はヒトラーを甘く見ていたことになる。
【独ソ不可侵条約】
チェコスロバキアをあっさり吸収してしまったドイツはさらにポーランドへの領土要求まで行うようになる。もはや戦争は避けられない状況に近づいてきたわけだが、この時世界に衝撃がはしった。なんと本来敵であるはずのドイツとソ連が14( 独ソ不可侵条約 )(39年8月)を締結したのだ。ソ連は味方であるはずの英・仏への不信感を募らせていた。ドイツの侵略が東欧に向いているということはソ連にもいずれ到達するはずである。それなのに英仏がソ連を助けようとしない、それどころかミュンヘン会談でドイツの要求をホイホイ認めてしまった。さらにスペイン内戦でも英仏は兵を出そうとはしなかった。そしてソ連の極東地域ではモンゴル国境付近(満州付近)で日本との対立を抱えていた。そのためソ連としては出来るだけドイツとの戦争を避けて、対日戦に集中したかったのだ。一方でドイツとしてもWW?で東部戦線と西部戦線、二つに分けて戦っていたため兵力が裂かれることになった。その状況を防ぐため、ドイツとソ連はお互いに侵略しないことを事前に約束することで世界大戦をやりやすくしようとしたのだ。
【日中戦争の拡大】 〜長崎で始まり長崎で終わる〜
日本では政治家と軍部の対立が激しくなった。政治家は国民から選ばれる立場で、国民は戦争に行きたくない、自分の血を流すのは嫌なので、戦争に賛成する政治家は選挙で落とされる。一方軍部は戦争に連勝中なので怖いもの知らず。当時、大蔵大臣だった15( 高橋是清 )は戦争反対派であったため、軍部に予算を少なめにしか配分しなかった。これに怒った軍部が彼を殺害、さらに首相官邸で岡田啓介首相も狙われたが、秘書の松尾伝蔵が首相と誤認されて殺され難を逃れた。この一連の事件を16( 二・二六事件 )(36年)といい、この事件により軍部の政治への発言権がさらに増大する。政治家は怖くて何も言えない時代となる。軍部が中国華北への侵略を企図し、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍の小競り合い(盧溝橋事件)から17( 日中戦争 )(1937〜45年)に発展した。1937年から始まる日中戦争が世界戦争の火付け役となる。中国への爆撃機は、長崎から飛び立った。そして1945年長崎に原爆が落とされて戦争は終わる。WW?はある意味長崎で始まり、長崎で終わっている。日清戦争は1年で終わったが、日中戦争は8年も続く泥沼戦争となる。

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