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チェダゼミナールコミュの61 米ソの動揺と多極化する世界 教科書P166〜

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パクス・アメリカーナの揺らぎ
 アメリカはベトナム戦争での失敗で、国力は半減。WW?後は世界の富の半分を牛耳っていたのに、ベトナム戦争後は、日独のミラクル成長もあり、世界シェアの4分の1にまで後退。もはやアメリカ一国だけでは世界を動かせなくなってしまった。
【アメリカの動揺】
 1960年代のアメリカは内憂外患、つまり国内と国外にそれぞれ問題を抱えていました。まず国内では60年代後半,1( 公民権運動 )が起こります。公民権運動とは黒人差別反対運動とほぼ同義です。この公民権運動で活躍したのが2( キング牧師 )で、彼の「I have a dream」で始まる演説はあまりにも有名です。公民権運動の事の発端は、バスで黒人女性が白人に席を譲ることを拒否して逮捕されたことから始まります。黒人はトイレも白人とは別でした。またキング牧師はアメリカは40〜50年後には黒人の大統領が誕生するだろうと予測しています。キング牧師は結局白人青年に暗殺されてしまいましたが、彼の予測は3( オバマ )大統領誕生により見事に的中します。アメリカに黒人大統領が誕生するということは、それほど今のアメリカがよっぽどの事態になっているということです。リーマンショックに始まる金融危機や、長引く対テロ戦争などの閉塞感を打開するにはもう新たな風を吹き込むしかなかった。そこで国民は黒人のオバマに期待せざるを得なかったのかもしれません。
 話を元に戻しますが、当時アメリカの外患、つまり国外の心配事とは長引く4( ベトナム戦争 )です。今のアメリカの状況と酷似していますね。戦争というのは短期決戦ならばそれほど痛手とはなりません。軍事支出も少なくて済みますし、兵士もそこまで死ななくて済むからです。しかしこのベトナム戦争は長期戦でした。なぜならベトナムがゲリラ戦法をとったからです。ベトナム戦争の戦場はベトナムです。ベトナム人は当然現地の地形は詳しいですので、森の中に隠れてアメリカ兵を惑わすことができたのです。この神出鬼没のゲリラ作戦にアメリカは結局負けてしまいます。長期決戦でも勝てばまだ国に利益はあったでしょうが、長期戦になったうえに負けてしまったとなれば何の利益もありません。残るのは膨大な損失だけです。60年代〜70年代といえばTVが世界に普及した時期と重なります。世界の人々は初めて戦争を映像でリアルタイムに見ることが出来ました。アメリカの敗戦映像が世界に流れると、アメリカの地位は大きく低下しました。また、タイミングの悪いことに73年には原油価格が4倍に高騰する5( オイルショック )も起こっています。西側先進諸国の経済成長は中東から安い原油を仕入れることによって成り立っていました。つまり燃費が悪かろうと、石油の値段が安かったからあまり関係が無かったわけです。原油は生活必需品でもありますし、戦争においても大量の燃料を必要とします。原油価格は1970年〜1981年で結局19倍にまで値上がりしました。60年代〜70年代は急速にアメリカの力が衰えていく時代でした。
当時のアメリカ大統領6( ニクソン )は無駄遣いを減らすため本来敵であるソ連との核兵器制限交渉を行います。それと同時に中国との国交正常化推進も行います。今まで中の悪かった国と仲良くしなければならないほどアメリカはピンチだったのです。
【西欧諸国と日本の台頭】
 アメリカの力が徐々に衰えていった60年代、西ヨーロッパ諸国は「アメリカは頼りにならない、だから自分たちで何とかしよう」と考えるようになります。そこで7( ヨーロッパ共同体 )(EC)が仏・西独を中核に67年発足します。アメリカと同じ言語(英語)を喋る8( イギリス )は親米派でしたので、原加盟国加盟ではありませんでした。しかしそのイギリスも72年にEC加盟します。このイギリスEC加盟は、ECが米ソにつぐ「第三の巨人」となった出来事でした。ECは現在EUとなり、加盟国数は27カ国まで拡大しています。
一方日本もアメリカが衰退していく60年代、9( 高度経済成長 )真っ只中でした。64年には東京で10( オリンピック )も開催されています。オリンピック開催は単なるスポーツの祭典という意味合いのみならず、その国の経済力を世界に見せつけるという意味合いもあります。60年代の日本は高速道路・新幹線の開通、ホテル・スタジアムの建設ラッシュによりオリンピック景気と言われる好景気の時代でした。      
また力は衰えたといってもアメリカが世界一の経済力と軍事力を保持していることに変わりはありませんでした。日本は高度経済成長期もアメリカの忠実な同盟者であり続けました。アメリカが冷戦で沢山の軍事支出のあるなか、日本の軍事支出は少なくて済みました。アメリカにさえ従っていれば安心して経済成長に集中できたのです。日本は島国ですので元々外国から侵略は受けにくいですし、日米安保がありますのでなかなか敵は襲ってきません。アメリカの後退と西ヨーロッパや日本の相対的地位向上により、75年から,11( サミット )(主要先進国首脳会議)が毎年開かれるようになります。もはや世界の諸問題をアメリカ一国で解決できなくなってしまったのです。サミットは当初、米・日・英・仏・伊・西独の6カ国(G6)で行われ、現在は+露・加(カナダ)を加えたG8で行われています。

【ソ連の衰え】
フルシチョフがソ連のリーダーだった時代は緊張緩和の時代です。なぜなら彼の外交は親米路線だったからです。彼の失脚後12( ブレジネフ )がソ連の最高指導者となるとソ連はまた保守的路線、つまりスターリン時代へ回帰してしまいます。例えば東欧チェコの民主化運動13( プラハの春 )をワルシャワ条約機構軍で抑圧するなどします。ソ連は経済においても保守化してしまいます。保守化とはつまり昔ながらの伝統をずっと守り、新しいことにチャレンジしないことをいいます。西側はオイルショックを教訓に、情報や高度技術など新たな産業へ転換していきました。鉄鋼や造船などの14(  重厚長大  )産業から、電化製品やコンピュータなどの15(  軽薄短小  )産業(省エネ型)にシフトしていきました。一方でソ連は、相変わらず石油輸出など資源経済に頼りっぱなしで新しい産業にチャレンジしませんでした。これが社会主義経済の最大の弱点です。社会主義経済とは全員が公務員、つまり頑張って新しい何かを開発したとしても給料は変わりません。一方資本主義経済とは、頑張れば頑張った分だけ給料も上がり、生活がよりよいものになっていきます。誤解を恐れずに言えば社会主義は平等だけど皆貧しい、資本主義は不平等だけど全体としては豊かな世界です。


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